『勿応草は僕を忘れない』

二人でベンチに座り、缶コーヒーの温もりが手から消えかけていく中、僕は意を決して問いかけた。
「ねえ、花音」
「ん?」
「……昔さ。僕たちの距離が離れる前って、花音は僕のこと、どう思ってたの?」
ずっと胸の奥に引っかかっていた問いだった。
幼稚園の頃、毎日当たり前のように隣にいて、理由もないのに笑い合っていたあの頃。そして、いつの間にか会話が減り、遠くから眺めるだけの存在になってしまったあの月日。
彼女の中で、昔の僕はどう位置づけられていたのだろう。
花音は少し驚いたように目を見開くと、持っていた缶をゆっくりと膝の上に置いた。
夕暮れの街灯がポツポツと灯り始め、彼女の横顔を淡く照らし出す。
「……どう思ってた、かぁ」
花音は遠い目をして、昔の記憶を一つひとつ手繰り寄せるように静かに口を開いた。
「正直に言うね。小さい頃はさ、悠ちゃんは『私の絶対的な味方』だと思ってた。何を言っても笑って聞いてくれて、私がワガママ言っても隣にいてくれて……それが当たり前だと思ってたんだよね」
「……そっか」
「でもね」
花音は風に揺れる前髪を耳にかけながら、僕の方へ視線を戻した。そこに浮かんでいたのは、少し照れくさそうで、けれどどこか大人びた苦笑いだった。
「だんだん大きくなって、クラスも離れて会話がなくなっていったでしょ? その頃からかな……『悠ちゃんにとって、私はもう過去の人なのかな』って思うようになったの」
「え……」
意外な言葉に、僕は思わず声を漏らした。
離れていく僕を、花音は何とも思っていないのだろうと勝手に諦めていたのは、僕の方だったはずなのに。
「だって、学校ですれ違っても悠ちゃん、すぐ目を逸らすし」
「それは……なんて話しかければいいか分からなくて……」
「ふふ、今なら分かるよ。お互い様だったんだよね」
花音は小さく笑うと、少しだけ真剣な表情になって言葉を継いだ。
「でもね、部活で一番つらくて、誰も信じられなくなったとき、頭に浮かんだのはやっぱり悠ちゃんの顔だった。『あの頃の悠ちゃんなら、なんて言ってくれるかな』って。遠くにいるのに、ずっと心のどこかで支えにしてたんだと思う。……本当、勝手だよね」
そう言って自虐的に笑う彼女の瞳には、過去の寂しさと、今の素直な感情が交ざり合っていた。
僕が自分の殻に閉じこもって「自分なんて」と引け目を感じていた間、彼女もまた、僕との距離に理由を探し、傷ついていたのだ。
言葉にしなかった時間が、お互いに小さな誤解と寂しさを生んでいた。
「勝手なんかじゃないよ」
僕は自分の膝を強く握りしめながら、まっすぐに彼女を見つめた。
「僕だって……ずっとそうだった。君が遠くに行ってしまった気がして、怖くて話しかけられなかっただけなんだ。ずっと、忘れたことなんてなかった」
夕風が二人の間を通り抜けていく。
あの日交わせなかった言葉、伝えることのできなかった想いが、何年もの時を経て、ようやく静かに交差していくのを感じていた。
「……そっか」
花音は深く息を吐くと、どこか吹っ切れたような、本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
「なんだ。もっと早く、こうやって話せばよかったね」
「うん。……でも、今だから話せたのかも」
「……そうだね」
過去の「どう思っていたか」を確認し合った二人の間から、あの気まずい距離感はもう消え去っていた。
過ぎ去った時間を悔やむのではなく、お互いの過去を丸ごと受け入れた上で、新しい関係を築いていく。