あれからどうやって帰ったのかはよく覚えていない。
悲しいはずなのに、一度も泣いていない。我慢しているんじゃなくて、泣くことができないのだ。
何が現実なのかよくわからなくて、受け入れることができない。
学校ではむしろ前より笑っている気がする。友達からは「幸せな人はテンション高いよね」と言われる。
毎日、シルバーのちょうちょを握りしめて考える。あれは夢なんかじゃない。幻でもない。小田君は、確かにあそこにいた。一度も触れてはいないけれど、ちゃんとわたしの隣にいたのだ。
でもどうしてだろう。なんで、見ず知らずのわたしの前に現れたりなんかしたんだろう。本当に意地悪だ。わたしの前に現れたりしなかったら、今頃こんな思いをせずにすんだのに。小田君のことなんて、一生知らないまま生きていけたのに。
この一週間、現実に抗うように、毎日あの公園に行き、あのベンチに座った。
季節が少し進んで空気が冷たくなってきたこと以外は、ここで小田君がボールを蹴っていた時と何も変わらない。犬の散歩をする人がいて、ベビーカーを押す人がいて、ジョギングをする人がいて。そんな人たちを見ていると、なぜかわたしだけが違う世界にいるような気分になる。
公園に行って、何を期待しているわけでもない。まさかまた小田君に会えるなんて思っていない。
ウソ。
本当は思っている。思っていないけど、思っている。だって小田君がいなくなったなんて信じられないし、そんなこと、信じていない。
その日もわたしは、一時間ほど座っていたベンチから腰を上げた。
公園を出て、バス停へ向かう。するとどこかで見たことのある陽気な色の組み合わせが目に飛び込んできた。あの日と同じニット帽だ。広い歩道の隅に台を置き、その上にたくさんのアクセサリーが広げてある。間違いない。あのお姉さんだ。わたしはゆっくりと近づいて行った。
「いらっしゃい」
あの日と同じようにお姉さんは言った。わたしは黙って突っ立ったまま、並んだアクセサリーを眺めた。
「あれ? あんた確か……。あ、それつけてくれてるんだ? 今日は一人? 彼氏元気?」
小田君と一緒の時間を共有したお姉さんの言葉に、急激に腹の底から得体の知れない感情が沸き上がった。喉の奥や目の奥がじゅわっと熱くなる。そして立っていられなくなって、崩れるようにその場にしゃがみこんだ。
「ちょっと大丈夫!?」
そばにいるお姉さんの声が、遠くに聞こえた。
「温まるよ。ほら」
泣き腫らした目の前に、ココアの缶が差し出された。わたしはお姉さんの顔を見上げた。
「ほら」
洟をすすりあげて、それを受け取る。温かい。
「とりあえずこっち来て座れば?」
お姉さんは椅子を勧め、自分は植え込みの淵に軽く腰掛けた。
「ほら、そこにいつまでもそうしてたら冷たいでしょ」
わたしはよろめきながらゆっくりと立ち上がり、二、三度スカートをはらって、椅子のところへ行って腰を下ろした。
「飲んだら? ちょっとは落ちつくから」
プルタブに指をかけても、力が入らずうまく開けられない。
「貸して」
お姉さんはわたしから缶を受け取ると、蓋を開けて戻してくれた。
ゆっくりと一口飲み込む。思わず深いため息が出た。
「彼氏と喧嘩でもしたの?」
お姉さんはブラックコーヒーの缶を口に運んだ。
「…………」
「でもあの泣き方からすると、もしかして振られちゃった?」
「…………」
「まあ、生きてりゃいろいろあるよね」
しばらくして、わたしは口を開いた。
「小田君が……」
死んじゃった、という言葉は飲み込んだ。その言葉を口にしてしまったら、認めることになる。いよいよ本当に小田君が死んでしまう。
「あの子小田君って言うんだ?」
わたしはまた洟をすすった。
「わたし、ひどいこと言っちゃった。小田君の夢、バカにするようなこと」
「小田君の夢って何よ」
「サッカー選手」
「そっかあ。まあ、女は基本リアリストだからね」
ひっくひっくしながらわたしは話を続けた。
「でも、違うの。本当は羨ましかったんだと思う。はっきりした夢があって、それに向かって進んでるのが。周りの友達にもいろいろやりたいことあるけど、わたしには何にもないし。だから小田君にひどいこと言っちゃった。友達にはそんなこと言ったことないのに。それに、悩みなさそうでいいねとか、偉そうに。本当は小田君の方がすっごく深刻な悩みを抱えてたのに。なのに、小田君何にも言い返さなくて、そのあとも、逆にやさしくしてくれて……。ホントに恥ずかしい。ひどい。消えちゃいたい」
止まっていた涙がまたあふれて来た。
悲しいはずなのに、一度も泣いていない。我慢しているんじゃなくて、泣くことができないのだ。
何が現実なのかよくわからなくて、受け入れることができない。
学校ではむしろ前より笑っている気がする。友達からは「幸せな人はテンション高いよね」と言われる。
毎日、シルバーのちょうちょを握りしめて考える。あれは夢なんかじゃない。幻でもない。小田君は、確かにあそこにいた。一度も触れてはいないけれど、ちゃんとわたしの隣にいたのだ。
でもどうしてだろう。なんで、見ず知らずのわたしの前に現れたりなんかしたんだろう。本当に意地悪だ。わたしの前に現れたりしなかったら、今頃こんな思いをせずにすんだのに。小田君のことなんて、一生知らないまま生きていけたのに。
この一週間、現実に抗うように、毎日あの公園に行き、あのベンチに座った。
季節が少し進んで空気が冷たくなってきたこと以外は、ここで小田君がボールを蹴っていた時と何も変わらない。犬の散歩をする人がいて、ベビーカーを押す人がいて、ジョギングをする人がいて。そんな人たちを見ていると、なぜかわたしだけが違う世界にいるような気分になる。
公園に行って、何を期待しているわけでもない。まさかまた小田君に会えるなんて思っていない。
ウソ。
本当は思っている。思っていないけど、思っている。だって小田君がいなくなったなんて信じられないし、そんなこと、信じていない。
その日もわたしは、一時間ほど座っていたベンチから腰を上げた。
公園を出て、バス停へ向かう。するとどこかで見たことのある陽気な色の組み合わせが目に飛び込んできた。あの日と同じニット帽だ。広い歩道の隅に台を置き、その上にたくさんのアクセサリーが広げてある。間違いない。あのお姉さんだ。わたしはゆっくりと近づいて行った。
「いらっしゃい」
あの日と同じようにお姉さんは言った。わたしは黙って突っ立ったまま、並んだアクセサリーを眺めた。
「あれ? あんた確か……。あ、それつけてくれてるんだ? 今日は一人? 彼氏元気?」
小田君と一緒の時間を共有したお姉さんの言葉に、急激に腹の底から得体の知れない感情が沸き上がった。喉の奥や目の奥がじゅわっと熱くなる。そして立っていられなくなって、崩れるようにその場にしゃがみこんだ。
「ちょっと大丈夫!?」
そばにいるお姉さんの声が、遠くに聞こえた。
「温まるよ。ほら」
泣き腫らした目の前に、ココアの缶が差し出された。わたしはお姉さんの顔を見上げた。
「ほら」
洟をすすりあげて、それを受け取る。温かい。
「とりあえずこっち来て座れば?」
お姉さんは椅子を勧め、自分は植え込みの淵に軽く腰掛けた。
「ほら、そこにいつまでもそうしてたら冷たいでしょ」
わたしはよろめきながらゆっくりと立ち上がり、二、三度スカートをはらって、椅子のところへ行って腰を下ろした。
「飲んだら? ちょっとは落ちつくから」
プルタブに指をかけても、力が入らずうまく開けられない。
「貸して」
お姉さんはわたしから缶を受け取ると、蓋を開けて戻してくれた。
ゆっくりと一口飲み込む。思わず深いため息が出た。
「彼氏と喧嘩でもしたの?」
お姉さんはブラックコーヒーの缶を口に運んだ。
「…………」
「でもあの泣き方からすると、もしかして振られちゃった?」
「…………」
「まあ、生きてりゃいろいろあるよね」
しばらくして、わたしは口を開いた。
「小田君が……」
死んじゃった、という言葉は飲み込んだ。その言葉を口にしてしまったら、認めることになる。いよいよ本当に小田君が死んでしまう。
「あの子小田君って言うんだ?」
わたしはまた洟をすすった。
「わたし、ひどいこと言っちゃった。小田君の夢、バカにするようなこと」
「小田君の夢って何よ」
「サッカー選手」
「そっかあ。まあ、女は基本リアリストだからね」
ひっくひっくしながらわたしは話を続けた。
「でも、違うの。本当は羨ましかったんだと思う。はっきりした夢があって、それに向かって進んでるのが。周りの友達にもいろいろやりたいことあるけど、わたしには何にもないし。だから小田君にひどいこと言っちゃった。友達にはそんなこと言ったことないのに。それに、悩みなさそうでいいねとか、偉そうに。本当は小田君の方がすっごく深刻な悩みを抱えてたのに。なのに、小田君何にも言い返さなくて、そのあとも、逆にやさしくしてくれて……。ホントに恥ずかしい。ひどい。消えちゃいたい」
止まっていた涙がまたあふれて来た。
