僕が答えると、花音はあの頃と変わらない、最高の笑顔を見せてコートへと走っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、僕は深く息を吸い込んだ。
胸の奥に残っていた小さな疑問は、もう消え去っていた。
あのとき『久しぶり』と送っていたら、どうなっていたか。
試合が終わったあとの体育館の外は、部活終わりの高校生独特の熱気と汗のにおいが混ざり合っていた。
ベンチに座って待っている間、僕の心の中はどこか冷静だった。
さっきコートの上で輝いていた花音と、教室の隅で陰を潜めている自分。一瞬目が合って少し会話を交わしたからといって、幼少期のドラマみたいに感動的な再会になるわけがない。現実はもっと素っ気なくて、気まずいものだ。
「お待たせ。ごめん、片付け長引いちゃって」
エナメルバッグを肩にかけた花音が出口から出てきた。
着替えたジャージ姿の彼女は、さっきまでのコート上の迫力とは違って、どこか疲れた顔をしている。
「ううん、全然。お疲れ」
「ありがとう」
二人で体育館の脇にある自販機の横に並ぶ。
ドラマみたいに並んで座るわけでもなく、ただなんとなく距離を置いて立っていた。
「……びっくりしたよ。急に悠ちゃんがいるから」
「あー……うちの親が、花音がこっちで試合あるって話しててさ。暇だったから、ちょっと見ただけ」
「そっか」
沈黙が流れる。
昔は会話なんてなくても平気だったのに、今は何か話さなきゃいけないような、居心地の悪さが漂っていた。大人になった分、お互いに「他人」としての気遣いが発生しているのが分かって、少し悲しかった。
「……バレー、続けてたんだな」
僕が探るように言うと、花音は飲み物の缶を指で弄りながら、ふっと自虐的に笑った。
「まあね。中学のとき、いろいろあって一回やめようと思ったんだけどさ。結局これしか取り柄ないから」
親から聞いていた「いじめ」の話。
花音はそれを大げさに語るでもなく、ただ「いろいろあって」と一言で片付けた。その淡々とした言い方が、逆に彼女が受けてきた傷のリアルさを物語っていた。
「……そっか」
「うん。……悠ちゃんは? 最近どう?」
「僕? 僕は何もないよ。普通に学校行って、帰って、だらだらしてるだけ」
「ふーん」
お互いに、相手の踏み込んでほしくなさそうなラインを察して、無難な会話で済ませている。それが「大人になった」ということなのかもしれないし、「離れていた時間の長さ」を表しているようでもあった。
「あ、もう集合の時間だ」
遠くで他校のバスがクラクションを鳴らし、花音のチームメイトが彼女を呼ぶ声がした。
「行かなきゃ」
「うん。気をつけてね」
花音はバッグを担ぎ直し、歩き出そうとして――ふと足を止め、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。
「ねえ、悠ちゃん」
振り返った花音の表情は、どこかサバサバとしていながらも、少しだけ探るような目だった。
「せっかく会ったし、LINE交換しとく? 別に大した用もないと思うけど」
「……あ、うん。いいよ」
僕はポケットからスマホを取り出し、画面のQRコードを読み取った。
ピッと無機質な音が鳴って、『小川花音』の名前が友だちリストに追加される。
あの日、画面の向こうのアカウントを見つめながら指を止めていた自分が、嘘みたいにあっさりと繋がってしまった。
「ありがと。じゃあ、また気が向いたら」
「うん、バイバイ」
花音は軽く手を振ると、走ってチームメイトの元へ戻っていった。
ドラマチックな言葉を交わしたわけでもないし、一瞬で昔の関係に戻れたわけでもない。
ただ、お互いに気まずさを抱えたまま、連絡先のカードを一枚交換しただけ。
でも、ポケットの中で少し温かくなったスマートフォンを感じながら、僕はゆっくりと息を吐いた。
あの日「もしも」を選んでいたら、なんて考えていた過去は、これで本当に終わりだ。
ここからは「もしも」じゃない。
繋がってしまったこの画面から、また新しい関係が始まっていくのだから。
遠ざかる背中を見送りながら、僕は深く息を吸い込んだ。
胸の奥に残っていた小さな疑問は、もう消え去っていた。
あのとき『久しぶり』と送っていたら、どうなっていたか。
試合が終わったあとの体育館の外は、部活終わりの高校生独特の熱気と汗のにおいが混ざり合っていた。
ベンチに座って待っている間、僕の心の中はどこか冷静だった。
さっきコートの上で輝いていた花音と、教室の隅で陰を潜めている自分。一瞬目が合って少し会話を交わしたからといって、幼少期のドラマみたいに感動的な再会になるわけがない。現実はもっと素っ気なくて、気まずいものだ。
「お待たせ。ごめん、片付け長引いちゃって」
エナメルバッグを肩にかけた花音が出口から出てきた。
着替えたジャージ姿の彼女は、さっきまでのコート上の迫力とは違って、どこか疲れた顔をしている。
「ううん、全然。お疲れ」
「ありがとう」
二人で体育館の脇にある自販機の横に並ぶ。
ドラマみたいに並んで座るわけでもなく、ただなんとなく距離を置いて立っていた。
「……びっくりしたよ。急に悠ちゃんがいるから」
「あー……うちの親が、花音がこっちで試合あるって話しててさ。暇だったから、ちょっと見ただけ」
「そっか」
沈黙が流れる。
昔は会話なんてなくても平気だったのに、今は何か話さなきゃいけないような、居心地の悪さが漂っていた。大人になった分、お互いに「他人」としての気遣いが発生しているのが分かって、少し悲しかった。
「……バレー、続けてたんだな」
僕が探るように言うと、花音は飲み物の缶を指で弄りながら、ふっと自虐的に笑った。
「まあね。中学のとき、いろいろあって一回やめようと思ったんだけどさ。結局これしか取り柄ないから」
親から聞いていた「いじめ」の話。
花音はそれを大げさに語るでもなく、ただ「いろいろあって」と一言で片付けた。その淡々とした言い方が、逆に彼女が受けてきた傷のリアルさを物語っていた。
「……そっか」
「うん。……悠ちゃんは? 最近どう?」
「僕? 僕は何もないよ。普通に学校行って、帰って、だらだらしてるだけ」
「ふーん」
お互いに、相手の踏み込んでほしくなさそうなラインを察して、無難な会話で済ませている。それが「大人になった」ということなのかもしれないし、「離れていた時間の長さ」を表しているようでもあった。
「あ、もう集合の時間だ」
遠くで他校のバスがクラクションを鳴らし、花音のチームメイトが彼女を呼ぶ声がした。
「行かなきゃ」
「うん。気をつけてね」
花音はバッグを担ぎ直し、歩き出そうとして――ふと足を止め、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。
「ねえ、悠ちゃん」
振り返った花音の表情は、どこかサバサバとしていながらも、少しだけ探るような目だった。
「せっかく会ったし、LINE交換しとく? 別に大した用もないと思うけど」
「……あ、うん。いいよ」
僕はポケットからスマホを取り出し、画面のQRコードを読み取った。
ピッと無機質な音が鳴って、『小川花音』の名前が友だちリストに追加される。
あの日、画面の向こうのアカウントを見つめながら指を止めていた自分が、嘘みたいにあっさりと繋がってしまった。
「ありがと。じゃあ、また気が向いたら」
「うん、バイバイ」
花音は軽く手を振ると、走ってチームメイトの元へ戻っていった。
ドラマチックな言葉を交わしたわけでもないし、一瞬で昔の関係に戻れたわけでもない。
ただ、お互いに気まずさを抱えたまま、連絡先のカードを一枚交換しただけ。
でも、ポケットの中で少し温かくなったスマートフォンを感じながら、僕はゆっくりと息を吐いた。
あの日「もしも」を選んでいたら、なんて考えていた過去は、これで本当に終わりだ。
ここからは「もしも」じゃない。
繋がってしまったこの画面から、また新しい関係が始まっていくのだから。
