星蘭学園に、文化祭の季節が近づいていた。
廊下には各クラスの出し物を募集するポスターが貼られ、生徒たちは休み時間になるたびに、今年は何をするのかと盛り上がっている。
そんな中、生徒会室では文化祭実行委員長を決める会議が開かれていた。
「例年どおり、生徒会長である私が全体を統括します。実行委員長には、各クラスとの連絡や企画の調整を担当していただきたいと考えています」
一ノ瀬冷花は、いつもどおり落ち着いた声で説明した。
机の上には、すでに整然と資料が並んでいる。
予算案、会場配置図、当日の進行表。
どれも細部まで作り込まれており、反論の余地がないほど完成度が高かった。
集まった生徒会役員たちは、感心したようにうなずく。
「さすが一ノ瀬会長……」 「これなら今年も問題なく進みそうだね」
冷花は小さく首を傾げた。
「ありがとうございます。ですが、まだ改善できる点はあると思います」
その言葉に、役員たちの背筋が一斉に伸びた。
――まだ改善できる点がある。
つまり、自分たちの仕事はまだ足りないということなのか。
もちろん、冷花にそんな意図はない。
ただ、よりよい文化祭にしたいと思っているだけだった。
「それで、実行委員長についてですが」
冷花は資料を一枚めくった。
「神崎くんにお願いしたいと考えています」
「……は?」
会議室に、間の抜けた声が響いた。
声の主は、神崎颯真だった。
自分が呼ばれたことは分かっている。
だが、話の流れが理解できなかった。
「待て。一ノ瀬、今なんて言った?」
「神崎くんに、文化祭実行委員長をお願いしたいと言いました」
「いや、それは聞こえた。そうじゃなくて、なんで俺なんだよ」
冷花は少し考えた。
「人をまとめるのが上手だからです」
「……え?」
「神崎くんは、相手の立場を考えて話をします。意見が違う人たちの間に入って、双方が納得できる方法を探すこともできます。今回の実行委員長に適任だと思いました」
あまりにも真剣な顔で褒められ、颯真は言葉に詰まった。
普段なら、彼女に勝つための言葉はいくらでも出てくる。
だが、正面から能力を認められると、どう反応すればいいのか分からない。
「……お前、俺のこと、そんなふうに見てたのか?」
「はい」
「即答かよ!」
「違いましたか?」
「いや、違わないけど……!」
颯真は思わず頭を抱えた。
会議室の隅で、友人の佐伯が肩を震わせている。
「神崎、お前、女王様に褒められて動揺してるぞ」
「うるさい!」
「顔、赤いけど?」
「赤くない!」
「神崎くん、顔が赤いのですか?」
冷花が真面目に尋ねた。
「確認しますか?」
「しなくていい!」
颯真の叫び声が、生徒会室に響き渡った。
*
「……まあ、いいけどな」
ひとしきり騒いだあと、颯真は腕を組んだ。
「やるからには、ちゃんと成功させる。お前に任せてよかったって言わせてやるよ」
「期待しています」
「そこは少しくらい驚けよ!」
「神崎くんならできると思っていますので」
冷花は、ほんのわずかに口元を緩めた。
颯真はその表情を見て、一瞬だけ言葉を失った。
最近、彼女の表情の変化が少しずつ分かるようになってきた。
これは、誰かを見下している顔ではない。
期待しているときの顔だ。
「……絶対に成功させるからな」
「はい」
冷花はうなずいた。
そして、その日の放課後から、颯真の文化祭実行委員長としての仕事が始まった。
*
「それじゃあ、各クラスの希望を聞かせてくれ」
翌日の放課後。
颯真は多目的教室に各クラスの代表を集め、会議を始めた。
最初は、なかなか意見が出なかった。
「えっと……二年一組は、喫茶店をやりたいです」
「二年二組は演劇を……」
「三年生は、体育館でライブをやりたいんですけど」
次々と希望が出てくるものの、予算や場所、準備期間の問題が立ちはだかる。
特に困ったのは、あるクラスの代表が口にした意見だった。
「正直に言うと、生徒会の企画って、ちょっと堅苦しいんですよね」
教室が静まり返った。
「……え?」
別の代表が慌てて声を上げる。
「お、おい! そんなこと言ったら、一ノ瀬会長に聞かれるぞ!」
「だって、本当のことだろ。何を提案しても、完璧な計画書を出せとか、細かい条件を確認しろとか……」
「一ノ瀬会長は間違ったことを言ってないだろ!」
「それはそうだけどさ……」
代表たちは、気まずそうに顔を見合わせた。
颯真はすぐに否定しなかった。
「なるほどな」
「神崎?」
「つまり、ちゃんと準備する必要があるのは分かってる。でも、最初から完成した計画を求められると、気軽に相談できないってことか?」
発言した生徒は、少し驚いた顔をした。
「……まあ、そんな感じです」
「ほかにも、そう思ってるやつはいるか?」
何人かが遠慮がちに手を挙げた。
颯真は、うなずきながら話を聞いた。
「分かった。じゃあ、最初はアイデアだけでもいいことにしよう。実現できるかどうかは、みんなで考えればいい。予算や安全面の問題は、そのあとで調整する」
「でも、一ノ瀬会長が納得するかな……」
その言葉に、颯真は苦笑した。
「大丈夫だ。あいつは、ちゃんと理由を説明すれば聞いてくれる」
「神崎は怖くないのか?」
「何が?」
「一ノ瀬会長だよ。あんなに完璧で、何を考えてるのか分からないし……」
颯真は少し考えてから答えた。
「確かに、あいつは完璧だよ。勉強も運動も、仕事も。俺だって何度も負けてる」
「そこは認めるんだな……」
「でも、あいつは別に、みんなを困らせたいわけじゃないんだ」
颯真は、机の上の資料を指で軽く叩いた。
「むしろ、失敗しないようにって、一人で全部背負おうとしてる。だから、こっちから話しかけてやればいいんだよ」
代表たちは、顔を見合わせた。
「……神崎って、一ノ瀬会長のこと、よく見てるんだな」
「は?」
「いや、なんか詳しいなって」
「実行委員長だからだろ!」
颯真は慌てて声を張り上げた。
しかし、代表たちの表情は、どこか意味ありげだった。
*
会議が終わったあと、颯真は生徒会室へ向かった。
扉を開けると、冷花が一人で資料を確認していた。
「神崎くん。会議はどうでしたか?」
「いくつか意見が出た。今までより自由にアイデアを出せる時間を作りたい」
「分かりました。では、その時間を確保できるよう、進行表を修正します」
冷花はすぐにペンを取った。
颯真は、その手を見て思わず口を挟んだ。
「待て待て。まだ、そこまで決まってない」
「ですが、必要なのでしょう?」
「必要だけど、まずはみんなと相談してからだ。俺が実行委員長なんだから、俺にも考えさせろよ」
冷花の手が止まった。
「……そうですね」
彼女はペンを置いた。
「すみません。私が先に進めすぎました」
「いや、謝るほどじゃないけど」
颯真は椅子を引いて座った。
「それより、お前はどう思う? 今までの文化祭で、改善したいところはあるか?」
「私が、ですか?」
「そう。生徒会長としてじゃなくて、一ノ瀬冷花として」
冷花は、意表を突かれたように目を瞬かせた。
「……私自身の意見ですか」
「そうだよ。いつも完璧な答えを出そうとしなくてもいい。思ったことを言ってみろよ」
しばらく考えたあと、冷花は静かに口を開いた。
「……生徒たちが、もっと楽しそうに相談してくれるといいと思います」
「楽しそうに?」
「はい。私が会長になってから、相談に来る人は減りました。必要な報告は届きますが、雑談をしに来る人はいません」
冷花は机の端に置かれた資料を見つめた。
「以前、文化祭の準備中に、ある生徒が私に企画を相談してきました。私は実現するための手順と問題点を説明しました。すると、その生徒は『分かりました』と言って帰りました」
「うん」
「後日、その生徒は別の先生に相談していたそうです。私に話すより、先生に話すほうが気楽だったのでしょう」
冷花の声に、ほんの少しだけ寂しさが混じった。
「私は、相談を断ったつもりはありませんでした。実現できる方法を考えたかっただけなのですが……」
颯真は、すぐには答えなかった。
彼女がそんなことを気にしていたとは思わなかったのだ。
完璧な彼女にも、分からないことがある。
そして、それを誰にも話せずにいたのかもしれない。
「……だったらさ」
颯真は、できるだけ自然な声で言った。
「今度、俺と一緒に相談を受けてみるか?」
「神崎くんと?」
「ああ。俺が最初に話を聞いて、お前が実現する方法を考える。どうしても難しいことがあれば、二人で別の案を探す。そうすれば、話しかけやすくなるかもしれない」
冷花は、じっと颯真を見つめた。
「神崎くんは、私と一緒に仕事をするのが好きなのですか?」
「……っ!」
颯真は、危うく椅子からずり落ちそうになった。
「な、なんでそうなるんだよ!」
「先日、私が仕事を手伝ってもらったときも、今回も、あなたから一緒に行動する提案をしてくれますので」
「それは……!」
颯真は言葉に詰まった。
好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではない。
むしろ、一緒にいると退屈しないし、彼女が何を考えているのか知りたくなる。
だが、それをそのまま口にするのは、何かが違う気がした。
「……お前が相手だと、放っておけないんだよ」
ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。
冷花は、しばらく黙っていた。
「……そうですか」
そして、ほんの少しだけ頬を緩めた。
「では、これからも放っておかないでください」
「…………は?」
「困ったときは、神崎くんに相談します」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……!」
「違うのですか?」
「違わないけど!」
「では、よろしくお願いします」
冷花は、きれいに頭を下げた。
颯真は、両手で顔を覆った。
――この女王様、時々とんでもないことを言う。
しかも、本人にはまったく自覚がない。
*
数日後。
文化祭の企画会議は、以前よりもずっと活気に満ちていた。
「じゃあ、教室を使った謎解き企画はどうだ?」
「面白そう! でも、準備が大変じゃない?」
「それなら、装飾は美術部に相談してみようよ」
颯真が意見を拾い上げ、別の生徒につなげていく。
冷花は隣で資料を確認しながら、ときおり必要な情報を補足した。
「その企画であれば、予算内で実施できます。安全面については、通路を確保すれば問題ありません」
「本当ですか? じゃあ、もう少し詳しい案を作ってみます!」
生徒が嬉しそうに教室を出ていく。
冷花は、その後ろ姿を見送った。
「……神崎くん」
「ん?」
「あなたがいてくれて、助かっています」
颯真は、思わず手元のペンを落としかけた。
「お、おう……」
「私一人では、あのように楽しそうに話してもらうことは難しかったと思います」
「まあ、得意分野ってやつだな」
照れ隠しに胸を張る颯真。
冷花は真剣な顔でうなずいた。
「神崎くんは、人の心を動かすのが上手なのですね」
「……いや、そんな大げさなものじゃないだろ」
「いいえ。私には、難しいことです」
冷花は、少しだけ視線を落とした。
「だから、あなたのそういうところは、すごいと思います」
颯真は、彼女の言葉を聞いて、胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。
勝負に勝ったときとは違う。
テストで満点を取ったときとも違う。
彼女に認められることが、こんなにも嬉しいなんて。
「……だったら、もっと見てろよ」
「え?」
「俺のいいところ。これからも、いくらでも見せてやる」
冷花は目を丸くしたあと、静かにうなずいた。
「楽しみにしています」
その返事に、颯真はまたしても顔が熱くなった。
そして、少し離れた場所で二人を見ていた佐伯が、ぼそりとつぶやいた。
「……あれ、もう付き合ってるだろ」
「付き合ってない!」
颯真が即座に叫ぶ。
「まだ、勝負の途中だ!」
「何の勝負だよ……」
佐伯は呆れたように笑った。
一方、冷花は首を傾げていた。
「神崎くん。私たちは、何の勝負をしているのですか?」
「……それは!」
颯真は口を開き、閉じた。
彼女に勝つこと。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか、彼女に自分を見ていてほしいと思うようになっていた。
「……文化祭を成功させる勝負だよ!」
「なるほど。では、負けません」
冷花は、いつもの真剣な顔で答えた。
「私も本気で取り組みます」
「お前、そこは譲れよ!」
「勝負ですから」
冷花の口元が、ほんのわずかに上がった。
颯真は、その表情を見逃さなかった。
彼女が、今、楽しそうにしている。
自分と一緒にいることを。
そう思うと、文化祭の準備が、今までよりもずっと楽しみになった。
こうして、文化祭実行委員長・神崎颯真のもと、準備は順調に進み始めた。
ただし、二人の距離が近づいていることに気づいた生徒たちの間では、別の問題が発生していた。
――一ノ瀬冷花が、神崎颯真といるときだけ、少し楽しそうに見える。
その噂は、文化祭の企画以上の速さで学園中に広がっていくのだった。
廊下には各クラスの出し物を募集するポスターが貼られ、生徒たちは休み時間になるたびに、今年は何をするのかと盛り上がっている。
そんな中、生徒会室では文化祭実行委員長を決める会議が開かれていた。
「例年どおり、生徒会長である私が全体を統括します。実行委員長には、各クラスとの連絡や企画の調整を担当していただきたいと考えています」
一ノ瀬冷花は、いつもどおり落ち着いた声で説明した。
机の上には、すでに整然と資料が並んでいる。
予算案、会場配置図、当日の進行表。
どれも細部まで作り込まれており、反論の余地がないほど完成度が高かった。
集まった生徒会役員たちは、感心したようにうなずく。
「さすが一ノ瀬会長……」 「これなら今年も問題なく進みそうだね」
冷花は小さく首を傾げた。
「ありがとうございます。ですが、まだ改善できる点はあると思います」
その言葉に、役員たちの背筋が一斉に伸びた。
――まだ改善できる点がある。
つまり、自分たちの仕事はまだ足りないということなのか。
もちろん、冷花にそんな意図はない。
ただ、よりよい文化祭にしたいと思っているだけだった。
「それで、実行委員長についてですが」
冷花は資料を一枚めくった。
「神崎くんにお願いしたいと考えています」
「……は?」
会議室に、間の抜けた声が響いた。
声の主は、神崎颯真だった。
自分が呼ばれたことは分かっている。
だが、話の流れが理解できなかった。
「待て。一ノ瀬、今なんて言った?」
「神崎くんに、文化祭実行委員長をお願いしたいと言いました」
「いや、それは聞こえた。そうじゃなくて、なんで俺なんだよ」
冷花は少し考えた。
「人をまとめるのが上手だからです」
「……え?」
「神崎くんは、相手の立場を考えて話をします。意見が違う人たちの間に入って、双方が納得できる方法を探すこともできます。今回の実行委員長に適任だと思いました」
あまりにも真剣な顔で褒められ、颯真は言葉に詰まった。
普段なら、彼女に勝つための言葉はいくらでも出てくる。
だが、正面から能力を認められると、どう反応すればいいのか分からない。
「……お前、俺のこと、そんなふうに見てたのか?」
「はい」
「即答かよ!」
「違いましたか?」
「いや、違わないけど……!」
颯真は思わず頭を抱えた。
会議室の隅で、友人の佐伯が肩を震わせている。
「神崎、お前、女王様に褒められて動揺してるぞ」
「うるさい!」
「顔、赤いけど?」
「赤くない!」
「神崎くん、顔が赤いのですか?」
冷花が真面目に尋ねた。
「確認しますか?」
「しなくていい!」
颯真の叫び声が、生徒会室に響き渡った。
*
「……まあ、いいけどな」
ひとしきり騒いだあと、颯真は腕を組んだ。
「やるからには、ちゃんと成功させる。お前に任せてよかったって言わせてやるよ」
「期待しています」
「そこは少しくらい驚けよ!」
「神崎くんならできると思っていますので」
冷花は、ほんのわずかに口元を緩めた。
颯真はその表情を見て、一瞬だけ言葉を失った。
最近、彼女の表情の変化が少しずつ分かるようになってきた。
これは、誰かを見下している顔ではない。
期待しているときの顔だ。
「……絶対に成功させるからな」
「はい」
冷花はうなずいた。
そして、その日の放課後から、颯真の文化祭実行委員長としての仕事が始まった。
*
「それじゃあ、各クラスの希望を聞かせてくれ」
翌日の放課後。
颯真は多目的教室に各クラスの代表を集め、会議を始めた。
最初は、なかなか意見が出なかった。
「えっと……二年一組は、喫茶店をやりたいです」
「二年二組は演劇を……」
「三年生は、体育館でライブをやりたいんですけど」
次々と希望が出てくるものの、予算や場所、準備期間の問題が立ちはだかる。
特に困ったのは、あるクラスの代表が口にした意見だった。
「正直に言うと、生徒会の企画って、ちょっと堅苦しいんですよね」
教室が静まり返った。
「……え?」
別の代表が慌てて声を上げる。
「お、おい! そんなこと言ったら、一ノ瀬会長に聞かれるぞ!」
「だって、本当のことだろ。何を提案しても、完璧な計画書を出せとか、細かい条件を確認しろとか……」
「一ノ瀬会長は間違ったことを言ってないだろ!」
「それはそうだけどさ……」
代表たちは、気まずそうに顔を見合わせた。
颯真はすぐに否定しなかった。
「なるほどな」
「神崎?」
「つまり、ちゃんと準備する必要があるのは分かってる。でも、最初から完成した計画を求められると、気軽に相談できないってことか?」
発言した生徒は、少し驚いた顔をした。
「……まあ、そんな感じです」
「ほかにも、そう思ってるやつはいるか?」
何人かが遠慮がちに手を挙げた。
颯真は、うなずきながら話を聞いた。
「分かった。じゃあ、最初はアイデアだけでもいいことにしよう。実現できるかどうかは、みんなで考えればいい。予算や安全面の問題は、そのあとで調整する」
「でも、一ノ瀬会長が納得するかな……」
その言葉に、颯真は苦笑した。
「大丈夫だ。あいつは、ちゃんと理由を説明すれば聞いてくれる」
「神崎は怖くないのか?」
「何が?」
「一ノ瀬会長だよ。あんなに完璧で、何を考えてるのか分からないし……」
颯真は少し考えてから答えた。
「確かに、あいつは完璧だよ。勉強も運動も、仕事も。俺だって何度も負けてる」
「そこは認めるんだな……」
「でも、あいつは別に、みんなを困らせたいわけじゃないんだ」
颯真は、机の上の資料を指で軽く叩いた。
「むしろ、失敗しないようにって、一人で全部背負おうとしてる。だから、こっちから話しかけてやればいいんだよ」
代表たちは、顔を見合わせた。
「……神崎って、一ノ瀬会長のこと、よく見てるんだな」
「は?」
「いや、なんか詳しいなって」
「実行委員長だからだろ!」
颯真は慌てて声を張り上げた。
しかし、代表たちの表情は、どこか意味ありげだった。
*
会議が終わったあと、颯真は生徒会室へ向かった。
扉を開けると、冷花が一人で資料を確認していた。
「神崎くん。会議はどうでしたか?」
「いくつか意見が出た。今までより自由にアイデアを出せる時間を作りたい」
「分かりました。では、その時間を確保できるよう、進行表を修正します」
冷花はすぐにペンを取った。
颯真は、その手を見て思わず口を挟んだ。
「待て待て。まだ、そこまで決まってない」
「ですが、必要なのでしょう?」
「必要だけど、まずはみんなと相談してからだ。俺が実行委員長なんだから、俺にも考えさせろよ」
冷花の手が止まった。
「……そうですね」
彼女はペンを置いた。
「すみません。私が先に進めすぎました」
「いや、謝るほどじゃないけど」
颯真は椅子を引いて座った。
「それより、お前はどう思う? 今までの文化祭で、改善したいところはあるか?」
「私が、ですか?」
「そう。生徒会長としてじゃなくて、一ノ瀬冷花として」
冷花は、意表を突かれたように目を瞬かせた。
「……私自身の意見ですか」
「そうだよ。いつも完璧な答えを出そうとしなくてもいい。思ったことを言ってみろよ」
しばらく考えたあと、冷花は静かに口を開いた。
「……生徒たちが、もっと楽しそうに相談してくれるといいと思います」
「楽しそうに?」
「はい。私が会長になってから、相談に来る人は減りました。必要な報告は届きますが、雑談をしに来る人はいません」
冷花は机の端に置かれた資料を見つめた。
「以前、文化祭の準備中に、ある生徒が私に企画を相談してきました。私は実現するための手順と問題点を説明しました。すると、その生徒は『分かりました』と言って帰りました」
「うん」
「後日、その生徒は別の先生に相談していたそうです。私に話すより、先生に話すほうが気楽だったのでしょう」
冷花の声に、ほんの少しだけ寂しさが混じった。
「私は、相談を断ったつもりはありませんでした。実現できる方法を考えたかっただけなのですが……」
颯真は、すぐには答えなかった。
彼女がそんなことを気にしていたとは思わなかったのだ。
完璧な彼女にも、分からないことがある。
そして、それを誰にも話せずにいたのかもしれない。
「……だったらさ」
颯真は、できるだけ自然な声で言った。
「今度、俺と一緒に相談を受けてみるか?」
「神崎くんと?」
「ああ。俺が最初に話を聞いて、お前が実現する方法を考える。どうしても難しいことがあれば、二人で別の案を探す。そうすれば、話しかけやすくなるかもしれない」
冷花は、じっと颯真を見つめた。
「神崎くんは、私と一緒に仕事をするのが好きなのですか?」
「……っ!」
颯真は、危うく椅子からずり落ちそうになった。
「な、なんでそうなるんだよ!」
「先日、私が仕事を手伝ってもらったときも、今回も、あなたから一緒に行動する提案をしてくれますので」
「それは……!」
颯真は言葉に詰まった。
好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではない。
むしろ、一緒にいると退屈しないし、彼女が何を考えているのか知りたくなる。
だが、それをそのまま口にするのは、何かが違う気がした。
「……お前が相手だと、放っておけないんだよ」
ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。
冷花は、しばらく黙っていた。
「……そうですか」
そして、ほんの少しだけ頬を緩めた。
「では、これからも放っておかないでください」
「…………は?」
「困ったときは、神崎くんに相談します」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……!」
「違うのですか?」
「違わないけど!」
「では、よろしくお願いします」
冷花は、きれいに頭を下げた。
颯真は、両手で顔を覆った。
――この女王様、時々とんでもないことを言う。
しかも、本人にはまったく自覚がない。
*
数日後。
文化祭の企画会議は、以前よりもずっと活気に満ちていた。
「じゃあ、教室を使った謎解き企画はどうだ?」
「面白そう! でも、準備が大変じゃない?」
「それなら、装飾は美術部に相談してみようよ」
颯真が意見を拾い上げ、別の生徒につなげていく。
冷花は隣で資料を確認しながら、ときおり必要な情報を補足した。
「その企画であれば、予算内で実施できます。安全面については、通路を確保すれば問題ありません」
「本当ですか? じゃあ、もう少し詳しい案を作ってみます!」
生徒が嬉しそうに教室を出ていく。
冷花は、その後ろ姿を見送った。
「……神崎くん」
「ん?」
「あなたがいてくれて、助かっています」
颯真は、思わず手元のペンを落としかけた。
「お、おう……」
「私一人では、あのように楽しそうに話してもらうことは難しかったと思います」
「まあ、得意分野ってやつだな」
照れ隠しに胸を張る颯真。
冷花は真剣な顔でうなずいた。
「神崎くんは、人の心を動かすのが上手なのですね」
「……いや、そんな大げさなものじゃないだろ」
「いいえ。私には、難しいことです」
冷花は、少しだけ視線を落とした。
「だから、あなたのそういうところは、すごいと思います」
颯真は、彼女の言葉を聞いて、胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。
勝負に勝ったときとは違う。
テストで満点を取ったときとも違う。
彼女に認められることが、こんなにも嬉しいなんて。
「……だったら、もっと見てろよ」
「え?」
「俺のいいところ。これからも、いくらでも見せてやる」
冷花は目を丸くしたあと、静かにうなずいた。
「楽しみにしています」
その返事に、颯真はまたしても顔が熱くなった。
そして、少し離れた場所で二人を見ていた佐伯が、ぼそりとつぶやいた。
「……あれ、もう付き合ってるだろ」
「付き合ってない!」
颯真が即座に叫ぶ。
「まだ、勝負の途中だ!」
「何の勝負だよ……」
佐伯は呆れたように笑った。
一方、冷花は首を傾げていた。
「神崎くん。私たちは、何の勝負をしているのですか?」
「……それは!」
颯真は口を開き、閉じた。
彼女に勝つこと。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか、彼女に自分を見ていてほしいと思うようになっていた。
「……文化祭を成功させる勝負だよ!」
「なるほど。では、負けません」
冷花は、いつもの真剣な顔で答えた。
「私も本気で取り組みます」
「お前、そこは譲れよ!」
「勝負ですから」
冷花の口元が、ほんのわずかに上がった。
颯真は、その表情を見逃さなかった。
彼女が、今、楽しそうにしている。
自分と一緒にいることを。
そう思うと、文化祭の準備が、今までよりもずっと楽しみになった。
こうして、文化祭実行委員長・神崎颯真のもと、準備は順調に進み始めた。
ただし、二人の距離が近づいていることに気づいた生徒たちの間では、別の問題が発生していた。
――一ノ瀬冷花が、神崎颯真といるときだけ、少し楽しそうに見える。
その噂は、文化祭の企画以上の速さで学園中に広がっていくのだった。



