リノ・イーシア ―知ってほしい でも理解できない―

 ユキに意味深なことを言われたあと、俺はぼーっとしながら、汚い路地を歩いていた。
 コロッケを食べに行くと出まかせでユキに言ったものの、なんとなく本当に食べたくなったので、マエハラ通りを目指して。

 2番街からマエハラ通りに行くなら、そのまま7番街を通って行くのが近いけど、やっぱりこの街は臭い。
 生ゴミの腐ったような匂いがいつもしているし、水路の近くにあるトンネルには汚いオッサンたちの体臭がこびりついてる。
 あの人たちはおしっこ臭い自分たちの臭いを、大麻の香りでごまかせると思ってる。

 そのトンネルを小走りで抜ける。
 ひんやりとした涼しさは心地が良いけど、息を止めて走るのは結構きつい。
 なんとか息を止めたまま、反対側に出ると、暗がりに慣れていた目がくらんだ。

 何も見えない光の中から声がした。

「おい、エザキか?」
 左手で日差しをよけながら聞き返す。
「だれ?」

 右後ろで誰かが力を入れたのを感じて、屈みながら右に飛びのくと、頭の上を何かが横切った。

「え?」
 よけたことに驚かれ、それと同時に誰かが合図した。
「こいつだ! やれ!」

 そして、俺は3人に囲まれた。
 建物の壁を背にして、左前に2人、右前に1人。
 壁と欄干に挟まれた狭い道でこの状況、どうしたものか。

 左前の2人は丸腰だけど、右前の1人。
 俺よりみすぼらしい服を着た小柄なイガグリが、長くて重そうなパイプを持っている。

 左の2人が向かって来たので、右前に飛びだすと、慌てたイガグリがパイプを振りかぶる。
 けど、振りかぶる力が弱くて少しもたついた。
 そんな長いパイプを片手で振りかぶるなんて無理だよ。

 俺は助走をつけたまま、イガグリに頭突きをした。鼻を押さえて下を向いたイガグリの頭を掴むと、鼻を押さえている手の上から顔面に膝蹴りを入れた。
 その後、イガグリがどうなったかはしらない。俺の視界からは消えた。

 俺は落ちたパイプを両手で持つと、錆びてざらざらのそいつをメチャクチャに振り回した。
「うおぉ!」
 俺は何をやってるんだろう。

「うわ!」
「こいつやべえって!」

 とにかく振るしかない。
 振りかぶっている間に襲い掛かられるぐらいなら、構えて止まるよりずっと振ってる方がよほどいい。
 なんとか疲れる前に、こいつらを追い払いたい。

「うぅーおぉー!」
 さっさとどっか行け!
 我ながらバカみたいで笑いたくなる。

 しばらくすると、ようやく2人は黙ってトンネルの方へ走って行った。

「はぁ……」
 パイプを地面に落として、その場に座り込んだ。
 疲れた。

 あ! もう一人は!? と思って後ろを確かめると、イガグリはもういない。

 気を取り直してマエハラ通りのコロッケ屋台へ行くと、珍しい人がいた。

「あれ? ホベタンもコロッケ食べに来たの?」
「うん、稼げたから」
 その言葉にびっくりした。

「稼いだって、カードか何かやったの?」
「うん、ちょっとね」
「すごいなぁ。ホベタン、トランプでもオセロでも負けたことないもんね」

 ホベタンは普段ほとんど言葉を発さないから、イカれてると思われてる。でも少人数だと結構喋るし、それに頭がめちゃくちゃいい。
 正直なところ、頭だけならエドよりも上をいくんじゃないかって思ってる。

 俺とホベタンは食べ終えると、2人でドミトリーに向かって帰り始めた。
 マエハラ通りを出て、しばらく歩いたところで、また後ろから『力』を感じた。

 とっさに前に飛びのいてよけた。
 振り返って確かめると、それはまたしてもパイプ。俺がさっき捨てたやつだ。
 今度もまたボロイ服装。ヤンキーだろう。

 そして、地面に倒れたホベタンが目に入った。
 体を横向きにして動かない。

 なぜホベタンが?
 俺がよけたから?

 ホベタンを病院に連れて行かないと。
 今度は4人が俺達を囲んでる。どうすればいい?


「おい、頭やったらヤバいんじゃ……」
「うるせえ!」
 動かないホベタンを見て、ヤンキーどもがビビってる。その隙を狙って、俺はパイプを持ってる奴に飛び掛かった。

「おい!」
 呼びかけて振り向いたヤンキーにまた頭突き。それから膝蹴り。
 落ちたパイプを拾う。
 わかりやすいバカには、同じ手が何度でも通用する。

 いいパイプだ。
 錆びているおかげで、手が滑る心配なく振り回せる。
 だけど、今度は残り3人。
 俺だけなら、逃げれば済む話だけど……。

 ホベタンは倒れたまま。動かない。
 頭を殴られたホベタンを置いていけば、死んじゃうかもしれない。
 俺がよけたせいだ。

 そう考えると、逃げたくなかった。
 別に、ホベタンが死んで困るってこともないんだけど。

 別の奴が角材みたいなのをまっすぐ振り下ろしてきた。
 とっくにその軌道からよけていた俺は、そいつの腹にパイプを突っ込んだ。
「ぶっ!」
 今度は使い方を変えた。突き出すのには、振りかぶる必要もない。
 腹を押さえてうずくまったのを見て、その頭を蹴り飛ばす。
「あぐ!」
 動けなくしておかないと。

 すぐ次の奴に向かう。多分、楽勝。俺を見て、明らかにビビっている。

 ホベタンが死んだら、俺はどう思うんだろう?
 俺がよけずに受け止めてたら、こうはならなかった。

 左右両側から攻撃を感じたので、後ろに飛びのくと、短い鉄パイプと長い角材が目の前で空を切る。
 左にいた鉄パイプ野郎にパイプを突き出すと、右目に刺さった。
「ぐあぁ!」
 騒いでる隙に、パイプをいただいて持ち替えた。
 短い方が使いやすい。
 もう一人が角材をおずおずと振りかぶるけど、『攻撃するための力』は伝わってこない。
 やる気がないなら、逃げればいいのに。

 俺はパイプを見せつけるように振りかぶって怒鳴った。
「消えろ! どっかいけ!」

 だけど逃げない。当てが外れた。
 そいつは再びやる気になったのか、角材を突き出してきた。
 当たるわけがないのに。

 角材をよけて短いパイプを顔に叩き込むと、眉間が割れるような手ごたえ。
 4人目は角材を持ったまま、後ろにばったりと倒れた。

 ようやく静かになったけど、安心はできない。
 うずくまってる奴らをとにかく痛めつけた。

 4人に襲われるなんて、今までになかったことだったし、とにかく『安心』が欲しかった。
 その『安心』を手に入れるには、こいつらを動けなくしないと。

 棒を振るのに疲れてきて我に返ると、4人は地面に転がって唸ってるだけだった。
 顔を上げると、通りすがりの人達が見物している。

 小さな男の子と目が合った。
 そのとき、お母さんの手をしっかり握っているその姿を見て、何か悪いことをしたような気分になった。

 その見物人の中から、1人が恐る恐る近づいてくる。
 コノエ君だった。

「だ、大丈夫ですか?」
「ごめん。コノエ君、ホベタンを病院に連れていくの手伝って」
「あ、はい!」

 そう言うと、コノエ君はホベタンを器用に背負ってくれた。
 俺は鉄パイプを持ったまま、それに続く。

 ホベタンの頭を確かめると、血は出ていないようだった。
 だけど、頭のケガは時間が経ってから死に至る事もあるって聞いたことがある。

 コノエ君と騎炉南病院へ急ぎながら、何度も後ろを振り返る。

 なんでこんなことになったんだろう?

 ホベタンが死んだら、俺はどんな気持ちになるんだろう?