魔法より、君に恋をする。

リリアがその中庭を訪れるのは、これで二度目だった。

 前回は図書館へ向かう途中で迷い込んだ。

 今日は違う。

 少なくとも本人は、そのつもりだった。

「……たぶん、こっち」

 銀色の方位針を見る。

 学院そのものを登録してあるので、敷地内で目的地を探す役にはほとんど立たない。

 それでも持っていると少し安心する。

 石造りの回廊を抜け、階段を一つ下りる。

 見覚えのある古い扉があった。

 開く。

 柔らかな風が頬を撫でた。

 小さな噴水と、白い花の咲く木。

 人の気配がほとんどない、学院の片隅に取り残されたような中庭。

「着いた」

 今日は迷っていない。

 目的地へ辿り着いたのだから、これは完全な勝利だった。

「……本当に来た」

 声がした。

 木陰の長椅子を見る。

 金色の髪が揺れた。

「レオンハルト先輩」

 レオンハルトは本を膝に置いたまま、驚いたようにリリアを見ていた。

 今日も上着を脱ぎ、制服の襟元を少し緩めている。

 王族として人前に立つ時とは違う姿だった。

「迷った?」

「迷ってません」

「即答だね」

「今日はここに来ようと思って来ました」

 レオンハルトの表情が止まった。

「……僕に会いに?」

「先輩がいるかは知りませんでした」

「ああ」

 少しだけ残念そうだ。

「でも、いたらいいなとは思ってました」

 今度こそ、完全に固まった。

「先輩?」

「……君は」

「はい」

「時々、本当に危ないね」

「何が?」

「分からないならいい」

 最近そればかり言われる。

「隣、座っていいですか?」

「もちろん」

 リリアは長椅子へ腰を下ろした。

 二人の間には一人分ほどの距離がある。

「今日は何してたんですか?」

「読書」

「何の本?」

「歴史書」

「ルシアン先輩もこの前、歴史書買ってました」

「会長と王都で会ったの?」

「はい。セシルとノアと出かけてたら、途中でアレン先輩が増えて、その後ルシアン先輩にも会いました」

「……ずいぶん賑やかな休日だね」

「楽しかったです」

「そっか」

 笑っている。

 けれどほんの少しだけ、声が弱くなった気がした。

「先輩は休日何してたんですか?」

「公務」

「休みなのに?」

「王子には学院の休日は関係ないからね」

「大変」

「慣れてるよ」

 いつもの答えだった。

 けれど、リリアは前に彼が言っていたことを覚えている。

 笑っているから元気とは限らない。

「疲れました?」

 レオンハルトが瞬く。

「少し」

 今度は誤魔化さなかった。

「そうですか」

「それだけ?」

「お疲れ様です」

「頑張れとは言わないんだ」

「前も言いました。もう頑張ってる人に言っても疲れるだけなので」

「覚えてたんだね」

「言ったことくらい覚えてます」

 レオンハルトは目を伏せた。

「……そういうところ、変わらないな」

 小さな声だった。

 リリアは聞き逃さなかった。

「今、何て?」

 レオンハルトの顔から笑みが消える。

「僕、何か言った?」

「変わらないって」

「……僕が?」

「はい」

 本人が一番驚いているように見えた。

 リリアは黙って待つ。

「ごめん」

 やがてレオンハルトが額へ手を当てた。

「分からない」

「また?」

「うん」

 苦笑する。

「君と話してると、時々変なんだ」

「どんな感じ?」

「初めて話してるはずなのに、次に君が何を言うのか知っているような気がする。でも実際に当たるわけじゃない」

「前も言ってましたね」

「それから」

 レオンハルトは自分の胸元を押さえた。

「君が笑うと、安心する」

 リリアは瞬いた。

「それは普通じゃないですか?」

「普通かな」

「嫌いな人じゃなければ」

「……そういう意味じゃないんだけどな」

「違う?」

「ううん。今はそれでいい」

 まただ。

 でも今日は追及しなかった。

 レオンハルト自身にも分からないのなら、問い詰めても答えは出ない。

「先輩」

「ん?」

「それ、怖いですか?」

「それ?」

「知らないはずのことを知ってる感じ」

 レオンハルトはしばらく黙った。

「少しね」

「じゃあ私と会わない方がいい?」

 青い瞳がこちらを向く。

「どうして?」

「私といる時に起きるなら」

「それは嫌だな」

 思っていたよりずっと早い返事だった。

 リリアは目を瞬く。

 レオンハルト自身も気づいたらしく、少し困ったように笑った。

「……ごめん。今のは忘れて」

「嫌です」

「即答だね」

「忘れる理由ないので」

「君は本当にそういう子だね」

 レオンハルトは笑った。

 今度の笑顔は、王子としての綺麗なものではない。

 少し困っていて、少し照れていて、それでも楽しそうな笑顔だった。

 リリアはやっぱりこちらの方が好きだと思った。