さよならを繰り返す100回目の放課後

駅前の交差点で最初の残滓を回収し、記憶を取り戻したわたし達の戦いは、それから怒涛のように続いていった。

クオンの示す羅針盤の指針に従い、わたしと律は夜の街を駆け抜けた。

二つ目の残滓は、かつて102回のやり直しの中で崩落事故が起きた「風車公園の資材置き場」だった。
そこに渦巻いていたのは、暗闇の中で押し潰されそうになった時の冷たい恐怖と、互いを庇い合おうとした痛々しいまでの自己犠牲の記憶だった。

『……俺の代わりに……生きろ……っ!』

幻影の中で吐血しながら微笑む律の姿に、わたしは涙を流しながら叫んだ。

『嫌だ! 一緒に生きるんだよ!!』

二人で握りしめた銀色の羅針盤が眩い光を放ち、資材の幻影ごと黒い旋風を打ち砕いた。

三つ目の残滓は、炎に包まれた「学校の旧図書室」。
熱風と煙が巻き起こる領域の中で、わたし達は互いの手を固く繋ぎ直し、過去の炎を愛の温もりで塗り替えるようにして残滓を消滅させた。

四つ目の残滓は、冷たい雨が降りしきる「駅裏の歩道橋」。

一つ、また一つと残滓を回収するたびに、胸の奥に眠っていた102回分の思い出が、途切れていたパズルのピースのようにカチリ、カチリと組み合わさっていく。
そこには悲しみや恐怖だけでなく、ふたりで放課後に交わした些細な会話や、お互いを想って流した愛おしい涙の記憶もすべて詰まっていた。

「……残るは、あと一つね」

夜の十一時。
静まり返った校門の前で、クオンが足を止めた。

銀色の髪が、夜風に揺れている。彼女の手の中にある水晶体のような時計は、校庭の奥——暗闇に浮かぶグラウンドの方角を指して、激しく、不気味な赤い光を点滅させていた。

「この校門の先が、最後の現場……102回目の決着の地よ」

クオンの言葉に、わたしと律は同時に生唾を呑み込んだ。

昼間は生徒たちの歓声が響く学校も、夜の静寂の中ではまるで巨大な怪物の死骸のように暗く静まり返っている。
校門をくぐり、校舎の脇を抜けてグラウンドへと足を踏み入れる。

「っ……!!」

グラウンドの中央へ近づくにつれ、肌を刺すような刺すような圧迫感が強まっていった。

そこには、今まで回収してきたどの残滓とも比べものにならないほど巨大な「異常」が存在していた。

グラウンドの中央。かつて四本の巨大な照明塔が倒れ込み、奇跡的に頭上で噛み合ってドームを作った、あの運命の交差点。
その上空の空間が、まるで黒い太陽のように丸く歪み、空間そのものがミリミリと音を立てて裂けていたのだ。

黒い渦の中からは、落雷のような紫色の放電が迸り、グラウンドの黒土を焦がしている。

「これが……102回目の『歪み』の正体……!」

律が叫び、わたしを庇うように前に立った。

「ええ」とクオンが苦々しい表情で頷く。

「あなたたちが102回目の最後の最後で『時間のルール』を力尽くで破壊したことで生じた、最大の因果の亀裂……。ここには、102回分すべての絶望と、時間を捻じ曲げられた『世界そのものの怒り』が凝縮されているわ」

黒い渦が、グワリと生き物のように蠢いた。

『……モドレ……モドレ……』

渦の奥底から、無数の人間の叫びを重ね合わせたような、不気味な重低音が響いてきた。

『……10月15日へモドレ……死すべき者たちよ……命の収支を合わせよ……!』

ドゴォォォォォンッ!!

凄まじい衝撃波がグラウンドを駆け抜け、わたし達の身体を吹き飛ばそうと襲いかかってきた。

「くっ……! 紬、俺から離れるな!!」

律がわたしの腰を抱き寄せ、踏ん張って耐える。
足元の黒土が激しく削れ、巻き上げられた砂塵が視界を奪う。

黒い渦の中から、ゆらりと現れたのは——四本の巨大な「漆黒の照明塔」の幻影だった。

それは、102回目のあの日、わたし達を押し潰そうとした鋼鉄の悪夢そのものだった。
だが、あの時の鉄塔とは違う。黒い残滓で形成されたその柱には、無数の時計の文字盤が埋め込まれ、すべての針が狂ったように逆回転していた。

『二人で生きる明日など許されない……どちらか片方が死ぬか、二人とも時間の狭間へ沈むのだ……!』

四本の漆黒の鉄塔が、ギギギ……と不気味な金属音を立てて、わたし達の頭上へと傾き始めた。

逃げ場のない、あの絶対的な恐怖の再来。

「させるかあぁぁぁぁっ!!」

律が叫び、両手で銀色の羅針盤を掲げた。

「俺たちはもう逃げない! 102回のやり直しも、記憶の喪失も……全部越えてここまで来たんだ! たかが世界のルール気取りの影に、俺たちの未来を渡してたまるか!!」

律の羅針盤から、眩い白銀の光線が放たれ、迫り来る鉄塔の幻影を受け止めた。

バチバチバチバチッ!!

空間が激しく軋み、火花が夜空を焦がす。
だが、今回の残滓はあまりにも巨大だった。

『……甘い……!』

黒い渦がさらに大きく広がり、律の放った光線を押し返し始めた。
律の足がズズズ……と後方へ滑り、彼の腕が激しく震え始める。

「ぐっ……あぁぁぁっ!?」

律の顔が苦痛に歪み、彼の身体から黒い霧のようなものが吹き出し始めた。
残滓が、律の心の中に残る「102回分の死の恐怖」を直接攻撃しているのだ。

「律……! 律っ!!」

「来……来るな……紬……っ! この残滓は……重すぎる……! お前まで……呑み込まれる……っ!」

律が歯を食いしばり、血の滲むような声を絞り出す。
彼のかけている圧力が、限界を超えようとしていた。羅針盤の表面に、メキメキと亀裂が入り始める。

このままでは、律の魂が過去の絶望に押し潰されてしまう。

(嫌……! 絶対に嫌!!)

わたしは胸に手を当てた。

102回もの間、律はたった一人でこの重圧と戦い続けてきたのだ。
わたしを死なせないために。わたしに笑顔で明日を迎えてもらうために。血を吐くような思いで、一人で時計を巻き戻し続けてくれたのだ。

今度は、わたしが彼を支える番だ。

「律ーーーーーっ!!」

わたしは叫び、律の背中に飛びついた。

後ろから彼の身体を強く抱きしめ、重ね合わせた手と手で、二人で一つの羅針盤を握りしめた。

「つ……むぎ……!?」

「逃げないって言ったでしょ!? 二人で手をつないで乗り越えるって言ったでショ!?」

わたしは律の耳元で、涙を流しながら叫んだ。

「律がわたしを守ってくれた分……わたしが律の光になる! 102回の絶望なんて、二人で分け合えば半分になるんだよ!!」

「紬……っ!」

わたしは胸の奥底から、溢れ出るすべての想いを羅針盤へと注ぎ込んだ。

律と出会えた歓び。
放課後に二人で食べたパフェの甘さ。
手を繋いで渡った青信号の交差点。
二人で重ねてきた、かけがえのない「今日」の温もり。

(世界がなんと言おうと……わたし達の明日は、ここにある!!)

ジジジジジジッ……バチィィィィィンッ!!

ふたりの手が重なった瞬間、銀色の羅針盤から、あの日と同じ——ううん、あの日を遥かに超える、圧倒的な黄金色の光が爆発した。

それは、102回の絶望という暗闇を余すことなく照らし出す、希望の太陽の光だった。

「おおおぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

律が歓喜の叫びを上げ、黄金の光を四本の漆黒の鉄塔へと叩きつけた。

ズドォォォォォォォンッ!!!!

地響きとともに、グラウンド全体が眩い光で満たされた。

黒い残滓でできた四本の鉄塔が、黄金の光に包まれ、まるで氷が熱湯に溶けるように消滅していく。
上空の黒い渦が、悲鳴のような音を立てて小さくなり、ついに中心から弾けて消え去った。

空から、キラキラと輝く光の粒子が降ってくる。

それは、102回分のやり直しの中で置き去りにされてきた、わたし達の悲しみと未練が、綺麗に浄化された証だった。

「……勝った……」

律が掠れた声で呟き、膝から崩れ落ちそうになった。

わたしは慌てて彼の身体を支え、二人で一緒にグラウンドの黒土の上に腰を落とした。

しんと静まり返った夜の学校。
上空を見上げると、いつの間にか雲が晴れ、満天の星空が広がっていた。

不気味な黒い渦も、激しい雷鳴も、もうどこにもない。
ただ、静かで、美しい秋の夜がそこにあるだけだった。

「……見事ね。二人とも」

足音が近づき、クオンがわたし達の前に立った。

彼女の手の中にある水晶体の時計は、澄み切った青い光を放ち、静かに時を刻んでいた。

「街に漂っていたすべての『時間の残滓』は完全に浄化されたわ。……これで、あなたたちの引き起こした因果の歪みは、完全に消滅した」

クオンは二人に向かって、深々と頭を下げた。

「あなたたちの強い意志と絆が、この街の未来を救ったのよ。……ありがとう、時の航海者たち」

「クオン……」

わたしが立ち上がると、クオンは優しく微笑み、風にその銀色の髪をなびかせた。

「私の役目はこれで終わり。……私は次の『時を迷う者』を探して、別の時間へと旅立つわ」

「旅立つって……もう会えないの?」

律が尋ねると、クオンは首を横に振った。

「時間は、果てしない海のようなもの。あなたたちが『明日』を諦めない限り……いつかまた、時間のどこかで巡り会えるかもしれないわ」

クオンの身体が、ゆっくりと淡い光の粒子となって透けていき始めた。

「さようなら、藤代律、桐生紬。……あなたたちの紡ぐ『明日』が、輝かしいものでありますように」

「ありがとう、クオン! さようなら!!」

わたし達が手を振る中、クオンは最後に晴れやかな笑顔を残し、夜風の中に溶けるように消えていった。

◇

キーンコーンカーンコーン……。

眩しい朝の光とともに、街に朝のチャイムが響き渡った。

【10月17日(土) 8:00 AM】

カレンダーの数字は、間違いなく「10月17日」を指していた。
10月15日でも、10月16日でもない。わたし達が一度も見たことのなかった、完全なる『新しい週末』の始まりだった。

青く澄み渡った秋の空。
通りを抜ける風は冷たいけれど、差し込む朝日はどこまでも温かい。

「おーい、紬! 遅れるぞー!」

通学路の先で、スクールバッグを肩にかけた律が、振り返ってわたしを呼んでいた。

「あ、待ってよ律!」

わたしは駆け出し、彼のとなりに並んだ。

繋いだ手のひらから伝わってくる、確かな熱と温もり。
頭の中には、102回の苦しい思い出も、そして二人で勝ち取った最高の笑顔も、すべて鮮明に残っている。

もう、何も怖くない。
どんな未来が襲ってこようと、どんな試練が立ちふさがろうと——わたし達は二人で手をつなぎ、どこまでも歩んでいけるのだから。

「ねえ、律。今日の部活が終わったら、またあのカフェ行こうよ」

「……だから俺は甘いもん嫌いだって言ったろ」

「えー、でもパフェ美味しいよ?」

「……フン。お前が一口くれるなら……考えてやってもいいけどな」

照れくさそうに耳を赤くする律を見て、わたしは心からの笑顔を弾けさせた。

ふたりの時計は、もう二度と巻き戻らない。
どこまでも続く青空の下、わたし達の「本当の物語」が、今、ここから始まっていく。