彼が結婚してくれなくて

「今日は来てくれてありがとう」
「ううん。誘ってくれてありがとう」
「最初に会ったときから、晴菜ちゃんのこといいなって思ってた」
「えー、ほんと?」

声が上ずった。
照れくさくなり、彼の顔を見られない。

「晴菜ちゃんって、どれくらい彼氏いないんだっけ?」
「一年くらいかな。大学から三年付き合った彼氏がいたんだけど、遠距離で別れちゃって」
「三年か。結構長いね。元彼はどこで働いてたの?」
「東京。名古屋まで新幹線一本だけど、仕事が忙しくてなかなか会えなくて」
「そっか」

彼は頷きながら、グラスに口をつけた。

「優斗くんは?」
「大学のときに一年くらい付き合ってた彼女がいたんだけど、卒業前に別れたんだよね。それから三年はいないかな」
「三年も?そんなふうに見えないね」
「仕事が忙しかったからね」

そこへ、前菜が運ばれてきた。色とりどりの料理が綺麗に盛り付けられている。
料理を味わっていると、優斗がこちらを見た。

「どういう男性がタイプ?」
「身長が高くて、優しくて、面白い人かな」
「それ、俺じゃん!」
「…そうかも」
「っしゃー!」

優斗は小さくガッツポーズをした。
そんな姿がおかしくて、私は笑った。

「晴菜ちゃんって、土日はなにしてるんだっけ?」
「友達とご飯行ったり、買い物したりかな」
「趣味は映画以外にある?」
「…映画鑑賞しかないかなぁ」
「俺、ネトフリ入ってるし、今度は家で観ようよ」

そうやって楽しく話しながら、食事を終えた。店を出てから、優斗がいつの間にか会計を済ませていたことに気づいた。

「えっ、いつ払ったの?」
「晴菜ちゃんがトイレ行ってる間」
「えー、ありがとう。私も払うよ」
「いいって。今日は俺が誘ったんだし」

そう言って、軽く笑った。冗談ばかり言っているのに、こういうところはさりげなく気遣ってくれる。

「……ありがとう」

スマートで、格好良くて、優しくて、面白くて。仕事もちゃんとしている。
こんな人と付き合って結婚したら幸せなのだろうな。

外に出ると冷たい夜風が頬を撫でた。
駅へ向かって並んで歩く。
さっきまであんなに話していたのに、帰り道はなぜか少し静かだった。
隣を歩く彼との距離がより近く感じられる。しばらくすると、彼が歩く速度を緩めた。

「ねえ」
「ん?」

優斗が私を見る。

「手、繋いでいい?」

胸が小さく跳ねた。

「……うん」

小さく頷くと、優斗がそっと手を重ねてきた。指先が触れた瞬間、鼓動が早くなった。
繋いだ手から伝わる温もりが、なんだか嬉しかった。


その後、三回目の食事で告白され、優斗と付き合うことになった。

帰り道、隣を歩く優斗を見上げる。十二月の夜。吐く息が白くほどける。街灯に照らされた横顔はいつもと変わらない。

「次、いつ会える?」

私が聞くと、彼は少し考えて答えた。

「来週の土日は予定があるから、再来週かな」
「そっか」

短く返事をして、つないだ手に少しだけ力を込めた。


年が明け、二週間ぶりに優斗と会った。その日は、初めて私の家で過ごす予定だった。優斗は会社の寮に住んでいるため、家で過ごすのは今回が初めてだ。

「ごめん、ちょっと一服してくる」

彼は玄関から上がると、電子タバコを片手にベランダへ出ていった。しばらくして戻ってきた優斗と一緒にテレビの電源をつける。

「ネトフリ、俺のアカウントでログインしていい?」
「うん」

優斗がリモコンを操作して、自分のアカウントにログインする。

「何か観たいものある?」
「『謎解きはディナーのあとで』がずっと観たかったんだよね」

部屋の明かりを落とすと、画面の光だけが部屋を照らした。映画が始まった。

三十分ほど経った頃。

視線を感じて顔を向けると、優斗がこちらを見ていた。目が合う。
彼の顔がゆっくりと近づいてくる。
唇が重なった瞬間、フルーツのような甘い香りが鼻をかすめた。
離れた彼が、私の目を見つめふっと笑う。

「……可愛い」

恥ずかしくて、うまく返事ができない。

優斗はもう一度、私の唇に口づけた。
今度は先ほどよりも長く、深く。
目を閉じ、彼の大きな背中に腕を回す。
何度も唇を重ねるうちに、映画の音が遠のいていった。

優斗の腕が私を抱き寄せる。私も彼の服をつかみ、さらに身を寄せた。
貪るようなキスを交わしながら、二人で立ち上がり、そのままベッドへ移る。

そして、彼の胸にそっと身を委ねた。




その後も、私たちは何度かデートを重ねた。
数か月が経った頃、私の誕生日が来た。
その日は、名古屋駅の高層階にある少し高級なレストランを優斗が予約してくれていた。窓の外には、鮮やかな夜の街の明かりが一面に広がっていた。
食事を終え、店を出ようとしたときだ。

「晴菜、これ」

優斗が小さな紙袋を差し出した。

「誕生日おめでとう」
「え、なに?」

受け取った紙袋を開ける。中に入っていたのは、クロエの二つ折り財布だった。

「これずっと欲しかったやつ!」

思わず声が弾む。

「知ってる」

彼はなんでもないことのように笑った。
手のひらに乗せたベージュ色の財布を、何度も見返す。柔らかな色合いに、さりげなく輝く金色のロゴ。

「ありがとう。大事にするね」

優斗は何気なく話したことを、ちゃんと覚えていてくれていた。そのことが、プレゼントそのものと同じくらい嬉しかった。

店を出て、駅の外へ向かう。さっきまで見下ろしていた街の明かりが、今度は目の前に広がっていた。冷たい風が頬を撫でる。

新しい財布をバッグにしまい、優斗の隣を歩いた。これから先、これを使うたびに今日のことを思い出すのだろう。
そう思うと、自然と頬が緩んだ。