翌朝、リリアが目を覚ました時、最初に浮かんだのは数字だった。
十二パーセント。
昨夜、図書室に現れた文字。
『接続率 十二パーセント』
その意味はまだ分からない。
接続術式との関連。セシルの名前。石材が落ちる直前に危険を察知したこと。昨日もリリアが魔法を使おうとした瞬間、理由も分からないまま止めたこと。
材料は増えている。
それなのに、肝心な部分だけが抜け落ちていた。
「……接続先は何?」
ベッドの上で呟く。
接続率というからには、何かと何かが繋がっている。
一方がセシルなら、もう一方は何なのか。
術式なのか。
場所なのか。
それとも――。
「……私?」
その可能性を口にした瞬間、昨日とは別の意味で心臓が跳ねた。
リリアは眉を寄せる。
「いや、恋愛脳になってるだけかも」
昨日、セシルと恋人になった。
まだ一日も経っていない。
そのせいで何でも自分たちに結びつけて考えている可能性はある。
推測を事実にしてはいけない。
リリアはそう自分に言い聞かせ、起き上がった。
机には昨夜まとめた資料が置いてある。
円の中に三本の線。
接続術式。
セシルの名前。
十二パーセント。
そして、名前の後ろにあった読めない文字列。
リリアは紙を鞄へしまった。
「今日こそ、何か見つける」
支度を済ませ、部屋を出る。
いつもの道を歩き、正門の手前まで来たところで、青い髪を見つけた。
そこで。
リリアは昨日とは違う理由で足を止めた。
「……」
恋人。
あれが私の恋人。
昨日まで親友だったセシルが、今日からは恋人。
「……無理かも」
「何が?」
「うわっ!」
気づけばセシルが目の前にいた。
「おはよう」
「お、おはよ」
「昨日も同じことしてなかった?」
「してない」
「私を見て止まって、『無理』みたいな顔してた」
「今日は昨日と理由が違うから」
「今日は?」
「あ」
リリアは口を閉じた。
セシルが笑う。
「何考えてたの?」
「言わない」
「また?」
「……恋人」
「え?」
「だから」
リリアは少しだけ視線を逸らした。
「セシル、私の恋人なんだなって思っただけ」
言った瞬間、恥ずかしくなる。
「……何その顔」
「いや」
「笑わないで」
「笑ってない」
「笑ってる」
「嬉しいだけ」
その言葉で、今度はリリアが黙った。
「そういうの急に言うの禁止って言ったよね」
「少しずつならいいって」
「言ってない」
「じゃあ言わない方がいい?」
「……それは嫌」
「難しいなあ」
「私もそう思う」
二人で笑った。
歩き出す。
昨日までと同じように隣へ並んで。
けれど数歩進んだところで、セシルの手がリリアの手に触れた。
一度。
二度。
偶然にしては多い。
「……セシル」
「何?」
「繋ぎたいの?」
「……」
「図星?」
「リリアは?」
「質問返し禁止」
「じゃあ繋ぎたくない?」
「それも言ってない」
「じゃあ――」
リリアから手を繋いだ。
セシルが目を丸くする。
「これでいい?」
「……うん」
指が絡む。
昨日より少しだけ自然だった。
それでも心臓はうるさい。
「学校着いたら離すよ」
「分かってる」
「別に隠したいわけじゃないけど」
「私も」
「まだ恥ずかしい」
「私も」
同じ言葉が重なって、また笑った。
こんな朝が続けばいい。
リリアは素直にそう思った。
だからこそ。
十二パーセントという数字が、頭の隅から消えてくれなかった。
午前の授業が終わると、リリアは昼食より先に図書室へ向かった。
「ご飯は?」
隣を歩くセシルが聞く。
「あとで」
「昨日まで昼休みになった瞬間お腹空いたって言ってた人が」
「今日は十二パーセントの方が気になる」
「……そっか」
セシルの声が少しだけ沈む。
リリアは足を止めた。
「怖い?」
「少し」
「昨日は聞かなかったけど」
「うん」
「名前の後ろの文字、何か心当たりない?」
「本当にない」
「家とか、昔の資料とか」
「ないと思う」
「家族から何か聞いたことは?」
「ないよ」
セシルは少し考えてから続けた。
「少なくとも、私が覚えてる限りは」
リリアは頷いた。
「分かった」
「信じるの?」
「何で信じないの?」
「だって私の名前が出たんだよ」
「だからってセシルが嘘ついてる理由にはならないでしょ」
「……」
「セシルが知らないなら、知らないところから調べる。それだけ」
セシルは何も言わなかった。
「何?」
「好きだなと思って」
「……今?」
「今」
「不意打ち禁止」
「ごめん」
「顔見ないで」
「もう見てる」
「セシル」
リリアが睨むと、セシルが笑った。
その笑顔を見て、リリアも結局笑ってしまう。
図書室に着くと、昨日使った机には何の痕跡も残っていなかった。
魔導灯も正常。
書架にも異常はない。
「本当にここだったよね」
「うん」
「夢じゃないよね」
「二人で同じ夢見てたら、それはそれで調べる必要あるけど」
「確かに」
リリアは昨日見つけた古い資料を開いた。
接続術式。
二つの離れた魔力領域を繋ぐための古い術式。
そこから関連文献を辿っていく。
昼休みが半分ほど過ぎた頃。
「あった」
リリアの声に、隣で別の本を読んでいたセシルが顔を上げた。
「何?」
「接続率」
「本当に?」
「言葉だけだけど」
セシルが椅子ごと近づく。
肩が触れた。
昨日までなら気にも留めなかった距離に一瞬だけ意識を持っていかれ、リリアは慌てて文章へ集中する。
「えっと……接続術式は、接続先との同調状態によって安定性が変わる」
「同調?」
「魔力波形、精神状態、術式適性……いろいろあるみたい」
「それが数字になるの?」
「たぶん。ここに『接続率が高いほど情報伝達の精度が向上する』ってある」
「情報伝達……」
二人とも黙った。
セシルが先に口を開く。
「リリアが危ないって分かったのも?」
「可能性はある」
「じゃあ、私とリリアが繋がってる?」
「まだ断定できない」
「でも」
「うん。私もそれが一番可能性高いと思ってる」
セシルの表情が曇る。
「何で?」
「それを今から調べる」
「違う。そうじゃなくて」
セシルは自分の手を見た。
「何で私とリリアが繋がってるの?」
「……分からない」
「私、何かしたのかな」
「してないでしょ」
「でも覚えてないだけかもしれない」
その言葉に、リリアは一瞬だけ黙った。
セシルが顔を上げる。
「リリア?」
「いや」
何かが引っかかった。
覚えていない。
昨日からセシルは何度もそう言っている。
ただの言葉だ。
それなのに妙に気になる。
「どうしたの?」
「後で考える」
「今じゃなくて?」
「今考えると昼ご飯なくなる」
「そこ?」
「お腹空いた」
「戻ったね、いつものリリア」
「重要な問題です」
二人は資料を借り、食堂へ向かった。
午後。
リリアは授業を聞きながら、机の下で昨日からの情報を整理していた。
教師の説明を聞き逃しているわけではない。
頭の一部だけを別の思考へ割いている。
接続率十二パーセント。
情報伝達。
セシルが察知したリリアの危険。
接続先が本当にリリアなら。
十二パーセントという低い数値ですら、危険のような強い情報なら伝わるということだろうか。
なら。
接続率が上がれば?
感情。
感覚。
記憶。
そこまで共有される可能性はあるのか。
リリアはノートの端に小さく書いた。
『上昇条件?』
何によって数字が上がるのか。
昨日まで十二パーセントだった。
では最初から十二だったのか。
それとも。
「……」
嫌な予感がした。
確認する方法が必要だ。
放課後。
二人はもう一度図書室へ向かった。
昨日と同じ時間。
同じ机。
同じ資料。
「出ないね」
セシルが言う。
「昨日は何したっけ」
「調べ物してた」
「その前」
「……恋人になった」
「それは関係ないでしょ」
「分かんないじゃん」
「接続術式が恋愛に反応するの?」
「知らない」
「もしそうだったら嫌だな」
「何で?」
「私たちが何かするたびに数字出てきたら雰囲気最悪じゃない?」
想像して、セシルが吹き出した。
「確かに」
「キスとかした瞬間に『接続率二十パーセント』とか出たら最悪」
言ってから。
二人とも止まった。
「……」
「……」
リリアはゆっくり顔を逸らした。
「今のなし」
「うん」
「忘れて」
「うん」
「絶対今想像したでしょ」
「リリアもしたでしょ」
「してない」
「嘘」
「してない!」
顔が熱い。
セシルも赤い。
「……まだ早いよね」
セシルが小さく言う。
「何が?」
「キス」
「言わなくていいから!」
「リリアが言ったんでしょ」
「例え!」
「でも」
セシルが少しだけ笑った。
「いつかはしたい」
「……」
「リリア?」
「……帰る」
「何で!」
「心臓がもたない!」
立ち上がろうとしたリリアの手を、セシルが掴む。
「ごめん、ごめん」
「離して」
「嫌」
「何で?」
「帰っちゃうから」
「帰る」
「じゃあ離さない」
「子ども?」
「リリアに言われたくない」
「私のどこが子どもなの」
「昨日、卵焼き欲しいって駄々こねてた」
「あれは交渉」
「ほぼ駄々」
言い合っているうちに、恥ずかしさが少しだけ薄れた。
リリアはため息をつき、椅子へ座り直す。
「……調べるよ」
「うん」
「手」
「え?」
「離して」
「……嫌」
「何で?」
「もう少しだけ」
セシルはリリアの手を握ったまま、反対の手で本を開いた。
「読みにくくない?」
「読みにくい」
「じゃあ離せば?」
「それは嫌」
「……もう」
呆れたふりをした。
本当は嬉しい。
リリアも指を絡め直す。
「五分だけね」
「十分」
「七分」
「分かった」
そんな話をしていた時だった。
ぱちん、と小さな音がした。
「……え?」
魔導灯が一つ消えた。
昨日と同じ。
「セシル」
「うん」
今度は二人ともすぐに立ち上がった。
一つ。
また一つ。
図書室の奥から順番に魔導灯が消えていく。
周囲の生徒たちがざわめく。
最後に二人の頭上の灯りが消えた。
夕方の薄暗い図書室。
書架の奥に。
円と三本の線が浮かぶ。
「出た」
リリアはすぐに紙とペンを取り出した。
昨日と同じ文字列。
対象確認。
識別名。
セシルの名前。
その後ろの読めない文字。
「次」
リリアは待つ。
光が切り替わる。
『接続率 十九パーセント』
「……え?」
リリアの手が止まった。
「昨日、十二だったよね」
「うん」
「一日で七上がった」
セシルが不安そうに光を見る。
「何で?」
「分からない」
「何かした?」
「昨日から?」
二人は顔を見合わせた。
恋人になった。
手を繋いだ。
それくらい。
「……まさか」
セシルが呟く。
「何?」
「さっきリリアが言ってたやつ」
「恋愛に反応するって?」
「うん」
「そんな馬鹿な」
否定しながらも、リリアは紙へ書き込む。
十二。
十九。
七ポイント上昇。
期間、一日。
「でも確認はできる」
「どうやって?」
「今の状態を変えて、もう一度数字が動くか見る」
「今の状態?」
リリアは二人の手を見る。
まだ繋いでいる。
「一旦離す」
「……うん」
手を離した。
待つ。
何も起きない。
「変わらないね」
「じゃあ手じゃない?」
「即時反映じゃない可能性もある」
「難しいな」
「もう一回繋ぐ」
「うん」
手を繋ぐ。
何も変わらない。
「駄目か」
「……ちょっと残念」
「何が?」
「いや」
セシルが笑った。
リリアはその顔を見て、ふと思う。
「感情」
「え?」
「資料に精神状態ってあった」
「うん」
「感情の変化が関係してる可能性」
「どうやって試すの?」
「……」
二人とも黙る。
「リリア」
「何?」
「さっきの話」
「さっき?」
「いつかはキスしたいって」
「……」
「セシル」
「今、心臓速くなった?」
「なったけど!」
「私も」
「だから何!」
「数字」
二人で光を見る。
十九パーセント。
変わらない。
「変わってない」
「じゃあ違うか」
「もう!」
リリアは胸を押さえた。
「実験でそういうこと言わないで!」
「ごめん」
「本当に心臓に悪い!」
「でも可愛い」
「それも禁止!」
セシルが笑う。
リリアは恥ずかしさを誤魔化すように光へ目を戻した。
その時だった。
『接続率 十九パーセント』
文字が揺れる。
「……セシル」
「うん」
二人とも笑みを消した。
数字が変わる。
十九。
二十。
二十一。
「上がってる」
リリアは目を見開いた。
二十二。
二十三。
「待って」
昨日は一日で七ポイント。
今は数秒ごとに一ポイントずつ増えている。
二十四。
二十五。
「何で急に?」
「分からない」
二十六。
セシルがリリアの手を強く握る。
二十七。
二十八。
「速すぎる」
リリアは紙へ数字を書き続ける。
二十九。
三十。
そこで。
セシルが突然息を呑んだ。
「……リリア」
「何?」
「胸」
「え?」
「苦しくない?」
リリアは固まった。
「……少し」
自分でも意識していなかった。
さっきから胸の奥に圧迫感がある。
「何で分かったの?」
「分からない。でも、私も苦しい」
接続率。
三十一。
「セシル、手離して」
「うん」
離す。
けれど。
三十二。
「止まらない」
三十三。
三十四。
図書室の空気が変わった。
周囲の音が遠くなる。
「リリア」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「まだ平気」
三十五。
その瞬間。
リリアの頭の中に、感情が流れ込んだ。
怖い。
「……っ」
自分の感情ではない。
確信できた。
だってリリア自身は、怖いより先に興味が勝っている。
それなのに胸の奥では、誰かが震えている。
「セシル」
「何?」
「怖い?」
セシルが目を見開いた。
「……うん」
「今、分かった」
「何が?」
「セシルの気持ち」
二人とも黙った。
三十六。
「私のも分かる?」
「……待って」
セシルがリリアを見る。
数秒後。
「楽しい?」
「え?」
「こんな状況なのに……ちょっとだけ」
「……」
「知りたいって思ってる?」
今度はリリアが言葉を失った。
当たっている。
「接続してる」
リリアが呟いた。
「本当に、私たちが」
三十七。
三十八。
「止めないと」
セシルが言った。
「どうやって?」
「分からない。でもこれ以上は嫌な感じがする」
三十九。
リリアも同意した。
数字が上がるほど、セシルの感情が鮮明になっている。
怖い。
不安。
それでも。
その下にある、強い感情。
リリアを守りたい。
何があっても。
自分より。
「……セシル」
「何?」
「そんなに心配しなくていいよ」
「え?」
「分かるから」
セシルの顔が赤くなる。
「……全部?」
「全部じゃない。でも」
リリアは少し笑った。
「私のこと、すごく大事なんだなって」
「それは……」
「嬉しい」
四十。
数字が止まった。
「止まった」
二人は光を見る。
『接続率 四十パーセント』
十二から十九。
十九から四十。
たった一日。
いや。
今の二十一ポイントは、ほんの数分だった。
「急に上がりすぎ」
リリアは呟いた。
「原因は?」
「まだ分からない。でも」
セシルを見る。
「一定の条件を満たすと、一気に進む」
「条件って?」
「たぶん、感情だけじゃない」
恋人になったこと。
手を繋いだこと。
互いの感情を意識したこと。
何かが重なった。
その結果。
十二だった接続率が、一日で四十まで上がった。
「これ、百になったらどうなるんだろう」
セシルの声が震えた。
リリアは答えられなかった。
資料にも書いていない。
ただ。
四十パーセントですでに感情が伝わった。
なら百では。
「……調べよう」
リリアは言った。
「百になる前に」
「うん」
その瞬間。
光が一度だけ強く瞬いた。
そして。
今までなかった新しい文字が浮かんだ。
『第一同期 完了』
「同期?」
リリアが読み上げる。
次の一文。
『第二同期条件を確認』
「待って」
嫌な予感がした。
その下。
新しい文字が現れる。
『記憶領域――』
そこまで表示された瞬間。
セシルが頭を押さえた。
「……っ!」
「セシル!」
身体が傾く。
リリアは咄嗟に抱き止めた。
「大丈夫!?」
「頭……」
「痛い?」
「違う……何か……」
セシルの瞳が揺れる。
「見える」
「何が?」
「知らない……場所」
リリアの背筋が冷たくなる。
「何が見えるの?」
「白い部屋……?」
セシルが震える。
「誰かいる」
「誰?」
「分からない」
「セシル、私見て」
リリアは両手でセシルの頬を包んだ。
「今は図書室。私はここにいる」
「リリア……」
「うん」
焦点が少しずつ戻る。
セシルの手が、リリアの服を掴んだ。
「……怖い」
「大丈夫」
「知らないのに」
「うん」
「知らない場所なのに……」
「うん」
セシルが息を震わせた。
「懐かしい」
リリアは何も言えなかった。
知らない。
でも、懐かしい。
矛盾している。
けれどセシルは嘘をついていない。
リリアにはもう、それが分かってしまう。
接続率四十パーセント。
流れ込んでくる恐怖。
混乱。
そして。
説明できないほど深いところにある懐かしさ。
「セシル」
「……うん」
「今日はもうやめよう」
「でも」
「調べるのは明日でもできる」
「リリアが途中でやめるなんて珍しい」
「恋人がこんな顔してるのに続けるほど馬鹿じゃないよ」
セシルが少しだけ笑った。
「……好き」
「知ってる」
「そこはリリアも言って」
「今?」
「今」
リリアはセシルの頬に触れたまま、小さく笑った。
「好きだよ」
セシルの表情が柔らかくなる。
同時に。
胸の奥へ、温かいものが流れ込んできた。
嬉しい。
安心した。
好き。
言葉ではない。
でも、分かる。
「……これ、ずるいね」
「何が?」
「言わなくても分かる」
セシルも気づいたらしい。
「リリアのも分かる」
「え」
「今、恥ずかしいって思った」
「見ないで!」
「見てないよ。流れてくるんだもん」
「最悪!」
「可愛い」
「それも伝わるから!」
思わず二人で笑った。
怖いはずなのに。
その瞬間だけは、少し嬉しかった。
けれど。
二人の背後。
消えかけた光の中で。
リリアには見えない文字が、一瞬だけ浮かんでいた。
『第二同期開始』
そして、その下。
『記憶領域 接続準備』
セシルは何も知らない。
リリアもまだ知らない。
次に繋がるものが、感情ではないことを。
それが開いた時。
セシルが「知らない」と言い続けてきたものの意味が、初めて形を持ち始めることを。

