恋愛結婚したいだけなのに。

20代後半に差し掛かると、婚活はさらに泥沼化していった。午前に街コン、午後に合コン、そんなダブルスケジュールを組むことも珍しくなかった。
この頃から、結婚ラッシュはより一層激しくなる。SNSは結婚式の写真で埋まっていった。耐えられなくなった私は、SNSのアカウントを削除した。

「おめでとう」

口ではそう言いながら、胸の奥を焦燥感と孤独感で抉られる。友人の幸せを心から祝えない自分がたまらなく嫌いだった。自分には恋人もその候補すらいない。

取り残される。
その恐怖が重くのしかかった。


私は当時流行り始めたマッチングアプリをインストールした。

顔写真を載せ、プロフィールを埋めると、1日で何百もの「いいね」が届いた。
合コンや街コンとは比較にならない効率の良さに浮足立ったが、いざメッセージのやり取りを始めると上から目線の選別が始まってしまう。

上半身裸の写真を載せるな。筋肉自慢キツ。
なぜトイレの鏡で自撮りをする?不潔。
写真をSNOWで加工するな。女子かよ。
プロフィールに「使い方よく分かりません」
「おばあちゃんに勧められて始めました!」
って書いてるけど、さむいよ。
こっちばかり質問して質問してこない奴、
会話する気ないならマッチングするな。
「すいません」じゃなくて「すみません」だろ。言葉遣いがおかしい。

本来なら会えば好きになれたかもしれない人たちまで、指先ひとつで切り捨てていく。
自分のことは棚に上げ、男性たちを減点方式で容赦なく批評するその姿は、婚活市場が生み出した化け物の1人だっただろう。



あるとき、好みではなく条件もよくはないが、熱心にアプローチをしてくれた男性がいたので、会ってみたことがある。
少し高級でお洒落なカフェでお茶をしたが、会話は全く弾まなかった。

つまらない。
それに、やっぱり顔もタイプではない。
早く帰りたい。
これなら1人でスタバに行く方がマシだ。

解散後、義務的なお礼のLINEを送ると、彼の連絡先をブロックした。好みでない男性と食事をするたびに、好きな人と結婚できないなら独身の方がましだと思えた。

結婚して子どもを育てている友人もいるというのに、自分はいったい何をやっているのだろう。そうしている間にも、最大の武器である「若さ」は着実に失われていった。



戦況が過激さを増す中、2人の心強い戦友ができた。

1人は華奈子。
目鼻立ちのくっきりした和風美人でありながら、なぜか付き合う男たちから遊ばれてばかりだった。彼女とは気が合い、婚活仲間でもありながらプライベートでもよく会っていた。

もう1人は美希。
清楚で落ち着いた雰囲気とは裏腹に、驚異的な人脈とコミュニケーション能力を持ち、次から次へとハイスペックな合コンの話を持ってくる敏腕営業マンだった。

美希から与えられてばかりにはなりたくなかった私は、自分が企画した飲み会には真っ先に美希を誘った。
麻美のようにはなりたくなかった。


ある日、美希からLINEが届いた。

『駅で優斗くん見たよ。茶髪のボブの子と歩いてたけど、誰?』
『知らない。あいつ彼女5人いるから』
『まじか!やばっ!』

画面を見ながら、私は
「あれは何番目の保険なのだろう」
と考えていた。

友人から聞いた話によると、優斗が泥酔状態で深夜に麻美の家を訪問し、用事を済ませると即帰宅するという関係が今も続いているという。優斗が遊びと知ってもなお、彼女は優斗にゾッコンらしい。

彼もまた、本気で愛し合える相手に巡り会えていないようだった。


ある週末、美希に誘われ商社マンが集まる大人数の飲み会に赴いた。

会場は薄暗いバーの個室で、すでに出来上がった男女が大音量の音楽の中で騒いでいた。
席に着くなり、目の前に座った男が品定めるような視線を向けてきた。

「君たち、何歳?」
「27です」

そう答えた瞬間、男はフッと鼻で笑った。

「へー。結構いってるね」

一瞬、カッと頭に血が上ったが、お酒を飲むふりをして言葉を飲み込んだ。年齢を重ねるごとに男たちの値踏みするような視線が露骨になっていくのを、嫌というほど思い知らされる。
結局、私と華奈子は終電を理由に早々に退散した。

後日、美希から「あの後、何人かはそのままお持ち帰りされたよ」と聞いた。
一夜限りの関係など虚しくないのだろうか。私には理解できなかった。



しかし、そんな頑なな私をよそに、状況は少しずつ動き始めていた。あの美希についに彼氏ができたのだ。

「おめでとう!!」

精一杯の笑顔で祝福したが、内心は穏やかではなかった。そんな私をよそに、美希は不安を溢した。

「彼氏、奨学金の返済があって心配なんだよね。それに結婚できるかも分からないし。彼氏に内緒で婚活は続けるから、色々誘ってね」
「そっか。じゃあ、飲み会があったら誘うね」

安堵した。そうだ、彼氏ができたからといって、結婚できるとは限らない。まだ美希に追いつける可能性は残っている。そう思っていた。しかし、それからほどなくして、美希から連絡がきた。

『なんか、結婚することになっちゃった』
『おめでとう!婚期だしね。美希は悩んでいたけど、サクッときめるのありだよ!』
『奨学金のことは不安しかないけど(笑)結婚式するならよぶね!』

頭の中が真っ白になった。
結局、美希はトントン拍子に結婚を決めてしまった。置いていかれたような絶望感に、私はパニックを起こした。
最前線に取り残されたのは、私と華奈子だけだった。




その頃から、華奈子との関係は徐々に歪んでいった。

唯一無二の戦友でありながら、同じ市場で戦うライバルでもある。
彼女には幸せになってほしい。
けれど、先を越されるのは嫌だ。彼女までいなくなってしまったら、今度こそ本当に1人になってしまう。そんな身勝手な想いがあった。



ある日、華奈子から婚活で知り合った男性の話を聞いた。

「前一緒に行った街コンにいたイケメンに、2回目のデート誘われちゃった」
「この間、気になるって言ってた人だよね?よかったじゃん」

笑って答えたものの、心の中では少し複雑だった。華奈子がうまくいくのは嬉しい。
だが、自分だけ取り残されるような気がした。大切な友人なのだから心から喜びたい。それでも、華奈子にはもう少しだけ、自分と同じ場所にいてほしかった。


また、こんなこともあった。

華奈子が主催した飲み会で、私がタイプの男性とマッチングし、後日、二人で食事に行った。そのことを報告すると、彼女は明らかに不機嫌になった。

「私が頑張って企画したのに、私には何の恩恵もない。こんなのやってられない」

その言葉を聞いて、少し安心した。
彼女も私と同じだった。


華奈子は間違いなく大切な友人だった。一緒に旅行に行くし、ライブにも行く。
だが、婚活前線における戦友たちの絆は、純粋な友情だけでは成立しない。互いの傷を舐め合いながら、背中ではナイフを突きつけ合っている。

幸せを願う気持ちと、置いていかれたくない執着が表裏一体で張り付いている。


30歳の足音がすぐそこまで迫っていた。
いつのまにか、鏡に映る自分はシワやシミが増えている。体力も気力も、若い頃のようには続かない。


ある酷く孤独な夜のことだ。枕元でスマホが震え、画面に「優斗」の文字が浮かぶ。

「元気?」

久しぶりに優斗の声を聞くと、懐かしさを覚える。

「元気、元気」
「婚活の調子は?」
「相変わらず、全然ダメ。優斗は?」
「俺も」

短い沈黙の後、彼はあの言葉を口にした。

「俺たち、30歳までに結婚してなかったら結婚しちゃう?(笑)」

電話越しに聞こえた優斗の声は、半分冗談で半分本気のようだった。

「…しようか(笑)」

軽く笑って合わせ、通話を切る。
しばらく液晶が暗転したスマホを眺めていた。込み上げてきたのは救いようのない惨めさだった。

昔からお互い恋愛感情がないことは知っている。何百もの出会いを繰り返し、傷つき、すり減った末に行き着いた最後の保険が私だった。誰の特別にもなれなかった自分の自尊心が、静かに崩壊した。



しかし、一晩明けて冷静になると、頭の片隅で別の計算が働き始める。「既婚者」という称号が手に入るのは、決して悪い話ではない。

この不毛な婚活市場から永久に退場できるし、世間の目からも解放される。
どうせ誰とも恋愛結婚できないのなら、婚活で出会う得体の知れない男と結婚するより、気心の知れた優斗と形だけの婚姻関係を結ぶ方がよっぽど合理的なのではないか。



数日後、私は華奈子と近所のカフェで婚活の愚痴を言い合っていた。

「最近アプリやってても無理な男ばっか。これ、30になったら相当やばいよね?」
「もう理想の人なんてとっくに売り切れてるんだから、どこかで妥協しないとダメな気がする」
「妥協ができたら苦労しないんだけど」

生産性のない愚痴をさんざん吐き散らした後、優斗から結婚の打診があったことを打ち明けた。彼女はしばらく黙り込んだ後、まっすぐ私を見て言った。

「そんなの、絶対に幸せになれない」

痛いほど分かっている。優斗を愛しているわけではないし、向こうも同じだ。

「でも、もう婚活したくない」
「……私は、心から祝えないよ?」
「うん。祝わなくていい」

彼女の言葉には、私を心から心配する気持ちと自分だけが戦場に取り残される恐怖が垣間見えた気がした。

本当の幸せは手に入らないが、少なくとも今いる地獄からは抜け出せる。この究極の選択肢を突きつけられた時、私はどちらに足を踏み出すのだろう。




その日は唐突に訪れた。
30歳の誕生日を半年後に控えた、ある週末の夜のことだ。

その日は一日中婚活をしていたため、疲労困憊だった。帰宅後、事務作業のようにマッチングアプリのメッセージに返信を打っていると、突然画面が着信表示に切り替わった。
私は応答ボタンを押した。

「最近どう?」

いつも通り優斗が近況を尋ねてくる。

「相変わらず彼氏はできない。もう婚活やめたい。…優斗は?」

私が弱音を吐くと、少し間を開けて口を開いた。

「話したいことがあるから、来週空いていたら飲みに行かない?」

私は一瞬固まった。

このタイミングでのサシ飲みの誘い。あの約束の回収だと直感した。
優斗と結婚する。愛のない形式だけの家庭。
長い付き合いなので、彼のことはよく知っている。本命ではない私と結婚すれば、彼は確実に浮気をするだろう。

そしてきっと、私もする。

果たしてそんな生活が、この地獄より地獄ではないと言えるのだろうか。

「ごめん、忙しいから無理」

そう言い放つと、そのまま通話を切った。
数秒後、掛け直してくるかもしれないと思いながらスマホを見つめていたが、画面は動かなかった。

後悔はない。

気がつけば婚活サバイバルにもまれ、心も身体もすっかり疲弊していた。メンタルは限界寸前で悲壮感が漂い、かつて平成を謳歌していたギャルの面影はどこにもない。

形だけの合理的な結婚よりも、私はまだ、天文学的な確率の奇跡を信じて傷つく方がいい。地獄の底から這い上がるように、再びマッチングアプリのアイコンをタップした。