翌朝。
リリアは目を覚ますと、枕元に置いていた紙を真っ先に手に取った。
昨夜現れた補完記録。
『二接続点の完全な分離を必要とする』
『管理者候補と管理接続個体が、互いを独立した個体として選択できること』
『接続に依存せず』
『記憶に依存せず』
『過去に依存せず』
『それでも互いの意思で未来を選択できた場合――自律循環移行、実行可能』
そして。
『実行可能接続率――八十五パーセント以上、百パーセント未満』
現在、八十五パーセント。
条件は満たしている。
成功すれば管理者機構は消滅し、世界は自律循環へ移行する。
接続術式も役目を終える。
リリアは紙の最後を見る。
『実行には両個体の明示的同意を必要とする』
「……両方」
自分だけでは決められない。
セシルだけでも決められない。
二人で決める。
昨日までなら、それが怖かった。
セシルを危険に巻き込むようで。
でも今は違う。
セシルにはセシルの意思がある。
守ることと、選択肢を奪うことは同じではない。
リリアはベッドから降りた。
「ちゃんと話そう」
自分に言い聞かせる。
そして。
少しだけ迷ってから。
胸の奥へ意識を向けた。
おはよう。
言葉そのものではない。
ただ、セシルを思う。
すると。
数秒後。
温かな感情が返ってきた。
おはよう。
会いたい。
「……」
リリアは少し笑った。
「私も」
これも、もうすぐなくなる。
そう考えると。
少しだけ寂しかった。
正門へ着くと、セシルはすでに待っていた。
「おはよう」
「おはよ」
顔を見た瞬間。
リリアには分かった。
セシルも何か感じている。
「今日、話ある」
「私も」
「何?」
「接続のこと」
「……同じだ」
二人は学院へ向かって歩き始める。
手は繋がない。
でも今日は、昨日までのように意識して距離を空けることもしなかった。
肩が時々触れるくらい。
それでいい。
「昨日の夜」
リリアが話し始める。
「補完記録が出た」
「やっぱり」
「分かったの?」
「何か見つけたんだろうなって感じがした」
「それも接続?」
「たぶん」
リリアは昨夜見た内容を説明した。
完全な分離。
二人を独立した個体として選ぶこと。
八十五以上、百未満。
そして危険性。
「〇・〇三パーセント未満……」
セシルが繰り返す。
「ゼロじゃない」
「うん」
「リリアも同じ?」
「同じ」
「片方だけじゃないんだ」
「うん」
セシルはしばらく黙った。
リリアは急かさない。
昨日約束した。
一緒に決める。
だから待つ。
「リリアはどうしたい?」
やがてセシルが聞いた。
「先にセシル」
「何で?」
「私が言ったら合わせそうだから」
「合わせないよ」
「九十七だよ?」
「それ関係ある?」
「ありそう」
「じゃあ同時に言う?」
「子どもみたい」
「公平でしょ」
リリアは少し笑った。
「いいよ」
「せーので?」
「うん」
「せーの」
「やる」
「やる」
重なった。
二人とも一瞬黙る。
それから。
「……一緒じゃん」
リリアが言う。
「九十七だから?」
「だから数字で言うなって!」
セシルが笑う。
リリアも笑った。
でも、すぐに真面目な顔へ戻る。
「本当にいい?」
「うん」
「怖くない?」
「怖いよ」
「私も」
「でも」
セシルは前を向いたまま言った。
「リリアが管理者になって、ずっと何か背負う方が嫌」
「……」
「それに、世界のためだけじゃないよ」
「じゃあ何のため?」
「私たちのため」
リリアがセシルを見る。
「接続、なくしたいんでしょ?」
「うん」
「私も」
セシルは少し笑った。
「リリアが何考えてるか分からない普通の恋人になりたい」
「言い方」
「だって本当でしょ」
「まあね」
「キスしたい時も聞く」
「それは今も聞いて」
「可愛いって思っても勝手に伝わらない」
「それは助かる」
「好きって思っても伝わらない」
「……それは」
「それは?」
「別に、言えばいいじゃん」
セシルが止まった。
「リリア」
「何」
「今のもう一回」
「嫌」
「何で!」
「一回で聞いて!」
学院へ着く。
授業が始まる。
けれど今日は、二人とも少し落ち着かなかった。
放課後に実行する。
そう決めたから。
接続率八十五パーセント。
百へ到達する前に。
管理者機構を終わらせる。
昼休み。
二人はいつもの中庭にいた。
「最後かもしれないね」
セシルが言った。
「何が?」
「こうやって感情分かるの」
「そうだね」
「リリア、今何考えてる?」
「当ててみれば?」
セシルが少し目を閉じる。
「……怖い」
「うん」
「早く終わってほしい」
「うん」
「でもちょっと寂しい」
リリアが黙った。
「正解?」
「……うん」
「私も」
「便利だったしね」
「それだけ?」
「それだけじゃない」
リリアは自分の胸元へ手を置く。
「セシルが近くにいる感じ、嫌いじゃなかった」
「私は好きだった」
「知ってる」
「でもなくなっても平気」
「うん」
「だって実際に会えばいいから」
あまりに簡単に言われて、リリアは笑った。
「そうだね」
「寮も同じだし」
「学院も同じ」
「明日も会える」
「卒業しても会うんでしょ?」
「会う」
「ならいいか」
「うん」
そこで二人とも食事へ戻った。
大げさに別れを惜しむ必要なんてなかった。
接続がなくなるだけ。
セシルがいなくなるわけではない。
放課後。
二人は資料室へ向かった。
最初に接続率を確認する。
『接続率 八十五パーセント』
「変わってない」
「よかった」
「じゃあ」
リリアはセシルを見る。
「やろう」
「うん」
二人は手を繋いだ。
術式が光る。
『最終選択領域へ移行しますか』
「する」
視界が白く染まる。
何度も来た場所。
真っ白な空間。
リリア。
セシル。
二人だけ。
中央に表示が現れる。
『管理者候補――LILIA』
『管理接続個体――CECIL』
『接続率――八十五パーセント』
そして。
『最終選択』
二つの選択肢。
『管理者権限を継承する』
『自律循環へ移行する』
リリアは二つを見る。
「前と変わった」
「うん」
以前は接続を維持するか解除するかだった。
今は違う。
世界そのものの未来。
「リリア」
「何?」
「先に聞いていい?」
「うん」
「管理者になりたい?」
「なりたくない」
迷わなかった。
「じゃあいい」
「セシルは?」
「リリアの第二接続点になるの、嫌じゃない」
「危険はあるよ」
「リリアも」
「うん」
「だから一緒」
リリアは頷いた。
「じゃあ選ぶよ」
「うん」
リリアが手を伸ばす。
しかし。
選択肢へ触れる直前。
表示が変わった。
『実行前確認』
『二接続点の完全分離条件を確認します』
リリアの手が止まる。
次。
『管理者候補LILIA』
『管理接続個体CECIL』
『接続を失った場合も、互いを選択しますか』
リリアとセシルは顔を見合わせた。
「これ」
「明示的同意?」
「たぶん」
セシルが少し笑う。
「答え決まってるね」
「うん」
リリアは表示を見る。
「選ぶ」
セシルも答える。
「私も」
表示。
『過去の記録と異なる未来を選択する可能性があります』
『それでも実行しますか』
「もちろん」
リリアが言う。
セシルも頷く。
「過去なんて知らないしね」
「うん」
「今の私たちが決める」
次。
『互いの感情を確認できなくなります』
セシルが笑った。
「言えばいい」
リリアも笑う。
「聞けばいい」
『互いの思考を確認できなくなります』
「それが普通」
『互いの感覚を共有できなくなります』
「自分で触ればいい」
リリアが言った。
セシルが少し顔を赤くする。
「……何想像した?」
「接続で見れば?」
「今だけね」
意識を向ける。
恥ずかしい。
嬉しい。
キスしたい。
「……」
「分かった?」
「分かった」
「何?」
「言わない」
「何で!」
「最後くらい秘密にする」
「ずるい」
二人で笑った。
表示が一度消える。
そして。
『完全分離条件――成立』
その瞬間。
空間全体が震えた。
「来る!」
「うん!」
『自律循環移行を開始』
光。
今までとは比較にならない。
リリアの身体を大量の情報が通り抜ける。
「っ……!」
「リリア!」
「大丈夫!」
世界。
魔力。
無数の術式。
理解できないほどの情報。
それがリリアへ集中する。
苦しい。
頭が割れそうになる。
その瞬間。
「リリア!」
セシルの声。
情報の半分が流れていく。
第二接続点。
「セシル!」
「大丈夫!」
「無理しないで!」
「リリアも!」
二人の間に巨大な術式が浮かぶ。
『情報分散開始』
『管理者機構――切離』
リリアの中へ、過去の記録が流れ込もうとする。
知らない景色。
知らない人。
知らない選択。
でも。
「いらない!」
リリアは拒絶した。
「私は私!」
記憶ではない。
これは過去の情報。
自分の人生ではない。
『独立意思確認』
セシルの方にも何かが流れ込んでいる。
リリアにはそれが何なのか分からない。
接続しているのに。
今までのように分からない。
「セシル!」
「いるよ!」
「何見えてる!?」
「分かんない!」
「大丈夫!?」
「怖い!」
「私も!」
それでよかった。
分からない。
だから聞く。
「手!」
リリアが叫ぶ。
セシルが手を伸ばす。
触れる。
握る。
それだけは術式ではない。
自分たちで触れている。
「離さないで!」
「離さない!」
光がさらに強くなる。
『世界維持術式――自律循環へ移行』
『旧管理者権限――消去』
『管理接続機構――終了』
そして。
『接続術式――解除』
「……!」
その瞬間。
リリアの胸の奥から。
ずっとあったものが消えた。
「セシル?」
目の前にいる。
でも。
何も感じない。
セシルが怖いのか。
痛いのか。
嬉しいのか。
何も分からない。
「……セシル」
リリアの声が震えた。
「何?」
「今、何考えてる?」
「……分からない?」
「分からない」
セシルの目に涙が浮かんだ。
「私も」
「……」
「リリアが何考えてるか、全然分からない」
二人は見つめ合った。
そして。
同時に笑った。
「成功した」
「うん」
「本当に切れた」
「うん」
「怖くない?」
「ちょっと」
「私も」
「でも」
セシルがリリアの手を握り直した。
「これなら分かる」
「何が?」
「リリアが手握ってる」
「当たり前じゃん」
「温かい」
「うん」
「いる」
「いるよ」
リリアは笑った。
「ちゃんといる」
白い空間に最後の表示が現れる。
『自律循環移行――成功』
『世界維持状態――正常』
『管理者――不要』
リリアはその文字を見つめた。
管理者はいらない。
過去の自分が望んだ未来。
でも。
それを選んだのは過去のリリアではない。
今の自分。
そして。
セシル。
『接続計画――終了』
最後の一文。
『未来を選択してください』
「……もう選んだよ」
リリアが呟く。
「何を?」
セシルが聞く。
「教えない」
「何で!」
「もう分からないでしょ?」
「ずるい!」
「知りたい?」
「知りたい」
「じゃあ聞いて」
「今聞いてる!」
リリアは笑った。
白い空間が崩れ始める。
「リリア!」
「大丈夫!」
二人は手を繋いだまま。
光に包まれた。
次に目を開ける。
資料室。
「……戻った」
「うん」
魔導灯。
机。
ノート。
全部そのまま。
ただ一つ。
円と三本の線だけが消えていた。
「……終わった?」
セシルが聞く。
「確認する」
リリアはいつものように意識を向ける。
セシル。
何も来ない。
「好き」
セシルが突然言った。
「え?」
「届いた?」
「……言葉では」
「感情は?」
「分かんない」
「じゃあ成功」
「確認方法それ?」
「分かりやすいでしょ」
「まあ」
リリアは少し笑う。
それから。
「私も好き」
今度はセシルが固まった。
「……」
「何?」
「もう一回」
「嫌」
「何で!」
「一回で聞いてって言ったでしょ」
「接続ないんだから聞き逃したら終わりじゃん」
「じゃあちゃんと聞いて」
「もう一回だけ」
「……好き」
セシルの顔が一気に明るくなる。
「分かりやす」
「今までは隠してもバレたから」
「今は顔でバレてるよ」
「リリアも」
「私は普通」
「嬉しそう」
「……まあね」
少し沈黙。
今までなら。
この瞬間、互いの気持ちは勝手に流れ込んできた。
今は何もない。
静かだ。
でも。
嫌な静けさではなかった。
「リリア」
「何?」
「キスしていい?」
リリアは目を瞬いた。
「……ちゃんと聞くんだ」
「分からないから」
「そっか」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ?」
リリアは少し笑った。
「いいよ」
セシルが近づく。
唇が触れる。
接続率は上がらない。
光も出ない。
記録も開かない。
ただ。
好きな人とキスをした。
それだけ。
離れたあと。
セシルが笑った。
「どうだった?」
「何その質問」
「もう分からないから」
「……嬉しかった」
「私も」
リリアはセシルの肩へ額を預けた。
「これから毎回言うの?」
「何が?」
「嬉しいとか、好きとか」
「言ってほしい」
「面倒」
「ええ!?」
「冗談」
「リリア!」
笑い声が資料室に響く。
事件は終わった。
管理者も。
接続計画も。
世界再構成も。
もう二人を縛らない。
残ったのは。
リリアと。
セシル。
ただの二人の少女。
そして。
恋人同士。
「帰ろっか」
リリアが言う。
「うん」
二人は資料室を出た。
手は繋いでいる。
でももう。
その手を通して相手の心が流れ込んでくることはない。
だから。
「セシル」
「何?」
「明日も一緒に行く?」
「学院?」
「うん」
「行く」
「じゃあいつものところ」
「分かった」
「寝坊しないでね」
「起こして」
「もう接続ないから無理」
「部屋まで来て」
「嫌」
「何で!」
「朝早い」
「恋人なのに」
「恋人は目覚ましじゃない!」
二人は笑いながら女子寮へ向かう。
明日のセシルが何を考えるのか。
リリアには分からない。
明日のリリアが何を選ぶのか。
セシルにも分からない。
だから明日。
また話せばいい。
聞けばいい。
伝えればいい。
何度でも。
別々の人間として。
そのたびに。
隣にいることを選べばいい。
リリアは目を覚ますと、枕元に置いていた紙を真っ先に手に取った。
昨夜現れた補完記録。
『二接続点の完全な分離を必要とする』
『管理者候補と管理接続個体が、互いを独立した個体として選択できること』
『接続に依存せず』
『記憶に依存せず』
『過去に依存せず』
『それでも互いの意思で未来を選択できた場合――自律循環移行、実行可能』
そして。
『実行可能接続率――八十五パーセント以上、百パーセント未満』
現在、八十五パーセント。
条件は満たしている。
成功すれば管理者機構は消滅し、世界は自律循環へ移行する。
接続術式も役目を終える。
リリアは紙の最後を見る。
『実行には両個体の明示的同意を必要とする』
「……両方」
自分だけでは決められない。
セシルだけでも決められない。
二人で決める。
昨日までなら、それが怖かった。
セシルを危険に巻き込むようで。
でも今は違う。
セシルにはセシルの意思がある。
守ることと、選択肢を奪うことは同じではない。
リリアはベッドから降りた。
「ちゃんと話そう」
自分に言い聞かせる。
そして。
少しだけ迷ってから。
胸の奥へ意識を向けた。
おはよう。
言葉そのものではない。
ただ、セシルを思う。
すると。
数秒後。
温かな感情が返ってきた。
おはよう。
会いたい。
「……」
リリアは少し笑った。
「私も」
これも、もうすぐなくなる。
そう考えると。
少しだけ寂しかった。
正門へ着くと、セシルはすでに待っていた。
「おはよう」
「おはよ」
顔を見た瞬間。
リリアには分かった。
セシルも何か感じている。
「今日、話ある」
「私も」
「何?」
「接続のこと」
「……同じだ」
二人は学院へ向かって歩き始める。
手は繋がない。
でも今日は、昨日までのように意識して距離を空けることもしなかった。
肩が時々触れるくらい。
それでいい。
「昨日の夜」
リリアが話し始める。
「補完記録が出た」
「やっぱり」
「分かったの?」
「何か見つけたんだろうなって感じがした」
「それも接続?」
「たぶん」
リリアは昨夜見た内容を説明した。
完全な分離。
二人を独立した個体として選ぶこと。
八十五以上、百未満。
そして危険性。
「〇・〇三パーセント未満……」
セシルが繰り返す。
「ゼロじゃない」
「うん」
「リリアも同じ?」
「同じ」
「片方だけじゃないんだ」
「うん」
セシルはしばらく黙った。
リリアは急かさない。
昨日約束した。
一緒に決める。
だから待つ。
「リリアはどうしたい?」
やがてセシルが聞いた。
「先にセシル」
「何で?」
「私が言ったら合わせそうだから」
「合わせないよ」
「九十七だよ?」
「それ関係ある?」
「ありそう」
「じゃあ同時に言う?」
「子どもみたい」
「公平でしょ」
リリアは少し笑った。
「いいよ」
「せーので?」
「うん」
「せーの」
「やる」
「やる」
重なった。
二人とも一瞬黙る。
それから。
「……一緒じゃん」
リリアが言う。
「九十七だから?」
「だから数字で言うなって!」
セシルが笑う。
リリアも笑った。
でも、すぐに真面目な顔へ戻る。
「本当にいい?」
「うん」
「怖くない?」
「怖いよ」
「私も」
「でも」
セシルは前を向いたまま言った。
「リリアが管理者になって、ずっと何か背負う方が嫌」
「……」
「それに、世界のためだけじゃないよ」
「じゃあ何のため?」
「私たちのため」
リリアがセシルを見る。
「接続、なくしたいんでしょ?」
「うん」
「私も」
セシルは少し笑った。
「リリアが何考えてるか分からない普通の恋人になりたい」
「言い方」
「だって本当でしょ」
「まあね」
「キスしたい時も聞く」
「それは今も聞いて」
「可愛いって思っても勝手に伝わらない」
「それは助かる」
「好きって思っても伝わらない」
「……それは」
「それは?」
「別に、言えばいいじゃん」
セシルが止まった。
「リリア」
「何」
「今のもう一回」
「嫌」
「何で!」
「一回で聞いて!」
学院へ着く。
授業が始まる。
けれど今日は、二人とも少し落ち着かなかった。
放課後に実行する。
そう決めたから。
接続率八十五パーセント。
百へ到達する前に。
管理者機構を終わらせる。
昼休み。
二人はいつもの中庭にいた。
「最後かもしれないね」
セシルが言った。
「何が?」
「こうやって感情分かるの」
「そうだね」
「リリア、今何考えてる?」
「当ててみれば?」
セシルが少し目を閉じる。
「……怖い」
「うん」
「早く終わってほしい」
「うん」
「でもちょっと寂しい」
リリアが黙った。
「正解?」
「……うん」
「私も」
「便利だったしね」
「それだけ?」
「それだけじゃない」
リリアは自分の胸元へ手を置く。
「セシルが近くにいる感じ、嫌いじゃなかった」
「私は好きだった」
「知ってる」
「でもなくなっても平気」
「うん」
「だって実際に会えばいいから」
あまりに簡単に言われて、リリアは笑った。
「そうだね」
「寮も同じだし」
「学院も同じ」
「明日も会える」
「卒業しても会うんでしょ?」
「会う」
「ならいいか」
「うん」
そこで二人とも食事へ戻った。
大げさに別れを惜しむ必要なんてなかった。
接続がなくなるだけ。
セシルがいなくなるわけではない。
放課後。
二人は資料室へ向かった。
最初に接続率を確認する。
『接続率 八十五パーセント』
「変わってない」
「よかった」
「じゃあ」
リリアはセシルを見る。
「やろう」
「うん」
二人は手を繋いだ。
術式が光る。
『最終選択領域へ移行しますか』
「する」
視界が白く染まる。
何度も来た場所。
真っ白な空間。
リリア。
セシル。
二人だけ。
中央に表示が現れる。
『管理者候補――LILIA』
『管理接続個体――CECIL』
『接続率――八十五パーセント』
そして。
『最終選択』
二つの選択肢。
『管理者権限を継承する』
『自律循環へ移行する』
リリアは二つを見る。
「前と変わった」
「うん」
以前は接続を維持するか解除するかだった。
今は違う。
世界そのものの未来。
「リリア」
「何?」
「先に聞いていい?」
「うん」
「管理者になりたい?」
「なりたくない」
迷わなかった。
「じゃあいい」
「セシルは?」
「リリアの第二接続点になるの、嫌じゃない」
「危険はあるよ」
「リリアも」
「うん」
「だから一緒」
リリアは頷いた。
「じゃあ選ぶよ」
「うん」
リリアが手を伸ばす。
しかし。
選択肢へ触れる直前。
表示が変わった。
『実行前確認』
『二接続点の完全分離条件を確認します』
リリアの手が止まる。
次。
『管理者候補LILIA』
『管理接続個体CECIL』
『接続を失った場合も、互いを選択しますか』
リリアとセシルは顔を見合わせた。
「これ」
「明示的同意?」
「たぶん」
セシルが少し笑う。
「答え決まってるね」
「うん」
リリアは表示を見る。
「選ぶ」
セシルも答える。
「私も」
表示。
『過去の記録と異なる未来を選択する可能性があります』
『それでも実行しますか』
「もちろん」
リリアが言う。
セシルも頷く。
「過去なんて知らないしね」
「うん」
「今の私たちが決める」
次。
『互いの感情を確認できなくなります』
セシルが笑った。
「言えばいい」
リリアも笑う。
「聞けばいい」
『互いの思考を確認できなくなります』
「それが普通」
『互いの感覚を共有できなくなります』
「自分で触ればいい」
リリアが言った。
セシルが少し顔を赤くする。
「……何想像した?」
「接続で見れば?」
「今だけね」
意識を向ける。
恥ずかしい。
嬉しい。
キスしたい。
「……」
「分かった?」
「分かった」
「何?」
「言わない」
「何で!」
「最後くらい秘密にする」
「ずるい」
二人で笑った。
表示が一度消える。
そして。
『完全分離条件――成立』
その瞬間。
空間全体が震えた。
「来る!」
「うん!」
『自律循環移行を開始』
光。
今までとは比較にならない。
リリアの身体を大量の情報が通り抜ける。
「っ……!」
「リリア!」
「大丈夫!」
世界。
魔力。
無数の術式。
理解できないほどの情報。
それがリリアへ集中する。
苦しい。
頭が割れそうになる。
その瞬間。
「リリア!」
セシルの声。
情報の半分が流れていく。
第二接続点。
「セシル!」
「大丈夫!」
「無理しないで!」
「リリアも!」
二人の間に巨大な術式が浮かぶ。
『情報分散開始』
『管理者機構――切離』
リリアの中へ、過去の記録が流れ込もうとする。
知らない景色。
知らない人。
知らない選択。
でも。
「いらない!」
リリアは拒絶した。
「私は私!」
記憶ではない。
これは過去の情報。
自分の人生ではない。
『独立意思確認』
セシルの方にも何かが流れ込んでいる。
リリアにはそれが何なのか分からない。
接続しているのに。
今までのように分からない。
「セシル!」
「いるよ!」
「何見えてる!?」
「分かんない!」
「大丈夫!?」
「怖い!」
「私も!」
それでよかった。
分からない。
だから聞く。
「手!」
リリアが叫ぶ。
セシルが手を伸ばす。
触れる。
握る。
それだけは術式ではない。
自分たちで触れている。
「離さないで!」
「離さない!」
光がさらに強くなる。
『世界維持術式――自律循環へ移行』
『旧管理者権限――消去』
『管理接続機構――終了』
そして。
『接続術式――解除』
「……!」
その瞬間。
リリアの胸の奥から。
ずっとあったものが消えた。
「セシル?」
目の前にいる。
でも。
何も感じない。
セシルが怖いのか。
痛いのか。
嬉しいのか。
何も分からない。
「……セシル」
リリアの声が震えた。
「何?」
「今、何考えてる?」
「……分からない?」
「分からない」
セシルの目に涙が浮かんだ。
「私も」
「……」
「リリアが何考えてるか、全然分からない」
二人は見つめ合った。
そして。
同時に笑った。
「成功した」
「うん」
「本当に切れた」
「うん」
「怖くない?」
「ちょっと」
「私も」
「でも」
セシルがリリアの手を握り直した。
「これなら分かる」
「何が?」
「リリアが手握ってる」
「当たり前じゃん」
「温かい」
「うん」
「いる」
「いるよ」
リリアは笑った。
「ちゃんといる」
白い空間に最後の表示が現れる。
『自律循環移行――成功』
『世界維持状態――正常』
『管理者――不要』
リリアはその文字を見つめた。
管理者はいらない。
過去の自分が望んだ未来。
でも。
それを選んだのは過去のリリアではない。
今の自分。
そして。
セシル。
『接続計画――終了』
最後の一文。
『未来を選択してください』
「……もう選んだよ」
リリアが呟く。
「何を?」
セシルが聞く。
「教えない」
「何で!」
「もう分からないでしょ?」
「ずるい!」
「知りたい?」
「知りたい」
「じゃあ聞いて」
「今聞いてる!」
リリアは笑った。
白い空間が崩れ始める。
「リリア!」
「大丈夫!」
二人は手を繋いだまま。
光に包まれた。
次に目を開ける。
資料室。
「……戻った」
「うん」
魔導灯。
机。
ノート。
全部そのまま。
ただ一つ。
円と三本の線だけが消えていた。
「……終わった?」
セシルが聞く。
「確認する」
リリアはいつものように意識を向ける。
セシル。
何も来ない。
「好き」
セシルが突然言った。
「え?」
「届いた?」
「……言葉では」
「感情は?」
「分かんない」
「じゃあ成功」
「確認方法それ?」
「分かりやすいでしょ」
「まあ」
リリアは少し笑う。
それから。
「私も好き」
今度はセシルが固まった。
「……」
「何?」
「もう一回」
「嫌」
「何で!」
「一回で聞いてって言ったでしょ」
「接続ないんだから聞き逃したら終わりじゃん」
「じゃあちゃんと聞いて」
「もう一回だけ」
「……好き」
セシルの顔が一気に明るくなる。
「分かりやす」
「今までは隠してもバレたから」
「今は顔でバレてるよ」
「リリアも」
「私は普通」
「嬉しそう」
「……まあね」
少し沈黙。
今までなら。
この瞬間、互いの気持ちは勝手に流れ込んできた。
今は何もない。
静かだ。
でも。
嫌な静けさではなかった。
「リリア」
「何?」
「キスしていい?」
リリアは目を瞬いた。
「……ちゃんと聞くんだ」
「分からないから」
「そっか」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ?」
リリアは少し笑った。
「いいよ」
セシルが近づく。
唇が触れる。
接続率は上がらない。
光も出ない。
記録も開かない。
ただ。
好きな人とキスをした。
それだけ。
離れたあと。
セシルが笑った。
「どうだった?」
「何その質問」
「もう分からないから」
「……嬉しかった」
「私も」
リリアはセシルの肩へ額を預けた。
「これから毎回言うの?」
「何が?」
「嬉しいとか、好きとか」
「言ってほしい」
「面倒」
「ええ!?」
「冗談」
「リリア!」
笑い声が資料室に響く。
事件は終わった。
管理者も。
接続計画も。
世界再構成も。
もう二人を縛らない。
残ったのは。
リリアと。
セシル。
ただの二人の少女。
そして。
恋人同士。
「帰ろっか」
リリアが言う。
「うん」
二人は資料室を出た。
手は繋いでいる。
でももう。
その手を通して相手の心が流れ込んでくることはない。
だから。
「セシル」
「何?」
「明日も一緒に行く?」
「学院?」
「うん」
「行く」
「じゃあいつものところ」
「分かった」
「寝坊しないでね」
「起こして」
「もう接続ないから無理」
「部屋まで来て」
「嫌」
「何で!」
「朝早い」
「恋人なのに」
「恋人は目覚ましじゃない!」
二人は笑いながら女子寮へ向かう。
明日のセシルが何を考えるのか。
リリアには分からない。
明日のリリアが何を選ぶのか。
セシルにも分からない。
だから明日。
また話せばいい。
聞けばいい。
伝えればいい。
何度でも。
別々の人間として。
そのたびに。
隣にいることを選べばいい。

