彼が結婚してくれなくて

付き合って半年が過ぎた。
初夏になった。日が長くなり、夕方になっても空にはまだ明るさが残っている。街を歩く人たちの装いも軽やかになっていた。

私と優斗が会う頻度は、少しずつ減っていった。

『一週間お疲れ!明日、会えそう?』

スマホの画面に文字を打ち込み、返事を待つ。しばらくして、通知が届いた。

『ごめん、土曜は仕事』
『そっか。日曜は?』
『日曜は予定が、、』

画面を見つめたまま、指が止まった。

『じゃあ、また今度だね』

送信すると、すぐに既読がつく。

『ごめんね。また連絡する』

短いメッセージを見つめながら、小さく息を吐く。

付き合い始めた頃は、一週間に一度くらいは会えていた。それが二週間に一度、今では三週間に一度になっていた。
次に会う約束をしないまま「また連絡する」と言われて終わることも多くなった。


ある夜。ベッドに寝転がりながら、何気なくインスタを開いた。
普段ほとんど更新しない優斗が、珍しくストーリーを上げていた。
画面に映っていたのは、賑やかな店内。テーブルの上には、いくつものグラスと豪華な料理。明るい照明の下、楽しそうな空気が画面越しに伝わってきた。

画面を閉じた。

私とは会えないのに、誰かとは会えるんだ。

心がざわついた。

誰といるのかは分からない。
友達と飲んでいるだけかもしれないし、仕事の付き合いなのかもしれない。優斗は明るくて友達が多い。女友達がたくさんいたっておかしくない。

合コンで出会った私たちには、共通の友人がいなかった。優斗は会社の寮に住んでいるため、部屋に入ったこともない。彼が普段どんな人たちと過ごし、どんな毎日を送っているのか。それを知る手がかりがほとんどなかった。




社会人も四年目となり、結婚する友達が少しずつ増えていった。三か月に一度は誰かの結婚式に招かれた。結婚はもう遠い世界の話ではなくなっていた。

SNSを開けば、ウェディングドレス姿の写真や、婚姻届を手にした報告が目に入る。学生時代、何も考えずに一緒に遊んでいた友達がいつの間にか結婚し、家庭を築き始めていた。

ついこの間まで、同じように恋愛の話をしていたはずなのに。みんな少しずつ違う場所へ進んでいく。


久しぶりに会った会社の同期と食事をしていた。結婚の話題になった。

「最近、結婚する子増えたよね」

友達がそう言って、グラスを傾ける。

「もう、26だしね」
「晴菜は?優斗くんと結婚しないの?」

飲んでいたグラスを置き、私は笑った。

「付き合ったばっかだから」

付き合って半年。
結婚の話をするには早い気がした。

「実咲はどうなの?」
「私はもう付き合って二年だからさ。彼氏と話してて、同棲してから結婚するか決めようってことになったよ」
「そっかー」

友達の話を聞きながら、曖昧に笑った。

いつかは子どもが欲しい。
好きな人と家庭を築きたい。
私と優斗はいつ結婚するのだろう。
そもそも、彼は結婚を考えているのだろうか。

聞いてみたい気持ちはあった。
けれど、直接聞く勇気はない。
元彼に結婚の話をしたときのことが、ふと頭をよぎる。
また重いと思われたら。面倒な女だと思われたら。

そんな不安が言葉を喉の奥へと押し戻した。


真夏の強い日差しが、街を白く照らしていた。日が傾いても、暑さはなかなか引かない。外に出れば、アスファルトから立ち上る熱気に息苦しさを覚えた。

『優斗の誕生日、お店予約していい?』
『いいよ!でも、その日は21時から約束があるから、それまでなら』

届いたLINEのメッセージを見て、指が止まった。

誕生日くらい、ずっと一緒にいられると思っていたのに。

『じゃあ、早めの時間に予約するね』
『りょ!』

短い返事を見つめて、スマホを伏せた。



週末、私は百貨店が立ち並ぶ街へ向かった。
人の波を抜けながら、何を贈ろうかと考える。

せっかくの誕生日だから、できれば長く使ってもらえるものがいい。

ふと、優斗が使っていたルイ・ヴィトンの財布を思い出した。以前見たとき、カードケースが少しくたびれていたことも覚えている。

これにしよう。

そう思うと、もう他のものは目に入らなかった。選んだのは、ルイ・ヴィトンのカードケース。

少し背伸びをした買い物だった。
これを渡したらどんな顔をするだろう。
そんなことを考えながら、デパートを後にした。



誕生日当日、18時。
いつもの待ち合わせ場所。駅の金時計の下で待っていた。休日ということもあり、駅は大勢の人で賑わっている。
行き交う人を眺めながら優斗を探していると、背後から聞き慣れた声がした。

「お待たせ」

三週間ぶりに聞く声だ。胸が高鳴った。
たった三週間なのに、ずいぶん長く会っていなかったような気がする。

「久しぶり。元気だった?」
「俺は元気。晴菜は?」
「私も」

胸の奥が少しずつほどけていく。

「じゃあ、行こっか」

そう言って、私たちはそのままレストランへ向かった。


店内は涼しく、外の暑さが嘘のようだった。窓の外には、夕暮れに染まる街が広がっている。

予約していたコース料理を食べながら、私は優斗に尋ねた。

「優斗は、最近何してるの?」
「仕事したり、同期と飲みに行ったりかな」
「へぇ」
「この前、同期とセブ島行った。これお土産」

そう言って、優斗は小さな袋を差し出した。

「ありがとう」

受け取った袋を見つめながら、少し複雑な気持ちになった。
私の知らないところで、こんな時間を過ごしていたんだ。

「いいね。楽しそう」
「晴菜は何してるの?」
「私もこの間、同期とご飯行った」

それから、最近の仕事のことや他愛のない話をして食事を進めた。

やがて、デザートプレートが運ばれてくる。
そこには、チョコレートで「Happy Birthday」と書かれていた。
私はバッグから、小さな紙袋を取り出した。

「誕生日おめでとう」
「ありがとう」

優斗が紙袋を受け取る。

「開けていい?」
「うん」

包みを開き、中身を取り出した優斗が目を見開いた。

「ヴィトンじゃん」
「カードケース、結構古くなってたから」
「よく覚えてたな」

そう言って、カードケースを手に取った。

「かっこいい!今日から使うわ!」

嬉しそうに笑う優斗を見て、私も自然と笑顔になった。久しぶりに会えたことが嬉しくて、この時間が少しでも長く続けばいいと思った。

20時半をまわると、優斗は何度もスマホに視線を落とした。

「9時から用事あるんだよね?そろそろ行こっか」

彼は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ごめんね」
「ううん。大丈夫」

そう答えて、無理やり笑った。
本当はもう少し一緒にいたかった。

誕生日くらいは、時間を気にせず一緒にいられると思っていたのに。
もしかしたら、このまま私の家に来てくれるんじゃないか。
そんなことを勝手に期待していた。

店を出ると、夜になってもまだ暑さの残る街を二人で駅へ向かった。
駅に着くと、優斗は時計を確認した。

「じゃあ、また連絡する」
「うん。今日はありがとう」
「こっちこそ、プレゼントありがとう」

そう言って、手を振りながら人混みの中へ消えていった。

その背中をしばらく見つめていた。
三週間ぶりに会えたのに。誕生日なのに。
どうしてこんなに、あっという間なんだろう。

帰宅した私はスマホを手に取った。
このまま一人で考えていても、何も分からない。





優斗と出会った合コンを開いてくれた大学時代の友人、沙織に相談することにした。

休日の午後。駅近くのカフェで待ち合わせた。店内にはコーヒーの香ばしい匂いが漂っていた。窓際の席には柔らかな陽射しが差し込み、ガラス越しには、行き交う人々の姿が絶え間なく流れていく。
休日を楽しむ人たちの明るい声が、あちこちから聞こえていた。

向かいに座った沙織を見つめながら、私はずっと奥にしまっていた言葉を口にした。

「優斗、最近全然会ってくれなくて」

沙織は手にしていたカップをソーサーに戻した。

「そうなんだ」

その短い返事に、小さく頷いた。

「前はもっと会ってたんだよね?」
「うん。一週間に一回くらいは会ってた。でも、最近は三週間に一回くらい」
「それはちょっと…。付き合ってるのに会わなさすぎ」
「うん……」

私はカップに手を伸ばした。けれど、口をつける気にはなれず、指先でそっと取っ手をなぞった。少し迷った後、口を開いた。

「前に聞いたけど、沙織ってあのとき、幹事と優斗のこと知ってたんだよね?」
「うん。その二人とは、前に別の合コンで会ったことあるから」
「幹事の人とは仲良い?」
「いや、コンパで飲んだくらいだから全然」

沙織はそう答えると、少し考えるように視線を落とした。カップから立ち上る湯気が、二人の間をゆっくりと漂っていた。
沈黙の後、彼女はふと思い出したように私を見た。

「そうだ。あの二人と出会った飲み会を開いてくれた、中学の友達に聞いてみようか?」
「中学の友達?」
「うん。優斗くんと仲がいいって言ってたし。何か知ってるかもしれないから」

その言葉に胸の奥がざわついた。
聞くのが怖かった。

もし、自分の知らない優斗の顔を知っている人がいたら。
もし、自分の考えていることが本当だったら。

窓の外では何事もないように人々が行き交っていた。こんなに穏やかな午後なのに、心は落ち着かない。

「ありがとう。ただ……」
「ん?」
「私のことは、伏せておいてほしい」

沙織は一瞬だけ私の顔を見つめた。
何かを察したように、それ以上は何も聞かなかった。

「わかった」

その言葉を聞いて、小さく息を吐いた。
これから何を知ることになるのだろう。
頭の中のざわめきが、いつまでも消えなかった。