救急車は夜の街を抜けて、病院へ到着した。
「到着しました」
救急隊員の声。
扉が開く。
医師と看護師が待ち構えていた。
救急隊員から次々と情報が伝えられる。
蓮も続いて救急車から降りた。
「付き添いの方は、こちらでお待ちください」
「……はい」
「申し訳ありません。ここから先は処置を優先します」
「……分かりました」
蓮が足を止める。
ストレッチャーが。
目の前を通り過ぎていく。
「……由夏」
蓮は、その場に立ち尽くしていた。
何もできない。
ただ、処置室の向こうへ消えていったストレッチャーを見つめることしかできなかった。
その時。
「付き添いの方」
声の方向へ顔を向けると、病院のスタッフが立っていた。
「はい」
蓮は一瞬だけ息を整えた。
「患者様とのご関係は?」
「勤務先の代表です」
スタッフが頷く。
「分かりました。こちら、分かる範囲で結構ですのでお願いします」
そう言って渡されたのは。
患者についての情報を記入するための書類だった。
蓮は椅子に腰を下ろす。
ペンを握る。
まずは名前。
__霞心由夏。
年齢。
__30歳。
職業。
__マネージャー。
ここまでは迷わなかった。
面接の時に履歴書を見た。
採用してからも、仕事上必要な情報は把握している。
けれど。
次の欄で。
蓮の手が止まった。
__緊急連絡先。
「……」
ペン先が。
紙の上で動かない。
家族。
両親。
兄弟。
親族。
誰に連絡すればいい?
蓮は何も知らなかった。
由夏が家族とどんな関係なのか。
普段、誰と連絡を取っているのか。
自分は。
何も知らない。
「……俺」
蓮は小さく呟いた。
「何も知らんやん……」
胸の奥が。
強く痛んだ。
いつもすぐ隣にいる。
仕事のことなら、何でも分かる。
自分が何を考えているのかも。
誰より早く気づいてくれる。
自分が困っている時には、いつだって先回りして助けてくれる。
なのに。
彼女自身のことになると。
何も知らない。
「……緊急連絡先は、分かりますか?」
スタッフが尋ねる。
蓮は顔を上げた。
「……すみません」
少しだけ間を置いて。
「分かりません」
「ご家族の連絡先などは?」
「……それも」
蓮は首を横に振った。
「東京にいるとは思います。でも、連絡先までは……」
「分かりました」
スタッフはそれ以上追及しなかった。
「こちらでも確認してみます」
「……お願いします」
蓮は深く頭を下げた。
スタッフがその場を離れていく。
1人残された蓮は。
もう1度、手元の書類を見る。
そこに書かれているのは。
自分が知っている由夏の情報ばかり。
そして。
知らないことばかりだった。
「……っ」
蓮はペンを握り直した。
__もっと。
もっと、こいつのことを知らなあかん。
