ガチャリ、と重い金属音が響き、特別家庭科室の明かりが完全に消え去った。
室内は一瞬にして深い闇に包まれる。
(嘘……本当に閉じ込められちゃったの!?)
思わず悲鳴を上げそうになった私の口を、温かい大きな手がそっと塞いだ。
「――静かに。声を出すな、冴島」
耳元で、桐谷の低くて落ち着いた声が囁く。
背中から包み込まれるような姿勢になり、桐谷の胸の鼓動が、トントンと私の背中にダイレクトに伝わってきた。
柑橘系の少しスーッとする彼の香りと、男の子らしい体温が至近距離から押し寄せてきて、頭がクラクラしそうになる。
(ちょっと待って……! 暗闇なのも怖いけど、桐谷との距離が近すぎるほうが何倍も心臓に悪いんだけど……!?)
パタパタと、廊下を急ぎ足で去っていく足音が遠ざかっていった。
完全に音が聞こえなくなったのを確認して、桐谷がゆっくりと私の口から手を離す。
「ふう……行ったみたいだな。怪我はないか?」
「う、うん。大丈夫だけど……って、手! まだ私の手をつかんだままだよ!」
私が慌てて手を払うと、桐谷は暗闇の中でくすりと小さく笑った。
「悪かったよ。お前がパニックになって暴れるかと思ったからな」
「暴れないわよ! それより、どうするの!? 扉は完全にロックされちゃったし、明かりもつかないよ!」
私は pocket(ポケット)からスマートフォンを取り出し、画面をタップした。だが、虚しくも『バッテリー残量 1%』の表示が出た直後、画面は真っ暗になってしまった。
「あうっ……スマホの充電が切れちゃった……!」
「俺のスマホは教室のロッカーの中だ。放課後の部活準備で置いてきたからな」
桐谷がため息をつきながら、ポケットから小さな鍵用のLEDミニライトを取り出した。
シュッと小さな白い光が灯り、暗闇の家庭科室をぼんやりと照らし出す。
「よし、これで少しは視界が確保できた。……冴島、落ちつけ。焦っても空気と時間が減るだけだ。学年一の秀才である俺が一緒にいるんだから、絶望するには早すぎる」
「く~っ! こんな状況でも相変わらず自己評価が高くてムカつく!」
私がキーキー言うと、桐谷はミニライトの光の向こうで、フッと優しい笑みを浮かべた。
「事実だろ。それに……お前もいる」
「え……?」
「お前のその無駄に詳しいお菓子の知識と観察力は、伊達じゃないからな。ふたりで知恵を絞れば、脱出も謎解きも絶対できる」
普段は意地悪ばかり言うライバルに、真っ直ぐな目でそんなことを言われてしまうと、胸の奥がギュッと甘く締め付けられる。
(な、なにそれ……! 急に素直に褒めたりしないでよ、調子狂うじゃん……!)
「コホン! 当たり前じゃない! 私を誰だと思ってるのよ!」
私は照れくささを隠すように胸を張り、部屋の中を見回した。
「でも桐谷、犯人はなんで私たちを閉じ込めたのかな? 単なるイタズラ?」
「いや、違うな。犯人は俺たちがメッセージカードの暗号を解き明かし始めたのに気づいて、邪魔をしに来たんだ。……ということは、だ」
桐谷のクールな瞳が、キリッと光る。
「『秘伝のゴールド・レシピブック』か、あるいは次の手がかりが、まだこの部屋の中に残されている可能性が高い」
「なるほど! 犯人はそれがバレる前に、私たちを足止めしたかったんだね!」
私たちはもう一度、犯人が残したメッセージカードの言葉を反芻した。
『甘い魔法はレモンのしずく。青い紅茶がピンクに変わるとき、お菓子の鍵は太陽の輝く場所へ』
前半の「青い紅茶がピンクに変わる」は、バタフライピー(ハーブティー)の呈色反応のことだと見破った。
問題は後半だ。
「『お菓子の鍵は太陽の輝く場所へ』……太陽の輝く場所って、どこだろう?」
桐谷がミニライトの光を窓辺に向けた。
「太陽……西日の当たる窓際か? だが、この特別家庭科室は校舎の北側にある。昼間でも太陽の光が直接差し込むことはないぞ」
「うん。つまり、実際の『お日様』のことじゃないってことだよね。お菓子や調理に関する言葉遊びか、雑学の隠語のはず!」
(私の得意分野! 桐谷なんかに負けていられない……知識を総動員するのよ、冴島詩織!)
私は頭の中で、「お菓子」「調理器具」「太陽」というキーワードを高速で検索し始めた。
ひまわり油(サンフラワーオイル)? 太陽の塩? サンシャインゼリー?
どれもしっくりこない。もっと家庭科室の中に実在して、お菓子の鍵を隠せるような場所……。
「……あ!!」
閃きが、私の頭の中を駆け抜けた。
「分かったわ、桐谷! オーブンよ! 製菓用の大型オーブンのこと!」
「オーブン……? どうしてそれが『太陽』なんだ?」
桐谷が不思議そうに首を傾げる。私は自信満々に指を一本立てて説明を始めた。
「昔のフランスのお菓子職人たちの間では、パンやケーキをふっくら膨らませて命を吹き込む熱源……つまりオーブンのことを『小さな太陽(ル・ソレイユ)』って呼んでいたの! それにね、この部屋にあるレトロな業務用の大型オーブンを見て!」
私はミニライトの光を部屋の奥にある重厚なステンレス製のオーブンへと誘導した。
その操作パネルのダイヤル部分を指さす。
「ほら! 予熱(ハイパワー)モードのマークが、可愛い『太陽のイラスト』になってるでしょ!」
「……本当だ」
桐谷が目を見開き、感心したように私を見つめた。
「フランスの製菓史の雑学に、家電のマークまで網羅してるのか。……やっぱりお前、ただの食いしん坊じゃないんだな」
「ちょっと! 一言余計よ!」
文句を言いながらも、私たちは急いで大型オーブンの前に駆け寄った。
桐谷が慎重に手袋をはめ、ずっしりと重いオーブンの扉をゆっくりと手前に引く。
ギギ……と低い音を立てて開いたオーブンの中。
焼き網の上に、ポツンと何かが置かれていた。
「これって……!」
ミニライトの光が照らし出したのは、キラキラと宝石のように輝く金属製の缶――『特製キャンディボックス』だった!
「やったわ! 消えた宝物のひとつ、キャンディボックスを見つけたよ!」
私は思わず飛び上がって喜び、桐谷の腕に抱きつきそうになって慌てて踏みとどまった。
桐谷は苦笑しながらキャンディボックスを引っ張り出す。
しかし、ボックスの正面には小さな3桁のダイヤル鍵がかかっていた。
さらに、ボックスの横には、手のひらサイズの「シリコン製スパチュラ(ゴムベラ)」と、一巻の「クッキングシート」が添えられていた。
「ダイヤル鍵か。……だが、どうしてこんなところにスパチュラとクッキングシートが置いてあるんだ? 犯人の忘れ物か?」
桐谷が首を傾げる。
だが、私はそのアイテムを見た瞬間、別の可能性に気づいて目を輝かせた。
「ううん、違うわ桐谷! 犯人の忘れ物じゃない……これは、この閉じ込められた部屋から脱出するための『道具』だよ!」
「お菓子作りの道具で、鍵のかかった扉を開けろっていうのか? そんなこと可能なのか?」
「フフン、できるのよ! お菓子作りの科学(雑学)を使えばね!」
私は腕をまくり上げ、扉の方へと向き直った。
「桐谷、この家庭科室の扉って、横にスライドさせる『引き戸』で、フック式の鎌錠(かまじょう)がかかってるでしょ? 外から鍵をかけられたとしても、扉の隙間にわずかなガタつきがあるの」
「ああ、確かに少し隙間はあるな。だが、カードや定規を差し込んでも、摩擦で引っかかってロックは外れないぞ」
「だからこそ、この『クッキングシート』なの!」
私は胸を張って、ドヤ顔で解説を開始した。
「クッキングシートの表面には『シリコーン加工』がされていて、ものすごく摩擦係数が低くてツルツルしているの! さらに、調理台にあるサラダ油をシートの表面に少し塗ると、驚くほど滑りが良くなるんだよ!」
「なるほど……! つまり、ツルツルのシートを扉の隙間に滑り込ませて、外側の鍵のフックを押し戻すわけか!」
「正解! 桐谷は扉を少し浮かせるように固定して! 押し込むのは私がやるから!」
「了解だ」
桐谷が私の指示に従い、力強い腕でドアの取っ手をぐっと持ち上げる。
そのすぐ横で、私は油を少量馴染ませたクッキングシートを、細い隙間へと慎重に差し込んでいった。
二人の距離が再びゼロになる。
桐谷の息遣いが私の耳元に届き、彼の上着から漂う良い香りが鼻腔をくすぐる。
(くっ……集中しなきゃダメなのに、桐谷の顔が近すぎて手が震えそう……!)
「落ち着け、冴島。お前ならできる。俺がしっかり支えてるから」
桐谷が私の手元を包み込むように、そっと手を添えてくれた。
カサッと重なる大きな手が温かくて、不思議と震えがピタリと止まる。
(……もう、ずるいよ。いつもはナマイキなのに、なんでこんな時にだけ世界一頼もしくなるのよ……!)
「いくよ……えいっ!」
スルスルッ――!
シリコーン加工されたシートが、摩擦ゼロの滑らかさで扉の隙間をすり抜け、鍵の金属フックを滑るように押し上げた。
ガチャリ!!
「あ……開いた!!」
カチリと心地よい音が響き、重かった引き戸がスーッと横に滑り開いた。
廊下の薄暗い街灯の光が、家庭科室の中に差し込んでくる。
「やったー! 脱出成功!!」
私は思わず桐谷に向かって両手を突き出した。
すると桐谷は一瞬目を見開いた後、ニッと眩しい笑顔を浮かべて、私の両手にパーンッと力強いハイタッチを返してくれた。
パンッ! と気持ちのいい音が廊下に響く。
「すごいな、冴島! 本当に脱出しちゃったよ」
「見たか桐谷翔! 私のお菓子雑学の力を思い知ったでしょ!」
「ああ、認めるよ。……お前、本当にすごい」
ストレートに褒められて、私の顔は一瞬でリンゴみたいに真っ赤になった。
手と手が触れ合った場所が、なんだか火傷しそうなくらい熱い。
「な、なに言ってるのよ、バカ! さ、さっさとキャンディボックスの謎を解いて、本命の『ゴールド・レシピブック』を探すわよ!」
私は照れ隠しにプイッと横を向き、手に入れたキャンディボックスを抱え直した。
だがその時、キャンディボックスの底から、一枚の折りたたまれた小さなメモ用紙がハラリと床に落ちた。
桐谷がそれを拾い上げ、ミニライトで照らし出す。
そこに書かれていたのは、犯人からの次なる挑戦状――そして、学校全体を巻き込む『巨大な事件』の始まりを告げるメッセージだった。
『甘い罠はまだ終わらない。明日の朝までにレシピを解読しなければ、フェスの限定スイーツはすべて“毒薬”に変わるだろう』
「な……なんですって!?“毒薬”って……どういうこと!?」
絶叫する私の横で、桐谷は険しい表情でメッセージを睨みつけていた。
放課後の校舎に刻一刻と迫るタイムリミット。
甘くて危険な私たちの「ナゾトキ同盟」は、さらに深い謎の中へと足を踏み入れていくことになった――!
室内は一瞬にして深い闇に包まれる。
(嘘……本当に閉じ込められちゃったの!?)
思わず悲鳴を上げそうになった私の口を、温かい大きな手がそっと塞いだ。
「――静かに。声を出すな、冴島」
耳元で、桐谷の低くて落ち着いた声が囁く。
背中から包み込まれるような姿勢になり、桐谷の胸の鼓動が、トントンと私の背中にダイレクトに伝わってきた。
柑橘系の少しスーッとする彼の香りと、男の子らしい体温が至近距離から押し寄せてきて、頭がクラクラしそうになる。
(ちょっと待って……! 暗闇なのも怖いけど、桐谷との距離が近すぎるほうが何倍も心臓に悪いんだけど……!?)
パタパタと、廊下を急ぎ足で去っていく足音が遠ざかっていった。
完全に音が聞こえなくなったのを確認して、桐谷がゆっくりと私の口から手を離す。
「ふう……行ったみたいだな。怪我はないか?」
「う、うん。大丈夫だけど……って、手! まだ私の手をつかんだままだよ!」
私が慌てて手を払うと、桐谷は暗闇の中でくすりと小さく笑った。
「悪かったよ。お前がパニックになって暴れるかと思ったからな」
「暴れないわよ! それより、どうするの!? 扉は完全にロックされちゃったし、明かりもつかないよ!」
私は pocket(ポケット)からスマートフォンを取り出し、画面をタップした。だが、虚しくも『バッテリー残量 1%』の表示が出た直後、画面は真っ暗になってしまった。
「あうっ……スマホの充電が切れちゃった……!」
「俺のスマホは教室のロッカーの中だ。放課後の部活準備で置いてきたからな」
桐谷がため息をつきながら、ポケットから小さな鍵用のLEDミニライトを取り出した。
シュッと小さな白い光が灯り、暗闇の家庭科室をぼんやりと照らし出す。
「よし、これで少しは視界が確保できた。……冴島、落ちつけ。焦っても空気と時間が減るだけだ。学年一の秀才である俺が一緒にいるんだから、絶望するには早すぎる」
「く~っ! こんな状況でも相変わらず自己評価が高くてムカつく!」
私がキーキー言うと、桐谷はミニライトの光の向こうで、フッと優しい笑みを浮かべた。
「事実だろ。それに……お前もいる」
「え……?」
「お前のその無駄に詳しいお菓子の知識と観察力は、伊達じゃないからな。ふたりで知恵を絞れば、脱出も謎解きも絶対できる」
普段は意地悪ばかり言うライバルに、真っ直ぐな目でそんなことを言われてしまうと、胸の奥がギュッと甘く締め付けられる。
(な、なにそれ……! 急に素直に褒めたりしないでよ、調子狂うじゃん……!)
「コホン! 当たり前じゃない! 私を誰だと思ってるのよ!」
私は照れくささを隠すように胸を張り、部屋の中を見回した。
「でも桐谷、犯人はなんで私たちを閉じ込めたのかな? 単なるイタズラ?」
「いや、違うな。犯人は俺たちがメッセージカードの暗号を解き明かし始めたのに気づいて、邪魔をしに来たんだ。……ということは、だ」
桐谷のクールな瞳が、キリッと光る。
「『秘伝のゴールド・レシピブック』か、あるいは次の手がかりが、まだこの部屋の中に残されている可能性が高い」
「なるほど! 犯人はそれがバレる前に、私たちを足止めしたかったんだね!」
私たちはもう一度、犯人が残したメッセージカードの言葉を反芻した。
『甘い魔法はレモンのしずく。青い紅茶がピンクに変わるとき、お菓子の鍵は太陽の輝く場所へ』
前半の「青い紅茶がピンクに変わる」は、バタフライピー(ハーブティー)の呈色反応のことだと見破った。
問題は後半だ。
「『お菓子の鍵は太陽の輝く場所へ』……太陽の輝く場所って、どこだろう?」
桐谷がミニライトの光を窓辺に向けた。
「太陽……西日の当たる窓際か? だが、この特別家庭科室は校舎の北側にある。昼間でも太陽の光が直接差し込むことはないぞ」
「うん。つまり、実際の『お日様』のことじゃないってことだよね。お菓子や調理に関する言葉遊びか、雑学の隠語のはず!」
(私の得意分野! 桐谷なんかに負けていられない……知識を総動員するのよ、冴島詩織!)
私は頭の中で、「お菓子」「調理器具」「太陽」というキーワードを高速で検索し始めた。
ひまわり油(サンフラワーオイル)? 太陽の塩? サンシャインゼリー?
どれもしっくりこない。もっと家庭科室の中に実在して、お菓子の鍵を隠せるような場所……。
「……あ!!」
閃きが、私の頭の中を駆け抜けた。
「分かったわ、桐谷! オーブンよ! 製菓用の大型オーブンのこと!」
「オーブン……? どうしてそれが『太陽』なんだ?」
桐谷が不思議そうに首を傾げる。私は自信満々に指を一本立てて説明を始めた。
「昔のフランスのお菓子職人たちの間では、パンやケーキをふっくら膨らませて命を吹き込む熱源……つまりオーブンのことを『小さな太陽(ル・ソレイユ)』って呼んでいたの! それにね、この部屋にあるレトロな業務用の大型オーブンを見て!」
私はミニライトの光を部屋の奥にある重厚なステンレス製のオーブンへと誘導した。
その操作パネルのダイヤル部分を指さす。
「ほら! 予熱(ハイパワー)モードのマークが、可愛い『太陽のイラスト』になってるでしょ!」
「……本当だ」
桐谷が目を見開き、感心したように私を見つめた。
「フランスの製菓史の雑学に、家電のマークまで網羅してるのか。……やっぱりお前、ただの食いしん坊じゃないんだな」
「ちょっと! 一言余計よ!」
文句を言いながらも、私たちは急いで大型オーブンの前に駆け寄った。
桐谷が慎重に手袋をはめ、ずっしりと重いオーブンの扉をゆっくりと手前に引く。
ギギ……と低い音を立てて開いたオーブンの中。
焼き網の上に、ポツンと何かが置かれていた。
「これって……!」
ミニライトの光が照らし出したのは、キラキラと宝石のように輝く金属製の缶――『特製キャンディボックス』だった!
「やったわ! 消えた宝物のひとつ、キャンディボックスを見つけたよ!」
私は思わず飛び上がって喜び、桐谷の腕に抱きつきそうになって慌てて踏みとどまった。
桐谷は苦笑しながらキャンディボックスを引っ張り出す。
しかし、ボックスの正面には小さな3桁のダイヤル鍵がかかっていた。
さらに、ボックスの横には、手のひらサイズの「シリコン製スパチュラ(ゴムベラ)」と、一巻の「クッキングシート」が添えられていた。
「ダイヤル鍵か。……だが、どうしてこんなところにスパチュラとクッキングシートが置いてあるんだ? 犯人の忘れ物か?」
桐谷が首を傾げる。
だが、私はそのアイテムを見た瞬間、別の可能性に気づいて目を輝かせた。
「ううん、違うわ桐谷! 犯人の忘れ物じゃない……これは、この閉じ込められた部屋から脱出するための『道具』だよ!」
「お菓子作りの道具で、鍵のかかった扉を開けろっていうのか? そんなこと可能なのか?」
「フフン、できるのよ! お菓子作りの科学(雑学)を使えばね!」
私は腕をまくり上げ、扉の方へと向き直った。
「桐谷、この家庭科室の扉って、横にスライドさせる『引き戸』で、フック式の鎌錠(かまじょう)がかかってるでしょ? 外から鍵をかけられたとしても、扉の隙間にわずかなガタつきがあるの」
「ああ、確かに少し隙間はあるな。だが、カードや定規を差し込んでも、摩擦で引っかかってロックは外れないぞ」
「だからこそ、この『クッキングシート』なの!」
私は胸を張って、ドヤ顔で解説を開始した。
「クッキングシートの表面には『シリコーン加工』がされていて、ものすごく摩擦係数が低くてツルツルしているの! さらに、調理台にあるサラダ油をシートの表面に少し塗ると、驚くほど滑りが良くなるんだよ!」
「なるほど……! つまり、ツルツルのシートを扉の隙間に滑り込ませて、外側の鍵のフックを押し戻すわけか!」
「正解! 桐谷は扉を少し浮かせるように固定して! 押し込むのは私がやるから!」
「了解だ」
桐谷が私の指示に従い、力強い腕でドアの取っ手をぐっと持ち上げる。
そのすぐ横で、私は油を少量馴染ませたクッキングシートを、細い隙間へと慎重に差し込んでいった。
二人の距離が再びゼロになる。
桐谷の息遣いが私の耳元に届き、彼の上着から漂う良い香りが鼻腔をくすぐる。
(くっ……集中しなきゃダメなのに、桐谷の顔が近すぎて手が震えそう……!)
「落ち着け、冴島。お前ならできる。俺がしっかり支えてるから」
桐谷が私の手元を包み込むように、そっと手を添えてくれた。
カサッと重なる大きな手が温かくて、不思議と震えがピタリと止まる。
(……もう、ずるいよ。いつもはナマイキなのに、なんでこんな時にだけ世界一頼もしくなるのよ……!)
「いくよ……えいっ!」
スルスルッ――!
シリコーン加工されたシートが、摩擦ゼロの滑らかさで扉の隙間をすり抜け、鍵の金属フックを滑るように押し上げた。
ガチャリ!!
「あ……開いた!!」
カチリと心地よい音が響き、重かった引き戸がスーッと横に滑り開いた。
廊下の薄暗い街灯の光が、家庭科室の中に差し込んでくる。
「やったー! 脱出成功!!」
私は思わず桐谷に向かって両手を突き出した。
すると桐谷は一瞬目を見開いた後、ニッと眩しい笑顔を浮かべて、私の両手にパーンッと力強いハイタッチを返してくれた。
パンッ! と気持ちのいい音が廊下に響く。
「すごいな、冴島! 本当に脱出しちゃったよ」
「見たか桐谷翔! 私のお菓子雑学の力を思い知ったでしょ!」
「ああ、認めるよ。……お前、本当にすごい」
ストレートに褒められて、私の顔は一瞬でリンゴみたいに真っ赤になった。
手と手が触れ合った場所が、なんだか火傷しそうなくらい熱い。
「な、なに言ってるのよ、バカ! さ、さっさとキャンディボックスの謎を解いて、本命の『ゴールド・レシピブック』を探すわよ!」
私は照れ隠しにプイッと横を向き、手に入れたキャンディボックスを抱え直した。
だがその時、キャンディボックスの底から、一枚の折りたたまれた小さなメモ用紙がハラリと床に落ちた。
桐谷がそれを拾い上げ、ミニライトで照らし出す。
そこに書かれていたのは、犯人からの次なる挑戦状――そして、学校全体を巻き込む『巨大な事件』の始まりを告げるメッセージだった。
『甘い罠はまだ終わらない。明日の朝までにレシピを解読しなければ、フェスの限定スイーツはすべて“毒薬”に変わるだろう』
「な……なんですって!?“毒薬”って……どういうこと!?」
絶叫する私の横で、桐谷は険しい表情でメッセージを睨みつけていた。
放課後の校舎に刻一刻と迫るタイムリミット。
甘くて危険な私たちの「ナゾトキ同盟」は、さらに深い謎の中へと足を踏み入れていくことになった――!


