曲のリズムで体のあちこちが動いてしまうのを感じながら、俺はずっとその音楽に夢中になっていた。
部屋が適度に暗かったのも、集中できた理由かもしれない。
ときどき、理由もなく大声を出したい衝動に駆られた。
自分にこんな感覚が備わっていたとは、夢にも思わなかった。
今まではずれていた電池が、カチャッとはまったような感じだ。
なるほど、きっとこれが『感動』だ。
だけど、あっという間に最後の曲も終わってしまった。
気が付くと、サックスを吹いていたイケメンが、お別れの挨拶を始めている。
ボロい木の床に座って、ぼんやりと眺めている俺がいる。
「いやー、学校の外でやろうって言い出したのは俺だったんだけど、こんな楽しくやらせてもらえるとは思わなかったよ! マジで感謝!」
「イェー!」
「サンキュー! タガ!」
歓声とともに、一部の客がビールを振りまいた。
タガという名前を聞いてはっとした。
俺達の上の代がおとなしいのは、タガさんが厳しく仕切っているからだって。
でも目の前のタガさんは、全然厳しそうには見えない。
白いシャツにビールのしぶきをもらっても、嫌な顔一つせず、笑っている。
今日は本当にいい日だ。
そう思いながら立ち上がると、ちょっとフラついた。
フラついた俺に誰かが声を掛けた。
「大丈夫?」
横を見ると、知らない二十代ぐらいのお姉さん。
いや、見たことがある。
タンクトップとハーフパンツから出た筋肉質な足と腕、日焼けした顔はおでこのところまでふわっとした黒髪で覆われている。
いつだったか、ぶつかった俺を殴ってくれた人だ。
「あれ? あんた? あれじゃん」
「あ、あれ――」
まだボーッとしている俺に、お姉さんはハキハキと被せてきた。
「呑みすぎたの? 女あさりに来たのに一人で潰れちゃったの? 残念だねぇ」
殴られたときも少し思ったけど、ちょっと普通の人と違う気がする。
それに筋肉質なその体つきを見ていると、なんとなくムズムズする。
「いや、ライブっていうの聞くの初めてで、なんかすごい幸せだなぁって」
「幸せ?」
お姉さんがキョトンとした。
「そう! なんか色んな音がわーっと頭の中に入ってくるような感じがして、心配とか不安とかそういうのが、全部どっかに消えちゃって――」
「音楽、好きなんだ?」
気持ちを伝えようとしても、やっぱり被せられる。
せっかく楽しいのに。
「うん、音楽好きになった。もう、何ていうか――」
「じゃあ、今度は絵でも見てみない?」
「絵?」
「見てみたい? ちゃんとした絵」
この人は絵を描く人なのかと、ピンときた。
ちょっと得意げで、見せたそうな顔に見えたし……少しでいいから、その肌に触れてみたいと思った。
だから、少し嘘をついた。
「見てみたい!」
本当は音楽に夢中だったけど、お姉さんは俺の嘘に気づく様子もない。
「じゃあ、明日3番街の公営住宅の下で待ち合わせよ? 午後1時でどう?」
「うん」
なんで、こんなにムズムズするんだろう?
音楽を聞いたことで、何か違うモードのスイッチが入ったような感じだ。
目に映るものが生き生きとして見える。周りを見回すと、暗い部屋の中でドラムセットのシンバルがキラキラと輝いている。
視線を戻すと、とてもきれいなお姉さんがいる。見ないようにと思いながら、つい筋肉質な足に目がいく。
「どうしたの?」
「いや……」
慌てて顔を上げると、目が合った。
「あたし、ユキ・シノセ」
「俺はキュー・エザキ」
「キューちゃんか! じゃあ明日ね。今から仕事だから」
そう言うと、ユキはさっさと出ていった。
たった今、約束したことが信じられなかった。
ガタガタと音がし始めた。
音のした方を見ると、『ガーシュズ』のお兄さんがテーブルを、元の位置に戻し始めている。
楽器ケースを持ったタガさんが裏口から出ようとしているのが見えて、慌てて自分も外に出た。
エドやARはとっくに帰ったみたいだ。
気が付くと2時間以上があっという間に過ぎていて、俺は明日お姉さんと会う約束をしている。
色んなことが起こりすぎて、頭が疲れた。
ワクワクするのも、体力がいるのか。
だけど、そのまますんなりとは帰れなかった。
俺がドミトリーへ歩き出すと、店の裏口の方から聞いたことのある声がした。
「おめえ、ちょっと調子こきすぎじゃねえか?」
どこかで聞いた声だと思って、店の裏へ回った。
建物の角から様子を見ると、タガさんとバンドメンバーの人達が『学校に行ってない奴ら』に囲まれていた。
「俺に用なんだろ? こいつらは帰してもいいだろ?」
タガさんがそう言うと、ワルっぽい連中は素直にバンドメンバーを逃がしてしまった。
東高校の行儀の良さそうな生徒たちがさっさと去ってしまい、タガさんは一人。
もう勝ち目はない。
だけど、タガさんは笑っていた。
「わざわざ出待ちするぐらいなら、ライブを見てって欲しかったな」
テレビの中でしか見たことがないような、格好の良さ。
まるでテレビから抜け出してきた、ヒーローのようだと思った。
「あれ? お前、ナカムラだろ? 東小で一緒だったよな?」
「うるせえよ」
タガさんに話しかけられた、ワルの代表が拳を振りかぶった。
その時、月明かりの中で何かが光った。
メリケンサックだ!
また俺の足が自動的に走り出す。これは本能だ。
この人に何かあったら、あのライブが聞けなくなってしまう。
だけど、俺の足はすぐに止まった。
タガさんは楽器ケースを地面に落とすと、一歩下がった。
空を切った拳の先、ナカムラの手首を掴むとサッと後ろへ引っ張り、よろめいたナカムラの足に自分の足をかけて、軽々と転ばせてしまった。
強い! すぐにわかった。
これはエドより強いかもしれない。
でも現実は甘くない。
他のワル達、3人に襲いかかられたタガさんは一人の顔面にパンチを見舞ったが、そのあとすぐに腹を蹴られ、頬を殴られ、地面に倒されてしまった。
またしても自動操縦のように駆け出していた俺は、あることに悩んでいた。
誰からやればいい?
タガさんのパンチを食らった奴は、鼻を押さえてしゃがみ込んでいる。
今、タガさんに襲いかかってるのは2人。
そして、その左に起き上がろうとしているナカムラ。
俺はナカムラに向かってダッシュして、その腹を思い切り蹴り上げた。
「あうっ」
囁くような声を上げて、もう一回崩れ落ちるナカムラ。
これで流れが変わるといいんだけど。
残る2人が俺を見て驚いている。
そのまま奇襲を続けようと思ったけど、さすがにそれは甘かった。
片方が、バタフライナイフを出し、もう片方は素手で殴りかかってきた。
ナイフを出している奴が先に近づいてきたけど、『刺すという意思』を感じない。
なのでナイフ野郎を無視して、拳を振り回そうとしている方に、飛びかかった。
丁寧に剃られたスキンヘッドが、月明かりの中で光っている。
スキンヘッドの顔が、口半開きの間抜け面になったけど、まだ『殴るという意思』を持っているのがわかったので、そのまま突進した。
俺は再会した恋人のようにスキンヘッドに飛びかかり、一緒に地面に倒れ込んだ。
部屋が適度に暗かったのも、集中できた理由かもしれない。
ときどき、理由もなく大声を出したい衝動に駆られた。
自分にこんな感覚が備わっていたとは、夢にも思わなかった。
今まではずれていた電池が、カチャッとはまったような感じだ。
なるほど、きっとこれが『感動』だ。
だけど、あっという間に最後の曲も終わってしまった。
気が付くと、サックスを吹いていたイケメンが、お別れの挨拶を始めている。
ボロい木の床に座って、ぼんやりと眺めている俺がいる。
「いやー、学校の外でやろうって言い出したのは俺だったんだけど、こんな楽しくやらせてもらえるとは思わなかったよ! マジで感謝!」
「イェー!」
「サンキュー! タガ!」
歓声とともに、一部の客がビールを振りまいた。
タガという名前を聞いてはっとした。
俺達の上の代がおとなしいのは、タガさんが厳しく仕切っているからだって。
でも目の前のタガさんは、全然厳しそうには見えない。
白いシャツにビールのしぶきをもらっても、嫌な顔一つせず、笑っている。
今日は本当にいい日だ。
そう思いながら立ち上がると、ちょっとフラついた。
フラついた俺に誰かが声を掛けた。
「大丈夫?」
横を見ると、知らない二十代ぐらいのお姉さん。
いや、見たことがある。
タンクトップとハーフパンツから出た筋肉質な足と腕、日焼けした顔はおでこのところまでふわっとした黒髪で覆われている。
いつだったか、ぶつかった俺を殴ってくれた人だ。
「あれ? あんた? あれじゃん」
「あ、あれ――」
まだボーッとしている俺に、お姉さんはハキハキと被せてきた。
「呑みすぎたの? 女あさりに来たのに一人で潰れちゃったの? 残念だねぇ」
殴られたときも少し思ったけど、ちょっと普通の人と違う気がする。
それに筋肉質なその体つきを見ていると、なんとなくムズムズする。
「いや、ライブっていうの聞くの初めてで、なんかすごい幸せだなぁって」
「幸せ?」
お姉さんがキョトンとした。
「そう! なんか色んな音がわーっと頭の中に入ってくるような感じがして、心配とか不安とかそういうのが、全部どっかに消えちゃって――」
「音楽、好きなんだ?」
気持ちを伝えようとしても、やっぱり被せられる。
せっかく楽しいのに。
「うん、音楽好きになった。もう、何ていうか――」
「じゃあ、今度は絵でも見てみない?」
「絵?」
「見てみたい? ちゃんとした絵」
この人は絵を描く人なのかと、ピンときた。
ちょっと得意げで、見せたそうな顔に見えたし……少しでいいから、その肌に触れてみたいと思った。
だから、少し嘘をついた。
「見てみたい!」
本当は音楽に夢中だったけど、お姉さんは俺の嘘に気づく様子もない。
「じゃあ、明日3番街の公営住宅の下で待ち合わせよ? 午後1時でどう?」
「うん」
なんで、こんなにムズムズするんだろう?
音楽を聞いたことで、何か違うモードのスイッチが入ったような感じだ。
目に映るものが生き生きとして見える。周りを見回すと、暗い部屋の中でドラムセットのシンバルがキラキラと輝いている。
視線を戻すと、とてもきれいなお姉さんがいる。見ないようにと思いながら、つい筋肉質な足に目がいく。
「どうしたの?」
「いや……」
慌てて顔を上げると、目が合った。
「あたし、ユキ・シノセ」
「俺はキュー・エザキ」
「キューちゃんか! じゃあ明日ね。今から仕事だから」
そう言うと、ユキはさっさと出ていった。
たった今、約束したことが信じられなかった。
ガタガタと音がし始めた。
音のした方を見ると、『ガーシュズ』のお兄さんがテーブルを、元の位置に戻し始めている。
楽器ケースを持ったタガさんが裏口から出ようとしているのが見えて、慌てて自分も外に出た。
エドやARはとっくに帰ったみたいだ。
気が付くと2時間以上があっという間に過ぎていて、俺は明日お姉さんと会う約束をしている。
色んなことが起こりすぎて、頭が疲れた。
ワクワクするのも、体力がいるのか。
だけど、そのまますんなりとは帰れなかった。
俺がドミトリーへ歩き出すと、店の裏口の方から聞いたことのある声がした。
「おめえ、ちょっと調子こきすぎじゃねえか?」
どこかで聞いた声だと思って、店の裏へ回った。
建物の角から様子を見ると、タガさんとバンドメンバーの人達が『学校に行ってない奴ら』に囲まれていた。
「俺に用なんだろ? こいつらは帰してもいいだろ?」
タガさんがそう言うと、ワルっぽい連中は素直にバンドメンバーを逃がしてしまった。
東高校の行儀の良さそうな生徒たちがさっさと去ってしまい、タガさんは一人。
もう勝ち目はない。
だけど、タガさんは笑っていた。
「わざわざ出待ちするぐらいなら、ライブを見てって欲しかったな」
テレビの中でしか見たことがないような、格好の良さ。
まるでテレビから抜け出してきた、ヒーローのようだと思った。
「あれ? お前、ナカムラだろ? 東小で一緒だったよな?」
「うるせえよ」
タガさんに話しかけられた、ワルの代表が拳を振りかぶった。
その時、月明かりの中で何かが光った。
メリケンサックだ!
また俺の足が自動的に走り出す。これは本能だ。
この人に何かあったら、あのライブが聞けなくなってしまう。
だけど、俺の足はすぐに止まった。
タガさんは楽器ケースを地面に落とすと、一歩下がった。
空を切った拳の先、ナカムラの手首を掴むとサッと後ろへ引っ張り、よろめいたナカムラの足に自分の足をかけて、軽々と転ばせてしまった。
強い! すぐにわかった。
これはエドより強いかもしれない。
でも現実は甘くない。
他のワル達、3人に襲いかかられたタガさんは一人の顔面にパンチを見舞ったが、そのあとすぐに腹を蹴られ、頬を殴られ、地面に倒されてしまった。
またしても自動操縦のように駆け出していた俺は、あることに悩んでいた。
誰からやればいい?
タガさんのパンチを食らった奴は、鼻を押さえてしゃがみ込んでいる。
今、タガさんに襲いかかってるのは2人。
そして、その左に起き上がろうとしているナカムラ。
俺はナカムラに向かってダッシュして、その腹を思い切り蹴り上げた。
「あうっ」
囁くような声を上げて、もう一回崩れ落ちるナカムラ。
これで流れが変わるといいんだけど。
残る2人が俺を見て驚いている。
そのまま奇襲を続けようと思ったけど、さすがにそれは甘かった。
片方が、バタフライナイフを出し、もう片方は素手で殴りかかってきた。
ナイフを出している奴が先に近づいてきたけど、『刺すという意思』を感じない。
なのでナイフ野郎を無視して、拳を振り回そうとしている方に、飛びかかった。
丁寧に剃られたスキンヘッドが、月明かりの中で光っている。
スキンヘッドの顔が、口半開きの間抜け面になったけど、まだ『殴るという意思』を持っているのがわかったので、そのまま突進した。
俺は再会した恋人のようにスキンヘッドに飛びかかり、一緒に地面に倒れ込んだ。
