リノ・イーシア ―知ってほしい でも理解できない―

 高級住宅街のシリウス区ノースアトール。
 俺の住んでいた家は、その中でも綺麗なところにあった。

 エザキ食料品店。
 父さんは評判の良い人で、近所の大人達はみんな俺達家族と仲良くしてくれていた。

 店の2階が家族の家で、俺の部屋もあった。

 母さんが買ってくれた縫いぐるみ、父さんが買ってくれたおもちゃ、そういうものが一杯ある広い部屋だった。
 エアコンの効きが悪いって母さんはよく言ってたけど、別に特に気にならなかった。

 大きな机があって、いつも綺麗にしてもらってた。
 何も困らない。

 でも学校に行くのだけは嫌だった。

 先生の前では、同級生みんなが親切だ。
「先生、エザキ君だけ、スープが少ないです」
「先生、エザキ君が余って可哀想だから、こっちの班に入れていいですか?」

 シリウス区では先生の印象も、いい学校に行くための『点数』になる。

 だから『いつもの連中』が本性を表すのは、先生がいなくなったときだけだ。

「ダサっ! そんな安い靴はいてんの?」
「エザキんちって金ないの? うちのママが、砂利州区のスーパーに入るとこ見たって言ってたよ」
「臭いよお前。貧乏だから水道もケチってんだろ」
「エザキって騎炉区から来たんでしょ? いっつもみすぼらしいよね」

 日本から来た両親は、日本の親戚にすすめられてシリウス区にやってきた。
 ヤシの並木通り、古代神殿みたいな役所や図書館。
 ゴミも落ちてない、綺麗な街。
 白い建物が並んで、晴れた日には眩しいくらいの街並み。

 でも俺の頭の中に蘇るシリウス区は、常に薄暗い。
 唯一のいい思い出は、用具倉庫に閉じ込められたときの記憶だ。

 扉を壊して出るような力もないし、ただ黙って誰かが開けてくれるのを待っていた。

 武器になるものを探しながら。

 だいぶ時間が経ってから、扉の鍵が開く音がした。

 扉が外から開けられると同時に、外にいた連中に攻撃を仕掛けた。
 何に使うのか分からない、ローラーの付いた金属の棒で、全員を痛めつけた。

 一人目の目を狙って棒を叩き込むと、大声で泣き出した。
 他にいた3人は呆気にとられていた。
 ここの奴らと同じで、俺が暴れ出すとみんなびっくりして動きを止める。

 俺は4人全員を痛めつけてやりたかったけど、1人だけ逃がしてしまった。

 仕方ないから、逃げようとしてる3人を何度も殴りながら、廊下の奥まで追い詰めた。
 気が付くと廊下は血だらけで、嫌な匂いがしてた。
 敵の一人は腕が裂けて、中の肉が見えていた。一瞬黄色く見えたそれは、すぐに真っ赤になった。

 必死に謝っている『いつもの連中』を見てる俺は、人生で最高の気分に浸っていた。

 満足感。
 いや、安心感だったと思う。
 このまま完全に動けなくしてしまえば、俺の思い通りの毎日が過ごせる。

 そう思って棒を振りかぶると、先生たち3人に捕まえられた。
 次の記憶では母さんが泣いていて、父さんは吐き捨てるように一言二言しゃべっては、物を投げるということを繰り返していた。

 そして再び、学校に行くことを許されると、言葉の嫌がらせが延々と続く日々。
 これじゃ、何のために痛めつけてやったのかわからない。

 なんで俺だけがこんな目に遭うんだろう?

 砂利州区のお祭りに行ったとき、シリウス区より安い服を着た子ども達が沢山いた。
 そいつらはみんな、信じられないぐらい優しくて、俺はずっとそこにいたいと思った。

 俺がその気持ちを伝えると、父さんはこう言った。
「今の学校の方が優秀だから、そのまま卒業していい中学に入って、ちゃんと稼げる大人にならないと」

 でも俺の暴力沙汰が問題になって、『いい中学』への進学は無理だろうって話になった。
 そして父さんも母さんも、俺には期待しなくなった。

 そんな最低の毎日を過ごしていた小3の秋。

 夜中に物音がして目が覚めた。

「うおぉ!」
「ぐわぁ!」

 下の階から、大人の男同士がなにか唸り声を上げて、玄関辺りでガタガタと暴れまわるような音がした。
 片方は父さんだ。

 何か大変なことが起きてると思った俺は、ベッドの上で体を起こして音に集中した。
 唸り声が止んで、今度はドタバタという音。
 それから母さんの悲鳴が聞こえたかと思うと、すぐにぷっつり途切れた。

 俺は慌ててベッドからおりた。

 パン! パンパン!

 突然、凄い音がした。
 まるですぐ近くで鳴っているのかと思うぐらいの音だった。
 当時はそれが銃声だとはわからなかった。

 そして静かになった。

 わけもわからず、大急ぎで階段を降りて、階段下のドアを開けて玄関に出た。

 父さんと母さんが玄関で倒れていた。
 体のどこかから血を流して倒れている父さんと母さんは、動かなかったし声も出さなかった。

 倒れた両親のそばに立つ、2人の男と目があった。
 七三分けのおじさんと、大人のお兄さん。
 何をしてるんだ? と思った。

 その2人は互いの顔を見ると、こっちに向き直った。

 俺の後ろで、開けていたドアが閉まった。

 カチャ。

 ドアの音が合図だったかのように、2人が同時に銃を向けてきた。

 2人が銃を持っていると、その時になって気が付いた。

 そして引き金に込められる指の力を感じた。
 撃とうとしているのは、おじさんの方だ。

 撃たれる!
 そう思った俺の目に、少しだけ開いた玄関ドアが飛び込んだ。

 逃げるには前しか無いと思った。
 2階に通じる後ろのドアは閉まってる。店の方に逃げても、裏口のドアまでは遠い。

 だから、前にいる犯人2人の方に向かって、走り出した。

 犯人に向かって走るなんて信じられない?
 でも、俺はそうするしかないと、その時思ったんだ。
 警察にも何回も聞かれたけど、他に答えようがなかった。

 幸い裸足の足が床によく引っかかって、勢い良く走り出せた。

 俺から見て左側、母さんのそばに立っていたお兄さんが一歩下がって、おじさんとの間にスペースが出来た。

 俺は2人の間に走り込んだ。
 もう玄関ドアはすぐそこだ!

 そう思いながら2人の間を走り抜けようとした。
 
 だけど、そのときにまた感じた。
 右から撃たれる!

 おじさんが銃を撃つと感じ取った俺は、慌ててその場に立ち止まった。
 止まると同時に、ものすごい音がした。

 パァン!!

 一瞬、我を忘れそうなぐらいの音で、自分が撃たれたんじゃないかと思った。

 左にいたお兄さんがガクッと膝をつき、おじさんが銃を下ろした。

 俺は玄関から外に飛び出した。

 出てみると、外はいつも通りの夜だった。
 誰もいないし、とっても静かだった。

 街灯に照らされた道路、明かりが全部点いている隣の家。
 拍子抜けするぐらい、平和な感じのする中、俺は隣の手入れされた芝の上を裸足で駆け抜けた。

 父さんと母さんのことは頭の片隅にもなかった。
 とにかく自分が撃たれるのだけは、ごめんだった。

 ドンドン!
「ごめんなさい!」

 隣のタナカさんの家のドアを叩くと、中からおばさんが小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。

 少しして、横にあるポーチの窓からおじさんが声をかけてくれた。

「ぼく、大丈夫か!?」
 子どもの俺を見て信用したのか、玄関ドアを開けてくれたおじさんに、俺は話した。

「夜にごめんなさい。お父さんとお母さんが銃で撃たれた」
「え!? エ、エザキさんが!? け、警察に電話しないと……」

 おじさんはひどく慌てた様子で電話に飛びつくと、警察に電話した。
 警察が来るまでの間、奥にいたおばさんはずっとキッチンから出ずに、俺を睨んでいた。

 タナカさんの家には前にも上がったことがあったけど、このときは居心地が悪かった。

 それからすぐに警察が来て、お巡りさんの一人が俺を外に連れ出した。
 パトカーが3台も来てて、お巡りさんが何人も来て、銃を構えて俺の家の周りを囲んでた。

 俺はお巡りさんの一人に全身を何度も確かめられた後、パトカーに乗せられた。
 右後ろに座らされて、左からもう一人のお巡りさんが乗り込んできた時、右後ろのドアに取っ手がないことに気が付いた。

 2人は俺を、なぜか砂利州区の一番大きな警察署まで連れて行った。

 そして俺は起きたことについて何回か聞かれて、明け方頃に両親が死んだことを知らされた。
 それを知らせてくれた刑事さんは、俺がショックを受けていると思い込んで、カウンセラーみたいなおばさんとずっと一緒にいさせてくれたけど、俺はなんともなかった。

 いつになったら自由にさせてもらえるのか。
 ただそれだけが気になってた。

 警察署で何日か、おばさんとカードゲームをやったり、本を読んだりして過ごした後、俺はこの騎炉区に連れて行かれた。

 犯人についての話は、誰からもしてもらってない。
 捕まったのかどうかも知らない。

 これが、スラム街と呼ばれるこの街に来るまでの俺の話だ。