翌朝、リリアが目を覚まして最初に思い出したのは、昨日落ちてきた石材でも、セシルがそれを予知したように自分を引き寄せたことでもなかった。
青い髪だった。
「……何で?」
枕に顔を埋める。
昨日、図書室で触れたセシルの髪。思ったより柔らかかったこと。顔を上げたら、すぐ近くにセシルがいたこと。
そして。
『女の子だよ』
「……」
ごろりと寝返りを打つ。
『一緒にいると飽きないし、頭はすごくいいのに変なところで抜けてるし』
「…………」
もう一度寝返りを打つ。
『自分のことは適当なくせに、人のことになると放っておけない』
「………………」
リリアは勢いよく起き上がった。
「誰よ」
朝から一人で何をしているのだろう。
分かっている。
分かっているけれど、気になる。
昨日までなら、ただの好奇心だった。
親友に好きな人がいる。なら知りたい。誰なのか聞いて、できれば応援して、告白する勇気がないなら背中でも押してやろう。
それくらいに思っていた。
なのに今は。
「……応援したくないかも」
口に出してしまい、リリアは固まった。
「最低じゃん、私」
好きな人がいるのはセシルの自由だ。
その相手が誰であっても、セシルが幸せならそれでいい。
親友なら、そう思うべきだ。
なのに。
もしセシルがその子に告白して。
もしその子もセシルを好きだったら。
二人で手を繋いだり。
二人で帰ったり。
自分には見せたことのない顔で笑ったり。
「……やだ」
また口から出た。
リリアは両手で顔を覆った。
「本当にやだ……」
認めたくない。
けれど、認めないままにしておくには、昨日から自分の感情は分かりやすすぎた。
セシルが他の女の子と話しているだけで面白くなかった。
好きな人の話をされると胸が痛かった。
手を握っただけで、離したくないと思った。
そして今。
セシルが誰かと恋人になるところを想像するだけで、嫌で仕方がない。
「……好きなのかな」
呟いた途端、心臓が大きく鳴った。
リリアはそのまま布団へ倒れ込んだ。
「うそでしょ……」
入学式の日に出会った時には、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
青い髪の女の子。
話しやすくて、気が合って、気づけば毎日一緒にいるようになった。
親友。
ずっとそう思っていた。
たぶん、今だって親友ではある。
ただ、それだけではなくなってしまったらしい。
「しかも好きな人いるし……」
最悪のタイミングだった。
もっと早く気づいていれば。
そう思ってから、リリアは眉を寄せた。
「……もっと早くって、いつ?」
自分がいつからセシルを好きだったのかすら分からない。
昨日突然好きになったわけではないはずだ。
だったら、いつから。
考えても答えは出なかった。
結局リリアはいつもより少し遅れて部屋を出た。
学院へ向かう途中、昨日と同じ場所に青い髪を見つける。
見つけた瞬間、胸が跳ねた。
「……もう嫌」
「何が?」
「うわっ!」
いつの間にかセシルがこちらを向いていた。
「おはよう」
「お、おはよ」
「今、私見て『もう嫌』って言わなかった?」
「言ってない」
「言ったよ」
「独り言」
「私見ながら?」
「偶然」
セシルが怪訝そうにリリアを見る。
「今日、変だね」
「いつも通り」
「そう?」
「そう」
リリアは歩き出した。
セシルも隣へ並ぶ。
近い。
昨日まで何とも思わなかった距離が、今日は近い。
「……」
「何?」
「何でもない」
「やっぱり変」
「セシルが気にしすぎなの」
「昨日のこと気にしてる?」
その言葉で、リリアの頭がようやく恋愛以外へ切り替わった。
「昨日?」
「石が落ちてきたこと」
「あ」
「忘れてた?」
「忘れてないよ」
「今の『あ』は絶対忘れてた」
「朝は別のことで忙しかったの」
「何考えてたの?」
「絶対言わない」
「何それ」
言えるわけがない。
あなたのことが好きかもしれなくて朝から一人で悩んでいました、なんて。
「それよりセシルは?」
「何が?」
「昨日のこと。何か変わったことあった?」
セシルの表情が少しだけ真面目になる。
「何も」
「本当に?」
「うん。帰ってからも考えたけど、やっぱり分からなかった」
「落ちてくる音は?」
「聞いてない」
「視界の端に入ってた可能性は?」
「ないと思う」
「魔力の変化」
「それも分からなかった」
「じゃあ本当に、突然?」
「うん」
セシルは少し迷ってから続けた。
「ただ、リリアが危ないって思った」
「それだけ?」
「それだけ」
「私限定?」
「え?」
「危ないって感じたのが私だったから反応したのか、それとも誰でも危険が迫ったら分かるのか」
「……そこまでは分からない」
「試す?」
「どうやって?」
「私が高いところから飛び降りる」
「絶対駄目」
即答だった。
「じゃあ階段」
「駄目」
「椅子から落ちる」
「わざと怪我しようとしないで」
「怪我しないようにセシルが助ければいいじゃん」
「もし昨日のが偶然だったらどうするの?」
「その時は普通に落ちる」
「だから駄目だって!」
セシルが本気で嫌そうな顔をした。
リリアは思わず笑う。
「分かったって」
「本当に?」
「たぶん」
「リリア」
「分かった、分かった」
「絶対やらないでよ」
「心配性だなあ」
「誰のせいだと思ってるの」
「私?」
「分かってるじゃん」
昨日までと同じ会話。
それなのに、今日は違って聞こえる。
心配してくれることが嬉しい。
そんな自分が恥ずかしくて、リリアは前を向いた。
教室へ入ると、何人かの生徒がすでに集まっていた。
リリアが自分の席へ向かおうとしたところで、女子生徒の一人がセシルを呼び止める。
「セシル、おはよう」
「おはよう」
「昨日のノートありがとう。これ」
「ああ。別に今日じゃなくてもよかったのに」
「借りっぱなしも悪いし」
昨日、帰り道で会った女の子だった。
リリアは足を止めた。
何となく二人を見る。
「本当に助かった。今度お礼するね」
「お礼なんていいよ」
「じゃあ今度、一緒にお昼食べない?」
「え?」
リリアの耳が勝手にそちらへ向いた。
「ほら、いつもちゃんと話す機会ないし」
「ああ……」
セシルが少し困ったように笑う。
その顔を見た瞬間、リリアの胸がざわついた。
断って。
思った。
すぐに。
自分でも驚くほど自然に。
「いいよ」
セシルが答えた。
「本当? じゃあ今度ね」
「うん」
女子生徒が嬉しそうに自分の席へ戻っていく。
リリアは黙って席についた。
セシルも隣へ来る。
「リリア?」
「何?」
「顔怖いよ」
「普通だけど」
「普通じゃないよ」
「気のせい」
「……怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ何?」
「何でもない」
教科書を取り出す。
乱暴に置いたつもりはなかったのに、思ったより大きな音がした。
「怒ってるじゃん」
「怒ってないって」
「私、何かした?」
「してない」
本当に、何もしていない。
悪いのは自分だ。
セシルには好きな人がいる。
それなのに、自分はその相手ですらないくせに、別の女の子と昼食を食べる約束をしただけで不機嫌になっている。
こんなの理不尽だ。
「……ごめん」
「何で謝るの?」
「何でもない」
「今日そればっかり」
セシルは納得していないようだったが、授業が始まったため、それ以上は聞かなかった。
昼休み。
リリアは食堂へ向かおうとして、ふと足を止めた。
「リリア?」
「今日、別々に食べる?」
「何で?」
「今朝の子と食べるんじゃないの?」
「今度って言ってたでしょ」
「あ」
「今日じゃないよ」
「そっか」
自分でも分かるくらい、声が明るくなった。
セシルがじっとこちらを見る。
「何?」
「いや」
「何?」
「リリア、もしかして――」
「何?」
セシルは何か言いかけた。
けれど、すぐに口を閉じる。
「……やっぱり何でもない」
「気になるんだけど」
「リリアも朝から言ってるでしょ」
「仕返し?」
「そういうことにしておいて」
二人で食堂へ向かう。
いつもの席へ座り、昼食を広げる。
リリアは何となくセシルを見た。
「ねえ」
「何?」
「好きな人とは、お昼食べたりするの?」
セシルの手が止まった。
「……するよ」
「二人で?」
「うん」
「よく?」
「かなり」
胸が痛い。
それでも聞く。
「放課後も一緒?」
「一緒にいること多いかな」
「帰るのも?」
「ほとんど一緒」
「……」
リリアは黙った。
想像してしまう。
知らない女の子とセシルが昼食を食べて、放課後を過ごして、一緒に帰っているところ。
嫌だ。
ものすごく嫌だ。
「リリア?」
「……何?」
「どうしたの?」
「何でもない」
「また?」
「何でもないものは何でもないの」
リリアは自分の昼食をつついた。
向かいからセシルの視線を感じる。
「……それで分からないの、すごいな」
「何が?」
「何でもない」
「今日のセシル嫌い」
「ごめん」
「謝るくらいなら教えて」
「それは無理」
「じゃあ嫌い」
「……それは困る」
思った以上に真剣な声だった。
リリアは顔を上げる。
セシルは少し困ったようにこちらを見ていた。
「冗談だよ」
「分かってるけど」
「本気にした?」
「少し」
「そんなわけないじゃん」
「……うん」
「セシルのこと嫌いになるとか、たぶん無理だし」
口から出てから、気づいた。
セシルも固まっている。
「……」
「……」
「今の忘れて」
「無理」
「忘れて!」
「無理だよ」
「じゃあ記憶消す」
「怖いこと言わないで」
セシルは笑った。
でも、嬉しそうだった。
その顔を見た瞬間、リリアの胸がまた騒がしくなる。
もう駄目かもしれない。
完全に好きなのかもしれない。
午後の授業は、珍しくほとんど頭に入らなかった。
教師の話は聞こえている。
内容も理解できる。
けれど、その裏でずっと別のことを考えていた。
セシルの好きな人。
一緒に昼食を食べる。
放課後も一緒。
ほとんど毎日、一緒に帰る。
かなり仲がいい。
自分も知っている女の子。
「……」
リリアはペンを止めた。
何か。
何か引っかかる。
条件だけを並べると、候補はかなり絞られるはずだった。
むしろ。
「リリア」
小声で呼ばれ、思考が途切れる。
「何?」
「先生」
「え?」
「リリア、答えろ」
前を見る。
教師が呆れた顔でこちらを見ていた。
「あ、ごめんなさい。どこですか?」
教室がざわついた。
教師まで目を丸くする。
「……リリアが聞いていなかった?」
「ちょっと考え事してました」
「珍しいこともあるものだな」
隣でセシルが肩を震わせている。
「笑わないで」
「ごめん。でもリリアが授業聞き逃すの初めて見た」
「誰のせいだと思ってるの」
「私?」
「……知らない」
セシルが首を傾げる。
その顔を見て、リリアはため息をついた。
放課後。
昨日の石材落下について教師へ改めて報告した二人は、現場を確認するため、学院の外壁沿いを歩いていた。
石材はすでに片づけられていたが、壁には外れた跡が残っている。
「自然に落ちたように見えるね」
セシルが上を見ながら言った。
「うん。でも固定部分を調べないと分からない」
「上がる?」
「魔法使えば見られる」
「昨日みたいなことしないでよ」
「何もしないって」
「本当に?」
「信用ないなあ」
「あるけど、リリアは興味持つと無茶するから」
「大丈夫」
リリアは魔力を指先へ集めた。
風を足場にして身体を浮かせようとする。
その瞬間。
「待って」
セシルが腕を掴んだ。
「何?」
「……」
セシルは周囲を見回した。
「どうしたの?」
「分からない」
「また?」
「うん」
昨日と同じだった。
セシルの顔から笑みが消える。
「嫌な感じがする」
「どこから?」
「分からない」
「私が危ない?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「昨日ほどはっきりしない。でも、やめた方がいい気がする」
リリアは上を見る。
何もない。
魔力の乱れも感じない。
周囲にも不審な人影はない。
「じゃあ、やめる」
リリアがあっさり魔法を解除すると、セシルが驚いた。
「いいの?」
「セシルがやめろって言ったから」
「でも調べたいんでしょ?」
「調べたいよ」
「じゃあ――」
「セシルが怖がってる方が嫌」
言ってから、二人とも黙った。
まただ。
今日は口が勝手に動く。
「……リリア」
「今のも忘れて」
「今日は無理なことばっかり言うね」
「うるさい」
顔が熱い。
リリアは誤魔化すように壁から離れた。
「別の方法考える」
「うん」
セシルが隣へ並ぶ。
数歩歩いたところで、リリアは違和感に気づいた。
「セシル」
「何?」
「まだ掴んでる」
「え?」
セシルの手は、ずっとリリアの腕を掴んだままだった。
「あ、ごめん」
慌てて離そうとする。
その瞬間、リリアは反射的にセシルの手を掴んだ。
「……」
「……」
今度こそ、二人とも固まった。
手を繋いでいる。
指先が触れる程度ではない。
リリアが自分から、セシルの手を掴んでいる。
「リリア?」
「……何?」
「これは?」
「分かんない」
「分かんない?」
「反射」
「どういう反射?」
「私が知りたい」
離せばいい。
簡単だ。
なのに離したくない。
セシルも手を引かなかった。
「……嫌?」
気づけば、リリアは聞いていた。
「嫌じゃない」
即答だった。
胸が跳ねる。
「じゃあ……このままでいい?」
「いいよ」
セシルの指が、ほんの少しだけ動いた。
リリアの手を握り返す。
心臓が壊れそうだった。
「……セシル」
「何?」
「好きな人に見られたら、まずくない?」
握っていた手が僅かに強くなった。
「大丈夫」
「何で?」
「……大丈夫だから」
「そう?」
「うん」
分からない。
けれど今だけは、その言葉を信じることにした。
二人は手を繋いだまま歩き出した。
いつもの帰り道。
ただ、今日は距離が少しだけ違う。
肩が時々触れる。
繋いだ手が温かい。
リリアは前を向いたまま、必死に平静を装っていた。
「リリア」
「何?」
「今日、静かだね」
「誰のせいだと思ってるの」
「また私?」
「知らない」
セシルが小さく笑った。
その声を聞いただけで嬉しい。
もう認めるしかなかった。
私は、セシルが好きだ。
親友としてだけではない。
セシルが好きな人の話をすると苦しい。
他の女の子と仲良くすると嫌だ。
触れれば嬉しい。
手を繋げば離したくない。
これを恋じゃないと言い張る方が難しかった。
でも。
「……遅いよ」
「何が?」
「何でもない」
セシルには、もう好きな人がいる。
しかも、とても近い誰か。
リリアが入り込める余地なんて、ないのかもしれない。
そう思うと、せっかく繋いだ手が少しだけ苦しくなった。
その時だった。
セシルが突然足を止めた。
「……また」
「え?」
セシルの表情が強張っている。
「どうしたの?」
「さっきより強い」
「嫌な感じ?」
「うん」
セシルが周囲を見る。
リリアも魔力感知を広げる。
何もない。
人通りのある普通の道。
夕方の風。
店から漂う甘い匂い。
異常は感じない。
「どこ?」
「分からない」
「方向は?」
「……リリア」
「私?」
セシルは繋いでいた手を強く握った。
「また、リリアからする」
「何が?」
「嫌な感じ」
リリアは自分の身体を確認する。
何も変わらない。
「私、普通だけど」
「分かってる。でも……」
セシルが一歩近づいた。
「近くにいて」
「え?」
「何かあったら嫌だから」
その言葉だけなら、きっと親友としての心配だ。
分かっている。
それなのに胸が苦しいくらい嬉しい。
「……うん」
リリアは小さく頷いた。
「離れない」
セシルが少し安心したように笑った。
その瞬間。
リリアの視界の端で、何かが揺れた。
「……え?」
「どうしたの?」
振り返る。
誰もいない。
ただ、路地の奥に影が落ちている。
「今、誰かいた気がした」
「どこ?」
「あそこ」
二人で路地を見る。
何もない。
「見間違いかな」
「……帰ろう」
「うん」
再び歩き出す。
けれどリリアは一度だけ振り返った。
誰もいない路地。
そう思った。
次の瞬間。
奥の壁に、黒い文字が浮かんだ。
ほんの一瞬。
瞬きをした時には消えていた。
「……?」
「リリア?」
「何でもない」
見間違い。
そう思うことにした。
けれど、天才と呼ばれるリリアの記憶は、一度見たものを簡単には忘れない。
たった一瞬浮かんだ文字列も、すでに頭の中へ焼きついていた。
意味は分からない。
見たことのない文字だった。
ただ、その中に一つだけ。
文字ではないものが混ざっていた。
印。
円の中に、三本の線。
なぜか、それを見た瞬間。
隣にいたセシルの手が、微かに震えた。
リリアは何も言わなかった。
セシルも何も言わなかった。
二人はただ、手を繋いだまま帰った。
けれどその夜。
リリアは自室の机に向かい、記憶だけを頼りに紙へその印を書き写した。
円。
三本の線。
「……何だろ、これ」
知らない。
見覚えもない。
なのに、妙に気になる。
リリアはしばらく紙を眺めたあと、別の紙を取り出した。
今度は、昨日と今日の出来事を書き始める。
石材が落ちる前に、セシルが危険を察知した。
今日も、自分が魔法を使おうとした瞬間に止めた。
そして路地の印。
共通しているもの。
リリア。
セシル。
危険。
「……偶然にしては多い」
ペンを置く。
明日から少し調べてみよう。
セシルには言う。
一人で抱え込むつもりはない。
それでも、今夜くらいは自分で考えたかった。
紙を片づけようとして、ふと手が止まる。
今日一番考えていたことは、そこに何一つ書いていなかった。
セシルが好き。
その事実だけ。
リリアはしばらく迷ったあと、紙の一番端に小さく書いた。
『私はセシルが好きらしい。』
数秒見つめる。
「……らしいって何よ」
自分で書いたくせに笑ってしまった。
そして、その下にもう一行。
『でも、セシルには好きな人がいる。』
笑えなくなった。
「……誰なんだろ」
知りたい。
でも、知りたくない。
もし自分ではなかったら。
そう考えたところで、リリアは首を振った。
「自分なわけないじゃん」
そう言い聞かせる。
けれど昼間の会話が頭をよぎった。
一緒に昼食を食べる。
放課後も一緒にいる。
ほとんど毎日、一緒に帰る。
かなり仲がいい。
「……」
リリアの手が止まった。
「……え?」
一つ。
とても単純な可能性が浮かんだ。
いや。
そんなわけがない。
「まさかね」
笑って否定する。
けれど、心臓は急に速くなっていた。
もし。
本当に、もし。
セシルが言っている相手が――。
「……寝よ」
リリアは紙を伏せた。
考えるのをやめた。
今夜これ以上考えたら、絶対に眠れなくなる。
けれどベッドに入って目を閉じても、最後に浮かんだのはやっぱりセシルだった。
そして同じ頃。
別の部屋で。
セシルもまた、眠れずにいた。
自分の手を見つめている。
今日、リリアと繋いでいた手。
「……危ない、か」
昨日から続く、説明のできない感覚。
理由は分からない。
何が起きているのかも分からない。
ただ。
リリアに何かが起きる。
そう思った瞬間だけ、身体の奥で何かが騒ぐ。
怖かった。
自分自身のことなのに、自分が知らない。
けれどそれ以上に怖いことがある。
「……絶対、嫌だ」
リリアに何かが起きること。
それだけは嫌だった。
セシルはゆっくり手を握る。
今日、リリアから握ってくれた手。
思い出すだけで、少しだけ頬が熱くなる。
「期待するな、私」
小さく呟いた。
リリアにとって、自分は親友だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
何度もそう言い聞かせてきた。
今の関係を壊したくない。
だから言わない。
好きだなんて。
ずっと、そのつもりだった。
けれど。
『嫌じゃない』
手を繋いだ時、あまりにも嬉しくて。
『このままでいい?』
そう聞かれた時。
本当は、ずっとこのままでいたいと思った。
「……ずるいよ、リリア」
本人はきっと、何も分かっていない。
そう思っていた。
少なくとも。
今日までは。

