「“毒薬”に変わる……って、どういうこと!? まさか犯人は、フェスに来るみんなに本物の毒を盛るつもりなの!?」
静まり返った夜の廊下で、私はパニックになりかけて声を張り上げた。
創立記念フェスは、生徒だけじゃなく近所の子どもたちや保護者も楽しみにしている大イベントだ。もし本当にそんな恐ろしいことが起きたら、学校は大騒ぎになってしまう。
「落ち着け、冴島。声を落とせって」
桐谷が私の肩をぽんと叩き、静かだが力強い声で制した。
「本当の毒物を学校に持ち込むなんてリスクが高すぎる。それに、この犯人はメッセージカードに『甘い魔法』だの『レモンのしずく』だの、お菓子の仕掛けを好んで使っている。つまり……『毒薬』っていうのも、お菓子の科学的な仕掛けを使った比喩(ひゆ)のはずだ」
「比喩……? お菓子が毒薬になる仕掛け……?」
私はぐるぐると頭を回転させた。
お菓子作りは、精密な化学実験と同じだ。材料の分量や温度、入れる順番をたったひとつ間違えるだけで、美味しいスウィーツが一口も食べられないような“大失敗作”に化けてしまう。
「……あ!! もしかして『アルカリ性と酸性の過剰反応』、それか『膨張剤の爆発的オーバー』!?」
私がピンと来て叫ぶと、桐谷は満足そうに口元をゆるめた。
「正解だ。たとえば、パウンドケーキやクッキーに使う『重曹(炭酸水素ナトリウム)』。あれは量を間違えると、強烈な苦味と石けんのような嫌な臭いが発生して、とても口に入れられない代物になる。……あるいは、特定の成分を大量に混ぜて、激しいお腹壊しを引き起こすような粗悪なレシピに書き換えるつもりなんだ」
「そんなの絶対に許せない! 伝統のスイーツを台無しにさせるわけにはいかないよ!」
「ああ。だからまずは、この『キャンディボックス』の鍵を開けて、中に何が入っているか確認するぞ」
桐谷が手に持ったキャンディボックスを指さした。
手のひらサイズの缶には、3桁のダイヤル式の南京錠がかかっている。
そして、そのダイヤル錠のすぐ横の缶の側面に、小さくカリカリと引っかいたような文字で暗号が刻まれていた。
『甘いキャラメルが生まれる、魔法の温度を刻め』
「魔法の温度……? 3桁の数字か」
桐谷が顎に手を当てて思考を巡らせる。
「温度ということは、摂氏(℃)だな。キャラメルを作る時の温度……砂糖が溶けて焦げ始める温度のことか?」
「うん! 砂糖の調理変化に関する雑学ね!」
私は胸を張って、頭の中のレシピデータを引っ張り出した。
「砂糖は加熱する温度によって、どんどん姿を変えるの。115度だと柔らかいソフトキャンディになる『スレッド状態』。140度だと固いキャンディになる『ハードボール状態』。そして……砂糖が分解されて香ばしいキツネ色になり、あの甘くて美味しいキャラメルに変化する温度は――」
「――160度、か?」
桐谷が私の言葉を引き継ぐように言った。
「大正解! 160度(℃)を超えると『キャラメル化』が始まるの!」
「よし。じゃあダイヤルは『1・6・0』だな」
桐谷が細い指先で、カチャカチャと小さなダイヤルを合わせていく。
1……6……0。
カチリ。
心地よい金属音が響き、重たかった南京錠がパカッと音を立てて外れた。
「やった……! 開いたわ!」
私が思わず歓声を上げると、桐谷はそっとキャンディボックスのフタを持ち上げた。
缶の中には、カラフルで可愛らしい金平糖やキャンディが敷き詰められていて、その真ん中に一枚の古びた羊皮紙のような紙切れが丸めて入れられていた。
桐谷が慎重にそれを取り出し、ふたりで広げて覗き込む。
「これって……『秘伝のゴールド・レシピブック』の一ページ分!?」
「そうみたいだ。破り取られたページの片割れだな」
そこに書かれていたのは、フェス限定スイーツ『黄金のハニーキャンディ・タルト』の生地の配合と、焼き上げる手順だった。
しかし、ページの下半分が不自然に破り取られており、赤いペンでデカデカと謎のメッセージが上書きされていた。
『本来の仕上げに必要な“隠し味のスパイス”のページは、我が手の中にあり。明朝8時、図書室の“開かずの書庫”に来られたし。さもなくば、間違った配合の試作品が全校生徒に配られることとなる』
「図書室の開かずの書庫……! 犯人はそこに潜んでるってこと!?」
「明朝8時か。始業前の誰もいない時間帯を指定してくるとはな」
桐谷がメモをギュッと握りしめ、険しい表情で校舎の奥を見つめた。
「どうする、冴島。明日の朝、俺と一緒に図書室へ乗り込むか? 正直、犯人がどんな奴か分からない以上、危険かもしれない。先生方に全部話して、警察や大人に任せる手もあるぞ」
桐谷は私を心配するように、真っ直ぐな瞳で私を見つめてきた。
その瞳には、いつものナマイキで余裕ぶった態度は一切なく、ただ私を気遣う優しさと温かさが宿っていた。
(桐谷……いつもは意地悪ばかり言うのに、こういう時には本気で私のことを守ろうとしてくれるんだ……)
胸の奥がキュンと熱くなり、甘い痛みが走る。
だけど、私はフッと笑って、思い切り首を横に振った。
「バカ言わないでよ! 私を置いてひとりでヒーローになるつもり? 秘密のレシピを破いて、みんなの楽しみを奪おうとする犯人なんて、私が絶対に許さない! お菓子の知識なら、私の方が桐谷より上なんだからね!」
私が強気に言い放つと、桐谷は一瞬ぽかんと目を丸くした。
次の瞬間、フッと呆れたような、でもすごく嬉しそうな笑みをこぼした。
「ハッ……相変わらず強がりだな、冴島」
「強がりじゃないわよ、本気!」
「分かったよ。……お前がそこまで言うなら、最後まで付き合え。二人で一緒に、事件を解決して学年トップのドヤ顔を見せてくれよ」
そう言って、桐谷は私の頭の上にぽんと手を置いた。
くしゃっと乱暴に髪を撫でられる。
大きな手のひらの温かさが頭頂部からじんわり伝わってきて、耳の先まで真っ赤になってしまうのが自分でも分かった。
(もう……! なんでこの人は、無意識にこういうドキドキすることをするのよ……! テストの点数だけじゃなくて、胸のときめきまで惑わされるなんて悔しすぎる……!)
「あ、頭を子供みたいになでないでよ! 髪が崩れるじゃない!」
私が慌てて手を振り払うと、桐谷は「はいはい」と楽しそうに笑いながら手を引いた。
「とりあえず、今日はもう遅い。一度帰宅して明日の作戦を練ろう。……送り届けるよ。こんな夜遅くに、女子一人で帰すわけにはいかないからな」
「えっ、いいの……? 家、反対方向でしょ?」
「いいから。お前に途中で何かあったら、明日の謎解きができなくなるだろ」
どこまでも素直じゃない言い草だけれど、その裏にある優しさが分かってしまって、私はそれ以上拒否することができなかった。
月明かりが照らす夜の帰り道。
並んで歩くふたりの影が、アスファルトの上に長く伸びている。
いつもは学校の廊下で「次のテストはどっちが上か」なんて喧嘩ばかりしているライバルなのに、今夜はなんだか、世界にふたりきりしかいないような不思議な安心感に包まれていた。
「ねえ、桐谷」
「ん?」
「もし今回の事件を解決できたら……期の終わりに関係なく、イチゴタルトおごってよね」
「おいおい、勝負の決着がつく前におねだりか?」
「いいじゃん! こんな大事件に巻き込まれて、密室から脱出して、暗号まで解いたんだから! ご褒美くらいあってもバチは当たらないでしょ!」
私が口を尖らせて抗議すると、桐谷は夜空を見上げながら、柔らかい声で呟いた。
「……いいよ」
「え?」
「全事件が無事に解決したら、一番美味しい店のイチゴタルト、ホールで買ってやる。だから……明日も絶対に無事でいろよ、詩織」
「っ……!?」
不意に苗字じゃなく、名前で呼ばれた。
ドキン、と心臓が跳ね上がり、歩く足が思わず止まってしまう。
振り返った桐谷は、月光を浴びて、まるで物語の中の王子様みたいに綺麗な微笑みを浮かべていた。
(ズルい……ずるすぎるよ、桐谷翔……! そんな顔で名前を呼ばれたら、事件のことよりアンタのことが頭から離れなくなっちゃうじゃん……!)
「な、なんで急に名前で呼ぶのよ! びっくりするでしょ!」
「別に。パートナーなんだからいいだろ。ほら、早く歩かないと置いてくぞ」
「あ、待ちなさいよ!」
私は真っ赤になった顔を夜風に晒しながら、少し先を歩く彼の背中を追いかけて走り出した。
甘いお菓子の香りと、危険な暗号。
そして、ライバル男子との解明不能な甘い距離感。
静まり返った夜の廊下で、私はパニックになりかけて声を張り上げた。
創立記念フェスは、生徒だけじゃなく近所の子どもたちや保護者も楽しみにしている大イベントだ。もし本当にそんな恐ろしいことが起きたら、学校は大騒ぎになってしまう。
「落ち着け、冴島。声を落とせって」
桐谷が私の肩をぽんと叩き、静かだが力強い声で制した。
「本当の毒物を学校に持ち込むなんてリスクが高すぎる。それに、この犯人はメッセージカードに『甘い魔法』だの『レモンのしずく』だの、お菓子の仕掛けを好んで使っている。つまり……『毒薬』っていうのも、お菓子の科学的な仕掛けを使った比喩(ひゆ)のはずだ」
「比喩……? お菓子が毒薬になる仕掛け……?」
私はぐるぐると頭を回転させた。
お菓子作りは、精密な化学実験と同じだ。材料の分量や温度、入れる順番をたったひとつ間違えるだけで、美味しいスウィーツが一口も食べられないような“大失敗作”に化けてしまう。
「……あ!! もしかして『アルカリ性と酸性の過剰反応』、それか『膨張剤の爆発的オーバー』!?」
私がピンと来て叫ぶと、桐谷は満足そうに口元をゆるめた。
「正解だ。たとえば、パウンドケーキやクッキーに使う『重曹(炭酸水素ナトリウム)』。あれは量を間違えると、強烈な苦味と石けんのような嫌な臭いが発生して、とても口に入れられない代物になる。……あるいは、特定の成分を大量に混ぜて、激しいお腹壊しを引き起こすような粗悪なレシピに書き換えるつもりなんだ」
「そんなの絶対に許せない! 伝統のスイーツを台無しにさせるわけにはいかないよ!」
「ああ。だからまずは、この『キャンディボックス』の鍵を開けて、中に何が入っているか確認するぞ」
桐谷が手に持ったキャンディボックスを指さした。
手のひらサイズの缶には、3桁のダイヤル式の南京錠がかかっている。
そして、そのダイヤル錠のすぐ横の缶の側面に、小さくカリカリと引っかいたような文字で暗号が刻まれていた。
『甘いキャラメルが生まれる、魔法の温度を刻め』
「魔法の温度……? 3桁の数字か」
桐谷が顎に手を当てて思考を巡らせる。
「温度ということは、摂氏(℃)だな。キャラメルを作る時の温度……砂糖が溶けて焦げ始める温度のことか?」
「うん! 砂糖の調理変化に関する雑学ね!」
私は胸を張って、頭の中のレシピデータを引っ張り出した。
「砂糖は加熱する温度によって、どんどん姿を変えるの。115度だと柔らかいソフトキャンディになる『スレッド状態』。140度だと固いキャンディになる『ハードボール状態』。そして……砂糖が分解されて香ばしいキツネ色になり、あの甘くて美味しいキャラメルに変化する温度は――」
「――160度、か?」
桐谷が私の言葉を引き継ぐように言った。
「大正解! 160度(℃)を超えると『キャラメル化』が始まるの!」
「よし。じゃあダイヤルは『1・6・0』だな」
桐谷が細い指先で、カチャカチャと小さなダイヤルを合わせていく。
1……6……0。
カチリ。
心地よい金属音が響き、重たかった南京錠がパカッと音を立てて外れた。
「やった……! 開いたわ!」
私が思わず歓声を上げると、桐谷はそっとキャンディボックスのフタを持ち上げた。
缶の中には、カラフルで可愛らしい金平糖やキャンディが敷き詰められていて、その真ん中に一枚の古びた羊皮紙のような紙切れが丸めて入れられていた。
桐谷が慎重にそれを取り出し、ふたりで広げて覗き込む。
「これって……『秘伝のゴールド・レシピブック』の一ページ分!?」
「そうみたいだ。破り取られたページの片割れだな」
そこに書かれていたのは、フェス限定スイーツ『黄金のハニーキャンディ・タルト』の生地の配合と、焼き上げる手順だった。
しかし、ページの下半分が不自然に破り取られており、赤いペンでデカデカと謎のメッセージが上書きされていた。
『本来の仕上げに必要な“隠し味のスパイス”のページは、我が手の中にあり。明朝8時、図書室の“開かずの書庫”に来られたし。さもなくば、間違った配合の試作品が全校生徒に配られることとなる』
「図書室の開かずの書庫……! 犯人はそこに潜んでるってこと!?」
「明朝8時か。始業前の誰もいない時間帯を指定してくるとはな」
桐谷がメモをギュッと握りしめ、険しい表情で校舎の奥を見つめた。
「どうする、冴島。明日の朝、俺と一緒に図書室へ乗り込むか? 正直、犯人がどんな奴か分からない以上、危険かもしれない。先生方に全部話して、警察や大人に任せる手もあるぞ」
桐谷は私を心配するように、真っ直ぐな瞳で私を見つめてきた。
その瞳には、いつものナマイキで余裕ぶった態度は一切なく、ただ私を気遣う優しさと温かさが宿っていた。
(桐谷……いつもは意地悪ばかり言うのに、こういう時には本気で私のことを守ろうとしてくれるんだ……)
胸の奥がキュンと熱くなり、甘い痛みが走る。
だけど、私はフッと笑って、思い切り首を横に振った。
「バカ言わないでよ! 私を置いてひとりでヒーローになるつもり? 秘密のレシピを破いて、みんなの楽しみを奪おうとする犯人なんて、私が絶対に許さない! お菓子の知識なら、私の方が桐谷より上なんだからね!」
私が強気に言い放つと、桐谷は一瞬ぽかんと目を丸くした。
次の瞬間、フッと呆れたような、でもすごく嬉しそうな笑みをこぼした。
「ハッ……相変わらず強がりだな、冴島」
「強がりじゃないわよ、本気!」
「分かったよ。……お前がそこまで言うなら、最後まで付き合え。二人で一緒に、事件を解決して学年トップのドヤ顔を見せてくれよ」
そう言って、桐谷は私の頭の上にぽんと手を置いた。
くしゃっと乱暴に髪を撫でられる。
大きな手のひらの温かさが頭頂部からじんわり伝わってきて、耳の先まで真っ赤になってしまうのが自分でも分かった。
(もう……! なんでこの人は、無意識にこういうドキドキすることをするのよ……! テストの点数だけじゃなくて、胸のときめきまで惑わされるなんて悔しすぎる……!)
「あ、頭を子供みたいになでないでよ! 髪が崩れるじゃない!」
私が慌てて手を振り払うと、桐谷は「はいはい」と楽しそうに笑いながら手を引いた。
「とりあえず、今日はもう遅い。一度帰宅して明日の作戦を練ろう。……送り届けるよ。こんな夜遅くに、女子一人で帰すわけにはいかないからな」
「えっ、いいの……? 家、反対方向でしょ?」
「いいから。お前に途中で何かあったら、明日の謎解きができなくなるだろ」
どこまでも素直じゃない言い草だけれど、その裏にある優しさが分かってしまって、私はそれ以上拒否することができなかった。
月明かりが照らす夜の帰り道。
並んで歩くふたりの影が、アスファルトの上に長く伸びている。
いつもは学校の廊下で「次のテストはどっちが上か」なんて喧嘩ばかりしているライバルなのに、今夜はなんだか、世界にふたりきりしかいないような不思議な安心感に包まれていた。
「ねえ、桐谷」
「ん?」
「もし今回の事件を解決できたら……期の終わりに関係なく、イチゴタルトおごってよね」
「おいおい、勝負の決着がつく前におねだりか?」
「いいじゃん! こんな大事件に巻き込まれて、密室から脱出して、暗号まで解いたんだから! ご褒美くらいあってもバチは当たらないでしょ!」
私が口を尖らせて抗議すると、桐谷は夜空を見上げながら、柔らかい声で呟いた。
「……いいよ」
「え?」
「全事件が無事に解決したら、一番美味しい店のイチゴタルト、ホールで買ってやる。だから……明日も絶対に無事でいろよ、詩織」
「っ……!?」
不意に苗字じゃなく、名前で呼ばれた。
ドキン、と心臓が跳ね上がり、歩く足が思わず止まってしまう。
振り返った桐谷は、月光を浴びて、まるで物語の中の王子様みたいに綺麗な微笑みを浮かべていた。
(ズルい……ずるすぎるよ、桐谷翔……! そんな顔で名前を呼ばれたら、事件のことよりアンタのことが頭から離れなくなっちゃうじゃん……!)
「な、なんで急に名前で呼ぶのよ! びっくりするでしょ!」
「別に。パートナーなんだからいいだろ。ほら、早く歩かないと置いてくぞ」
「あ、待ちなさいよ!」
私は真っ赤になった顔を夜風に晒しながら、少し先を歩く彼の背中を追いかけて走り出した。
甘いお菓子の香りと、危険な暗号。
そして、ライバル男子との解明不能な甘い距離感。


