君と笑える最後の日

「美桜ー! 遅刻するぞー!」

朝から、家の外で大声がした。

私は布団の中で目を閉じたまま、枕を抱きしめる。

「……うるさい」

「聞こえてるからなー!」

「聞こえてるからうるさいって言ってんの!」

カーテンの隙間から差し込む朝日が、やけに眩しい。

時計を見る。

七時三十分。

あと十分で家を出ないと、本当に遅刻する。

「……もう最悪」

私は慌ててベッドから飛び起きた。


*


玄関を開けると、そこには見慣れた顔があった。

「遅い」

「誰のせいよ」

「俺?」

「そう。毎朝毎朝、大声で叫ばないでよ」

「起こしてやってるんだから感謝しろよ」

「頼んでないし」

「はいはい」

そう言って笑ったのは、朝倉晴。

私の幼なじみ。

家が近くて、幼稚園の頃からずっと一緒。

小学生の頃も。

中学生の頃も。

そして高校二年生になった今も。

ずっと、隣にいる。

「ほら、行くぞ」

「ちょっと待って」

「何?」

「髪」

「……寝癖すご」

「言わないで!」

晴は笑いながら、自分の手で私の髪を軽く整えた。

「はい。これでマシ」

「……ありがと」

「珍しく素直」

「うるさい」

「照れてんの?」

「死ね」

「朝から物騒だなぁ」

ケラケラ笑う晴を見て、私もつられて笑った。

いつもの朝。

いつもの道。

いつもの会話。

何も変わらない。

それが、ずっと続くと思っていた。

「そういや美桜」

「ん?」

「今日、放課後空いてる?」

「なんで?」

「寄りたいとこある」

「どこ?」

「秘密」

「なにそれ」

「まあ、ついてこいって」

「怪しい」

「ひど」

晴が頬を膨らませる。

その顔がおかしくて、私はまた笑った。

「じゃあ、約束ね」

「おう」

晴は右手を差し出した。

「約束?」

「約束」

私も右手を出して、小指を絡める。

小さい頃から何度もやってきた、いつもの仕草。

「絶対だからね」

「絶対」

「……忘れないでよ?」

「忘れるわけないだろ」

晴は笑った。

その笑顔が、あまりにもいつも通りだったから。

私は何も疑わなかった。


*


昼休み。

「美桜ー!」

教室の後ろから晴が顔を出す。

「何?」

「購買行こうぜ」

「またパン?」

「今日は新作」

「どうせ焼きそばパンでしょ」

「なんで分かった」

「いつものだから」

「いいだろ、焼きそばパン」

「別にいいけど」

廊下を並んで歩く。

くだらない話をして。

昨日見たテレビの話をして。

先生の愚痴を言って。

笑って。

また笑って。

――ずっと、この時間が続けばいいのに。

そんなことを考えた。

でも、その瞬間の私は知らなかった。

この何気ない一日が。

私にとって、かけがえのない一日になることを。


*


放課後。

校門を出たところで、晴が言った。

「美桜」

「ん?」

「ちょっと寄り道していい?」

「また秘密?」

「そう」

「ほんと怪しい」

「いいから」

晴に連れられて向かったのは、学校から少し離れた小さな公園だった。

夕方の空が、オレンジ色に染まっている。

「……ここ?」

「うん」

「何するの?」

「座って」

「え?」

「いいから」

ベンチに並んで座る。

沈みかけた太陽が、私たちを赤く照らしていた。

晴はポケットからスマホを取り出した。

「何?」

「写真撮る」

「なんで?」

「なんとなく」

「意味わかんない」

「いいから笑って」

「急に言われても――」

カシャッ。

シャッター音。

「ちょっと!」

「撮れた」

「見せて!」

「やだ」

「なんで!」

「俺だけの思い出にする」

「……なにそれ」

妙に恥ずかしくなって、私は顔を逸らした。

晴が小さく笑う。

「美桜」

「何」

「今日、楽しかった?」

「……うん」

「そっか」

「急にどうしたの?」

「別に」

少しだけ間があって。

晴は空を見上げた。

「明日も、こうやって笑えたらいいなって思っただけ」

「……何それ」

「変?」

「ちょっとだけ」

「ひど」

私は笑った。

晴も笑った。

帰り道。

分かれ道で、いつものように手を振る。

「じゃあな」

「うん」

「また明日」

「また明日」