うちの看板娘はサメ肌につき。

 No side



「航(わたる)!早くそのオムライス持ってって!凪沙(なぎさ)、C卓のブレンドまだ!?」

 雲ひとつない青空の下、鮮やかな青い屋根のログハウスに紗愛(さあや)の怒鳴り声が響き渡る。

 ここ、海辺のカフェ『ブルー・ラグーン』は地元客に愛されるのどかなお店だ。
 たまーに雑誌の『知る人ぞ知る隠れた名店集』に乗ることもある。

「あはは、紗愛ちゃん。相変わらず元気だねぇ」

 テラス席で潮風を浴びながら、常連のじいちゃんがのんびりとコーヒーをすする。

「あ、ごめんねじいちゃん!うるさかった?はいこれ、いつものおまけのクッキー!」

「おや、ありがとう。お前さんは本当にうちの街の自慢の看板娘だよ」

 にへっと笑うじいちゃんを見送り、紗愛はガシガシと頭をかいた。

 この少女,紗愛は明るくて勝気で曲がったことが大嫌いなごく普通の女子高生店員だ。

 ……ただ、一点だけ、普通じゃない秘密がある。
 
 紗愛は怒りや興奮が頂点に達すると『人鮫』に変身してしまう特異体質である。
 バレたら確実に保健所か実験室送りである。

「先輩!オムライス上がってますよ!そんなところでボケっとしてないで
 早く運んでください!あと顔サメっぽくなってます!歯が尖ってます!」

 キッチンから顔を出し、悲壮な声をあげたのは後輩店員の一ノ瀬航だ。
 紗愛の秘密を知る数少ない仲間(被害者)のうちの一人。
 毎日紗愛のフォローのため胃を痛める,この店の貴重な料理担当兼物理的な盾である。

「おっと。いけないいけない。凪沙、コーヒーは?」

 紗愛がカウンターを振り返ると、幼馴染の深海凪沙がいた。
 ポーカーフェイスで静かに大量のカップを拭いている。

「C卓のブレンドなら、三分前に航が運んだわ」

「えっ!?じゃあ私がさっき怒鳴ったのは何だったの!?先に言ってよ!」

 ハハハ、と航が力なく笑う。
 凪沙は頭が良くて冷静沈着。
 紗愛のカモフラージュ担当だが、致命的に天然でズレている。
 
 そんな少年少女たちが働くこの平和なカフェに,場違いに激しいドアベルの音が響いた。

「おい責任者出せよ!わざわざ都会から来てやったのに、なんだこのショボい店は!」

 入ってきたのは、いかにもガラの悪そうなヤンキー男。
 その瞬間、紗愛の口の中で八重歯がキチキチと不穏な音を立てて鋭く尖り始めた。

「先輩ストップ!噛みついちゃダメです!警察の御用になっちゃいます!」

「紗愛、落ち着いて。あれはただの『歩く生ゴミ』よ。生ゴミ相手に怒る必要はないわ」

 ドタバタな一日の幕開けだ。

「おい!無視すんじゃねえよ!この店よぉ,ネットで『隠れた名店』とか言われてるから来てみりゃあ、ただの古臭い丸太小屋じゃねえか!」

 男はドカドカと床を踏み鳴らし、あろうことか近くのテーブルをガツンと蹴り飛ばした。

「ヒッ……!」

 店内にいた数少ない常連のじいちゃんたちが怯えて身をすくめる。

 その瞬間、紗愛の頭の中で『ブチッ』と何かが弾け飛んだ

 常連のじいちゃんたちの大切な憩いの場を荒らされた。

 その事実が、紗愛のサメの血を完全に沸騰させた。

「……おい」

「あ、先輩ダメです!目が!目が完全にサメのそれになってます!漆黒の狂気です!」

 航が悲鳴をあげて紗愛の前に立ちはだかるが、もう遅い。

 紗愛の口元からは何重にも重なった正三角形の『サメ歯』がギラギラと覗いていた。
 制服のポロシャツの背中も内側から突き上げる『背ビレ』によって穴を空けられている。

「んだよお前、文句あんのか、あぁ!?って、てめ、なんだそのヒレ!」

 男が訝しんで紗愛に一歩近づいた。
 紗愛は一歩も引かず、獲物を仕留める目で男を睨みつける。
 この不届き者は喉笛を噛みちぎって海の藻屑にしてやろう――。


「――お客様、おやめください」

 その一触即発の空間に、凪沙のひんやりとした声が響いた。
 凪沙はいつの間にか男の背後に回り込み、真顔で男の肩に手を置いていた。

「申し訳ありません。その店員、映画の撮影に向けて最新の特殊メイクを施している最中なのです。」

 「は、ハァ!?」

「この見事なサメの歯。そして背中から今にも飛び出しそうなリアルな背ビレ。
 彼女は次作の『シャークネード・イン・ジャパン』の主役に抜擢された、期待のサメ女優なのです」

 男が呆気にとられて私を見る。
 私の背中は今、怒りでヒレがポロシャツを突き破りそうなほどピクピクと動いている。

「んなわけあるか! 動いてんじゃねえかあのヒレ!」

「最新のバイオテクノロジーを用いた形状記憶プロテクターです。
 あまりのリアルさに、触れた者は全員、全米が泣くほどの重傷を負うと言われています」

「全米が泣くほどの重傷ってなんだよ! バカにしてんのか!」

 男が逆上して凪沙に掴みかかろうとした。
 その瞬間、紗愛の理性のタガが完全に外れた。

「凪沙に触んじゃねええええええ!!」

 気がつけば、紗愛はカウンターを飛び越えて男に向かって跳躍していた。
 空中で完全にサメの顎を開き、男の頭を丸呑みせんとばかりに襲いかかる。

「うわああああああ! 先輩、ダメだってぇぇぇぇ!!」

 ゴシャァ!!と、激しい音が響き渡った。
 ……ただし、砕け散ったのは男の頭ではない。
 客の前に立ちはだかった航の頭である。

「グハッ」

 航の身体は見事に吹っ飛んでいき,そのまま綺麗に着地した。

「大丈夫です先輩!僕がこの店を守ります,営業停止処分から!」

 口から一筋,血を垂らしながら引き攣った笑みを浮かべる航。

 一方男は完全に震え上がって床に這いつくばっている。

「こ、これがこの店の接客だというのか…?」

「…え…あ、そうなんです!これぞまさに、当店オリジナルの『ダイナミック・シャーク・接客』です!」

 航がゼェゼェと息を切らしながら、震える声で常連さんたちに向かって拍手を始めた。

「接客の一環とはいえ、大迫力でしたね! さあお客様、これ以上ここにいると命の保証ができません! お引き取りを!」

「ひ、ひぃぃぃ! 化け物カフェだぁぁ!」

 男は腰を抜かしながら、這う失意で店のドアを蹴破るようにして逃げていった。
 カランコロン、とマぬけなベルの音が店内に響く。
 静寂が訪れた店内。
 紗愛はよっこらしょ、と立ち上がった。
  
 男が消えたことで怒りが引き、口元の歯も背中のヒレもいつのまにか無くなっている。

「ふぅ……あー、すっきりした。ありがと、2人とも」

 笑う紗愛に、航はその場にへなへなと崩れ落ちた。

「……先輩。僕、このバイト始めてから確実に寿命が5年縮んでます。
 せめて、店内で暴れるのは週2くらいにしてください」

「週2じゃじいちゃん達を生ゴミどもから守れないじゃん。ねえ、凪沙?」

「そうね。迷惑客は徹底的に潰していかないと。
 ポロシャツの替えなら、バックヤードに3枚あるから安心して」

「いや、そこじゃないです凪沙先輩! 衣装の心配じゃなくて隠蔽の心配をしてください!」

 青い屋根のログハウス『ブルー・ラグーン』。
 海辺の小さなカフェは,今日も騒がしく1日を始める