おてんば令嬢と心を喪った騎士

 ……ノエルの護衛として雇われてから、上手くいかないことが多い。
 エーデルワイス伯爵家で与えられた私室で、レオンは拳を握ったり開いたりしている。
 開いた手のひらを、じっと見つめた。
 前の主人を喪ったあの日の、血に染まった手のひらは、嘘のように何もなかった。

 この手で触れていいのか、未だにためらう。
 剣を握って硬くなった手のひら。
 今もなお、戦いによって血に汚れるこの手で、ノエルに触れて許されるのか。

 ……それでも。
 王子がノエルの手を強引に握ったときに、間に入らずにはいられなかった。
 ノエルには「嫉妬してるの?」と指摘される始末。

 ……嫉妬。
 仕えるべき令嬢に対して?
 自分の気持ちに驚かざるを得ない。
 ただ、感情に名前がつくと納得する自分がいた。

 コンコン、と私室のドアをノックする音。

「レオン~。いる~?」

「ただいま出ます」

 短く言葉にして、ドアを開ける。
 ノエルがニコニコと笑みを浮かべて立っていた。
 なにか嬉しいことでもあったのだろうか。

「レオン、一緒に買い物に行きましょう!」

「お父君からの許可は」

「だって、お父様への誕生日プレゼントを探すんだもの! お父様も泣いて喜んでくれたわ」

 ああ、だからこんなに嬉しそうなのか。
 レオンは承諾すると、出かける準備をした。
 買い物に鎧姿で行くと目立つ。
 それでも令嬢を守るために、いつでも無理なく動ける軽装に着替えた。

 2人で馬車に乗り、街を囲む城門の手前で降りて、市場へと歩き出す。
 ノエルは活気のある市場や、街の広場にずいぶん興奮していた。

「ねえ、レオン! お父様って何が喜ぶかしら!」

「私はお父君ではございませんが」

「そういうことじゃなくて!」

 ノエルは不満げに頬をふくらませる。
 ……この令嬢は、コロコロと表情が変わって、見ていて飽きない。
 怒ったり泣いたり笑ったりと、感情豊かで、自分とはまるで違う。
 そういうところが愛らし…………。

「…………」

 ……今、「愛らしい」と思いかけたか?
 レオンは愕然とする。
 いつの間に、この令嬢にここまで感情を侵食されていたのか。

「ねえ、レオン! 聞いてる!?」

「……申し訳ありません。頭の中をリスが通り過ぎていきました」

「なにそれ」

 我ながら意味不明の言い訳に、ノエルが噴き出した。
 ノエルは再び、自分の意見を説明するつもりらしい。

「レオンなら、お父様みたいな男性の喜ぶもの、分かると思うんだけど。なにかヒントちょうだい」

「エーデルワイス伯爵のお好みのもの、ですか。お酒とか、お菓子とか?」

 伯爵の姿を思い浮かべる。
 どちらかというと痩せ型の紳士。
 あまり大食漢には見えない。

「……ですが」

「?」

「お嬢様が贈るものでしたら、何でも喜んでくださると思いますよ」

「そっか!」

 ノエルは花が咲くような、満面の笑みを浮かべる。
 ……ああ。
 私はこの笑顔が好ましいのだな、とレオンは遅れて理解した。

「えへへ、いっぱい買っちゃった……」

 ノエルは照れ笑いを浮かべる。
 財布持ち、荷物持ちはレオンの役目である。
 紙袋の中には、蜂蜜酒や高級菓子、ノエル用のアクセサリーなどがたっぷり詰まっていた。

「これだけあれば、伯爵もお喜びになるでしょうね」

「ふふ! どれかは喜んでくれるはずよ、多分!」

 ノエルの笑顔に合わせて、レオンは硬い表情筋を動かして、口元だけでも笑おうとする。
 ――が。
 ガツン、という音と衝撃で、レオンの視界が揺れた。

「レオン!?」

 ノエルが悲鳴を上げる。
 背後から誰かに殴られたのだ、と即座に気づく程度には、レオンは戦い慣れていた。
 しかし、振り返って相手を確認する暇はない。

「お嬢様!」

 レオンは荷物を全部投げ捨てて、ノエルを抱きかかえる。
 目を丸くする令嬢を横抱きにしたまま、城門を出て馬車まで走った。

「すぐに出せ! 急げ!」

 レオンの渾身の叫びに、御者も緊急事態を悟ったらしい。
 走り出す馬車を、追いかけてくるものはいなかった。

「レオン……! 血が……!」

 馬車に押し込められたノエルは青ざめている。
 どくどくと後頭部から血が抜けているのが分かった。

「申し訳ありません……馬車を汚してしまい……」

「そんなこと言ってる場合!?」

 このまま馬車を走らせれば、エーデルワイス伯爵家に着く。
 ノエルの無事が確保される……。
 ノエルを送り届ければ、自分はどうなっても構わない。

 レオンの意識が遠のいていく。
 ノエルの泣き声だけが、遠くに聞こえた。