魔法より、君に恋をする。

 そのまま寮へ戻るつもりだった。

 けれど、廊下の途中でリリアは足を止めた。

「図書館寄る」

「一人で行ける?」

「方位針ある」

「逆さに持たないでね」

「持たない」

「本当に?」

「信用して」

「それはちょっと」

「帰っていいよ」

「ごめんって」

 ノアと別れ、リリアは一人で図書館へ向かった。

 そして十五分後。

「……おかしい」

 知らない回廊にいた。

 銀色の方位針は正しく方向を示している。

 少なくとも、そう見える。

「壊れてる?」

「その道具に罪はないと思うよ」

 聞き覚えのある声がした。

 顔を上げる。

「ルシアン先輩」

 回廊の奥に、生徒会長が立っていた。

「こんにちは、リリア」

「何してるんですか?」

「生徒会室へ戻るところ。君は?」

「図書館」

「ここ、反対側だけど」

「方位針はこっちって」

「見せて」

 ルシアンが覗き込む。

 数秒後、銀色の盤面を指差した。

「上下が逆だね」

 リリアは方位針をひっくり返した。

 針が正反対を向く。

「……」

「ノアからもらったんだっけ?」

「はい」

「彼には黙っておいてあげよう」

「お願いします」

「道具を使って迷うのは才能かもしれないね」

「褒めてます?」

「もちろん」

「嘘」

 ルシアンが笑った。

 リリアも少しだけ笑う。

「そうだ」

「何?」

「好きな人います?」

 ルシアンの笑顔が止まった。

「……ずいぶん唐突だね」

「今日ノアにも聞いた」

「それで僕にも?」

「最近恋愛について考えてるから」

「十五歳らしい悩みで安心したよ」

「ルシアン先輩、時々おじいちゃんみたいなこと言いますね」

「……それはさすがに傷つくな」

「十七歳なのに」

「そうだね。十七歳だったね」

 まただ。

 その言い方。

 リリアは気になったが、今は別の質問をしている。

「それで?」

「好きな人?」

「はい」

 ルシアンは少し考えた。

「いたよ」

「過去形」

「よく聞いてるね」

「今はいない?」

「それが、自分でもよく分からない」

「好きかどうか分からなくなることあるんですか?」

「あるよ。時間が経ちすぎるとね」

「……十七歳ですよね?」

「そこへ戻るの?」

 ルシアンが困ったように笑った。

 けれど、その笑顔の奥にほんの一瞬だけ、ひどく遠いものを見るような色が浮かんだ。

 リリアはそれ以上聞かなかった。

「リリアは?」

「いません」

「即答だね」

「でも、みんなのことは好きです」

「みんな?」

「セシルとノア。先輩たちも」

 ルシアンの眉がわずかに上がる。

「随分大胆な発言だ」

「恋愛じゃなくて」

「分かってるよ」

「最近、それがどう違うのか考えてる」

「答えは?」

「まだ」

「なら、急がなくていい」

 ノアと同じことを言われた。

「ルシアン先輩もそう思う?」

「ああ」

 紫色の瞳が穏やかに細められる。

「誰かに答えを決められるより、ずっといい」

 その言葉に、リリアは少しだけ引っかかった。

「……誰かに?」

「一般論だよ」

「ノアと同じこと言う」

「便利だろう?」

「怪しい人がよく使う言葉なんですね」

「手厳しいな」

 リリアは笑った。

 その時、昨日のことを思い出す。

「そうだ。黒い石」

 ルシアンの表情がわずかに変わった。

「クロフォード先輩から聞きました」

「どこまで?」

「十二本の線があること。私が触れたら赤い月が見えたこと」

「カイルは話したんだね」

「私が聞きました」

「だろうね」

 ルシアンは眼鏡の位置を直した。

「調べたいです」

「却下」

「早い」

「君が言うと思っていたから」

「理由は?」

「危険だから」

「それだけ?」

「今はね」

 リリアはじっと彼を見る。

「……分かりました」

「意外だな」

「一人では調べません」

 今度はルシアンが少し驚いた。

「成長した?」

「クロフォード先輩とも話したので。危ないなら、一人で行かない方がいい」

「そうしてくれると助かるよ」

「その代わり、一緒に調べてください」

「やっぱりそう来るか」

「駄目?」

「……条件付きで許可する」

「条件?」

「僕かカイルがいる時だけ。少なくとも今はね」

「アレン先輩は?」

「彼は君が危険になった瞬間、調査対象ごと吹き飛ばしかねない」

 リリアは想像した。

「やりそう」

「だろう?」

 二人で笑った。

「じゃあ約束」

 リリアは手を差し出した。

 ルシアンがその手を見る。

「小指じゃないんだ?」

「何でもいいです」

「なるほど」

 ルシアンはその手を取った。

 握手のような、ごく普通の触れ方だった。

「約束する。君を一人で危険な場所へ行かせない」

「私も一人では調べません」

「よろしい」

 手が離れる。

 リリアは自分の掌を見る。

 少し前なら、誰かと手を繋ごうが触れられようが、それ以上考えなかった。

 けれど最近は、ほんの少しだけ意識する。

 セシルと手を繋ぐのは、自然で心地いい。

 ノアといると、くだらない話をしているだけで楽しい。

 レオンハルトの手に触れた時は、魔力まで溶け合うような不思議な感覚があった。

 アレンの傷を治した時は、無茶をする彼に腹が立った。

 カイルに抱きしめられた時は、驚いたのに嫌ではなかった。

 そしてルシアンとこうして話していると、もっとこの人の考えていることを知りたくなる。

 どれも同じではない。

 けれど、どれが恋なのかはまだ分からなかった。