放課後ロック・クラッカー!〜校内の開かずの扉、すべて開けてみせます〜

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

静まり返った中等部校舎の廊下に、私と神臣先輩の足音が激しく響く。
生徒たちが全員無事に外へ脱出したとはいえ、校舎内は不気味な静寂に包まれていた。天井の非常灯が赤く明滅し、薄暗い廊下を怪しく照らし出している。

『ふたりとも、気をつけて!』
インカムからカイ先輩の切迫した声が届く。
『中央制御室がある地下区画へのエアロック、すでに防犯用ガスが配管から漏れ出し始めてる! 残された時間はあと三分三十秒! それまでにメインサーバーの緊急停止バルブを解錠して物理的に閉めないと、校舎全体にガスが充満しちゃう!』

「三分三十秒……っ! 分かった、急ぐぞ!」
神臣先輩が私の手を強く握り、廊下の角を曲がった。

その瞬間――ヒュッと胸の奥が冷たくなる感覚がした。
廊下の空気があからさまに変色している。うっすらと白く煙るような微粒子が漂い、ほんのり甘く酸っぱい薬品の匂いが鼻腔をくすぐった。

「くっ……もうガスが漏れ始めているのか……!」
「神臣先輩、息を止めてください! ハンカチで口を塞いで!」

私は制服のポケットからハンカチを取り出し、口元に当てながら廊下の突き当たりへと急いだ。
そこには、分厚い防弾ガラスと鋼鉄で固められた、要塞のような『中央制御室・緊急隔壁扉』が立ちはだかっていた。

扉の中央には、真鍮と漆黒の金属が交差した重厚な鍵盤ユニット。
そしてその上部にあるモニターには、血のような赤文字で嘲笑うかのようなメッセージが浮かび上がっていた。

『よくぞここまで辿り着いたな、鍵開け姫。
だが、ここがお前たちの終着点(ゴール)だ。
この隔壁は、我が最高傑作「ファントム・マトリックス」。
物理ピッキングと量子暗号盤が完全連動した、解読不能の物理要塞なり』

「ファントム・マトリックス……!」
私は鍵盤ユニットの前に飛び付き、指先でその表面をなぞった。

『っ……嘘でしょ!? 鍵穴が……ひとつじゃない!?』

目を見開いた。
ユニットの表面には、上下左右に配置された『四つの極小鍵穴(ミクロ・キーホール)』。
そして中央には、1から16までの数字が配列された『変形スライドダイヤル』が存在していた。

「鈴宮、この仕掛けの構造は理解できるか!?」
神臣先輩が私の隣に屈み込み、鋭い瞳でモニターと盤面を凝視する。

「は、はい……っ! 四つの鍵穴の中に仕込まれたピンを、同時に正しい深さで固定しながら……中央の16桁のスライドダイヤルを、特定の「素数の順番」で滑らせないと開かない仕組みです!」
「なに……!? 四本のピックを同時に操作しながら、ダイヤルを順番に動かさなければならないということか!?」

『そんなの人間技じゃないよ!?』
インカム越しにカイ先輩の悲鳴が聞こえる。
『両手でピックを握ったら、ダイヤルを動かす手が足りないじゃん! 最低でも腕が三本必要だよ!!』

「腕が三本……っ!」
私は自分の十本の指を見つめた。
指先の感覚をいくら研ぎ澄ませても、物理的に距離が離れた四つの鍵穴にピックを突き刺しつつ、中央のダイヤルを正確なミリ単位でスライドさせるなんて、手がもう一双なければ物理的に不可能です。

カウントダウンが容赦なく刻まれる。
『02:15……02:14……02:13……』

廊下に充満し始めた白いガスが、ゆっくりと私たちの足元へ這い寄ってくる。
吸い込めば意識が朦朧とし、思考力が奪われていく恐怖。
指先が冷たくなり、微細な手応えを感じ取る感度が急速に鈍っていくのが分かった。

『だめ……! 指の感覚が……麻痺してきた……っ!』
「鈴宮……っ!」

神臣先輩が私の肩を抱き寄せ、自分のハンカチを私の口元に強く押し当ててくれた。
「しっかりしろ、鈴宮! 意識を保て!」
「神臣、先輩……でも、手が……手が足りません……! 四つの鍵穴を固定したままじゃ、中央のダイヤルに手が届かない……っ!」

涙で視界が滲む。
どんな難攻不落の鍵も、笑顔で破ってきた。
『この世に私に破れないロックなんて存在しない』――そう大言壮語した自分が、あまりにも情けなくて悔しかった。

けれど、その時。
私の手をギュッと握りしめる、熱い感触があった。

「手が足りないなら――僕の手を使え」
「え……?」

顔を上げると、神臣先輩が目の前にいた。
白く煙るガスの中で、先輩の漆黒の瞳が、まるで暗闇を切り裂く刃のように力強く輝いている。

「お前が言ったんだろう。僕たちは『対等なバディ』だと」
「神臣、先輩……」
「四つの鍵穴のピックのうち、ふたつは僕が固定する。お前は残りのふたつと、中央のダイヤルに集中しろ。僕の指先を……お前の命令通りに動かしてやる!」

「っ……!? でも、神臣先輩は鍵開けの訓練なんて……!」
「僕の頭脳と動体視力を舐めるな。お前がピンの感触を言葉で伝えろ。僕がそれを完璧に再現する!」

息をのんだ。
鍵開けは、コンマ一ミリの力加減が命だ。素人が触れば一瞬でピンが跳ね返り、トラップが発動する。
だけど――目の前の神臣先輩の目には、迷いなんて微塵もなかった。
私を100%信頼し、自分の命を私の指先に預けてくれている。

『……ふふっ。やっぱり、ズルいよこの先輩……!』

私の胸の奥で、消えかけていた炎がパッと爆発するように燃え上がった。
麻痺しかけていた指先に、一気に血が巡っていく。

「分かりました! 神臣先輩、私の指示通りに動いてください! 一ミリのズレも許しませんからね!」
「望むところだ!」

私はツールポーチから予備のチタンピックをふたつ抜き取り、神臣先輩の手に握らせた。
神臣先輩が右上の鍵穴と、左下の鍵穴へピックを差し込む。
私は左上の鍵穴と、右下の鍵穴へピックを滑り込ませた。

残り時間、一分三十秒!

「神臣先輩! 右上の鍵穴、テンションを時計回りに三グラムの力で!!」
「三グラム……これくらいか!」
「違います、もっと軽く! 羽毛が触れるくらいです!」
「くっ……こうか!?」

神臣先輩の驚異的な集中力が発揮される。
私の言葉を聞いた瞬間、指先の力を完璧に制御し、絶妙なテンションを鍵穴へ与えた!

「手応え捉えました! 一番目のピン、着地! 次は左下です、先輩! ピックを奥へ二ミリ押し込んで、上へ弾いてください!」
「二ミリ……弾く!」

――カチリッ!

奇跡が起きた。
鍵開けの素人であるはずの神臣先輩が、私の言葉を完璧な精度でトレースし、内部のピンを固定していく!

『嘘でしょ……!?』
インカムからカイ先輩の叫びが上がる。
『ふたりの波長が……完全に同期してる!? ふたりでひとつの解錠マシンになってるよ!!』

四つの鍵穴のピンが、完璧に一直線に揃う。
残るは中央の16桁スライドダイヤル!

残り時間、四十五秒!

「神臣先輩、四つのピックの固定はそのままで! 私が中央のダイヤルを滑らせます!」
「ああ、任せた!」

神臣先輩が私の背後から体を覆いかぶせるようにして両手を固定し、ビシッと軸を支えてくれる。
私は空いた両手の指先を、中央のスライドダイヤルへ添えた。

『素数の順番……2、3、5、7、11、13……!』

16桁のダイヤルを、狂気的な速度でスライドさせていく。
指の皮が擦り切れ、ダイヤルの金属面に赤い血が薄く伸びた。
けれど、痛みなんて全く感じない。

聞こえるのは、内部で無数の歯車が合体していく心地よい「音」と、背中から伝わる神臣先輩の激しい心臓の鼓動だけ!

スライド、スライド、スライド――!

残り時間、十五秒!

『最後の13番……そこだッ!!』

私は血の滲んだ指先で、13のダイヤルを一番奥へ叩き込んだ!

――ズガガガガガガッ!!

隔壁扉の内部から、地鳴りのような重厚な機械開放音が響き渡り、四つの鍵穴から一斉に白い蒸気が吹き出した。

モニターに表示されていた赤文字が、ガラガラと崩れ落ちる。

『IMPOSSIBLE...!!(あり得ん…!!)
人間の同期精度が、量子暗号を上回っただと……!?』

――バシューッ!!

分厚い緊急隔壁扉がゆっくりと左右に開き、中央制御室の内部があらわになった。

「開いたぁぁぁぁぁっ!!」

私は叫ぶと同時に、崩れるように床へ倒れ込みそうになった。
けれど、間一髪のところで神臣先輩が私をしっかりと抱きとめてくれた。

「鈴宮……! やったな……!」
「神臣……先輩……私達、開けちゃいましたね……」

ゼーハーと荒い息を吐きながら、私と神臣先輩は顔を見合わせ、ボロボロになりながらもニッと笑い合った。

だが、喜ぶのはまだ早い。
中央制御室の奥、赤く点滅するメインサーバーの緊急停止バルブが、最後のカウントダウンを刻んでいた。

残り時間、五秒!

「鈴宮、最後だ!」
「はいっ!!」

神臣先輩と私は重なるように緊急停止バルブへ飛び付き、ふたりの手を重ねて、ありったけの力を込めてバルブを右へ全開に回した!

――ガチンッ!!

静寂が訪れた。
校舎内に響き渡っていた緊急アラームがピタリと止まり、配管から漏れ出していた白いガスがシューッと吸い込まれるように消えていく。

モニターの赤文字が消え、静かな緑色の『SYSTEM NORMAL』の文字が灯った。

『ふたりとも……やったね!!』
インカムから、カイ先輩の泣き出しそうな歓声が響き渡った。
『ガス噴射システム、完全停止! 中等部校舎のセキュリティ、すべて復旧したよ!!』

「……ふぅ」

神臣先輩が深く長い溜め息をつき、その場にドサリと座り込んだ。
普段の冷徹な面影はどこへやら、制服は乱れ、前髪は汗で額にへばりついている。だけど、その顔には最高の爽快感が広がっていた。

「助かったな、鈴宮」
「はい……神臣先輩のサポート、最高でした」

私はへたり込んだまま、自分の右手を見つめた。
神臣先輩の手と重ねてバルブを回した感触が、まだ温かく残っている。

その時、制御室のメインモニターがバチッと音を立てて再び点灯した。
そこに映し出されたのは、顔を影で隠した黒いフードの人物――『ファントム・キー』の姿だった。

『素晴らしい……実に見事なコンビネーションだったよ、鍵開け姫。そして生徒会長』

歪められた音声がスピーカーから響く。

『だが、これで勝ったと思うな。我々「ファントム・キー」の目的は、学園の地下に眠る「創立者の七つの秘宝」すべてを手にすること。今回は前座に過ぎん』

「待て! お前たちの目的は何だ!?」
神臣先輩が鋭い声で問い詰める。

黒フードの人物はクックックと不気味に笑った。

『いずれ分かるさ。次の「第二の開かずの扉」で会おう。……楽しみにしているぞ、鈴宮リオ』

バツンッ!
画面が完全に暗転し、通信が切れた。