連れて行かれたのは、駅から少し歩いた路地裏にある、隠れ家風のフレンチビストロだった。
薄暗い店内は、キャンドルの炎がテーブルを温かく照らし、お洒落な洋楽のジャズが静かに流れている。客層も、見るからに小綺麗な大人ばかりだ。
通された奥のテーブル席に腰掛けた瞬間、私は心の中で盛大なガッツポーズを決めた。ようやく足の激痛から解放された。しかし、本当の戦いはここからだった。
「真由さん、お酒は何にします? 白ワインのすっきりしたものが好きってメッセージで言っていましたよね。ここのシャブリ、すごく美味しいんですよ」
「わあ、嬉しいです。じゃあ、大輔さんと同じもので」
メッセージのやり取りを完璧に記憶している大輔に冷や汗をかきながら、グラスを合わせる。カラン、と硝子の綺麗な音が響いた。
冷えた白ワインが喉を通り抜ける。美味しい。けれど、私の身体が求めているのは、ジョッキに並々と注がれたキンキンの生ビールと、脂の乗ったモツ煮だ。上品なグラスを両手で包み込みながら、私は「すごくフルーティーで飲みやすいですね」と、お上品に微笑んでみせた。
やがて、大輔が予約してくれていたコース料理が運ばれてくる。
前菜の「季節の有機野菜のテリーヌ」を見た瞬間、私は自分の目を疑った。四角く固められた色鮮やかな野菜の塊。確かに綺麗だし、Linkのタイムラインに載っていそうな『丁寧な暮らし』の具現化のようではある。
けれど、圧倒的に量が足りない。医療事務の立ち仕事で一日中働き、お腹はペコペコなのだ。本音を言えば、唐揚げの盛り合わせか、ガッツリとした家系ラーメンを大盛りで胃袋に流し込みたい。
「真由さん、お味はどうですか?」
「すごく美味しいです。お野菜の甘みがしっかりしていて……私、普段からお野菜中心の生活なので、こういうお店、本当に嬉しいです」
私はフォークの先で、消しゴムほどの大きさに切り分けたテリーヌを慎重に口へ運んだ。咀嚼の回数を無駄に増やし、少食な女を演出しながら、大輔の会話に「すごーい!」と相槌を打つ。
大輔は、自分の仕事であるエンジニアの話や、パリの美術館で感動したエピソードを、とても楽しそうに話してくれた。彼の話は知的で面白く、顔もタイプで、人間としても間違いなく魅力的だった。
だからこそ、胸の奥の窒息感は、時間が経つにつれて反比例するように肥大化していく。
(もし、この人が私の部屋の混沌を見たら、どんな顔をするだろう)
(平日の朝、ランチパックを口に詰め込んで走っている私を知ったら、一瞬でブロックされるんだろうな)
「真由さん、次はメインのお肉料理ですね。あ、もしかして量、多すぎました?」
半分も減っていない私の皿を見て、大輔が心配そうに覗き込んでくる。違う、美味しいから残しているんじゃない。ただ単に、上品に食べるフリをするのにエネルギーを使い果たして、お腹が空きすぎて胃が縮んでいるだけなのだ。
「ううん、とっても美味しいです。ただ、私、ちょっと少食なところがあって……。大輔さん、もしよかったら半分、食べてもらえませんか?」
上目遣いでそう言うと、大輔は「いいですよ、じゃあ遠慮なく」と、私の取り皿から肉を分けて微笑んだ。
男受けの教科書通りの展開。大輔の目には、私が『清楚で、控えめで、少食な可愛らしい女性』として映っているはずだ。
実技面接の第一関門は、完璧にクリアしつつある。
それなのに、ビストロの重厚な空気の中に漂う自分の嘘の数々が、まるで見えない足枷のように、私の自由をじわじわと奪っていくような気がしてならなかった。
薄暗い店内は、キャンドルの炎がテーブルを温かく照らし、お洒落な洋楽のジャズが静かに流れている。客層も、見るからに小綺麗な大人ばかりだ。
通された奥のテーブル席に腰掛けた瞬間、私は心の中で盛大なガッツポーズを決めた。ようやく足の激痛から解放された。しかし、本当の戦いはここからだった。
「真由さん、お酒は何にします? 白ワインのすっきりしたものが好きってメッセージで言っていましたよね。ここのシャブリ、すごく美味しいんですよ」
「わあ、嬉しいです。じゃあ、大輔さんと同じもので」
メッセージのやり取りを完璧に記憶している大輔に冷や汗をかきながら、グラスを合わせる。カラン、と硝子の綺麗な音が響いた。
冷えた白ワインが喉を通り抜ける。美味しい。けれど、私の身体が求めているのは、ジョッキに並々と注がれたキンキンの生ビールと、脂の乗ったモツ煮だ。上品なグラスを両手で包み込みながら、私は「すごくフルーティーで飲みやすいですね」と、お上品に微笑んでみせた。
やがて、大輔が予約してくれていたコース料理が運ばれてくる。
前菜の「季節の有機野菜のテリーヌ」を見た瞬間、私は自分の目を疑った。四角く固められた色鮮やかな野菜の塊。確かに綺麗だし、Linkのタイムラインに載っていそうな『丁寧な暮らし』の具現化のようではある。
けれど、圧倒的に量が足りない。医療事務の立ち仕事で一日中働き、お腹はペコペコなのだ。本音を言えば、唐揚げの盛り合わせか、ガッツリとした家系ラーメンを大盛りで胃袋に流し込みたい。
「真由さん、お味はどうですか?」
「すごく美味しいです。お野菜の甘みがしっかりしていて……私、普段からお野菜中心の生活なので、こういうお店、本当に嬉しいです」
私はフォークの先で、消しゴムほどの大きさに切り分けたテリーヌを慎重に口へ運んだ。咀嚼の回数を無駄に増やし、少食な女を演出しながら、大輔の会話に「すごーい!」と相槌を打つ。
大輔は、自分の仕事であるエンジニアの話や、パリの美術館で感動したエピソードを、とても楽しそうに話してくれた。彼の話は知的で面白く、顔もタイプで、人間としても間違いなく魅力的だった。
だからこそ、胸の奥の窒息感は、時間が経つにつれて反比例するように肥大化していく。
(もし、この人が私の部屋の混沌を見たら、どんな顔をするだろう)
(平日の朝、ランチパックを口に詰め込んで走っている私を知ったら、一瞬でブロックされるんだろうな)
「真由さん、次はメインのお肉料理ですね。あ、もしかして量、多すぎました?」
半分も減っていない私の皿を見て、大輔が心配そうに覗き込んでくる。違う、美味しいから残しているんじゃない。ただ単に、上品に食べるフリをするのにエネルギーを使い果たして、お腹が空きすぎて胃が縮んでいるだけなのだ。
「ううん、とっても美味しいです。ただ、私、ちょっと少食なところがあって……。大輔さん、もしよかったら半分、食べてもらえませんか?」
上目遣いでそう言うと、大輔は「いいですよ、じゃあ遠慮なく」と、私の取り皿から肉を分けて微笑んだ。
男受けの教科書通りの展開。大輔の目には、私が『清楚で、控えめで、少食な可愛らしい女性』として映っているはずだ。
実技面接の第一関門は、完璧にクリアしつつある。
それなのに、ビストロの重厚な空気の中に漂う自分の嘘の数々が、まるで見えない足枷のように、私の自由をじわじわと奪っていくような気がしてならなかった。


