恋と焦燥のロードマップ

あの居酒屋の夜から、数ヶ月が経った。
休日の午後。ガラス張りの明るいカフェのテラス席で、俺は新しく出会った女性と向かい合って座っていた。
アプリを再開し、今度は過去の影を追うのではなく、目の前の相手とゼロから関係を築くための対話を重ねている。初対面の緊張感に混ざる、少しだけ速い胸の鼓動。それをどこか新鮮に感じながら、俺は彼女が楽しそうに語る趣味の話に耳を傾けていた。営業用の作り笑いでもなく、過去への逃避でもない、新しい恋の始まりに伴う正しい体温が、そこにはあった。
「あ、すみません。私ばっかり喋っちゃって」
「ううん、全然。すごく面白いよ。もっと聞かせて」
彼女が照れくさそうに微笑み、手元の冷たい紅茶にストローを伸ばす。そのやり取りの心地よさに目を細めた瞬間、ふと、店の外のスクランブル交差点に視線が向いた。
人混みの中で、ひときわ目を引くベージュのコート姿が見えた。
ハーフアップにまとめた髪を揺らしながら、美月が歩いている。その隣には、少し背の高い、優しそうな雰囲気の男が並んでいた。
信号が青に変わるのを待つ間、男が美月の顔を見て何かを言った。
次の瞬間、美月はパッと花が咲いたような満面の笑みを浮かべ、自然な動作で男の手をギュッと握りしめた。男も嬉しそうに微笑み返し、二人はしっかりと手を繋いだまま、雑踏の中へと歩き出していく。
あの、高校の駅のホームで見た泣き顔の笑顔じゃない。
あの薄暗いミニシアターや、どこか慎重だった水族館で見せていた、どこか守られた穏やかな笑顔でもない。
今の美月が浮かべているのは、新しく始まった本物の恋に、心から胸を躍らせている人間の顔だった。
「……よかったじゃん」
窓の外を見つめたまま、俺の口から小さく、独り言が溢れた。過去の棘はもうどこにもない。そこにあるのは、同じ戦場を戦い抜いた唯一無二の戦友への、心からの祝福だった。
「え? 拓也さん、今何か言いました?」
目の前の彼女が、不思議そうに首をかしげて俺の顔を覗き込んできた。
俺は視線を窓外の雑踏から、彼女の真っ直ぐな瞳へと完全に戻し、少しだけ照れくさそうに、軽く笑って首を振る。
「ううん、なんでもない。……それで、さっきの映画の話なんだけどさ」
ポケットの中には、もうあのイニシャル入りの古いキーホルダーは入っていない。実家の机の引き出しの奥に、大切な思い出として、今度こそ綺麗にしまってきた。
俺はもう一度、目の前にある新しい恋の始まりに向き直り、今度は少しだけ速くなった鼓動を心地よく感じながら、真っ直ぐに笑顔を返した。