リノ・イーシア ―知ってほしい でも理解できない―

 ユキの部屋で雨が上がるのを待ってから、エドがいそうなところへ行った。

 泥水の水たまりを避けながら、くすんだアイボリーのドミトリーを目指していると、アサキ兄弟とすれ違った。
 兄弟揃ってずぶ濡れだ。

「雨宿らなかったの?」
「まあ、すぐ乾くっしょ」
 綺麗にハモった後、3人でちょっと笑ってから、俺はドミトリーの敷地に入った。

 雨が止むと一気に晴れるのが、いつものパターン。
 ドミトリーの前まで来ると、運動場で揉めている連中がいる。
 ドミトリーと小中学校の間にある運動場は舗装されていて水はけが良い。
 なので雨上がりのときは、いつもバスケやサッカーのゴールが、ちょっとした取り合いになる。

 日系人の国だけど、野球は誰もやらない。もっぱらバスケかサッカーだ。

 だけど狭い運動場。
 体育でランニングばっかりやらされてて、スピードだけはある子たちがひしめき合うから、衝突も多い。
 だから真面目に練習したい一部の奴は、雨の日に大喜びで出てくる。さっきのアサキ兄弟もそうだったんじゃないかな。

 いざこざをちょっと見物してから、ドミトリーの図書室に行くと、やっぱりいた。
 つまらないものでも見るように、本を読むエド。

 無事でよかったと思いながら、小さなテーブルの向かい側に椅子をおいて座った。
 その間もエドはこちらを見もしない。

「無事で良かったよ」
「なんだそりゃ」

 ドミトリーの図書室は、俺らが7人とか8人で授業を受ける教室よりずっと広い。日本の映画に出てくる、立派な学校の教室と同じぐらいだ。
 ちなみにバカの集まりと言われる騎炉区でも、勉強したい人はいる。高校までにちゃんと勉強しておけば、大人になって工場長とか店長とかになれるから。

 でも、エドはいつも好きな本を読みに来るだけ。勉強なんかやらなくてもできてしまう。

「エド、タガさんて知ってる?」
 エドは本から目を離さない。
「知ってるよ」

 俺が昨日のタガさんとの経緯を話してる間も、エドは本のページをめくっている。
 ショウトクタイシ気取りか? と思うけど、彼は本当にそういうことができる。

 俺は、タガさんからエドが狙われているという忠告があったこと、月曜日に会いたいと言われていることも話した。

 ところが、そんな大事な話をしたのに、エドは全然関係ない話にもっていく。

「エザキ、そっちはガールハント成功したのか?」
「え? なんか、女友達は出来たかも。向こうが、どう思ってるか知らないけど」
 友だちというにはちょっと年が離れてるかな……。

 エドが初めて俺を見た。
「デートしたのか?」
「デートっていうのかな。絵、見せてもらいに、家まで行ってきた」
 変だなと思いながら、答えると、エドが本を閉じた。

「俺はあの後、カフェに行ったんだ」
「あ、あの赤っぽい髪の子と?」

 顔をしかめながら頷くエドを見て、なんとなく察した。

「頼まれたとおりにパフェ奢ったのに、ずーっとムスッとしててさ。『ブスのあたしなんかとカフェまで来て、体目当てなんでしょ?』とか言ってくんだぜ? どうすりゃ良かったんだ?」
 エドの口真似が面白かったけど、静かに答えた。
「まあ、俺達にその願望がないとは言えない気もするけどね」

 エドはかぶりを振って、ため息交じりに本音を吐いた。
「あんなムスッとされたら、その願望も失せるよ。『見た目がブス』なんじゃなくて、『性格がブス』なんだよ」
 ちょっと笑ってしまったけど、エドはなぜか真剣だ。

「でも、なんか、気になるんだよな」
 あれ? おかしいぞ?

「気に入ったってこと?」
「いや、『気になる』ってだけだから」
「ふーん」

 いや、そんな話をしている場合じゃない。
「それよりエド、タガさんは俺達も自分の側につかせたいみたいだけど、どう思う?」

 エドはまた本を開いて、読んでいたページを探し始めた。
「どうぞ仕切ってくださいって言うつもりだよ。タガさんが、俺らガキ全員をまとめてくれれば、少しは平和になるんじゃないか?」

 ページを見つけたらしいエドに、正直に話した。
「タガさんて、本当のヒーローになれる人なんじゃないかな?」
「ヒーロー?」
「ケンカ相手にも優しく話しかけてて、なんていうか、本当に『平和』だけを望んでるんだなって思ったんだ」
 本当はあの音楽が、一番の魅力だと思っているんだけど。

「お前がこっちに来る前の話だけどな。オウガって、いい奴だったんだ。俺も仲良かったぐらいだ」
「そういえば、聞いた事ある」
「だけど、バカ連中のボスになったらあのザマだ。パワー・パラドックスって言ってな。権力を手に入れると、感じ方や考え方まで変わっちまうことがあるんだよ」

 リーダーとかそういうのに興味がないのも、そういう理由なのかなと思いつつ、俺は俺の考えを伝えた。
「そんなこと言ったら、誰もまとめてくれなくなっちゃうよ」
「1人じゃなくて、何人かでリーダーをやれば、いいと思わないか?」

 なるほど……と思った。

「いや、それより月曜はどうするの? とりあえずはタガさんについた方が、安全だと思うけど」

「俺もそれでいいと思ってるよ。ただ、言ってるタガさんも襲われたんだろ? 意味ないと思うよ。まあ、『こっちをやればあっちが報復に来る』っていう仕組みは作っておいたほうがいいか」
 片手で手振りを交えながら、説明してくれた。俺は最初からそれを提案しているつもりだったんだけど……。
 でも、まあいいやと思って立ち上がった。

「じゃあエド、月曜日にまたーー」
「待て、エザキ……」
 エドがまた本から目を上げた。

「なに?」
「タガさんはお前のケンカを見て、なんか言ったか?」

 ちょっと考えてから、話すと決めた。

「俺が『攻撃するための力』を感じ取れるって言ったら信じる?」

 エドはパンと素早く本を置いた。
 そして真っ直ぐに目を合わせたまま、答えてくれた。

「とっくに気付いてたよ……。でも、それをお前に聞いてもいいのかどうか、正直ずっと迷ってた」

 俺がまた座ると、エドは組んだ腕を机に乗せた。

「小学校の頃からだよな。お前に物を投げても、殴りかかっても、全部読まれて、かわされる。俺が力を入れた瞬間にお前は読む。振りかぶる、拳を握る、そんな風に『力を入れた』瞬間に、それがお前に伝わってるんだよな?」

「そ、そうなんだよ……」
「おい、大丈夫かよ……?」

 自分でも思いがけないことだったけど、急に涙が浮かんでしまった。

 やっぱり、すごい奴だと思った。