海沿いの古工場と猫

 持ってきた荷物が片付いた頃に、引越し業者が来て、残りの荷物を運び、大型家電を設置して行った。支払いは用意していた封筒から済ませたけれど、必要な物を考えたところで、財布の中身を思い浮かべていた。買い揃えるには心許ないから、ホームセンターやスーパーに行く前に、少し探せば銀行も見つかるだろうと思った。

 家から抜け出し、愛車に乗り込み、エンジンを掛けて、走らせて行った。軽やかな調子に気分が乗ったところで、ホームセンターが見えてきた。その脇には小さな銀行があって、思わず笑みを浮かべた。そのままホームセンターの駐車場に停まり、愛車から降りて、銀行に向かって行った。

 銀行のATMでカードを差し込み、残高を目にして、さりげなく辺りを窺った。周りに人けはないし、見ているのは監視カメラだけだった。それでも未だに緊張して、指で触れるのが覚束なくなる。大した金額を引き出すわけでもないのに、いつも息を潜めるようにして引き出していた。

 財布に札を仕舞ってから、踵を返して、ホームセンターへと赴いた。カゴを持って、店内を進みながら、目当ての物を探し歩いた。

 カーテンはレースの物が付いていたけれど、もう一枚必要だと考えて、インテリアコーナーに向かった。暗い色から明るい色、柄物まで取り揃っていて、手で確かめながら迷い続けた。前は相手の好みに合わせていたことを思い出したところで、苦笑いをし、自分の好みの色を選んだ。

 そこで踵を返し、正面に続く床を歩いて行くと、文具コーナーからペット用品が見えてきた。以前から動物と暮らしたかったことを思い出し、軽く覗くと、どこかで見たような姿が立っていた。

 その人は若い男性で、白いTシャツに黒いズボンを履いていた。男性の格好を見て、ようやく愛車を直してくれた黒瀬工場の人だと思い出した。だけど、声を掛けるには知らなさすぎるし、後で変な噂を立てられても困る。男性の言葉が今になって浮かんだ。

 ふと視線を向けると、男性はペットフードを手に取り、難しそうな顔で眺めていた。それは裏表示を読んでいるようで、随分と熱心に目を向けていた。

 私は自分まで説明文を読んでいるような気分になって、軽く瞬きをし、その場から足を進めた時だった。

「買い出しか?大変だな」

 そう声を掛けられ、咄嗟に立ち止まり、少し深めに頭を下げてみせた。

 すると、男性が軽く鼻息を飛ばしたあとで、言った。

「お前、もう噂になってるぞ」

「そうですか。気をつけます……じゃあ」と言って、足を踏み込むと、男性が「俺、黒瀬。お前は?」と尋ねてきた。

 少し首を傾げ、名乗るのを躊躇った末に、その場凌ぎで吐き出した。

「名乗るほどのものじゃないので……じゃあ」

 そこから早足でレジに向かい、滑り込むようにして、会計が終わるまで、横目で男性の様子を見ていた。

 男性が違うレジに並んだところで、胸を撫で下ろし、店内から抜け出した。