魔法より、君に恋をする。

翌日の昼休み。

 リリアとセシルは、担当教師の机の前に並んで立っていた。

「王立魔法研究院の資料閲覧?」

 教師はリリアから渡された申請書を見て、怪訝そうに眉を寄せた。

「はい」

「昨日、特別研究枠の話をしたばかりだぞ」

「だからです」

「だから?」

「進路を検討するなら、実際にどういう研究をしているのか見ておきたいです」

 嘘ではない。

 ただし目的の半分以上を隠している。

 教師は申請書へ視線を戻した。

「閲覧したい分野が随分と古いな。世界構造論、古代魔法体系、術式による情報保存……」

「興味があります」

「授業では扱っていないが」

「だから見たいです」

「……お前はこういう時だけ妙に行動が早いな」

「褒めてます?」

「半分な」

 隣でセシルが小さく笑った。

 リリアが肘で軽くつつく。

「それで」

 教師が今度はセシルを見る。

「なぜセシルまで?」

「私も興味があります」

「本当に?」

「……リリアが興味を持っているので」

「正直だな」

「セシル!」

「嘘つくよりいいでしょ」

 教師はしばらく二人を見比べていたが、やがてため息をついた。

「まあいい。学生単独では入れない区画が多い。私から見学申請を出しておく」

「いつ行けますか?」

「早くて来週――」

「遅いです」

「最後まで聞け」

「接続……じゃなくて、調べたいことが急ぎなので」

「今何を言いかけた?」

「何も」

 教師の目が細くなる。

 リリアは平然と見返した。

「……明日の午後なら、私が同行できる」

「明日でお願いします」

「即答か」

「ありがとうございます」

「まだ許可が下りるとは――」

「お願いします」

「分かった、分かった」

 教師は申請書を受け取った。

「ただし勝手な行動はするなよ」

「はい」

「特にリリア」

「何で私だけ」

「心当たりがないなら、その方が問題だ」

 部屋を出ると、セシルが堪えきれずに笑った。

「完全に警戒されてる」

「失礼だよね」

「妥当だと思う」

「セシルまで?」

「だって『接続』って言いかけたし」

「……あれは危なかった」

「私、心臓止まるかと思った」

「止まったら困る」

「何で?」

「何でって……」

 言いかけて、リリアは止まった。

 セシルが期待するようにこちらを見る。

「言わない」

「何で!」

「今言ったら接続率上がりそう」

「なるほど」

 二人は同時に黙る。

 現在、八十二パーセント。

 残り十八。

 昨日、二人は一つの厄介な事実に気づいた。

 接続率は、キスや接触だけで上がるわけではない。

 同じことで笑う。

 互いを大切に思う。

 同じ未来を望む。

 それだけでも上がる。

「……普通に付き合うだけで危険って何なの」

 リリアがぼやく。

「別れれば止まる?」

「嫌」

 反射的に答えた。

 セシルが目を丸くする。

「……そんな即答する?」

「だって嫌だから」

「うん」

「何その顔」

「嬉しい」

「それで上がるんだから喜ばないで」

「無茶言わないでよ」

 セシルが笑う。

 リリアもつられて笑いそうになって、途中で口元を押さえた。

「笑わない」

「そこまで!?」

「同期しそうだから」

「じゃあ私も笑わない」

「うん」

 二人とも真顔になる。

 数秒。

「……」

「……」

「無理」

 先に吹き出したのはセシルだった。

「ちょっと!」

「だってリリアの顔!」

「セシルが笑うからでしょ!」

 結局、二人とも笑った。

 幸い術式は現れなかった。

 その日の放課後。

 二人は図書室で、明日研究院へ行く前の準備をしていた。

「世界再構成」

 リリアは紙の中央に書く。

「分かってるのは、この世界が一度目じゃないってこと」

「うん」

「再構成されると個体の記憶は失われる」

「でも情報は外部記録に残せる」

「そして初代管理者は過去のリリア」

「今のリリアとは別の人」

「そう」

 そこは重要だった。

 顔が同じでも。

 名前が同じでも。

 過去のリリアと今のリリアは別の人間。

 記憶もない。

 人生も違う。

 選択も違っていい。

「それで」

 リリアは次に書く。

『管理者を必要としない世界』

「これが分からない」

「管理者って何を管理してるんだろう」

「接続計画だけじゃないと思う」

「どうして?」

「初代管理者がわざわざ『管理者を必要としない世界』って言ってるから」

 リリアはペンを動かす。

「もし接続計画だけの管理者なら、接続を解除すれば終わる。でもあの言い方だと、もっと大きな役割がある」

「世界そのもの?」

「たぶん」

「じゃあ世界再構成と管理者が関係してる?」

「可能性は高い」

 セシルが紙を覗き込む。

 肩が触れる。

 リリアは少し横へずれた。

「何で離れるの」

「近いから」

「昨日まで普通だったじゃん」

「八十二だから」

「……」

 セシルも少し離れた。

 二人の間に妙な隙間ができる。

「遠くない?」

「安全第一」

「寂しい」

「我慢して」

「リリアは平気?」

「平気」

「本当に?」

「……」

「リリア」

「ちょっと寂しい」

「ほら」

「言わせないでよ!」

 セシルが笑う。

 リリアは顔を逸らした。

 それでも、二人の間の隙間はそのままにした。

 百パーセントになるまでは。

 あと少しだけ。

 翌日。

 授業を終えた二人は、担当教師とともに王立魔法研究院を訪れた。

 学院とはまるで違う場所だった。

 広い廊下。

 高い天井。

 壁一面に埋め込まれた魔導灯。

 研究員たちが資料や器具を抱えて行き交っている。

「すご……」

 セシルが小さく呟く。

 リリアは返事をしなかった。

 目が忙しい。

 廊下の術式。

 各研究室の表示。

 壁に掲示された研究成果。

 全部見たい。

「リリア」

「何?」

「目が怖い」

「何で?」

「全部覚えようとしてるでしょ」

「無理だよ」

「じゃあ何見てるの?」

「全部」

「やっぱり」

 教師が振り返る。

「勝手に消えるなよ」

「消えません」

「リリア」

「分かってます!」

 最初に案内されたのは一般資料区画だった。

 学生でも閲覧可能な論文や研究記録が保管されている。

「二時間だ」

 教師が言う。

「私は隣の研究室にいる。何かあれば呼べ」

「分かりました」

「奥の封印資料には触るな」

「……」

「返事」

「分かりました」

 教師が去る。

 セシルがすぐにリリアを見る。

「奥行く気だった?」

「まだ何も言ってない」

「顔」

「顔で全部判断するのやめて」

 二人は手分けして資料を探し始めた。

 世界構造。

 再構成。

 情報保存。

 管理者。

 しかし、一時間経っても決定的なものは見つからない。

「ないね」

 セシルが机へ戻ってくる。

「こっちも」

「やっぱり封印資料?」

「たぶん」

「先生に頼む?」

「頼んで見せてくれるなら最初から封印してない」

「じゃあどうするの」

「……考える」

 リリアは周囲を見る。

 勝手に入るのは駄目だ。

 約束した。

 それに、研究院で問題を起こせば今後の閲覧も難しくなる。

「今日は帰る?」

 セシルが聞く。

「悔しいけど」

 リリアが資料を閉じようとした時だった。

 胸の奥が熱くなる。

「……え?」

「どうしたの?」

「何か」

 接続ではない。

 セシルの感情でもない。

 もっと以前にも感じたことがある。

 外部記録が開く直前の感覚。

 リリアは顔を上げる。

 資料区画の奥。

 封印資料庫。

 その方向から。

 何かに呼ばれている。

「リリア?」

「奥」

「え?」

「あそこに何かある」

「接続?」

「違う」

「じゃあ何で――」

 その瞬間。

 研究院全体の魔導灯が一度だけ消えた。

「……」

 すぐに戻る。

 周囲の研究員たちは少し驚いただけで、また作業へ戻った。

 けれどリリアとセシルには見えていた。

 封印資料庫の扉。

 そこに。

 円と三本の線。

「……同じ術式」

 セシルが囁く。

「行く」

「でも」

「扉の前まで」

 二人は立ち上がった。

 近づく。

 封印資料庫の扉には鍵がかかっている。

 当然だ。

「触らない方がいいよ」

「分かってる」

 リリアは術式を見るだけにする。

 しかし。

 あと一歩まで近づいた瞬間。

『対象LILIA確認』

「……」

「出た」

 文字が浮かぶ。

『管理接続個体CECIL確認』

 続いて。

『閲覧権限――承認』

 かちり。

 扉の鍵が開いた。

「……私、何もしてない」

「開いたね」

「勝手に」

「どうする?」

 リリアは扉を見る。

 入るなと言われた。

 でも。

 術式側が自分たちに閲覧権限を与えた。

「先生呼ぶ」

 セシルが少し驚いた。

「入らないの?」

「勝手には入らない」

「偉い」

「私を何だと思ってるの」

「ちょっと安心した」

 担当教師を呼ぶと、当然ながら最初は信じてもらえなかった。

「勝手に開けたんじゃないだろうな」

「開けてません!」

「本当です」

 セシルも横から言う。

「近づいたら勝手に」

 教師は扉を確認する。

 顔色が変わった。

「……これは」

「知ってるんですか?」

「いや」

「じゃあ何でそんな顔するんですか」

「この資料庫は、研究院の上級研究員でも申請が必要だ」

「でも開きました」

「それがおかしい」

 教師はしばらく考えたあと、研究院の職員を呼んだ。

 確認。

 照合。

 何度かやり取りがあり。

 最終的に。

「……入っていいそうだ」

「本当ですか?」

「ただし私も同行する」

「もちろんです」

「触る前に必ず確認しろ」

「はい」

 今度は素直に答えた。

 扉が開く。

 中は思ったより狭かった。

 古い資料が棚に並んでいる。

 そして最奥。

 一冊だけ。

 机の上に置かれた記録帳。

 表紙に。

 円と三本の線。

「これ」

 リリアが近づく。

「先生」

「待て」

 教師が先に確認する。

「……魔力反応なし。開いてみろ」

 リリアが手を伸ばす。

 表紙へ触れた。

 その瞬間。

 文字が浮かぶ。

『管理者記録 最終保存』

「読める?」

 セシルが聞く。

「うん」

 教師には文字が見えていないらしい。

「何が書いてある?」

「管理者記録、最終保存」

「……そんな文字はないぞ」

 リリアとセシルは顔を見合わせた。

「私も見える」

 セシルが言う。

 二人にだけ見えている。

 リリアはゆっくり表紙を開いた。

 最初のページ。

『世界再構成研究 最終報告』

 次。

『世界再構成は自然現象ではない』

 リリアの指が止まる。

「……」

「続きは?」

 セシルが聞く。

 ページをめくる。

『世界維持術式の破綻によって発生する』

「世界維持術式?」

 次。

『本来、世界は外部管理を必要としない』

『しかし初期世界において発生した魔力循環の欠陥を補うため、管理者による補正機構が導入された』

 リリアは読む速度を上げる。

『補正機構は世界崩壊を防いだ』

『同時に、管理者への依存を生んだ』

「……だから管理者を必要としない世界」

「うん」

 次のページ。

『管理者が存在する限り、世界は維持される』

『ただし管理者機構が限界へ到達した場合、世界は初期状態に近い形へ再構成される』

「それが今まで何度も?」

「たぶん」

『再構成後、新たな管理者候補が選定される』

 リリアの表情が変わる。

「……待って」

「何?」

「新たな管理者候補」

 ページをめくる。

 そこには。

『現世界 管理者候補』

 その下。

『LILIA』

「……私?」

 セシルの顔色が変わった。

「今のリリア?」

「たぶん」

 さらに読む。

『接続計画は、管理者候補に過去の情報を提供するために構築された』

『最終的な選択は二つ』

 一。

『管理者権限を継承し、現行世界維持機構を存続させる』

 二。

『管理者機構を終了し、世界を自律循環へ移行させる』

 リリアは息を止めた。

「これだ」

「管理者を必要としない世界?」

「うん」

 過去のリリアが望んでいたもの。

 管理者を必要としない世界。

 それは。

 今のリリアが管理者にならないということ。

「じゃあ二つ目を選べばいいんじゃない?」

 セシルが言った。

「待って」

 リリアは次のページをめくる。

 こういうものには必ず条件がある。

 案の定。

『自律循環移行条件』

 第一。

『管理者候補が過去の管理者情報から独立した意思決定能力を有すること』

「これは大丈夫そう」

 セシルが言う。

「たぶん」

 第二。

『現世界において安定した外部接続点を有すること』

「外部接続点?」

 リリアは嫌な予感がした。

 次の行。

『管理接続個体』

 セシルが黙る。

「……私?」

 リリアは続きを読む。

『自律循環移行時、管理者候補に集中していた世界情報を一時的に分散する必要がある』

『管理接続個体は、その際の第二接続点となる』

「危険なの?」

 セシルが聞く。

 リリアは答えず、次を読む。

『成功時――管理者機構は消滅』

『世界は自律循環へ移行』

『接続術式は役割を終了する』

「成功時」

 リリアが呟く。

「失敗したら?」

 ページをめくる。

 最後の項目。

『失敗時』

 文字が一部消えている。

「また?」

 リリアは目を凝らす。

 辛うじて読める。

『管理接続個体への――過負荷』

 その先がない。

 セシルが黙った。

「……危ないんだ」

「分からない」

「でも過負荷って」

「程度が書いてない」

「リリア」

「まだ決めない」

 リリアは即答した。

「でも管理者になったら?」

「それも調べる」

「もしリリアが管理者にならないと世界が――」

「まだ決めない」

 もう一度。

 今度は強く。

 セシルが口を閉じた。

「……ごめん」

 リリアは少し声を落とす。

「セシルが危険になる可能性がある状態で、そんな簡単に選べない」

「でも」

「嫌なの」

 リリアはセシルを見る。

「世界とか管理者とか、そんなもののためにセシルが傷つくのは嫌」

「……」

「私が管理者になれば済むなら、その方が――」

「それも嫌」

 今度はセシルが遮った。

「何で?」

「リリアが嫌がってるから」

「でも」

「リリアが私を勝手に守るなら、私もリリアを勝手に守る」

「何その理屈」

「同じでしょ」

「違う」

「同じ」

 二人は睨み合う。

 担当教師は少し離れたところで、完全に会話についていけず困惑していた。

「……君たち、何の話をしてるんだ?」

「あとで説明します」

 二人同時に答えた。

 そして、同時に顔を見合わせる。

「……」

「……」

 少しだけ笑いそうになる。

 でも今は笑えなかった。

 リリアは最後のページを見る。

「まだ何かある」

 小さな文字。

『自律循環移行における成功条件』

 ページの一部が破損している。

 読めるのは最後だけ。

『二接続点の完全な――を必要とする』

「完全な……何?」

 セシルが覗き込む。

「読めない」

 そこだけが消えている。

「同期?」

「分からない」

「接続?」

「それもあり得る」

 リリアは記録帳を閉じた。

「この欠けた部分を探す」

「どこで?」

「別の記録があるはず」

「何で分かるの?」

「こんな重要な条件、一冊にしか残さないなんてあり得ない」

「過去のリリアなら?」

「私なら絶対予備を作る」

「過去のリリアは別人じゃなかった?」

「……性格くらい似てる可能性あるでしょ」

 セシルが少し笑った。

「そこだけ信用するんだ」

「うるさい」

 資料庫を出る。

 教師への説明は大変だった。

 見えている文字が違う。

 接続計画。

 管理者。

 世界再構成。

 すべてを話すわけにはいかず、リリアは「特殊な術式によって一部の情報が閲覧できた」とだけ伝えた。

 研究院を出た頃には、外は夕暮れだった。

 二人で学院へ戻る道を歩く。

 今日は手を繋いでいない。

 八十二パーセント。

 危険だから。

 しばらく無言だった。

「リリア」

「何?」

「私、やるよ」

「何を」

「第二接続点」

「まだ何も分かってない」

「分かってからでも」

「危険ならやらせない」

「私が決める」

「セシル」

「前に言ったでしょ」

 セシルが立ち止まる。

「私がここにいるのも、私の選択」

「……」

「管理接続個体に選ばれたからじゃない。リリアが好きだから一緒にいる」

「それと危険なことするのは別」

「別じゃない」

「別だよ」

「じゃあリリアが管理者になるのは?」

「それは私が決めること」

「ほら」

 セシルの声が少し強くなる。

「リリアだけ自分で決めて、私は駄目なの?」

 リリアは答えられなかった。

「……ずるい」

 セシルが言う。

「私、守られるだけのためにリリアの恋人になったんじゃない」

「そんなこと言ってない」

「同じだよ」

「違う」

「じゃあ一緒に決めようよ」

 セシルの目が揺れる。

「リリア一人で決めないで」

 胸の奥に感情が流れ込んでくる。

 怖い。

 リリアを失いたくない。

 でも。

 それ以上に。

 一緒にいたい。

「……セシル」

「うん」

「怖い?」

「怖い」

「私も」

「うん」

「世界がどうなるかも怖いけど」

「うん」

「セシルに何かある方が怖い」

 セシルが少し目を見開く。

「だから嫌なの」

 リリアは視線を落とした。

「好きな人を危険なところに立たせるの、こんなに嫌なんだね」

「……リリア」

「知らなかった」

 自分一人なら。

 危険でも、必要ならやる。

 今まではそうだった。

 でも今は。

 自分より怖いものができた。

 セシルが傷つくこと。

 いなくなること。

 それを考えるだけで、冷静でいられなくなる。

 セシルが一歩近づいた。

「抱きしめていい?」

「……接続率」

「今だけ」

「上がるかも」

「それでも」

 リリアは少し迷った。

 それから。

「……いいよ」

 セシルが抱きしめる。

 リリアも腕を回した。

 強くはない。

 ただ、そこにいることを確かめるように。

「私も怖いよ」

 セシルが耳元で言った。

「リリアがいなくなるの」

「うん」

「だから一人で決めないで」

「……うん」

「危険なら、一緒に別の方法探そう」

「うん」

「私を外す方法も探していい」

「うん」

「でも見つからなかった時は」

 リリアは少し身体を離した。

「その時は?」

「二人で決める」

「……分かった」

 セシルが笑った。

 リリアも少し笑う。

 その瞬間。

 嫌な予感がした。

「……」

「……」

 二人は同時に下を見る。

 光。

「やっぱり!」

「ごめん!」

「セシルのせいだけじゃない!」

 術式が浮かぶ。

『接続率 八十五パーセント』

「三!?」

「抱きしめただけなのに!」

「内容が重かったからでしょ!」

「感情同期!?」

「たぶん!」

 数字は止まった。

 八十五。

 残り十五。

「……急ごう」

 リリアが言う。

「うん」

「でも焦って選ばない」

「うん」

「絶対」

「約束」

 今度は手を繋がない。

 ただ隣を歩く。

 それでも二人の距離は、さっきより少しだけ近かった。

 その夜。

 リリアは研究院で見た文章を何度も書き直していた。

『二接続点の完全な――を必要とする』

 欠けた言葉。

 同期。

 接続。

 同調。

 信頼。

 どれも可能性はある。

「完全な……」

 その時。

 机の上の術式が光った。

「え?」

 セシルはいない。

 何もしていない。

 それなのに。

『外部記録 緊急開示』

「緊急?」

 初めて見る表示だった。

 続いて。

『接続率八十五パーセント到達により制限解除』

 文字が変わる。

『自律循環移行条件 補完記録』

 リリアは立ち上がった。

「……見つけた」

 そして。

 研究院で欠けていた一文が、完全な形で現れた。

『二接続点の完全な分離を必要とする』

「……え?」

 同期ではない。

 逆だった。

 分離。

 その下。

『管理者候補と管理接続個体が、互いを独立した個体として選択できること』

『接続に依存せず』

『記憶に依存せず』

『過去に依存せず』

『それでも互いの意思で未来を選択できた場合――』

 リリアは息を止める。

『自律循環移行 実行可能』

「……」

 全部。

 今まで二人がしてきたことだった。

 術式がなくても好き。

 全部分からなくてもいい。

 違う道を選んでも、一緒にいたい。

 互いを一人の人間として選ぶ。

「だから……」

 接続率を百にすることが条件ではない。

 むしろ逆。

 完全に繋がる前に。

 二人が別々の人間であることを選ばなければならない。

 その時。

 最後の表示。

『実行可能接続率――八十五パーセント以上、百パーセント未満』

 リリアの目が大きくなる。

「今、できる」

 八十五。

 条件を満たした。

 そして次の一文。

『実行時、管理接続個体に発生する過負荷――』

 リリアは身構える。

 文字が現れる。

『一時的な感覚共有および魔力消耗』

『恒久的損傷予測――〇・〇三パーセント未満』

「……」

 リリアは何度も読み直した。

「〇・〇三……」

 ゼロではない。

 でも。

 想像していたものとは全く違う。

 命を失うような仕組みではなかった。

 さらに。

『管理者候補への恒久的損傷予測――〇・〇三パーセント未満』

「同じ……」

 どちらかが犠牲になる仕組みではない。

 二人で。

 同じだけ負う。

 最後。

『実行には両個体の明示的同意を必要とする』

 リリアはその文字を見つめた。

 セシルが言った。

 一緒に決めよう。

「……分かったよ」

 リリアは小さく笑った。

「明日、一緒に決めよう」

 その夜。

 離れた女子寮の別の部屋で。

 セシルもまた、胸の奥に届いた微かな安心を感じていた。

 理由は分からない。

 でも。

 リリアが何かを見つけた。

 そんな気がした。

 そしてセシルは、眠る前に一つだけ思った。

 明日もリリアに会いたい。

 その感情は。

 術式を通して届いたのか。

 届かなかったのか。

 もう、どちらでもよかった。