それから一年が経った。
世界は、驚くほど何も起こさなかった。
空に亀裂が入ることもなければ、黒い月が昇ることもない。学院の時計が止まることもないし、リリアの前に意味の分からない数字が現れることもない。
春が来て。
夏が来て。
秋が来て。
冬が来た。
そして。
また春が来た。
「……普通」
学院の中庭で、リリアは空を見上げながら呟いた。
「何が?」
隣から声がする。
ルシアン。
一年前と変わらない黒い髪と眼鏡。その奥にある紫色の瞳も、相変わらず綺麗だった。
「世界」
「うん」
「めちゃくちゃ普通」
「不満?」
「まさか」
リリアは笑った。
「最高」
ルシアンも笑う。
この一年。
本当に色々なことがあった。
と言っても。
世界を救ったわけではない。
試験で赤点を取りそうになって、ルシアンに三日間勉強を見てもらった。
ノアたちと出かけた。
ルシアンと喧嘩した。
理由はくだらない。
ルシアンが忙しいのに「大丈夫」と言って仕事を抱え込んだから。
リリアが怒って。
ルシアンも珍しく言い返して。
その日は一緒に帰らなかった。
翌朝。
八時十分。
二人とも校門にいた。
『……おはよう』
『おはよう』
『……』
『……』
『昨日ごめん』
二人同時だった。
結局。
顔を見合わせて笑った。
そんな喧嘩。
夏には旅行へ行った。
秋には学院祭があった。
冬には本当にお揃いの手袋を買った。
ルシアンは黒。
リリアは白。
『お揃いって言ったのに色違うじゃん』
『完全に同じだと少し恥ずかしいだろう?』
『先輩、そういうところ意外と普通だよね』
『僕を何だと思ってるの』
『元管理者』
『忘れて』
『嫌』
そして。
また春。
何でもない日々を。
二人は。
一年分。
積み重ねた。
「先輩」
「何?」
「今日、暇?」
「夕方から?」
「うん」
「空いてるよ」
「じゃあデートしよ」
「急だね」
「駄目?」
「もちろんいいけど」
「どこ行く?」
「君、去年も同じこと聞いたね」
「去年?」
ルシアンが左手首を見る。
リリアも。
自分の左手首を見る。
紫と白の石。
一年前にもらったブレスレット。
「あ」
「今日だよ」
「何が?」
「最初のデートから一年」
「……本当に?」
「ああ」
「先輩覚えてたの?」
「覚えているよ」
「細か」
「君は忘れてたね」
「日付までは!」
「僕は覚えていた」
「何その勝ち誇った顔」
「少し嬉しいだけ」
「じゃあ」
リリアは立ち上がった。
「同じところ行く?」
「また?」
「嫌?」
「逆」
「あ」
二人とも止まる。
そして。
笑った。
「まだ言うね、それ」
「君もね」
「もう癖かも」
「そうかもしれない」
*
放課後。
二人は街へ出た。
一年前と同じ道。
一年前と同じ店。
「これ覚えてる」
リリアが店先のワンピースを指差す。
「試着したやつ」
「ああ」
「先輩めっちゃ見てた」
「見てない」
「見てた」
「恋人を見るくらいいいだろう」
「当時まだ微妙じゃなかった?」
「付き合ってたよ」
「そうだっけ」
「君、本当に記憶戻ってる?」
「大体」
大体。
そう。
一年経っても。
リリアの記憶は。
全部は戻らなかった。
第一循環。
第二。
第三。
十二回分の人生。
もう。
ほとんど思い出せない。
エリシアの顔も。
ぼんやりしている。
十三回目の記憶も。
ところどころ抜けている。
でも。
リリアはもう。
気にしていなかった。
だって。
この一年だけで。
新しい記憶が。
たくさんできた。
「先輩」
「何?」
「ケーキ」
「行こうか」
「今日は私チョコ」
「では僕が苺」
「一口交換ね」
「分かった」
菓子店。
同じ席。
でも。
注文は逆。
「はい」
ルシアンがフォークを差し出す。
苺のタルト。
「……普通にやるようになったね」
「何が?」
「これ」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
食べる。
「美味しい」
「よかった」
「先輩も」
チョコレートケーキを差し出す。
ルシアンが食べる。
「どう?」
「美味しい」
「知ってる」
「ならなぜ聞いたの」
「言いたいじゃん」
「そういうもの?」
「そういうもの」
くだらない会話。
でも。
こういう時間が。
一番好きだった。
*
店を出る。
夕方。
川沿い。
また。
同じ場所。
「一年で三回来てない?」
リリアが言う。
「もっと来てるよ」
「そんなに?」
「君、ここ好きだろう?」
「好き」
「だから」
ベンチに座る。
夕焼け。
川。
風。
そして。
隣に。
ルシアン。
「……一年か」
リリアが言う。
「ああ」
「早かった?」
「僕には」
ルシアンは少し考えた。
「一番長い一年だった」
「何で?」
「毎日違ったから」
「今までの何千年より?」
「ああ」
「大げさ」
「本当だよ」
ルシアンが川を見る。
「管理者だった頃は、時間がほとんど意味を持っていなかった」
「うん」
「百年も千年も。ただ次の崩壊までの時間だった」
「……うん」
「でも今は」
リリアを見る。
「明日がある」
その言葉を。
この人は。
この一年。
何度も言った。
明日。
来週。
来月。
来年。
少しずつ。
未来の言葉が。
増えていった。
「先輩」
「何?」
「最近」
「うん」
「十年後とかも言うよね」
「言うね」
「慣れた?」
「何に?」
「未来」
ルシアンは。
少し笑った。
「まだ」
「まだなんだ」
「でも」
リリアの手を取る。
「好きになった」
「未来が?」
「ああ」
「何で?」
「君がいるかもしれないから」
「かもしれない?」
「君が決めることだから」
相変わらず。
そこだけは。
絶対に変わらない。
ルシアンは。
もうリリアの未来を決めない。
好きでいてほしいと言う。
一緒にいたいとも言う。
でも。
選ぶのは。
いつも。
リリア。
「じゃあ」
リリアは。
繋いだ手を揺らす。
「今のところ」
「うん」
「いる予定」
ルシアンの目が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「そう」
「嬉しい?」
「かなり」
「十年後も?」
「できれば」
「二十年後」
「もちろん」
「五十年後」
「君が嫌でなければ」
「百年後」
ルシアンが。
少しだけ。
黙った。
「……それは」
「無理?」
「今の僕たちは普通の人間だからね」
「あ」
「もう不老ではない」
「そっか」
「だから」
ルシアンが。
穏やかに笑った。
「百年後には、二人ともいないかもしれない」
以前なら。
怖かった言葉。
死。
終わり。
でも。
今は。
不思議と怖くなかった。
「じゃあ」
リリアは言う。
「それまで一緒にいればいいね」
ルシアンが。
息を止めた。
「……リリア」
「何?」
「今の」
「うん」
「意味分かってる?」
「何が?」
「それまで一緒にいるって」
「分かってるよ」
「本当に?」
「先輩」
リリアは呆れて笑った。
「一年経ってもそれ?」
「何が?」
「確認しすぎ」
「大事だから」
「じゃあ」
ルシアンを見る。
「先輩は?」
「何が?」
「それまで」
少し恥ずかしい。
でも。
聞く。
「私といたい?」
「いたい」
即答。
「ずっと?」
「ああ」
「私がおばあちゃんになっても?」
「もちろん」
「髪真っ白」
「似合うと思う」
「しわしわ」
「僕もだろう?」
「先輩、眼鏡だけ変わらなそう」
「そこ?」
「ずっと同じの使ってそう」
「壊れるよ」
「じゃあ新しいの選んであげる」
「君が?」
「うん」
「ではお願いしようかな」
笑う。
こんなふうに。
老いる話をして。
笑える。
それが。
何より。
幸せだった。
*
「そういえば」
リリアが言う。
「何?」
「去年」
「うん」
「私、先輩に言ったよね」
「何を?」
「先輩からも告白されたいって」
ルシアンが。
黙った。
「覚えてる?」
「ああ」
「まだ?」
「……」
「忘れた?」
「忘れてない」
「じゃあ」
ルシアンが。
立ち上がった。
「先輩?」
「少し歩こう」
「何で?」
「いいから」
「怪しい」
でも。
ついていく。
川沿い。
夕焼け。
手を繋いで。
少し歩く。
そして。
人の少ない場所で。
ルシアンが止まった。
「リリア」
「何?」
向かい合う。
いつもと。
少し雰囲気が違う。
「……先輩?」
「一年」
「うん」
「考えた」
「長」
「僕にとっては短いよ」
「何を?」
「君に」
ルシアンが。
少しだけ。
緊張したように息を吸う。
「何を言えばいいか」
リリアは。
黙った。
「最初は」
紫色の瞳が。
真っ直ぐ。
リリアを見る。
「ずっと一緒にいてほしいと思った」
「うん」
「でも、それは僕の願いだから」
「うん」
「君の人生を僕が決める言葉にはしたくなかった」
ルシアンらしい。
本当に。
面倒なくらい。
ルシアンらしい。
「だから」
ルシアンが。
リリアの左手を取った。
紫と白のブレスレット。
「お願いがある」
「何?」
「これから先」
指が。
リリアの指へ絡む。
「君が何を選んでも」
「うん」
「どこへ行っても」
「うん」
「君自身でいることを、やめないでほしい」
リリアは。
少しだけ。
眉を寄せた。
「告白じゃなくない?」
「最後まで聞いて」
「はい」
「その上で」
ルシアンが。
笑った。
「できれば」
少し。
声が震える。
「その人生の隣に」
リリアの手を。
大切そうに。
握る。
「僕を置いてほしい」
胸が。
きゅっと。
痛くなった。
「……ずる」
「何が?」
「それ」
「駄目?」
「駄目じゃない」
「なら」
「でも」
リリアは。
少し笑う。
「それって告白?」
「僕としては」
「好きって言ってない」
「……」
「ちゃんと言って」
「今さら?」
「今さら」
ルシアンが。
困ったように。
笑った。
そして。
「好きだよ」
「うん」
「リリアが好きだ」
「うん」
「君と生きたい」
夕焼けの中。
たった一人の。
普通の男の人として。
「これから先も」
言う。
「僕の恋人でいてください」
リリアは。
笑った。
「はい」
「……即答だね」
「一年待ったから」
「そうだった」
「でも」
リリアは。
一歩近づく。
「先輩」
「何?」
「それだけ?」
「……何が?」
「一年考えたんでしょ」
「考えたよ」
「もっと先は?」
ルシアンが。
黙る。
「先輩?」
「……君は」
「うん」
「本当に」
眼鏡を直す。
「時々、僕より先に行くね」
「何の話?」
「いや」
ルシアンは。
少し笑った。
「今日はここまで」
「何それ」
「その先は」
リリアの左手を。
もう一度。
握る。
「いつか、ちゃんと僕から言う」
「……」
分かった。
多分。
言っている意味が。
「それって」
「今は秘密」
「また!?」
「その時まで」
ルシアンが。
珍しく。
少し悪戯っぽく笑う。
「待っていて」
リリアは。
顔が熱くなった。
「……何年?」
「そんなに待たせないよ」
「一年?」
「どうかな」
「半年?」
「リリア」
「三か月?」
「秘密」
「気になる!」
「楽しみにしていて」
「ずるい」
「君に教わった」
リリアは。
少しだけ。
むっとして。
ルシアンの服を掴んだ。
「じゃあ」
「何?」
「今日はこれで我慢する」
「何を――」
最後まで。
言わせなかった。
キスをした。
自分から。
ルシアンの身体が。
一瞬だけ固まる。
でも。
すぐに。
頬へ手が触れた。
唇が離れて。
もう一度。
今度は。
ルシアンから。
触れる。
長くはない。
でも。
急がない。
もう。
時間は。
いくらでもある。
離れたあと。
リリアは。
近い距離で笑った。
「先輩」
「何?」
「今、幸せ?」
ルシアンは。
少し考えた。
「うん」
「即答じゃない」
「言葉を選んでいた」
「何て?」
「幸せ、だけでは足りない気がして」
「じゃあ何?」
「分からない」
「またそれ」
「ああ」
ルシアンが。
額を。
リリアの額へ重ねる。
「でも」
紫色の瞳が。
すぐ近くにある。
「明日も欲しい」
リリアは。
笑った。
「私も」
「明後日も」
「うん」
「来年も」
「うん」
「その先も」
「しつこい」
「……」
「冗談」
ルシアンが。
呆れたように笑う。
「じゃあ」
リリアは。
手を握る。
「帰ろ」
「ああ」
「明日何時?」
「八時」
「え」
「勝負だろう?」
「八時五分にしてよ!」
「嫌だ」
「先輩!」
「明日は僕が勝つ」
「今日も先輩じゃん!」
「では連勝」
「ずる!」
二人で歩き出す。
川沿い。
夕焼け。
繋いだ手。
何も。
特別なものはない。
魔法陣も。
世界からの命令も。
運命の数字も。
二人を結びつける。
見えない糸さえ。
きっと。
ない。
それでいい。
リリアは。
ルシアンを選んだ。
ルシアンも。
リリアを選んだ。
明日になれば。
また選ぶ。
明後日も。
その次の日も。
きっと。
恋とは。
一度選んで終わるものではない。
毎日。
何度でも。
同じ人を。
自分の意思で。
選び直すことなのかもしれない。
「リリア」
「何?」
「好きだよ」
「急に言うの禁止って言ったじゃん」
「一年経ったから時効かと」
「何その理屈」
「嫌だった?」
リリアは。
繋いだ手を。
少し強く握った。
「逆」
ルシアンが。
笑った。
「知ってる」
世界を作るほどの魔法があった。
時間を越える魔法もあった。
魂を繋ぐ術式も。
運命を書き換える力もあった。
それでも。
最後に二人を結んだものは。
そのどれでもなかった。
明日も会いたい。
もう少し一緒にいたい。
好きな人の隣を歩きたい。
そんな。
魔法よりずっと小さくて。
ずっとありふれていて。
けれど。
どんな魔法にも決められない。
たった一つの気持ち。
だから。
明日も。
その次の日も。
何度だって。
君を選ぶ。
魔法ではなく。
運命でもなく。
ただ。
僕が。
私が。
君に恋をする。
『魔法より、君に恋をする。』
ルシアンルート 完
世界は、驚くほど何も起こさなかった。
空に亀裂が入ることもなければ、黒い月が昇ることもない。学院の時計が止まることもないし、リリアの前に意味の分からない数字が現れることもない。
春が来て。
夏が来て。
秋が来て。
冬が来た。
そして。
また春が来た。
「……普通」
学院の中庭で、リリアは空を見上げながら呟いた。
「何が?」
隣から声がする。
ルシアン。
一年前と変わらない黒い髪と眼鏡。その奥にある紫色の瞳も、相変わらず綺麗だった。
「世界」
「うん」
「めちゃくちゃ普通」
「不満?」
「まさか」
リリアは笑った。
「最高」
ルシアンも笑う。
この一年。
本当に色々なことがあった。
と言っても。
世界を救ったわけではない。
試験で赤点を取りそうになって、ルシアンに三日間勉強を見てもらった。
ノアたちと出かけた。
ルシアンと喧嘩した。
理由はくだらない。
ルシアンが忙しいのに「大丈夫」と言って仕事を抱え込んだから。
リリアが怒って。
ルシアンも珍しく言い返して。
その日は一緒に帰らなかった。
翌朝。
八時十分。
二人とも校門にいた。
『……おはよう』
『おはよう』
『……』
『……』
『昨日ごめん』
二人同時だった。
結局。
顔を見合わせて笑った。
そんな喧嘩。
夏には旅行へ行った。
秋には学院祭があった。
冬には本当にお揃いの手袋を買った。
ルシアンは黒。
リリアは白。
『お揃いって言ったのに色違うじゃん』
『完全に同じだと少し恥ずかしいだろう?』
『先輩、そういうところ意外と普通だよね』
『僕を何だと思ってるの』
『元管理者』
『忘れて』
『嫌』
そして。
また春。
何でもない日々を。
二人は。
一年分。
積み重ねた。
「先輩」
「何?」
「今日、暇?」
「夕方から?」
「うん」
「空いてるよ」
「じゃあデートしよ」
「急だね」
「駄目?」
「もちろんいいけど」
「どこ行く?」
「君、去年も同じこと聞いたね」
「去年?」
ルシアンが左手首を見る。
リリアも。
自分の左手首を見る。
紫と白の石。
一年前にもらったブレスレット。
「あ」
「今日だよ」
「何が?」
「最初のデートから一年」
「……本当に?」
「ああ」
「先輩覚えてたの?」
「覚えているよ」
「細か」
「君は忘れてたね」
「日付までは!」
「僕は覚えていた」
「何その勝ち誇った顔」
「少し嬉しいだけ」
「じゃあ」
リリアは立ち上がった。
「同じところ行く?」
「また?」
「嫌?」
「逆」
「あ」
二人とも止まる。
そして。
笑った。
「まだ言うね、それ」
「君もね」
「もう癖かも」
「そうかもしれない」
*
放課後。
二人は街へ出た。
一年前と同じ道。
一年前と同じ店。
「これ覚えてる」
リリアが店先のワンピースを指差す。
「試着したやつ」
「ああ」
「先輩めっちゃ見てた」
「見てない」
「見てた」
「恋人を見るくらいいいだろう」
「当時まだ微妙じゃなかった?」
「付き合ってたよ」
「そうだっけ」
「君、本当に記憶戻ってる?」
「大体」
大体。
そう。
一年経っても。
リリアの記憶は。
全部は戻らなかった。
第一循環。
第二。
第三。
十二回分の人生。
もう。
ほとんど思い出せない。
エリシアの顔も。
ぼんやりしている。
十三回目の記憶も。
ところどころ抜けている。
でも。
リリアはもう。
気にしていなかった。
だって。
この一年だけで。
新しい記憶が。
たくさんできた。
「先輩」
「何?」
「ケーキ」
「行こうか」
「今日は私チョコ」
「では僕が苺」
「一口交換ね」
「分かった」
菓子店。
同じ席。
でも。
注文は逆。
「はい」
ルシアンがフォークを差し出す。
苺のタルト。
「……普通にやるようになったね」
「何が?」
「これ」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
食べる。
「美味しい」
「よかった」
「先輩も」
チョコレートケーキを差し出す。
ルシアンが食べる。
「どう?」
「美味しい」
「知ってる」
「ならなぜ聞いたの」
「言いたいじゃん」
「そういうもの?」
「そういうもの」
くだらない会話。
でも。
こういう時間が。
一番好きだった。
*
店を出る。
夕方。
川沿い。
また。
同じ場所。
「一年で三回来てない?」
リリアが言う。
「もっと来てるよ」
「そんなに?」
「君、ここ好きだろう?」
「好き」
「だから」
ベンチに座る。
夕焼け。
川。
風。
そして。
隣に。
ルシアン。
「……一年か」
リリアが言う。
「ああ」
「早かった?」
「僕には」
ルシアンは少し考えた。
「一番長い一年だった」
「何で?」
「毎日違ったから」
「今までの何千年より?」
「ああ」
「大げさ」
「本当だよ」
ルシアンが川を見る。
「管理者だった頃は、時間がほとんど意味を持っていなかった」
「うん」
「百年も千年も。ただ次の崩壊までの時間だった」
「……うん」
「でも今は」
リリアを見る。
「明日がある」
その言葉を。
この人は。
この一年。
何度も言った。
明日。
来週。
来月。
来年。
少しずつ。
未来の言葉が。
増えていった。
「先輩」
「何?」
「最近」
「うん」
「十年後とかも言うよね」
「言うね」
「慣れた?」
「何に?」
「未来」
ルシアンは。
少し笑った。
「まだ」
「まだなんだ」
「でも」
リリアの手を取る。
「好きになった」
「未来が?」
「ああ」
「何で?」
「君がいるかもしれないから」
「かもしれない?」
「君が決めることだから」
相変わらず。
そこだけは。
絶対に変わらない。
ルシアンは。
もうリリアの未来を決めない。
好きでいてほしいと言う。
一緒にいたいとも言う。
でも。
選ぶのは。
いつも。
リリア。
「じゃあ」
リリアは。
繋いだ手を揺らす。
「今のところ」
「うん」
「いる予定」
ルシアンの目が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「そう」
「嬉しい?」
「かなり」
「十年後も?」
「できれば」
「二十年後」
「もちろん」
「五十年後」
「君が嫌でなければ」
「百年後」
ルシアンが。
少しだけ。
黙った。
「……それは」
「無理?」
「今の僕たちは普通の人間だからね」
「あ」
「もう不老ではない」
「そっか」
「だから」
ルシアンが。
穏やかに笑った。
「百年後には、二人ともいないかもしれない」
以前なら。
怖かった言葉。
死。
終わり。
でも。
今は。
不思議と怖くなかった。
「じゃあ」
リリアは言う。
「それまで一緒にいればいいね」
ルシアンが。
息を止めた。
「……リリア」
「何?」
「今の」
「うん」
「意味分かってる?」
「何が?」
「それまで一緒にいるって」
「分かってるよ」
「本当に?」
「先輩」
リリアは呆れて笑った。
「一年経ってもそれ?」
「何が?」
「確認しすぎ」
「大事だから」
「じゃあ」
ルシアンを見る。
「先輩は?」
「何が?」
「それまで」
少し恥ずかしい。
でも。
聞く。
「私といたい?」
「いたい」
即答。
「ずっと?」
「ああ」
「私がおばあちゃんになっても?」
「もちろん」
「髪真っ白」
「似合うと思う」
「しわしわ」
「僕もだろう?」
「先輩、眼鏡だけ変わらなそう」
「そこ?」
「ずっと同じの使ってそう」
「壊れるよ」
「じゃあ新しいの選んであげる」
「君が?」
「うん」
「ではお願いしようかな」
笑う。
こんなふうに。
老いる話をして。
笑える。
それが。
何より。
幸せだった。
*
「そういえば」
リリアが言う。
「何?」
「去年」
「うん」
「私、先輩に言ったよね」
「何を?」
「先輩からも告白されたいって」
ルシアンが。
黙った。
「覚えてる?」
「ああ」
「まだ?」
「……」
「忘れた?」
「忘れてない」
「じゃあ」
ルシアンが。
立ち上がった。
「先輩?」
「少し歩こう」
「何で?」
「いいから」
「怪しい」
でも。
ついていく。
川沿い。
夕焼け。
手を繋いで。
少し歩く。
そして。
人の少ない場所で。
ルシアンが止まった。
「リリア」
「何?」
向かい合う。
いつもと。
少し雰囲気が違う。
「……先輩?」
「一年」
「うん」
「考えた」
「長」
「僕にとっては短いよ」
「何を?」
「君に」
ルシアンが。
少しだけ。
緊張したように息を吸う。
「何を言えばいいか」
リリアは。
黙った。
「最初は」
紫色の瞳が。
真っ直ぐ。
リリアを見る。
「ずっと一緒にいてほしいと思った」
「うん」
「でも、それは僕の願いだから」
「うん」
「君の人生を僕が決める言葉にはしたくなかった」
ルシアンらしい。
本当に。
面倒なくらい。
ルシアンらしい。
「だから」
ルシアンが。
リリアの左手を取った。
紫と白のブレスレット。
「お願いがある」
「何?」
「これから先」
指が。
リリアの指へ絡む。
「君が何を選んでも」
「うん」
「どこへ行っても」
「うん」
「君自身でいることを、やめないでほしい」
リリアは。
少しだけ。
眉を寄せた。
「告白じゃなくない?」
「最後まで聞いて」
「はい」
「その上で」
ルシアンが。
笑った。
「できれば」
少し。
声が震える。
「その人生の隣に」
リリアの手を。
大切そうに。
握る。
「僕を置いてほしい」
胸が。
きゅっと。
痛くなった。
「……ずる」
「何が?」
「それ」
「駄目?」
「駄目じゃない」
「なら」
「でも」
リリアは。
少し笑う。
「それって告白?」
「僕としては」
「好きって言ってない」
「……」
「ちゃんと言って」
「今さら?」
「今さら」
ルシアンが。
困ったように。
笑った。
そして。
「好きだよ」
「うん」
「リリアが好きだ」
「うん」
「君と生きたい」
夕焼けの中。
たった一人の。
普通の男の人として。
「これから先も」
言う。
「僕の恋人でいてください」
リリアは。
笑った。
「はい」
「……即答だね」
「一年待ったから」
「そうだった」
「でも」
リリアは。
一歩近づく。
「先輩」
「何?」
「それだけ?」
「……何が?」
「一年考えたんでしょ」
「考えたよ」
「もっと先は?」
ルシアンが。
黙る。
「先輩?」
「……君は」
「うん」
「本当に」
眼鏡を直す。
「時々、僕より先に行くね」
「何の話?」
「いや」
ルシアンは。
少し笑った。
「今日はここまで」
「何それ」
「その先は」
リリアの左手を。
もう一度。
握る。
「いつか、ちゃんと僕から言う」
「……」
分かった。
多分。
言っている意味が。
「それって」
「今は秘密」
「また!?」
「その時まで」
ルシアンが。
珍しく。
少し悪戯っぽく笑う。
「待っていて」
リリアは。
顔が熱くなった。
「……何年?」
「そんなに待たせないよ」
「一年?」
「どうかな」
「半年?」
「リリア」
「三か月?」
「秘密」
「気になる!」
「楽しみにしていて」
「ずるい」
「君に教わった」
リリアは。
少しだけ。
むっとして。
ルシアンの服を掴んだ。
「じゃあ」
「何?」
「今日はこれで我慢する」
「何を――」
最後まで。
言わせなかった。
キスをした。
自分から。
ルシアンの身体が。
一瞬だけ固まる。
でも。
すぐに。
頬へ手が触れた。
唇が離れて。
もう一度。
今度は。
ルシアンから。
触れる。
長くはない。
でも。
急がない。
もう。
時間は。
いくらでもある。
離れたあと。
リリアは。
近い距離で笑った。
「先輩」
「何?」
「今、幸せ?」
ルシアンは。
少し考えた。
「うん」
「即答じゃない」
「言葉を選んでいた」
「何て?」
「幸せ、だけでは足りない気がして」
「じゃあ何?」
「分からない」
「またそれ」
「ああ」
ルシアンが。
額を。
リリアの額へ重ねる。
「でも」
紫色の瞳が。
すぐ近くにある。
「明日も欲しい」
リリアは。
笑った。
「私も」
「明後日も」
「うん」
「来年も」
「うん」
「その先も」
「しつこい」
「……」
「冗談」
ルシアンが。
呆れたように笑う。
「じゃあ」
リリアは。
手を握る。
「帰ろ」
「ああ」
「明日何時?」
「八時」
「え」
「勝負だろう?」
「八時五分にしてよ!」
「嫌だ」
「先輩!」
「明日は僕が勝つ」
「今日も先輩じゃん!」
「では連勝」
「ずる!」
二人で歩き出す。
川沿い。
夕焼け。
繋いだ手。
何も。
特別なものはない。
魔法陣も。
世界からの命令も。
運命の数字も。
二人を結びつける。
見えない糸さえ。
きっと。
ない。
それでいい。
リリアは。
ルシアンを選んだ。
ルシアンも。
リリアを選んだ。
明日になれば。
また選ぶ。
明後日も。
その次の日も。
きっと。
恋とは。
一度選んで終わるものではない。
毎日。
何度でも。
同じ人を。
自分の意思で。
選び直すことなのかもしれない。
「リリア」
「何?」
「好きだよ」
「急に言うの禁止って言ったじゃん」
「一年経ったから時効かと」
「何その理屈」
「嫌だった?」
リリアは。
繋いだ手を。
少し強く握った。
「逆」
ルシアンが。
笑った。
「知ってる」
世界を作るほどの魔法があった。
時間を越える魔法もあった。
魂を繋ぐ術式も。
運命を書き換える力もあった。
それでも。
最後に二人を結んだものは。
そのどれでもなかった。
明日も会いたい。
もう少し一緒にいたい。
好きな人の隣を歩きたい。
そんな。
魔法よりずっと小さくて。
ずっとありふれていて。
けれど。
どんな魔法にも決められない。
たった一つの気持ち。
だから。
明日も。
その次の日も。
何度だって。
君を選ぶ。
魔法ではなく。
運命でもなく。
ただ。
僕が。
私が。
君に恋をする。
『魔法より、君に恋をする。』
ルシアンルート 完

