毎週木曜日、二つ上の姉は、大きなカルチャースクールの一角にあるピアノ教室へ通っていた。
自宅から少し離れたその教室までは、母が車で送迎する。その間、海斗の面倒は同居する祖母が見てくれていた。
けれど、その日は町内会の慰安旅行と重なってしまい、幼い海斗を一人で留守番させるわけにもいかず、母は仕方なく連れて行くことにした。
そのときの海斗は、ピアノにまったく興味がなく、レッスンが終わるのを退屈しながら待っていた。
そんなとき、隣のスタジオから、ピアノとはまるで違うリズムが聞こえてきた。
ガラス扉越しにのぞくと、数人の少年たちが踊っている。
お腹の奥まで響く音。
身体が、音楽に合わせて次々と形を変えていく。
「……あれ、やりたい」
自分から何かをしたいとか、欲しいと言い出すことなどほとんどなかった海斗。その願いを、両親は積極的に応援してくれた。
ちょうど姉のピアノと同じ時間帯に、子ども向けのダンスレッスンがあったことも幸いした。
最初は、姉のピアノがある木曜日だけ。
けれど、すぐにそれでは物足りなくなり、レッスンは週二回、やがて週三回へと増えていった。
送迎だけでも大変だったはずなのに、両親は、海斗の挑戦をいつも応援してくれた。
ダンスを始めて二年が経つ頃には、大会にも出場するようになっていた。
最初は、小さな大会から。
結果は惨敗。幼いながらも悔し涙を流した。
何度目かの大会で、初めて入賞したときの喜びは、今も忘れられない。
一度入賞すれば、次はもっと上へ。そう思うようになり、出場する大会の規模も次第に大きくなっていった。
そして中学三年生の秋。
海斗は、国際大会で優勝した。
表彰台の一番高い場所から見た景色を、今でも鮮明に覚えている。
大きな歓声に包まれた、あの幸福感。
次は二連覇。
そう心に決め、練習に明け暮れていた、高校一年生の秋。思いもよらない異変が起きた。
最初は些細なものだった。
ステップが、ほんの少しだけズレた。
今まで何度も踊りこんできた曲。
身体が勝手に動くほど繰り返してきた振り付けなのに、床を蹴る足の裏の感覚が、妙に鈍い。
「……疲れてんのかな」
国際大会に向けて、練習はかなりハードになっていた。
だから、そのときは深く考えなかった。
けれど、数日経っても違和感は消えなかった。
むしろ、悪くなっている。
足が思うように動かない。
スニーカーの紐を結ぼうとしても、指先に力が入らない。
階段を上れば、突然、膝から力が抜ける。
練習中も、アイソレーションをしようとすると身体が重く、イメージ通りに身体が動かない。
「なんなんだよ……」
中学卒業と同時に上京し、一人暮らしをしていた海斗のもとには、週に一度ほど、母から電話がかかってきた。
その日も、いつものように他愛ない話をする中で、何気なく口にした。
「最近、ちょっと足がおかしいんだよね」
すると翌日、母は東京まで飛んできた。
そして、半ば強引に病院へ連れていった。
診断結果は、ギラン・バレー症候群。
自分の免疫が、誤って末梢神経を攻撃してしまう病気だという。風邪や胃腸炎などの感染症のあとに、発症することがあるらしい。
そういえば、先月、少し体調を崩したことがあった。
大したことはなかったし、ただの風邪だと思っていた。診断を受けるまで、すっかり忘れていたくらいだ。
医師の説明を、海斗はどこか他人事のように聞いていた。
気がかりなことはただ一つ。
「来月、ダンスの大会があるんですけど……」
医師は、言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「ギラン・バレー症候群は、早期に治療すれば比較的予後がいいとされてます。しかし、来月開催の大会への出場は……難しいでしょう」
その一言で、胸の奥が冷たくなった。
国際大会二連覇に向けて、すべてを調整してきた。
今年も勝てる。
そう信じていた。
なのに……。
入院後も、症状はさらに悪化した。
昨日までできていたことが、できなくなる。
身体を思うように動かせない。
ダンスどころか、普通に生活することさえままならなかった。
入院から二週間ほどで症状はピークを迎え、その後、少しずつ身体は楽になっていった。
一か月ほどしてリハビリが始まったものの、医師の説明に、海斗は絶望に近い感覚を覚えた。
「ここから半年から一年ほどかけてリハビリをしていけば、ほぼ完全に機能が回復するケースも多いです」
「また、踊れますか?」
「リハビリを経て、後遺症が残らなければ可能だと思います。ただ、ブレイクダンスのようにアクロバティックな動きがどこまでできるかは、正直、わかりません」
海斗は、すっかり腐ってしまった。
大会での二連覇は叶わなかった。
ここから半年、一年と練習ができない日々が続けば、ライバル達に追い抜かれるのは目に見えている。
復帰できたとして、再び追いつけるのだろうか。
そう考えると、何もする気になれなかった。
自宅から少し離れたその教室までは、母が車で送迎する。その間、海斗の面倒は同居する祖母が見てくれていた。
けれど、その日は町内会の慰安旅行と重なってしまい、幼い海斗を一人で留守番させるわけにもいかず、母は仕方なく連れて行くことにした。
そのときの海斗は、ピアノにまったく興味がなく、レッスンが終わるのを退屈しながら待っていた。
そんなとき、隣のスタジオから、ピアノとはまるで違うリズムが聞こえてきた。
ガラス扉越しにのぞくと、数人の少年たちが踊っている。
お腹の奥まで響く音。
身体が、音楽に合わせて次々と形を変えていく。
「……あれ、やりたい」
自分から何かをしたいとか、欲しいと言い出すことなどほとんどなかった海斗。その願いを、両親は積極的に応援してくれた。
ちょうど姉のピアノと同じ時間帯に、子ども向けのダンスレッスンがあったことも幸いした。
最初は、姉のピアノがある木曜日だけ。
けれど、すぐにそれでは物足りなくなり、レッスンは週二回、やがて週三回へと増えていった。
送迎だけでも大変だったはずなのに、両親は、海斗の挑戦をいつも応援してくれた。
ダンスを始めて二年が経つ頃には、大会にも出場するようになっていた。
最初は、小さな大会から。
結果は惨敗。幼いながらも悔し涙を流した。
何度目かの大会で、初めて入賞したときの喜びは、今も忘れられない。
一度入賞すれば、次はもっと上へ。そう思うようになり、出場する大会の規模も次第に大きくなっていった。
そして中学三年生の秋。
海斗は、国際大会で優勝した。
表彰台の一番高い場所から見た景色を、今でも鮮明に覚えている。
大きな歓声に包まれた、あの幸福感。
次は二連覇。
そう心に決め、練習に明け暮れていた、高校一年生の秋。思いもよらない異変が起きた。
最初は些細なものだった。
ステップが、ほんの少しだけズレた。
今まで何度も踊りこんできた曲。
身体が勝手に動くほど繰り返してきた振り付けなのに、床を蹴る足の裏の感覚が、妙に鈍い。
「……疲れてんのかな」
国際大会に向けて、練習はかなりハードになっていた。
だから、そのときは深く考えなかった。
けれど、数日経っても違和感は消えなかった。
むしろ、悪くなっている。
足が思うように動かない。
スニーカーの紐を結ぼうとしても、指先に力が入らない。
階段を上れば、突然、膝から力が抜ける。
練習中も、アイソレーションをしようとすると身体が重く、イメージ通りに身体が動かない。
「なんなんだよ……」
中学卒業と同時に上京し、一人暮らしをしていた海斗のもとには、週に一度ほど、母から電話がかかってきた。
その日も、いつものように他愛ない話をする中で、何気なく口にした。
「最近、ちょっと足がおかしいんだよね」
すると翌日、母は東京まで飛んできた。
そして、半ば強引に病院へ連れていった。
診断結果は、ギラン・バレー症候群。
自分の免疫が、誤って末梢神経を攻撃してしまう病気だという。風邪や胃腸炎などの感染症のあとに、発症することがあるらしい。
そういえば、先月、少し体調を崩したことがあった。
大したことはなかったし、ただの風邪だと思っていた。診断を受けるまで、すっかり忘れていたくらいだ。
医師の説明を、海斗はどこか他人事のように聞いていた。
気がかりなことはただ一つ。
「来月、ダンスの大会があるんですけど……」
医師は、言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「ギラン・バレー症候群は、早期に治療すれば比較的予後がいいとされてます。しかし、来月開催の大会への出場は……難しいでしょう」
その一言で、胸の奥が冷たくなった。
国際大会二連覇に向けて、すべてを調整してきた。
今年も勝てる。
そう信じていた。
なのに……。
入院後も、症状はさらに悪化した。
昨日までできていたことが、できなくなる。
身体を思うように動かせない。
ダンスどころか、普通に生活することさえままならなかった。
入院から二週間ほどで症状はピークを迎え、その後、少しずつ身体は楽になっていった。
一か月ほどしてリハビリが始まったものの、医師の説明に、海斗は絶望に近い感覚を覚えた。
「ここから半年から一年ほどかけてリハビリをしていけば、ほぼ完全に機能が回復するケースも多いです」
「また、踊れますか?」
「リハビリを経て、後遺症が残らなければ可能だと思います。ただ、ブレイクダンスのようにアクロバティックな動きがどこまでできるかは、正直、わかりません」
海斗は、すっかり腐ってしまった。
大会での二連覇は叶わなかった。
ここから半年、一年と練習ができない日々が続けば、ライバル達に追い抜かれるのは目に見えている。
復帰できたとして、再び追いつけるのだろうか。
そう考えると、何もする気になれなかった。

