ピピピピ、ピピピピ……。
聞き慣れたアラームの電子音が、静かな部屋に響き渡っていた。
「……ん……」
まぶたをゆっくりと開けると、隙間から差し込んできた眩しい光が視界を白く染めた。
窓枠から落ちる朝日は、柔らかな金色をしている。カーテンが秋の爽やかな風を受けて、ゆっくりと膨らんでいた。
わたしはベッドの上で身体を起こし、ぼんぼりと天井を見つめた。
頭が重い。まるで、長い長い、果てしない夢を見ていたかのような感覚。胸の奥が、締め付けられるように熱く痛んだ。
ふと、机の上のデジタル時計に目が留まる。
【10月16日(金) 7:00 AM】
「……あっ……」
声が漏れた。
10月16日。
カレンダーの数字を見つめた瞬間、目頭が熱くなり、頬を伝ってポロポロと大きな涙がこぼれ落ちた。
(なんで……? なんでわたし、泣いてるんだろう……)
理由が分からなかった。
事故も起きていない。部屋も平和で、外からは鳥のさえずりと、新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。完璧で、穏やかな朝だ。
それなのに、胸の中にはぽっかりと巨大な穴が空いたような、取り返しのつかない大切なものを失ってしまったかのような、耐えがたい喪失感が広がっていた。
ふと視線を落とした机の片隅。
そこには、小さな丸いホコリの痕だけがぽつんと残されていた。
そこにあったはずの「何か」——古びた真鍮の重み。それがあった場所を撫でてみるけれど、指先には冷たい木の感触しか返ってこない。
(……なんだったっけ。わたし、なにか大事なものを……そこに置いてなかったっけ……?)
思い出しようとすると、頭の奥で激しい痛みが走る。
何かが、綺麗に消し去られていた。
わたしは涙を袖で拭うと、制服に着替え、スクールバッグを抱えて部屋を出た。
◇
外の空気は、澄み切っていて驚くほど心地よかった。
通学路を歩く足取りは、どこかふわふわとしていて現実味がない。
いつも通る駅前の大きな交差点。
信号が青に変わり、歩行者たちが一斉に渡り始める。トラックは何事もなく横を通り過ぎ、信号待ちの高校生たちが笑い合いながら通り抜けていく。
血の匂いも、悲鳴も、割れるガラスの音もない。
世界のどこにも、死の気配なんて存在しなかった。
(10月15日は……終わったんだ)
そう自覚した瞬間、安堵の溜息が出た。
けれど、右手のひらが、妙に寒かった。
指を握りしめてみる。まるで、ついさっきまで誰かの温かい手を、骨が折れるほどの強い力で握りしめていたかのような、強烈な記憶の感触が皮膚に残っていた。
(誰の手……? わたし、誰と一緒にいたの……?)
思い出せない。
顔も、声も、名前も。
ただ、「その人」が命がけでわたしを守ってくれたということ。わたしもまた、その人のために自分のすべてを差し出したということ。その温もりだけが、理由のない涙となって次から次へと溢れ出してくるのだった。
校門をくぐり、昇降口で靴を履き替える。
下駄箱の周囲では、クラスメイトたちが楽しそうに雑談を交わしていた。
「ねえ、今週末の土曜日さ、駅前にできた新しいカフェ行かない?」
「いいね、行こう! テスト勉強も終わったし!」
未来の話。
明日や、明後日の話。
誰もが当たり前のように「明日」が来ることを信じて、笑い合っている。
その光景が、たまらなく愛おしく、そしてどこか眩しかった。
わたしは二段目の階段を上り、2年B組の教室のドアを開けた。
ガラガラ……。
朝日が差し込む教室。
黒板には、昨日の放課後に書かれた連絡事項がそのまま残っている。
わたしは窓際の自分の席へ歩き、カバンを机の横にかけた。
その時だった。
ガラガラ、と後方のドアが開いた。
「おはようー」
「おう、おはよう」
気のない挨拶を交わしながら、一人の男子生徒が教室に入ってきた。
少し癖のある黒髪。補強されたスクールバッグを肩にかけ、眠たそうに茶色い瞳をこすりながら歩いてくる。
ドクンッ……!!
心臓が、痛いほどの音を立てて跳ね上がった。
全身の血が逆流するような、強烈な衝撃。
息が止まり、視界がその男の子一人だけに固定される。
(だ……誰……!?)
名前は出てこない。
名簿のどこに載っている生徒かも、今まで口をきいたことがあるのかどうかも、頭の記憶は完全に「空白」だった。
それなのに。
身体が、心が、魂が——彼を知っていた。
胸の奥が焼き尽くされそうなほど熱くなり、視界が涙で激しく滲んだ。わたしは必死で口を両手で覆い、込み上げてくる声にならない叫びを押し殺した。
(どうして……? なんでこんなに胸が痛いの……? なんで涙が止まらないの……!?)
彼——律は、わたしの方を見ようともせず、窓際の、わたしから二つ離れた席へと向かって歩いていく。
その横顔。少し不機嫌そうな眉間のシワ。引き締まった唇。
すべてが、わたしにとって「世界で一番大切なもの」だったはずなのに、頭の中の記憶の引き出しは、固く閉ざされたままビクともしない。
律は自分の席に腰を下ろすと、カバンから教科書を取り出し、退屈そうに窓の外の校庭を見つめ始めた。
その瞳は、どこか虚ろで、深い深い孤独を湛えているように見えた。
◇
一時間目の授業が始まっても、わたしはまったく集中できなかった。
黒板に走るチョークの音も、先生の解説も、すべて遠くの出来事のように聞き流していた。
視線が、どうしても斜め前の彼の背中に向かってしまう。
彼の背中。
細いけれど、どこか頼もしくて、真っ直ぐな背中。
見つめているだけで、喉の奥がキュッと絞めつけられる。
(話し掛けなきゃ……)
頭の中で、誰かの声がフレアのように閃いた。
『約束しろよ……! 絶対に、また俺に話しかけてくれ……!』
誰の声だか分からない。
けれど、それは確かに、わたしに遺された「最後の命題」だった。
キーンコーンカーンコーン……。
一時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
先生が教壇を降り、生徒たちが一斉に立ち上がってザワザワと動き始める。
律が、席を立った。
プリントの回収か、廊下の水道へ向かうのか、彼がわたしの席の横の通路を通ろうとする。
チャンスは、今しかなかった。
逃したら、もう二度と声をかけられない気がした。
時間のルールが、わたし達を完璧な「赤の他人」として固定してしまう前に。
わたしはガタッと音を立てて席を立ち、通路へと踏み出した。
「あっ……」
足がもつれ、持っていたシャープペンシルが手から滑り落ちた。
コロコロと転がったペンは、歩いてきた律の足元で止まる。
律がピタリと足を止めた。
彼は視線を落とし、足元のペンを見つめると、ゆっくりと腰を落としてそれを拾い上げた。
「……これ、落ちたぞ」
低くて、少し掠れた声。
彼が拾ったペンをわたしに差し出し、ゆっくりと顔を上げた。
視線が、正面からぶつかり合った。
「……っ!?」
その瞬間、律の茶色い瞳が大きく見開かれた。
彼の手が、空中でピタリと止まる。
世界から、音が消えた。
わたしと律の間で、目に見えない光の糸がバチバチと火花を散らしているようだった。
律の呼吸が荒くなり、彼の手から指先がかすかに震えているのが分かった。
「あ……」
律の口から、かすかな掠れ声が漏れた。
彼の瞳に、みるみるうちに困惑と、激しい動揺、そして溢れんばかりの涙が溜まっていく。
「な……んだ……これ……?」
律は左手を自分の胸に当て、苦しそうに顔を歪めた。
「なんで……胸が……こんなに痛いんだ……? お前……誰だ……? 俺……お前のこと、知らないはずなのに……っ」
律の目から、ぽろりと一筋の涙がこぼれ落ち、教室の床に静かに落ちた。
彼もまた、覚えていないのだ。
頭ではわたしの名前も、102回の絶望も、時計のことも何一つ思い出せない。
けれど、彼の心は、魂は——わたしを覚えていてくれた。わたしを忘れることの痛みを、ちゃんと覚えていてくれたのだ。
わたしは涙を拭い、ギュッと拳を握りしめた。
時空の狭間で交わした、あの最後の約束。
『忘れてたら……何回だって話しかけてあげるから!』
わたしは胸の痛みを押し殺し、涙でぐしゃぐしゃの顔で、人生で一番の笑顔を作った。
そして、彼に向かって一歩、踏み出した。
「はじめまして」
声が震えないように、心を込めて。
「わたし、桐生紬(きりゅう つむぎ)って言います。……あなたの名前、教えてくれませんか?」
律は言葉を失ったようにわたしを見つめ、それから濡れた目を手甲で乱暴に擦った。
「……律」
絞り出すような声で、彼は答えた。
「……藤代……律(ふじしろ りつ)、だ」
「律くん」
その名前を口にした瞬間、胸の中の巨大な穴が、少しだけ温かい光で満たされていくのが分かった。
「……ねえ、律くん。もしよかったら……今日の放課後、駅前にできた新しいカフェに行かない? 私、すごく大きいパフェが食べたくて」
律は呆然とわたしを見つめ、それから——涙を零しながら、フッと呆れたような、けれど世界で一番優しい苦笑いを浮かべた。
「……バカ言え。俺、甘いもん嫌いなんだよ」
その口調。その言葉。
(あ……!)
記憶の扉が、カチャンと小さな音を立てて解錠された気がした。
「でも」と律は続け、照れくさそうに耳を赤くしながら、わたしから目を逸らした。
「……お前が食うの見てるくらいなら……付き合ってやってもいいけど」
わたし達の新しい「今日」が、今、ここから始まろうとしていた。
聞き慣れたアラームの電子音が、静かな部屋に響き渡っていた。
「……ん……」
まぶたをゆっくりと開けると、隙間から差し込んできた眩しい光が視界を白く染めた。
窓枠から落ちる朝日は、柔らかな金色をしている。カーテンが秋の爽やかな風を受けて、ゆっくりと膨らんでいた。
わたしはベッドの上で身体を起こし、ぼんぼりと天井を見つめた。
頭が重い。まるで、長い長い、果てしない夢を見ていたかのような感覚。胸の奥が、締め付けられるように熱く痛んだ。
ふと、机の上のデジタル時計に目が留まる。
【10月16日(金) 7:00 AM】
「……あっ……」
声が漏れた。
10月16日。
カレンダーの数字を見つめた瞬間、目頭が熱くなり、頬を伝ってポロポロと大きな涙がこぼれ落ちた。
(なんで……? なんでわたし、泣いてるんだろう……)
理由が分からなかった。
事故も起きていない。部屋も平和で、外からは鳥のさえずりと、新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。完璧で、穏やかな朝だ。
それなのに、胸の中にはぽっかりと巨大な穴が空いたような、取り返しのつかない大切なものを失ってしまったかのような、耐えがたい喪失感が広がっていた。
ふと視線を落とした机の片隅。
そこには、小さな丸いホコリの痕だけがぽつんと残されていた。
そこにあったはずの「何か」——古びた真鍮の重み。それがあった場所を撫でてみるけれど、指先には冷たい木の感触しか返ってこない。
(……なんだったっけ。わたし、なにか大事なものを……そこに置いてなかったっけ……?)
思い出しようとすると、頭の奥で激しい痛みが走る。
何かが、綺麗に消し去られていた。
わたしは涙を袖で拭うと、制服に着替え、スクールバッグを抱えて部屋を出た。
◇
外の空気は、澄み切っていて驚くほど心地よかった。
通学路を歩く足取りは、どこかふわふわとしていて現実味がない。
いつも通る駅前の大きな交差点。
信号が青に変わり、歩行者たちが一斉に渡り始める。トラックは何事もなく横を通り過ぎ、信号待ちの高校生たちが笑い合いながら通り抜けていく。
血の匂いも、悲鳴も、割れるガラスの音もない。
世界のどこにも、死の気配なんて存在しなかった。
(10月15日は……終わったんだ)
そう自覚した瞬間、安堵の溜息が出た。
けれど、右手のひらが、妙に寒かった。
指を握りしめてみる。まるで、ついさっきまで誰かの温かい手を、骨が折れるほどの強い力で握りしめていたかのような、強烈な記憶の感触が皮膚に残っていた。
(誰の手……? わたし、誰と一緒にいたの……?)
思い出せない。
顔も、声も、名前も。
ただ、「その人」が命がけでわたしを守ってくれたということ。わたしもまた、その人のために自分のすべてを差し出したということ。その温もりだけが、理由のない涙となって次から次へと溢れ出してくるのだった。
校門をくぐり、昇降口で靴を履き替える。
下駄箱の周囲では、クラスメイトたちが楽しそうに雑談を交わしていた。
「ねえ、今週末の土曜日さ、駅前にできた新しいカフェ行かない?」
「いいね、行こう! テスト勉強も終わったし!」
未来の話。
明日や、明後日の話。
誰もが当たり前のように「明日」が来ることを信じて、笑い合っている。
その光景が、たまらなく愛おしく、そしてどこか眩しかった。
わたしは二段目の階段を上り、2年B組の教室のドアを開けた。
ガラガラ……。
朝日が差し込む教室。
黒板には、昨日の放課後に書かれた連絡事項がそのまま残っている。
わたしは窓際の自分の席へ歩き、カバンを机の横にかけた。
その時だった。
ガラガラ、と後方のドアが開いた。
「おはようー」
「おう、おはよう」
気のない挨拶を交わしながら、一人の男子生徒が教室に入ってきた。
少し癖のある黒髪。補強されたスクールバッグを肩にかけ、眠たそうに茶色い瞳をこすりながら歩いてくる。
ドクンッ……!!
心臓が、痛いほどの音を立てて跳ね上がった。
全身の血が逆流するような、強烈な衝撃。
息が止まり、視界がその男の子一人だけに固定される。
(だ……誰……!?)
名前は出てこない。
名簿のどこに載っている生徒かも、今まで口をきいたことがあるのかどうかも、頭の記憶は完全に「空白」だった。
それなのに。
身体が、心が、魂が——彼を知っていた。
胸の奥が焼き尽くされそうなほど熱くなり、視界が涙で激しく滲んだ。わたしは必死で口を両手で覆い、込み上げてくる声にならない叫びを押し殺した。
(どうして……? なんでこんなに胸が痛いの……? なんで涙が止まらないの……!?)
彼——律は、わたしの方を見ようともせず、窓際の、わたしから二つ離れた席へと向かって歩いていく。
その横顔。少し不機嫌そうな眉間のシワ。引き締まった唇。
すべてが、わたしにとって「世界で一番大切なもの」だったはずなのに、頭の中の記憶の引き出しは、固く閉ざされたままビクともしない。
律は自分の席に腰を下ろすと、カバンから教科書を取り出し、退屈そうに窓の外の校庭を見つめ始めた。
その瞳は、どこか虚ろで、深い深い孤独を湛えているように見えた。
◇
一時間目の授業が始まっても、わたしはまったく集中できなかった。
黒板に走るチョークの音も、先生の解説も、すべて遠くの出来事のように聞き流していた。
視線が、どうしても斜め前の彼の背中に向かってしまう。
彼の背中。
細いけれど、どこか頼もしくて、真っ直ぐな背中。
見つめているだけで、喉の奥がキュッと絞めつけられる。
(話し掛けなきゃ……)
頭の中で、誰かの声がフレアのように閃いた。
『約束しろよ……! 絶対に、また俺に話しかけてくれ……!』
誰の声だか分からない。
けれど、それは確かに、わたしに遺された「最後の命題」だった。
キーンコーンカーンコーン……。
一時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
先生が教壇を降り、生徒たちが一斉に立ち上がってザワザワと動き始める。
律が、席を立った。
プリントの回収か、廊下の水道へ向かうのか、彼がわたしの席の横の通路を通ろうとする。
チャンスは、今しかなかった。
逃したら、もう二度と声をかけられない気がした。
時間のルールが、わたし達を完璧な「赤の他人」として固定してしまう前に。
わたしはガタッと音を立てて席を立ち、通路へと踏み出した。
「あっ……」
足がもつれ、持っていたシャープペンシルが手から滑り落ちた。
コロコロと転がったペンは、歩いてきた律の足元で止まる。
律がピタリと足を止めた。
彼は視線を落とし、足元のペンを見つめると、ゆっくりと腰を落としてそれを拾い上げた。
「……これ、落ちたぞ」
低くて、少し掠れた声。
彼が拾ったペンをわたしに差し出し、ゆっくりと顔を上げた。
視線が、正面からぶつかり合った。
「……っ!?」
その瞬間、律の茶色い瞳が大きく見開かれた。
彼の手が、空中でピタリと止まる。
世界から、音が消えた。
わたしと律の間で、目に見えない光の糸がバチバチと火花を散らしているようだった。
律の呼吸が荒くなり、彼の手から指先がかすかに震えているのが分かった。
「あ……」
律の口から、かすかな掠れ声が漏れた。
彼の瞳に、みるみるうちに困惑と、激しい動揺、そして溢れんばかりの涙が溜まっていく。
「な……んだ……これ……?」
律は左手を自分の胸に当て、苦しそうに顔を歪めた。
「なんで……胸が……こんなに痛いんだ……? お前……誰だ……? 俺……お前のこと、知らないはずなのに……っ」
律の目から、ぽろりと一筋の涙がこぼれ落ち、教室の床に静かに落ちた。
彼もまた、覚えていないのだ。
頭ではわたしの名前も、102回の絶望も、時計のことも何一つ思い出せない。
けれど、彼の心は、魂は——わたしを覚えていてくれた。わたしを忘れることの痛みを、ちゃんと覚えていてくれたのだ。
わたしは涙を拭い、ギュッと拳を握りしめた。
時空の狭間で交わした、あの最後の約束。
『忘れてたら……何回だって話しかけてあげるから!』
わたしは胸の痛みを押し殺し、涙でぐしゃぐしゃの顔で、人生で一番の笑顔を作った。
そして、彼に向かって一歩、踏み出した。
「はじめまして」
声が震えないように、心を込めて。
「わたし、桐生紬(きりゅう つむぎ)って言います。……あなたの名前、教えてくれませんか?」
律は言葉を失ったようにわたしを見つめ、それから濡れた目を手甲で乱暴に擦った。
「……律」
絞り出すような声で、彼は答えた。
「……藤代……律(ふじしろ りつ)、だ」
「律くん」
その名前を口にした瞬間、胸の中の巨大な穴が、少しだけ温かい光で満たされていくのが分かった。
「……ねえ、律くん。もしよかったら……今日の放課後、駅前にできた新しいカフェに行かない? 私、すごく大きいパフェが食べたくて」
律は呆然とわたしを見つめ、それから——涙を零しながら、フッと呆れたような、けれど世界で一番優しい苦笑いを浮かべた。
「……バカ言え。俺、甘いもん嫌いなんだよ」
その口調。その言葉。
(あ……!)
記憶の扉が、カチャンと小さな音を立てて解錠された気がした。
「でも」と律は続け、照れくさそうに耳を赤くしながら、わたしから目を逸らした。
「……お前が食うの見てるくらいなら……付き合ってやってもいいけど」
わたし達の新しい「今日」が、今、ここから始まろうとしていた。



