10月29日木曜日
それから数日、令花は布団の中にいた。絶賛、鬱の波に呑み込まれ中だ。
はぁ、とため息をつく。かれこれ四日、このままだ。日曜日に、一年と少しあとにある、成人式の着物選びに行った。その翌日を境に、なんだか動けなくなってしまって、ずっとこのまま(布団に籠ったまま)だ。本当に、何のために生きてるんだろう、と思う。
寝返りをうった時、スマホが振動し始めた。うざったげに画面を確認する。やばい、御影先輩からだ。
「はい、もしもし......」
「御影です。今、大丈夫ですか?」
「はい、話せます。......最近、連絡送れていない件ですよね。すみません。」
「ええ、察しがよくて助かります。その件ですが、桐谷さん、何かありましたか?」
「えぇっと、その......」
鬱になってしまって、寝込んでるんです、なんて言えるわけがない。だって、傍から見ればただの怠け者だ。
「前に、うつ病になって休学したと言っていましたね。もしかして、再発しましたか。うつ病は一度なると完治が難しいと聞きます。」
「......詳しいんですね。実はそうなんです。ここ四日は勉強できてなくて......あの、ちょっと回復の兆しは見えるんで明日は図書館に行こうと思うんですけど......」
「そうですか。それはどのくらい信頼できますか?」
ぐっ、と言葉に詰まる。昨日も、図書館に行こうとして、結局行かなかった。
「五分五分ですね、正直......」
「そうですか......ところで、そういった再発が起こった時にはどういう風に過ごしていますか?」
「実を言うと、布団に籠りきりです......」
「なるほど。では、連絡を送ることはできますね。」
「っはい。」
「では、こうしましょう。鬱にまた呑み込まれてしまった時には、僕にそうなったとだけ連絡をください。そしたら連絡をしますので、勉強ゼロの日だけ作らないようにこれから頑張っていきましょう。」
「わかりました。」
......怒られなかった。鬱で寝込んでしまって怒られなかったのは初めてかもしれない。お母さんはなんでできないのと不機嫌を露わにし、お父さんも気難し気に深いため息をついた。だけど、御影先輩は、それを見越したうえで協力してくれると言ってくれた。
それにしても、やけにうつ病に詳しいな。身近に、そういう人がいたのかな。
「では、また明日から連絡、くださいね?」
「はい、すいませんでした......」
「謝らないでください。そういえば、週に一回、会う時間を作ろうと思っていたんです。その約束、明日はどうですか?毎週金曜日。」
「大丈夫ですよ、何も予定なんて無いんで。じゃあ、また、明日図書館の自習室で大丈夫ですか?」
「はい、途中からグループ学習室に行きましょう。僕が予約しておきますので。」
「わかりました。じゃあ、声かけてくださいね。この予定ができたんで、とりあえず明日は図書館に行くまではできると思います。」
「それは重畳です。楽しみにしてますよ?」
「はい、それでは。おやすみなさい。」
「はい、おやすみなさい。」
電話を切った。明日に備えて、今日はもう寝よう。明日起きたら、一番に、一日の勉強の計画を立てよう。
10月30日金曜日
『おはようございます。すみません、今日もやはり難しそうです。会うの、土曜日にずらすことは可能ですか?本当に申し訳ないです。』
『おはようございます。了解しました。まずは焦らず休んで、明日に備えてください。』
はぁ、なんで私ってこうなんだろう、と布団の中で考える。本当に愚図だ。
いや、先輩の言う通り、ここは休んで明日に繋げるしかない。とにかく、明日家を出れるように今日できることをやろう。.......なんて、その気にはそんな簡単にはならないんだけどね。少しずつやるしかない。
明日もぶっちしたら流石に愛想尽かされるぞ、桐谷令花。
10月31日
『おはようございます。今日は行けそうです。いつも通り自習室にいます。よろしくお願いします。』
『おはようございます。よかったです。了解しました。』
簡単なやり取りを見返して、ため息をつく。はぁ、御影先輩に会うの気まずいな......私のダメなところ知られちゃったし。まぁこれから受験まで長い付き合いになっていくはずだし、早いところこういうダメな部分を見せられてよかったんじゃないか。そう思おう。そう思うことにしよう。
......あ、忘れてた。今日の計画を立てていない。すぐに立てて御影先輩に送ろう。
『
・今日の目標:物理の課題を半分まで終わらせる。
・取り組む教材、範囲:物理、問題集、三時間
・最低ライン:二時間
・今日の予定:先輩と打ち合わせ』
***
頑張って図書館に来たはいいが、如何せん昨日までは一日中、布団でダラダラしていた人間だ。急に勉強に集中できるようになんてなる訳がない。はぁ、と本日何度目か分からない程のため息をこぼす。
どうにもやる気が出ない。というか、やる気の問題というより、エネルギーの問題に感じる気がする。なんというか、能動的な活動をするエネルギーが不足しているのだ。図書館に来て早々、勉強ができないので趣味の執筆でもしようと思ったが、それも手が動かない。頭が働かないのだ。
そんなこんなで、でも御影先輩との約束もあるので帰るわけにもいかずぼーっと椅子に座っていたら、声を掛けられた。
「こんにちは、一週間ぶりですね、桐谷さん。」
「あぁ、こんにちは。あの、御覧の通り、今全然集中できていないので、もうお昼を食べにカフェに行きませんか。」
「そうですか。わかりました。では、行きましょう。」
手早く荷物をまとめると、自習室を出て一階のカフェに向かう。一週間ぶりの御影先輩は......どこか厳かな雰囲気をまとっているように感じられる。多分、私の何もできていない罪悪感が作る幻だ。
カフェに着くと、私はサンドイッチと紅茶を、先輩は菓子パンとコーヒーを頼んだ。
「で、調子はどうですか。」
「最っっっっっっ悪です。今日、やっと図書館に来れたと思っても、勉強に全然取り組めませんでした。
それどころか、趣味すら楽しめないんです。勉強ができないなら、執筆でもしようかと思ったんですけど、勉強と同じく頭が働かなくて.....」
「そうですか......つまり、やりたい気持ちはあるのにできない、ですか。」
「はい......自分自身に一番イラつきます。」
「......自分を責めて勉強ができるようになるなら、いくらでも責めればいいと思いますよ。でも、違うでしょう。」
「......はい。」
「それに、ここ一週間ほどずっと調子が悪いんでしょう。勉強だけでなく、好きなことをする気力さえ無くなっている。そこまで変化があるのに気合で何とかしようとするのは無理があると思いますよ。......今日はもう休んでください。」
「え?」
「もちろん、勉強を放って置いていいと言っているわけではありません。時間は有限です。
ですが、今の状態を無視して頑張る必要はありません。」
「......でも」
「あなたが本当に頑張りたいと思っていることくらい、分かっていますよ。」
「.......はい、ありがとうございます。」
サンドイッチとパン、そして飲み物が届いた。紅茶を飲みながら答える。
「でも、この、鬱の波、というか、もう体調不良って称してもいいですかね!?自分でコントロールできないどころか、いつ来るかさえ分からないし、いつ終わるのかも分からないんです。」
「えぇ、体調不良と称して差し支えないと思いますよ。自分でコントロールできないものは不安になりますよね......」
御影先輩はどこか悲し気、というか過去を思い返しているような目で言った。本当は、最近夜、寝てる途中に目がよく覚めるとか、夢をたくさん見るのだとか、寝ても寝ても眠いだとか色々ぶちまけたかったが、会って一週間の人に言うことでもないか、と口を噤む。
「桐谷さんは、心療内科に通っているのですよね?」
「はい。二週間に一回ぐらいのペースで、通ってます。」
「じゃあ、要相談ですね。ちゃんと今の状況をメモするなりしておいて、正確に主治医に伝えられるようにして下さい。僕からアドバイスできるのはこれくらいです。」
「ですよね.......聞いてくれるだけでもありがたいです。」
「では、心苦しいですが、今週の勉強状況を教えてもらえますか。」
「全く、取り組んでないと言っても過言ではありません。先輩が来る前にちょっとだけやった、一時間半のみですよ、今週の戦績!」
「はぁ、自分自身に憤っているのがよく伝わりますよ......まぁ、今回は特例として、様子見ですね。」
それからは、それぞれ黙って食事を摂ったり、雑談をして過ごした。
「では、僕はやることがあるので自習していきますが、桐谷さんはどうしますか。」
「私は帰ります。できないのに居てもしょうがないですからね。」
御影先輩はどこか痛みを堪える風の目でこちらを見つめる。
「早く体調が安定するのを祈っています。では。」
それから私は家に帰った。
それから数日、令花は布団の中にいた。絶賛、鬱の波に呑み込まれ中だ。
はぁ、とため息をつく。かれこれ四日、このままだ。日曜日に、一年と少しあとにある、成人式の着物選びに行った。その翌日を境に、なんだか動けなくなってしまって、ずっとこのまま(布団に籠ったまま)だ。本当に、何のために生きてるんだろう、と思う。
寝返りをうった時、スマホが振動し始めた。うざったげに画面を確認する。やばい、御影先輩からだ。
「はい、もしもし......」
「御影です。今、大丈夫ですか?」
「はい、話せます。......最近、連絡送れていない件ですよね。すみません。」
「ええ、察しがよくて助かります。その件ですが、桐谷さん、何かありましたか?」
「えぇっと、その......」
鬱になってしまって、寝込んでるんです、なんて言えるわけがない。だって、傍から見ればただの怠け者だ。
「前に、うつ病になって休学したと言っていましたね。もしかして、再発しましたか。うつ病は一度なると完治が難しいと聞きます。」
「......詳しいんですね。実はそうなんです。ここ四日は勉強できてなくて......あの、ちょっと回復の兆しは見えるんで明日は図書館に行こうと思うんですけど......」
「そうですか。それはどのくらい信頼できますか?」
ぐっ、と言葉に詰まる。昨日も、図書館に行こうとして、結局行かなかった。
「五分五分ですね、正直......」
「そうですか......ところで、そういった再発が起こった時にはどういう風に過ごしていますか?」
「実を言うと、布団に籠りきりです......」
「なるほど。では、連絡を送ることはできますね。」
「っはい。」
「では、こうしましょう。鬱にまた呑み込まれてしまった時には、僕にそうなったとだけ連絡をください。そしたら連絡をしますので、勉強ゼロの日だけ作らないようにこれから頑張っていきましょう。」
「わかりました。」
......怒られなかった。鬱で寝込んでしまって怒られなかったのは初めてかもしれない。お母さんはなんでできないのと不機嫌を露わにし、お父さんも気難し気に深いため息をついた。だけど、御影先輩は、それを見越したうえで協力してくれると言ってくれた。
それにしても、やけにうつ病に詳しいな。身近に、そういう人がいたのかな。
「では、また明日から連絡、くださいね?」
「はい、すいませんでした......」
「謝らないでください。そういえば、週に一回、会う時間を作ろうと思っていたんです。その約束、明日はどうですか?毎週金曜日。」
「大丈夫ですよ、何も予定なんて無いんで。じゃあ、また、明日図書館の自習室で大丈夫ですか?」
「はい、途中からグループ学習室に行きましょう。僕が予約しておきますので。」
「わかりました。じゃあ、声かけてくださいね。この予定ができたんで、とりあえず明日は図書館に行くまではできると思います。」
「それは重畳です。楽しみにしてますよ?」
「はい、それでは。おやすみなさい。」
「はい、おやすみなさい。」
電話を切った。明日に備えて、今日はもう寝よう。明日起きたら、一番に、一日の勉強の計画を立てよう。
10月30日金曜日
『おはようございます。すみません、今日もやはり難しそうです。会うの、土曜日にずらすことは可能ですか?本当に申し訳ないです。』
『おはようございます。了解しました。まずは焦らず休んで、明日に備えてください。』
はぁ、なんで私ってこうなんだろう、と布団の中で考える。本当に愚図だ。
いや、先輩の言う通り、ここは休んで明日に繋げるしかない。とにかく、明日家を出れるように今日できることをやろう。.......なんて、その気にはそんな簡単にはならないんだけどね。少しずつやるしかない。
明日もぶっちしたら流石に愛想尽かされるぞ、桐谷令花。
10月31日
『おはようございます。今日は行けそうです。いつも通り自習室にいます。よろしくお願いします。』
『おはようございます。よかったです。了解しました。』
簡単なやり取りを見返して、ため息をつく。はぁ、御影先輩に会うの気まずいな......私のダメなところ知られちゃったし。まぁこれから受験まで長い付き合いになっていくはずだし、早いところこういうダメな部分を見せられてよかったんじゃないか。そう思おう。そう思うことにしよう。
......あ、忘れてた。今日の計画を立てていない。すぐに立てて御影先輩に送ろう。
『
・今日の目標:物理の課題を半分まで終わらせる。
・取り組む教材、範囲:物理、問題集、三時間
・最低ライン:二時間
・今日の予定:先輩と打ち合わせ』
***
頑張って図書館に来たはいいが、如何せん昨日までは一日中、布団でダラダラしていた人間だ。急に勉強に集中できるようになんてなる訳がない。はぁ、と本日何度目か分からない程のため息をこぼす。
どうにもやる気が出ない。というか、やる気の問題というより、エネルギーの問題に感じる気がする。なんというか、能動的な活動をするエネルギーが不足しているのだ。図書館に来て早々、勉強ができないので趣味の執筆でもしようと思ったが、それも手が動かない。頭が働かないのだ。
そんなこんなで、でも御影先輩との約束もあるので帰るわけにもいかずぼーっと椅子に座っていたら、声を掛けられた。
「こんにちは、一週間ぶりですね、桐谷さん。」
「あぁ、こんにちは。あの、御覧の通り、今全然集中できていないので、もうお昼を食べにカフェに行きませんか。」
「そうですか。わかりました。では、行きましょう。」
手早く荷物をまとめると、自習室を出て一階のカフェに向かう。一週間ぶりの御影先輩は......どこか厳かな雰囲気をまとっているように感じられる。多分、私の何もできていない罪悪感が作る幻だ。
カフェに着くと、私はサンドイッチと紅茶を、先輩は菓子パンとコーヒーを頼んだ。
「で、調子はどうですか。」
「最っっっっっっ悪です。今日、やっと図書館に来れたと思っても、勉強に全然取り組めませんでした。
それどころか、趣味すら楽しめないんです。勉強ができないなら、執筆でもしようかと思ったんですけど、勉強と同じく頭が働かなくて.....」
「そうですか......つまり、やりたい気持ちはあるのにできない、ですか。」
「はい......自分自身に一番イラつきます。」
「......自分を責めて勉強ができるようになるなら、いくらでも責めればいいと思いますよ。でも、違うでしょう。」
「......はい。」
「それに、ここ一週間ほどずっと調子が悪いんでしょう。勉強だけでなく、好きなことをする気力さえ無くなっている。そこまで変化があるのに気合で何とかしようとするのは無理があると思いますよ。......今日はもう休んでください。」
「え?」
「もちろん、勉強を放って置いていいと言っているわけではありません。時間は有限です。
ですが、今の状態を無視して頑張る必要はありません。」
「......でも」
「あなたが本当に頑張りたいと思っていることくらい、分かっていますよ。」
「.......はい、ありがとうございます。」
サンドイッチとパン、そして飲み物が届いた。紅茶を飲みながら答える。
「でも、この、鬱の波、というか、もう体調不良って称してもいいですかね!?自分でコントロールできないどころか、いつ来るかさえ分からないし、いつ終わるのかも分からないんです。」
「えぇ、体調不良と称して差し支えないと思いますよ。自分でコントロールできないものは不安になりますよね......」
御影先輩はどこか悲し気、というか過去を思い返しているような目で言った。本当は、最近夜、寝てる途中に目がよく覚めるとか、夢をたくさん見るのだとか、寝ても寝ても眠いだとか色々ぶちまけたかったが、会って一週間の人に言うことでもないか、と口を噤む。
「桐谷さんは、心療内科に通っているのですよね?」
「はい。二週間に一回ぐらいのペースで、通ってます。」
「じゃあ、要相談ですね。ちゃんと今の状況をメモするなりしておいて、正確に主治医に伝えられるようにして下さい。僕からアドバイスできるのはこれくらいです。」
「ですよね.......聞いてくれるだけでもありがたいです。」
「では、心苦しいですが、今週の勉強状況を教えてもらえますか。」
「全く、取り組んでないと言っても過言ではありません。先輩が来る前にちょっとだけやった、一時間半のみですよ、今週の戦績!」
「はぁ、自分自身に憤っているのがよく伝わりますよ......まぁ、今回は特例として、様子見ですね。」
それからは、それぞれ黙って食事を摂ったり、雑談をして過ごした。
「では、僕はやることがあるので自習していきますが、桐谷さんはどうしますか。」
「私は帰ります。できないのに居てもしょうがないですからね。」
御影先輩はどこか痛みを堪える風の目でこちらを見つめる。
「早く体調が安定するのを祈っています。では。」
それから私は家に帰った。
