魔法より、君に恋をする。

 翌朝、リリアが目を覚ました瞬間に感じたのは、セシルの眠気だった。

「……まだ寝てるな」

 自分も起きたばかりなのに、なぜか分かる。

 昨日、接続率は八十パーセントへ到達した。最終選択領域で、接続を維持するか解除するかという選択肢を提示されたものの、答えは保留した。

 そして最後に表示されたもの。

『次回接続時――管理者記録を開示』

「管理者……」

 ベッドの上で呟く。

 接続計画を作った存在。

 リリアとセシルの名前を記録し、セシルを管理接続個体として選定した何者か。

 ようやくそこまで辿り着いた。

 怖くないわけではない。

 でも、知りたい。

 なぜ自分なのか。

 なぜセシルなのか。

 なぜ未来を選ばせるために、こんな大掛かりな仕組みを残したのか。

 そこまで考えたところで。

 胸の奥から、ぼんやりとした感情が届いた。

 起きたくない。

「……」

 リリアは笑った。

「起きなよ」

 当然、声は届かない。

 代わりに、起きろ、と念じてみる。

 数秒後。

 驚き。

 続いて。

 嫌。

「子どもか」

 また笑う。

 八十パーセントになっても、こういうところは何も変わらない。

 それが妙に嬉しかった。

 正門へ着くと、セシルは少し遅れてやってきた。

「おはよう」

「おはよ。寝坊?」

「誰かに起こされた」

「知らないなあ」

「絶対リリア」

「証拠は?」

「頭の中に『起きろ』って感じが来た」

「声じゃないなら証拠になりません」

「そのあと笑ってたでしょ」

「それも分かった?」

「何となく」

「八十、面倒だな」

「でも起こしてくれた」

「遅刻されたら困るから」

「私がいないと寂しい?」

「朝から調子乗らないで」

 そう言いながら、リリアから手を繋ぐ。

 セシルがそれを見て笑った。

「何」

「別に」

「今絶対何か思った」

「接続で当ててみたら?」

「……嬉しい?」

「正解」

「分かりやすすぎ」

「リリア相手だからね」

 学院へ向かう。

 昨日、二人は接続解除を選ぶつもりだと確認した。

 百パーセントになれば、感情、感覚、思考の境界まで恒常的に共有される。

 それは望まない。

 互いに分からないことがあるから聞く。

 言葉にする。

 自分の意思で近づく。

 二人とも、そちらを選んだ。

 だから残っている目的は一つ。

 解除する前に、外部記録から必要な情報を確認すること。

「今日見る?」

 セシルが聞いた。

「管理者記録?」

「うん」

「見る」

 リリアは迷わなかった。

「怖くない?」

「怖いよ」

「即答なんだ」

「怖いのと知りたいのは別」

「リリアらしい」

「セシルは?」

「怖い」

「やめる?」

「やめない」

「何で?」

「リリアと一緒だから」

「……」

「何?」

「そういうの自然に言えるようになったね」

「恋人だから」

「便利な言葉みたいに使わないで」

「でも本当でしょ?」

「……まあ」

 セシルが笑う。

 リリアも少し笑った。

 放課後。

 二人は資料室へ向かった。

 今日は最初から他の生徒がいない時間を選んだ。

 机の上には、これまでの記録をまとめたノートだけ。

「準備いい?」

 リリアが聞く。

「うん」

 二人は向かい合って座った。

「どうやって出すの?」

「分からない」

「昨日は勝手に出たよね」

「接続を意識してみる」

 リリアは目を閉じる。

 セシルの存在を意識する。

 手を繋いでいなくても、どこにいるか分かる。

 目の前。

 少し緊張している。

 でも逃げるつもりはない。

 リリアは目を開けた。

「セシル」

「何?」

「手」

 差し出す。

 セシルが握る。

 指が絡んだ。

「……一緒に見るよ」

「うん」

 光が浮かぶ。

 円と三本の線。

『接続率 八十パーセント』

 数字は昨日から変わっていない。

「よかった」

「上がってないね」

 次の表示。

『最終選択――保留』

『管理者記録を開示しますか』

「する」

 リリアが答えた。

 視界が白く染まる。

 次に目を開けた時。

 二人は、見覚えのある白い空間に立っていた。

 最終選択領域。

 けれど今日は選択肢がない。

 代わりに、一つの記録が浮かんでいた。

『管理者記録』

『識別情報を開示』

 リリアは息を止める。

 文字が現れる。

『初代管理者識別名――LILIA』

「……え?」

 セシルの声が聞こえた。

 リリアは動けなかった。

 LILIA。

 自分と同じ名前。

「リリア……?」

「待って」

 次の表示を待つ。

 同名の別人かもしれない。

 偶然かもしれない。

 けれど。

 次の記録。

 映像が現れた。

 白い部屋。

 以前、外部記録で見た場所。

 大量の資料。

 円と三本の線。

 そして。

 一人の少女。

 白銀の髪。

 リリアとよく似た顔。

「……」

 セシルが息を呑んだ。

「リリア」

「似てるね」

「似てるっていうか……」

「私だね」

 でも。

 リリアの胸に懐かしさはなかった。

 知らない。

 この部屋も。

 この少女も。

 何一つ思い出さない。

 当然だった。

 これは自分の記憶ではない。

 保存された記録だ。

 映像の中のリリアが机へ座る。

『管理者記録 第一号』

 声が聞こえた。

『この記録を見ている私へ』

 現在のリリアの表情が変わる。

『あなたに私の記憶はない』

『そして、それでいい』

 セシルがリリアを見る。

 リリアは黙って映像を見続けた。

『あなたは私ではない』

『同じ情報を持つ必要も、同じ選択をする必要もない』

 過去のリリアが淡々と話す。

『世界再構成によって、新しい世界が生まれるたび、そこに生まれる人間は新しい個体として生きる』

『過去の記憶を継承すれば、その人間は過去の選択に縛られる』

『だから私は、記憶継承を禁止した』

 リリアは無意識に息を吐いた。

 自分が何も思い出さない理由。

 セシルが何も思い出さない理由。

 最初から、それが正しい設計だった。

『ただし』

 映像の中のリリアが続ける。

『情報まで失えば、同じ失敗を繰り返す可能性がある』

『だから記憶ではなく、記録を残す』

『必要な時に』

『必要な者が』

『自分の意思で見るために』

 映像が一度途切れる。

 次に映ったのは、大きな術式だった。

 円。

 三本の線。

 今まで何度も見たもの。

『接続計画』

『この術式は、次の私を支配するためのものではない』

『むしろ逆だ』

『私から自由にするためのものだ』

「……私から自由に」

 リリアが呟く。

 過去のリリアは続ける。

『次の私が、私と同じ人を愛するとは限らない』

 リリアの目が少し大きくなる。

『同じ夢を持つとも限らない』

『同じ道を選ぶとも限らない』

『それでいい』

『だから接続候補は、過去の関係ではなく、その世界における現在の感情同期率によって選定する』

「……」

 セシルがリリアの手を握った。

 リリアも握り返す。

 九十七。

 あの数字。

 過去に何があったからセシルが選ばれたのではない。

 今の世界で。

 今の二人が。

 互いに強く惹かれ合ったから。

 だからセシルだった。

『この仕組みが正常に動いているなら』

 過去のリリアが少し笑った。

『今、あなたの隣にいる人は、私が選んだ人ではない』

 リリアはセシルを見る。

 青い髪。

 隣で、自分と同じ映像を見ている。

『あなた自身が選んだ人だ』

 セシルの手に力が入る。

 リリアの胸が温かくなった。

「……よかった」

 小さく呟く。

「何が?」

「セシルで」

 セシルが目を見開いた。

「今?」

「今」

「記録見てる途中だよ」

「言いたくなったから」

 セシルが笑った。

「私も、リリアでよかった」

 映像は続く。

 しかし。

 過去のリリアの表情が変わった。

『ここからが重要だ』

 二人の笑顔が消える。

『接続計画には、一つだけ欠陥がある』

「……やっぱりあるんだ」

 リリアが呟いた。

『感情同期率の高い二個体を接続した場合、術式は安定する』

『しかし安定しすぎる』

「どういう意味?」

 セシルが聞く。

 答えるように記録が続く。

『接続率八十パーセント以降』

『術式は二個体を一つの情報系として認識し始める』

 リリアの表情が強張る。

『百パーセント到達時』

『個体人格は維持される』

『しかし情報境界は失われる』

 昨日見た説明と同じ。

 感情。

 感覚。

 思考。

 常時共有。

『それを幸福と感じる者もいるかもしれない』

『だが私は』

 過去のリリアがはっきり言った。

『それを愛とは呼ばない』

 現在のリリアが息を止める。

『愛する者同士であっても、別の人間だ』

『知らないことがある』

『理解できないことがある』

『それでも知ろうとする』

『言葉を交わす』

『選び直す』

『その自由を奪ってはいけない』

 リリアは黙って聞いていた。

 昨日、自分が思ったことと同じだった。

 全部分かる必要はない。

 分からないから聞く。

 言う。

 自分で近づく。

『だから』

『接続率八十パーセントへ到達した対象には、必ず解除権限を与える』

『選ぶのは私ではない』

『あなた自身だ』

 映像が一度暗くなる。

「……これで終わり?」

 セシルが聞いた。

「たぶんまだ」

 リリアには分かった。

 重要なことが一つ残っている。

 なぜ。

 こんな計画が必要だったのか。

 その答え。

 再び映像が現れる。

 今度の過去のリリアは、先ほどより疲れていた。

 机には大量の記録。

『最後に』

『世界再構成について記録する』

 リリアの目が鋭くなる。

『この世界は、一度目ではない』

 セシルが息を呑む。

『そして、おそらく最後でもない』

『一定条件下において、世界は再構成される』

『原因は――』

 映像が乱れた。

「待って!」

 リリアが声を上げる。

 文字が欠ける。

『――の暴走』

『――世界維持限界』

『再構成後――記憶消失』

 読めない。

「何でここだけ!」

 リリアが一歩近づく。

 映像はさらに乱れた。

 最後。

 過去のリリアが何かを言う。

『もし次の私が――』

 音が途切れる。

 口だけが動く。

「何?」

 リリアは必死に読む。

 そして。

 一瞬だけ音声が戻った。

『――管理者を必要としない世界を選べたなら』

 映像が消えた。

「……」

 白い空間に静寂が落ちる。

「管理者を必要としない世界」

 セシルが呟く。

「それが最終目的?」

「たぶん」

「でもどうやって?」

「分からない」

 リリアは唇を噛む。

「肝心なところが欠けてる」

 世界再構成の原因。

 管理者を必要としない世界。

 まだ情報が足りない。

「リリア」

「何?」

「解除、まだしない?」

「……うん」

「やっぱり?」

「ここで解除したら、もう記録を見られない可能性がある」

「でも接続率は八十」

「分かってる」

「百まであと二十」

「上げなければいい」

「できる?」

「……たぶん」

「自信ない顔してる」

「だって勝手に上がる時あるし」

 セシルが少し笑った。

「じゃあ、しばらくキス禁止?」

「何で最初にそれが出てくるの」

「上がったことあるから」

「……禁止」

「即答」

「危ないから!」

「分かった」

 セシルは素直に頷いた。

 そのあと。

「残念だけど」

「言わなくていい!」

 リリアの顔が赤くなる。

 セシルが笑う。

「リリアも残念?」

「知らない」

「接続で――」

「見るな!」

「まだ見てない!」

 二人の声が白い空間に響いた。

 少しだけ怖さが薄れる。

 リリアは改めてセシルを見る。

「ねえ」

「うん」

「さっきの」

「何?」

「今、隣にいる人は私が選んだ人じゃない。あなた自身が選んだ人って」

「うん」

「……嬉しかった」

 セシルが柔らかく笑った。

「私も」

「九十七だったけど」

「うん」

「百じゃなかった」

「そこ気になる?」

「ちょっと」

「残り三は?」

「何だろうね」

 セシルは少し考えた。

「違う人間だからじゃない?」

 リリアが目を瞬いた。

「全部同じじゃないから」

「……」

「だから九十七くらいでいいんじゃない?」

 リリアは数秒黙った。

 それから笑った。

「それ好き」

「でしょ?」

「百じゃなくていい」

「うん」

「私とセシル、違うしね」

「全然違う」

「それはそれで言い方むかつく」

「褒めたのに!」

 二人で笑う。

 その瞬間。

 白い空間の端に小さな文字が現れた。

『接続率 八十一パーセント』

「……」

「……」

「セシル」

「何?」

「一上がった」

「キスしてないよ!?」

「分かってる!」

「笑っただけ!」

「感情同期!」

「あ」

 二人は同時に口を閉じた。

 そして。

 数秒後。

「……これ、無理じゃない?」

 セシルが言った。

「何が?」

「好き同士で普通に過ごしてたら上がるんでしょ?」

 リリアは答えられなかった。

 その通りだった。

 キスをしなくても。

 抱きしめなくても。

 手を繋がなくても。

 同じことで笑う。

 同じ未来を望む。

 互いを好きだと思う。

 それだけで接続率は上がる。

「……あと十九」

 リリアが呟いた。

「その前に全部調べないと」

「間に合う?」

「間に合わせる」

「どうやって?」

 リリアは顔を上げた。

「王立魔法研究院」

「昨日の推薦?」

「うん」

「まだ先じゃないの?」

「推薦を待つ必要ない」

「え?」

「先生に頼む」

 リリアの目が変わる。

 セシルにはもう分かった。

 こうなったリリアは止まらない。

「学生研究の事前見学でも、資料閲覧申請でも何でもいい。研究院の記録にアクセスする」

「世界再構成について?」

「それと管理者」

「あるかな」

「学院よりは可能性がある」

「じゃあ私も行く」

「もちろん」

「え?」

「一緒に来るんでしょ?」

「……うん」

「なら最初から人数に入れてる」

 セシルが嬉しそうに笑った。

「リリア」

「何?」

「好き」

「上がるからやめて!」

「ごめん!」

「私もだけど!」

「え?」

「……」

「リリア?」

「今の忘れて」

「無理」

「忘れて!」

 光が強くなる。

 白い空間が消えていく。

 最後に表示されたのは。

『接続率 八十二パーセント』

「二になった!」

「リリアが好きって言うから!」

「セシルが先でしょ!」

 二人の言い合う声と一緒に、視界が白く染まった。

 次の瞬間。

 資料室。

 二人は向かい合って座っていた。

「……」

「……」

「八十二」

「うん」

「あと十八」

「うん」

 リリアはノートを開いた。

 今日分かったことを、一気に書き始める。

 初代管理者。

 LILIA。

 記憶継承禁止。

 接続計画。

 現在の感情同期率による選定。

 世界再構成。

 そして。

『管理者を必要としない世界』

 最後の一文へ二重線を引いた。

「ここ」

「うん」

「これが終点だと思う」

「管理者をなくす?」

「たぶん」

「どうするの?」

「それを調べる」

 リリアはペンを置いた。

「接続率が百になる前に」

 セシルが頷く。

 そして机の下。

 そっとリリアの小指に、自分の小指だけを絡めた。

「……何してるの」

「手繋ぐと上がりそうだから」

「小指ならいいの?」

「気持ちの問題」

「意味ないと思う」

「嫌?」

「……嫌じゃない」

「じゃあこれで」

 小指だけ繋いで。

 二人は笑った。

 八十二パーセント。

 残り十八。

 恋人らしいことを禁止したところで、意味はない。

 二人が互いを好きで。

 一緒に笑って。

 同じ未来を望む限り。

 接続は進む。

 だから止まるのではなく。

 その前に答えを見つける。

 リリアはそう決めた。

 そして翌日。

 王立魔法研究院への臨時資料閲覧申請を出すため、二人は担当教師のもとを訪れることになる。

 そこで。

 これまで誰も教えてくれなかった一つの名前に出会う。

 世界再構成研究。

 その最後の研究責任者。

 初代管理者リリアと共に記録されていた、もう一人の人物の名前に。