ネコネコ令嬢〜前世も今世もお姫様〜

どこからか心地よい声が聞こえる。
【マロン……23年間ありがとうね……】
暖かな手で頭を優しく撫でられる。
撫でられる度にいい匂いがして、更に心地いい。
【来世も絶対にお姫様扱いするから、先に天国で待っていてね】

「夢か……」
もう何度も繰り返し見てきた夢だった。
それでもその度にナターシャはぼんやりとする頭で自分の手を見る。
どう見ても綺麗な少女の手だった。
ナターシャには前世の記憶があった。
愛猫マロンとして最愛の飼い主に看取られて、こうして貴族の娘ナターシャとして転生した。
来世でも優しい両親や使用人たちに囲まれて、不自由ない生活を送っていたが平民として生まれたかった。
そう思うことが多々あった。
特に今日のように天気がいいと窓辺で丸まって眠っていたい。
天気がいいと好意で日傘を差し出されるし、深窓にいない令嬢というのもいい顔をされなかった。
豪奢なドレスは未だに爪がレースに引っかかって痛そうだと身構えてしまう。
前世ではカーテンにすら引っかかって痛かったのに。
リボンが風に揺れる度につい飛びかかりそうにもなる。
もっとシンプルで動きやすい格好をして、お昼寝をしたい。
なんて一見贅沢な悩みが尽きないくらいに幸せだった。
こうして来世でも猫のように不自由なく幸せに天寿を全うするのだろう。
窓辺に集まってきた小鳥たちに挨拶(クラッキング)でもと思っていると
コンコンコン。
ドアをノックする音で我に返る。
「お嬢様、おはようございます」
メイドが入ってきた。
「おはよう、今日もいい天気ね」
「はい、絶好のお茶会日和ですね」
「あ……」
すっかり忘れていた。
今日はナターシャの婚約者であるバロンとのお茶会があった。
中庭のガゼボでお茶とお菓子を楽しみながら他愛もない話をする。
未だに彼とはそんな関係だった。
「本日のお召し物はどれになさいますか?」
しかしだからと言って蔑ろにしていたら、家名も傷つくというものだろう。
「ん〜……そうね〜、じゃあこれにしようかな」
「かしこまりました。ヘアセットはどうしましょうか?」
(前世だったら毛繕いだけで済んだのにな)
挨拶しそびれた小鳥をどこか羨ましそうに見つめながら、鏡台に座る。

「本日はお招きいただきありがとうございます」
「バロン様、ようこそお越しくださいました」
バロンはナターシャの2つ上だったが、そうは思えないほど大人びて端正な面持ちだった。
由緒ある家系で厳格に育てられたからか、聡明で穏やかで優しく、非の打ち所がなかった。
以前のパーティーで同世代から「バロンのような優良物件が婚約者なんて羨ましい」と口々に言われた程だった。
「こちらは後ほど2人で、こちらは皆さんで召し上がってください」
「まあ!いつもありがとうございます!」
バロンはいつもこうして手土産を持参してくれていた。
毎回見た目まで可愛らしくて幸せな気持ちになるお菓子ばかり持ってきてくれるため、使用人たちからも訪問を楽しみにされていた。
早速メイドが嬉しそうにお菓子を受け取った。
「あとはもう大丈夫だから、皆で食べていて。それでは参りましょうか」
バロンと2人ならなんの問題もないだろう。ウキウキのメイドにそう告げると2人は中庭へ向かった。

「本日のお菓子も可愛くて美味しくて、素晴らしかったです」
「ありがとうございます。持たせてくれた母と姉にも伝えておきますね」
そう、いつも彼の持参するお菓子は母と彼の姉が選んだものらしい。
わざわざそんなことを言わずに自分で選んだことにしておけばいいのに。
こんな正直なところもまた彼の魅力だろう。
「お義姉様とお義母様はお元気ですか?」
「はい、今日もナターシャ様に会いに行くと言ったら張り切って服まで選んでくれましたよ」
「まあそうだったんですね」
まさか服までとは思ってもなかったが、あの義母と義姉ならむしろ嬉々として口を出してくるだろうなとどこか納得できた。
以前に会った時も義姉からは「ずっと妹が欲しかったから嬉しい」と歓迎され「お下がりだけどどうしても着て欲しい」と何着かドレスも貰った。
一方義母はバロンに対して「あんたは見た目はいいんだからもっとちゃんとしなさいよ」と背中を叩いていたのを思い出した。
「そうだ、ナターシャ様の好みを探ってこいと言われたのですが……ってあ……」
バロンは赤くなった顔を素早くティーカップを持って隠す。
「ふふ、特に兎の形のクッキーが美味しかったです。見た目も可愛くてお気に入りです」
「なるほど、兎がお好きなんですか?」
「そうですね。大好きです」
この大好きは色んな意味があった。
今世ではハンカチやドレスの柄と言ったファッションとして目にする機会が多く、そうやって見ると中々に可愛らしかった。
一方前世では誕生日に奮発して買ってくれた、兎肉を使ったものを食べたことがあった。
あれは格別に美味しかったのを今でも思い出す。
猫の主食は魚や鼠ではなく、兎という話があるがまさに本能に訴える味だった。
香りもそう、こんな風に芳醇で……
「う、兎だ……」
振り返ると茂みに1羽の兎がいた。
「こんな所に?珍しいですね」
飛びかかりそうになったナターシャとは対照的に、バロンは落ち着いていた。
まさか本物の兎が居るとは。
そして今は人間なのに、それでもこんなにも魅力的に思えてしまうとは…
興奮で震える体を必死に押さえる。
「大丈夫ですか?」
バロンが心配して声を掛けてきたが、怯えている訳でなく、襲いかかろうとするのを我慢しているからだなんて口が裂けても言えない。
「え、ええ……」
愛想笑いをしたのがかえってよくなかったのか、バロンは素早く立ち上がると
「落ち着いてください。大丈夫ですから」
咄嗟にバロンに抱きしめられる。
(嘘……)
まさかこんな形で関係が進展するとは思ってもなかった。
華奢だと思っていたが筋肉質で逞しい腕に包まれて、何故かとても安心してしまう。
兎の事なんて一気にどうでもよくなった。
そしてふわりとどこかで嗅いだことがある香りもする。
それは兎よりもずっと魅力的で、もっと本能に訴えかけるような……
「すごいドキドキしてますね」
前世だったら喉を鳴らしていただろう。
しかし今は
「う、嬉しくって……」
「あはは、俺もです」
しばらく目が合うと、そっと唇が重なる。
(そうだ、この匂いって)
飼い主からした香りと同じだった。