リノ・イーシア ―知ってほしい でも理解できない―

 日曜の朝、ほとんど眠れなかった俺は明け方の時間にドミトリーを抜け出した。
 夕方みたいな明るさの路地を歩いていると、妙な違和感に駆られる。

 これから仕事って言うお姉さん達もいなければ、仕事に疲れたっていう顔の男の人達もいない。

 誰もいない。
 自分の足音と、鳥の声しかしない。

 建物から建物につながる電線を見上げながら、もたもた歩いていると、昨日の疲れがよみがえってきた。

 ユキの家を出て、ホベタンと会って、襲われて……。

 いつの間にかユキの部屋の前に着いていた。
 当然、鍵は開いていない。

 コツコツ

 ノックしたら怒られるかなと思ったけど、そっとノックした。

 待つ……。

 10秒ぐらい待ったけど、出てこない。
 やっぱり疲れてるよね。

 帰ろうと思ったら、ドアが少しだけ開いて、ユキの怖い顔が見えた。

「なに?」
 こんな時間にいきなり来たんだ。怪しまれても仕方ないと思う。

「ごめん。昨日、いろいろあって、なんていうか……」
 上手く言えないでいると、ため息をつきながら中に入れてくれた。

 中に入ると、リビングにいつもと違うハケ、大きいバケツが置かれていた。

 俺がそれをぼんやり見ていると、ユキがめんどくさそうに言った。
「新しい看板の依頼が入ったの」
「そっか」

 椅子に座ってテーブルを見つめていると、ユキがアイスティーをグラスに注いでくれている音がした。
 またハーパンにTシャツで、髪はボサボサ。
 本当に寝起きだ。

「ユキは俺の友達?」
 ユキは俺の質問が聞こえないかのように、グラスを2つテーブルに置いて、座っている。

「なんだって?」
「仲間とか友達が欲しいのって、結局は何かあった時に助け合う『契約』でしょ? だけど、昨日いろいろあって。なんていうか、それだけだとやっぱり違うのかなって……」

 話がまとめられない。
 昨日、余りにも色々あり過ぎて、夜もよく眠れなかった。

「なんかあった?」
「うん」
 全部話した。聞いてほしかったから。

「キューちゃんは、ケガしてないの? 大丈夫?」
「大丈夫なんだけど、仲間が死ななかったことが、俺は一番良かったことだなって思ってて。こういう気持ちになるっていうのは、その、初めてで……」

「ちょっと飲みな」
 そう言われて、アイスティーのグラスを持つと、ユキが予想外のことを話した。

「キューちゃんのいうタガさんて、リンジェ・タガでしょ? 親子そろって『ヘンタイ』って有名なんだよ」
 アイスティーを吹き出した。

「『ヘンタイ』って!?」
 言葉の意味は分かってるんだけど……。

「表向きは立派な不動産屋のお父さん。息子は、国費留学生になれるだろうっていうエリート学生。だけど、持て余した金でやる事っていったら……」
「コワキ通りの大人のお店。ユキもそこでタガさん達を見たの?」

 ユキは残念そうにゆっくりうなずいて、また信じられないことを言った。
「本当は心当たりがあるの……チカの父親が誰か……」

「まさか……」
 何も言えなかった。

「うん。たぶん、あそこのお父さんなんだよね」
 ユキをどういう目で見たらいいのか、わからなくなった。

 嫌いじゃないけど、どう接したらいい人なんだろう。
 奥さんというのも違うし、でもお姉さんというのも違うし……。
 疲れた頭がますます壊れてきた。

「向こうも、心当たりがあったんじゃないかな。私の妊娠を知ってから、ここの家賃を安くしてくれたり、色々助けてくれてるから」
「ユキは今も、コワキ通りで働いてるんでしょ?」
 昨日見たんだ。

「今は、ほとんどお店の手伝いだよ。『嬢』としてはもう無理」
「女の人も大変なんだ」
「でも、わたしはタガさんのおかげでいい暮らしができてる方だよ。あの親子は、どっちも頭いいし、親切だし、悪い人じゃないと思う。ただ女の扱いはひどいから、影響されないでね」
「う、うん……」

 疲れた頭で、『考えないようにしよう』ということだけを考えた。

「私と色々したかったけど、その気が失せた?」

 もうムズムズはしなくなった。
 と言えば、まだ嘘になるけど。

「いや、そういう気持ちはあるんだけど……。それより……ユキと本当に友達になれるのかなって」
「友達?」

 どう言葉にしたらいいかわからないから、とにかく言葉が出るにまかせた。

「ずっと、わかんなかったんだけど。人と人って、単なる駆け引きとは違う、なんていうかその、本当の『仲間』とか『友達』っていうのがあるような気がしてるんだ」

 ユキが自分の手を俺の手に重ねた。
「落ち着きな」
「ごめん」

 ムズムズのせいで、余計に混乱させられる。

「それを聞いてほしくて、こんな朝から来たの?」
「言われてみると、そうだね」

 俺の言葉を聞いてニッコリしたユキが、また俺を混乱させる。

「まあ、もうしばらくは友達でいないとね。頑張って我慢してね」

 友達? 友達でいいのか? じゃあユキと俺は『ちゃんと知っている者』どうし?

 よかった!

「うん! 友達がいい!」
「どうしたの?」


 もう、ムズムズなんかどうでもよかった。