魔法より、君に恋をする。



 翌朝、リリアは目を覚ました瞬間、妙な静けさを感じた。

 昨日までなら、起き抜けにセシルの感情が微かに触れてくることがあった。眠いとか、会いたいとか、本人が意識していないようなものまで届くことがある。

 けれど今日は何もない。

「……セシル?」

 呼んだところで、当然返事はない。

 接続率は六十八パーセント。昨日の実験では簡単な図形や色まで共有できたし、離れていても強い感情なら伝わるようになっていた。

 それが突然、何も感じない。

 リリアはベッドから降り、急いで支度を始めた。

「考えすぎならいいけど」

 そう口にしながらも、手はいつもより速かった。

 正門へ向かう途中も、セシルの気配はない。

 嫌な予感が少しずつ膨らんでいく。

 いつもの場所が見える。

 青い髪。

「……いた」

 リリアは思わず息を吐いた。

 セシルもこちらに気づき、手を上げる。

「おはよう、リリア」

「おはよ」

 顔色は悪くない。怪我もしていない。

「どうしたの?」

「何が?」

「すごい見てる」

「……今日、何も感じない」

 セシルの表情が変わった。

「私も」

「朝から?」

「うん。起きた時から」

 二人は顔を見合わせた。

「切れた?」

 セシルが聞く。

「それなら嬉しいけど」

「嬉しいの?」

「セシルと繋がってるのが嫌なんじゃないよ。でも勝手に頭の中まで入ってくるのは別」

「それは私も分かる」

 リリアはセシルへ手を差し出した。

「試す?」

「うん」

 手を繋ぐ。

 指を絡める。

 いつもの温度。

 でも、それだけだった。

「……何か分かる?」

「何も」

「私も」

 リリアは少し考え、わざとセシルを見つめた。

「好き」

「えっ」

「今、どう?」

「朝から急に言われて心臓痛い」

「感情は?」

「自分のしか分からない」

「じゃあ本当に止まってる」

「実験で好きって言ったの?」

「駄目?」

「……駄目じゃないけど」

 セシルが少し顔を赤くする。

「もう一回言って」

「実験終わったから嫌」

「何で!」

「今度はセシルが言う番」

「好きだよ」

「早っ」

「言ってほしかったんでしょ?」

「……そうだけど」

 接続がなくても、胸が温かくなる。

 リリアはその感覚に気づいて、少しだけ笑った。

「何?」

「別に」

「今何考えてるか分からない」

「それが普通なんだよ」

「昨日までなら分かったのに」

「不便?」

「ちょっと」

「私はちょっと嬉しい」

「ひどい」

「だってこれなら、セシルのこと見ながら可愛いなって思ってもバレないし」

「今言ったからバレたよ」

「……ほんとだ」

 二人で笑った。

 ただ、接続が止まった理由は分からない。

 そしてリリアには、どうしてもそれが偶然だとは思えなかった。

 午前の授業が終わる頃になっても、何も変わらなかった。

 昼休み、二人は昨日までの記録を持って図書室へ向かった。

「六十八になったのが昨日」

 リリアはノートを開く。

「最初は十二。その次が十九。それから四十、四十三、四十八、五十を超えて一気に六十。その後六十八」

「改めて見ると上がり方すごいね」

「特に五十以降がおかしい」

「自律接続が始まったから?」

「たぶん。でも今日止まった」

 リリアは数字の横に線を引いた。

「何か条件がある」

「例えば?」

「時間。距離。接続時間。感情同期。あとは術式側の都合」

「最後が一番嫌だな」

「私も」

 ページをめくる。

 これまで外部記録から得られた情報も整理してある。

『対象LILIA』

『適合個体――CECIL』

『接続候補は複数存在』

『ただし、CECILにおいてのみ――』

『感情同期値――』

 そして。

『管理――』

「この続きが七十で見られるんだよね」

 セシルが言った。

「昨日の表示が正しいなら」

「あと二」

「でも今日は接続自体が止まってる」

「……無理に上げなくてもいいよ」

 リリアが顔を上げた。

「怖い?」

「少し。でも、それだけじゃなくて」

 セシルはノートの『CECIL』という文字を見る。

「誰かが勝手に私を選んで、リリアに繋げようとしてたっていうのが嫌」

「うん」

「私がリリアを好きなのも、それが原因だったらって考えちゃう」

 リリアは黙った。

 その可能性は、自分も考えていた。

 接続候補。

 適合個体。

 感情同期値。

 誰かが二人を選んだのなら、どこまでが自分たちの意思なのか。

 セシルがずっとリリアを好きだったことすら、術式によって作られたものだったら。

「セシル」

「うん」

「それは違うと思う」

「どうして?」

「接続が始まる前から好きだったんでしょ?」

「……うん」

「私は最近だけど」

「それは知ってる」

「そこ即答しなくていいから」

 セシルが少し笑う。

 リリアは続けた。

「少なくとも私がセシルを好きになった時、術式のことなんて知らなかった。誰かに好きになれって言われたわけでもない」

「でも接続自体は前からあったかもしれない」

「それなら調べればいい」

「……」

「勝手に決められたのが嫌なら、なおさら」

 リリアはノートを閉じた。

「私たちの気持ちが誰かに作られたものなのか、それとも誰かが私たちの関係を利用しようとしてるだけなのか。全然違うでしょ」

「うん」

「私は後者だと思ってる」

「理由は?」

「勘」

「リリアが?」

「何その反応」

「全部理屈で考える人なのに」

「私だって勘くらい使うよ」

 少し間を置いて、リリアは付け加えた。

「それに、セシルが私を好きなのは術式のせいって言われたら、普通にむかつく」

「……何で?」

「私の恋人なんだから、私を好きなのはセシルの意思であってほしい」

 言い切ったあとで、急に恥ずかしくなる。

「……何その顔」

「嬉しい」

「接続なくても分かる」

「顔に出てる?」

「出すぎ」

「じゃあ隠す」

「別に隠さなくていいよ」

「リリア」

「何?」

「もう一回言って」

「何を?」

「私の恋人」

「嫌」

「何で!」

「恥ずかしいから!」

 セシルが笑った。

 その笑顔を見て、リリアもつられて笑う。

 接続はない。

 それでも相手が嬉しいことくらい、ちゃんと分かる。

 その日の放課後。

 二人は資料室へ向かった。

 昨日までと同じ場所。

 けれど円と三本の線は現れない。

「本当に止まってるね」

「うん」

「七十にならないのかな」

「それならそれでいい」

「気にならない?」

「めちゃくちゃ気になる」

「やっぱり」

「でもセシルの方が大事」

 セシルが黙る。

「……何?」

「今の、接続あったら絶対上がってた」

「じゃあなくてよかったね」

「私はちょっと残念」

「何で?」

「リリアが今どういう気持ちで言ったのか、全部知りたかった」

 リリアは少し考えた。

「じゃあ言う」

「え?」

「心配してる。セシルが自分の気持ちまで疑ってるのが嫌。あと、私とのことを誰かに決められたものだと思ってほしくない」

「……うん」

「それと」

 リリアは少しだけ視線を逸らす。

「普通に、セシルのことが好きだから大事」

 静かになった。

「……何か言って」

「今、無理」

「何で?」

「嬉しすぎる」

「言わせたのそっちじゃん」

「そうだけど」

 セシルが顔を覆う。

 その反応が可愛くて、リリアは笑った。

「接続ない方が面白いかも」

「リリア」

「だって全部顔に出るじゃん」

「もう」

 セシルが顔を上げる。

 その目が合った。

 自然と、昨日のキスを思い出す。

 二人とも少し黙った。

「……リリア」

「何?」

「キスしたい」

「急だね」

「今日は分からないから」

「何が?」

「リリアがしたいかどうか」

 その言葉に、リリアは少し驚いた。

 昨日までは確かに、聞かなくても分かってしまった。

 今は分からない。

 だから聞く。

「……私もしたい」

 リリアが答えると、セシルの表情が柔らかくなった。

「じゃあ、いい?」

「うん」

 セシルが近づく。

 リリアも目を閉じた。

 唇が触れる。

 一度だけ。

 昨日より短い。

 それでも離れた時、リリアは少し笑った。

「何?」

「いや」

「変だった?」

「違う」

 リリアはセシルの手を握る。

「こっちの方が好きかも」

「接続ない方?」

「うん。分からないから聞くし、言うから」

 セシルも笑った。

「私も」

 その瞬間だった。

 指先に、微かな熱が走った。

「……え?」

「リリア?」

 胸の奥に何かが触れる。

 久しぶりの感覚。

 驚き。

 幸福。

 そして、同時に同じことへ気づいた感覚。

「戻った」

「うん」

 二人の手の間から淡い光が漏れる。

「何で今?」

「分からない」

 円と三本の線が浮かんだ。

 文字が現れる。

『接続率 六十九パーセント』

「……一だけ?」

 セシルが呟く。

「待って」

 リリアは表示を睨む。

 数字は止まっている。

「今までなら、キスしたらもっと上がった」

「じゃあキスが条件じゃない?」

「やっぱり感情同期の方」

「でも今は一しか上がってない」

「何か足りない」

 二人は手を繋いだまま考える。

 六十九。

 あと一。

「……リリア」

「何?」

「さっき言ったこと、本当?」

「どれ?」

「接続ない方が好きって」

「うん」

「じゃあ、この術式なくなっても平気?」

「当たり前じゃん」

 リリアは即答した。

「むしろなくなってほしい」

「……私との繋がりも?」

「これは私たちの繋がりじゃないでしょ」

 セシルが目を見開く。

 リリアは繋いだ手を少し持ち上げた。

「これは術式」

 そして、自分とセシルを交互に指す。

「こっちは私たち」

 セシルが黙った。

「違う?」

「……違わない」

「術式なくなったら私のこと好きじゃなくなる?」

「ならない」

「私も」

 リリアは笑った。

「じゃあ別物」

 セシルの目が少し潤んだ。

「泣くの?」

「泣かない」

「泣きそうじゃん」

「リリアが急に格好いいこと言うから」

「格好いい?」

「うん」

「可愛いじゃなくて?」

「両方」

「じゃあいいや」

「そこなんだ」

 二人で笑った。

 その瞬間。

 六十九が。

 七十へ変わった。

「……」

「……」

 二人の笑顔が止まる。

『接続率 七十パーセント』

「今の何?」

「分からない」

「私たち、同じこと思ってた?」

 リリアは少し考えた。

「たぶん」

 術式がなくても大丈夫。

 それでも一緒にいる。

 それだけは、二人とも同じだった。

 光が強くなる。

『第三階層 開放』

 次の表示。

『接続計画 閲覧権限付与』

「来た」

 リリアはセシルの手を強く握った。

「見る?」

 セシルが聞く。

「一緒に」

「うん」

 視界が白く染まった。

 外部記録。

 今までと同じ。

 自分たちの記憶ではない。

 保存されている情報を、二人が同時に見ているだけ。

 最初に現れたのは文字だった。

『接続計画 第一段階』

『目的――世界間情報保持』

 リリアの眉が動く。

 世界間。

 意味を考えるより先に、次の文章が現れた。

『世界再構成時、原則として個体記憶は継承されない』

「……」

 リリアは息を呑んだ。

 セシルも隣で黙っている。

 次。

『記憶継承を行わず、必要情報のみを外部記録として保存する』

 そして。

『新規個体に過去記憶を付与することを禁止する』

 リリアはその一文を凝視した。

 はっきり書かれている。

 過去の記憶は引き継がれない。

 新しい個体へ与えることもない。

 つまり。

 セシルの中に、忘れている何かが眠っているわけではない。

 彼女は本当に、今の人生で生きてきたセシルだ。

 記録は記録。

 本人の記憶とは別物。

 映像が切り替わる。

『接続計画 第二段階』

『外部記録へのアクセスを可能とするため、各世界に管理接続個体を設定する』

「管理接続個体……」

 次の文章。

『選定条件』

 高魔力適性。

 情報処理能力。

 精神安定性。

 そして。

『対象との高い感情同期率』

 リリアは息を止めた。

 画面が切り替わる。

『対象LILIA』

 その下に複数の名前が並ぶ。

 以前見た接続候補。

 一つずつ、数字が表示されている。

 十二。

 十八。

 二十一。

 九。

 そして最後。

『CECIL――九十七』

「……九十七?」

 セシルが呟いた。

 次の文章が現れる。

『唯一、基準値を満たす』

『管理接続個体――CECIL』

 二人とも言葉を失った。

 リリアは数字を見る。

 接続率ではない。

 感情同期率。

 最初から。

 術式が二人を好きにさせたわけではない。

 逆だ。

 二人の間に存在した何かを、術式側が見つけた。

 だからセシルが選ばれた。

「……私がリリアを好きだから?」

 セシルが小さく言う。

「それだけじゃないと思う」

「どうして?」

「同期って一方向じゃない」

 リリアは画面を見る。

「私の側にも、セシルと合う何かがあったんだと思う」

 その時。

 最後の記録が開いた。

『管理接続個体の役割』

『対象LILIAが外部記録へ到達した際――』

 文字が一度乱れる。

 そして。

『対象に選択権を返還する』

「選択権?」

 リリアが呟いた。

 さらに続く。

『接続計画の最終目的は、過去を再現することではない』

『記憶を復元することでもない』

『次の世界を、過去の結果によって固定しないためである』

 そして最後。

『LILIA自身に、未来を選択させること』

 そこで記録が止まった。

 白い光が消える。

 気づけば二人は資料室に戻っていた。

 しばらく、どちらも喋らなかった。

「……何それ」

 最初に口を開いたのはリリアだった。

「私に未来を選ばせる?」

「うん」

「誰がそんなこと決めたの」

「分からない」

「管理者?」

「たぶん」

 リリアは苛立ったように髪をかき上げた。

「意味分かんない。勝手に記録残して、勝手にセシル選んで、最後は私に選ばせますって?」

「リリア怒ってる?」

「怒ってる」

「何で?」

「セシルまで巻き込んでるから」

 セシルが少し驚く。

「私?」

「そうだよ。私のための計画なら私だけでやればいいじゃん」

「でも私は嫌じゃない」

「私は嫌」

「何で?」

「セシルが危ない目に遭うかもしれない」

「リリアもでしょ」

「私は自分で決める」

「私も自分で決めるよ」

 リリアが止まった。

 セシルは真っ直ぐこちらを見ていた。

「管理者が私を選んだから一緒にいるんじゃない」

「……」

「リリアが好きだからいるの」

「セシル」

「術式がなくなっても好きなんでしょ?」

「うん」

「私も」

 セシルは笑った。

「じゃあ、私がここにいるのも私の選択」

 リリアは何も言えなかった。

 さっき自分が言ったことを、そのまま返されている。

「……ずるい」

「何が?」

「私が反論できない言い方する」

「リリアが教えてくれたんだよ」

「そうだけど」

 少し悔しい。

 でも。

 嬉しかった。

 リリアはセシルの手を握り直した。

「じゃあ一緒に来て」

「うん」

「途中で怖くなったら言って」

「リリアも」

「分かった」

「約束」

「約束」

 指を絡める。

 接続率七十パーセント。

 けれど今、リリアには数字より大事なことがあった。

 セシルが自分で選んだ。

 自分もセシルを選んでいる。

 それだけでいい。

「ところで」

 リリアが言う。

「何?」

「感情同期率九十七って高すぎない?」

「……そうだね」

「他の人二十一とかだったよ?」

「うん」

「セシル、どんだけ私のこと好きなの」

「私だけの数字じゃないってリリアが言ったんでしょ」

「あ」

「リリアもでしょ?」

「……」

「九十七」

「忘れて」

「無理」

「今すぐ忘れて!」

「嫌」

 セシルが笑う。

 リリアは真っ赤になって手を離そうとした。

 けれど離れない。

「セシル!」

「だって九十七」

「数字で言うな!」

「ほぼ百だね」

「うるさい!」

「リリアも私のこと大好きなんだ」

「……帰る」

「一緒に帰ろ」

「五分離れて歩く」

「嫌」

「何で!」

「恋人だから」

 さらっと言われて。

 また言葉に詰まった。

「……それ言えば何でも許されると思ってない?」

「少し」

「調子乗ってる」

「嫌?」

「……嫌じゃない」

「やっぱり九十七」

「セシル!」

 二人の声が資料室に響いた。

 七十パーセント。

 第三階層。

 接続計画。

 未来を選ぶ権利。

 まだ分からないことは多い。

 そもそも、何を選ばされるのかすら分かっていない。

 けれど一つだけ。

 二人の気持ちは、誰かによって作られたものではなかった。

 それを知れただけで、今日のところは十分だった。

 そして二人が資料室を出たあと。

 消えたはずの術式が、再び一度だけ光った。

『管理接続個体 確認』

『第三階層 正常終了』

 続いて。

『最終選択領域への移行条件――八十パーセント』

 そして、その下に。

『警告』

『八十パーセント到達後、管理者権限による接続解除は不可能』

 最後の一文を。

 二人は見ていなかった。