魔法より、君に恋をする。

 それから一年が経った。

 世界は、驚くほど何も起こさなかった。

 空に亀裂が入ることもなければ、黒い月が昇ることもない。学院の時計が止まることもないし、リリアの前に意味の分からない数字が現れることもない。

 春が来て。

 夏が来て。

 秋が来て。

 冬が来た。

 そして。

 また春が来た。

「……普通」

 学院の中庭で、リリアは空を見上げながら呟いた。

「何が?」

 隣から声がする。

 ルシアン。

 一年前と変わらない黒い髪と眼鏡。その奥にある紫色の瞳も、相変わらず綺麗だった。

「世界」

「うん」

「めちゃくちゃ普通」

「不満?」

「まさか」

 リリアは笑った。

「最高」

 ルシアンも笑う。

 この一年。

 本当に色々なことがあった。

 と言っても。

 世界を救ったわけではない。

 試験で赤点を取りそうになって、ルシアンに三日間勉強を見てもらった。

 ノアたちと出かけた。

 ルシアンと喧嘩した。

 理由はくだらない。

 ルシアンが忙しいのに「大丈夫」と言って仕事を抱え込んだから。

 リリアが怒って。

 ルシアンも珍しく言い返して。

 その日は一緒に帰らなかった。

 翌朝。

 八時十分。

 二人とも校門にいた。

『……おはよう』

『おはよう』

『……』

『……』

『昨日ごめん』

 二人同時だった。

 結局。

 顔を見合わせて笑った。

 そんな喧嘩。

 夏には旅行へ行った。

 秋には学院祭があった。

 冬には本当にお揃いの手袋を買った。

 ルシアンは黒。

 リリアは白。

『お揃いって言ったのに色違うじゃん』

『完全に同じだと少し恥ずかしいだろう?』

『先輩、そういうところ意外と普通だよね』

『僕を何だと思ってるの』

『元管理者』

『忘れて』

『嫌』

 そして。

 また春。

 何でもない日々を。

 二人は。

 一年分。

 積み重ねた。

「先輩」

「何?」

「今日、暇?」

「夕方から?」

「うん」

「空いてるよ」

「じゃあデートしよ」

「急だね」

「駄目?」

「もちろんいいけど」

「どこ行く?」

「君、去年も同じこと聞いたね」

「去年?」

 ルシアンが左手首を見る。

 リリアも。

 自分の左手首を見る。

 紫と白の石。

 一年前にもらったブレスレット。

「あ」

「今日だよ」

「何が?」

「最初のデートから一年」

「……本当に?」

「ああ」

「先輩覚えてたの?」

「覚えているよ」

「細か」

「君は忘れてたね」

「日付までは!」

「僕は覚えていた」

「何その勝ち誇った顔」

「少し嬉しいだけ」

「じゃあ」

 リリアは立ち上がった。

「同じところ行く?」

「また?」

「嫌?」

「逆」

「あ」

 二人とも止まる。

 そして。

 笑った。

「まだ言うね、それ」

「君もね」

「もう癖かも」

「そうかもしれない」

     *

 放課後。

 二人は街へ出た。

 一年前と同じ道。

 一年前と同じ店。

「これ覚えてる」

 リリアが店先のワンピースを指差す。

「試着したやつ」

「ああ」

「先輩めっちゃ見てた」

「見てない」

「見てた」

「恋人を見るくらいいいだろう」

「当時まだ微妙じゃなかった?」

「付き合ってたよ」

「そうだっけ」

「君、本当に記憶戻ってる?」

「大体」

 大体。

 そう。

 一年経っても。

 リリアの記憶は。

 全部は戻らなかった。

 第一循環。

 第二。

 第三。

 十二回分の人生。

 もう。

 ほとんど思い出せない。

 エリシアの顔も。

 ぼんやりしている。

 十三回目の記憶も。

 ところどころ抜けている。

 でも。

 リリアはもう。

 気にしていなかった。

 だって。

 この一年だけで。

 新しい記憶が。

 たくさんできた。

「先輩」

「何?」

「ケーキ」

「行こうか」

「今日は私チョコ」

「では僕が苺」

「一口交換ね」

「分かった」

 菓子店。

 同じ席。

 でも。

 注文は逆。

「はい」

 ルシアンがフォークを差し出す。

 苺のタルト。

「……普通にやるようになったね」

「何が?」

「これ」

「嫌?」

「嫌じゃないけど」

 食べる。

「美味しい」

「よかった」

「先輩も」

 チョコレートケーキを差し出す。

 ルシアンが食べる。

「どう?」

「美味しい」

「知ってる」

「ならなぜ聞いたの」

「言いたいじゃん」

「そういうもの?」

「そういうもの」

 くだらない会話。

 でも。

 こういう時間が。

 一番好きだった。

     *

 店を出る。

 夕方。

 川沿い。

 また。

 同じ場所。

「一年で三回来てない?」

 リリアが言う。

「もっと来てるよ」

「そんなに?」

「君、ここ好きだろう?」

「好き」

「だから」

 ベンチに座る。

 夕焼け。

 川。

 風。

 そして。

 隣に。

 ルシアン。

「……一年か」

 リリアが言う。

「ああ」

「早かった?」

「僕には」

 ルシアンは少し考えた。

「一番長い一年だった」

「何で?」

「毎日違ったから」

「今までの何千年より?」

「ああ」

「大げさ」

「本当だよ」

 ルシアンが川を見る。

「管理者だった頃は、時間がほとんど意味を持っていなかった」

「うん」

「百年も千年も。ただ次の崩壊までの時間だった」

「……うん」

「でも今は」

 リリアを見る。

「明日がある」

 その言葉を。

 この人は。

 この一年。

 何度も言った。

 明日。

 来週。

 来月。

 来年。

 少しずつ。

 未来の言葉が。

 増えていった。

「先輩」

「何?」

「最近」

「うん」

「十年後とかも言うよね」

「言うね」

「慣れた?」

「何に?」

「未来」

 ルシアンは。

 少し笑った。

「まだ」

「まだなんだ」

「でも」

 リリアの手を取る。

「好きになった」

「未来が?」

「ああ」

「何で?」

「君がいるかもしれないから」

「かもしれない?」

「君が決めることだから」

 相変わらず。

 そこだけは。

 絶対に変わらない。

 ルシアンは。

 もうリリアの未来を決めない。

 好きでいてほしいと言う。

 一緒にいたいとも言う。

 でも。

 選ぶのは。

 いつも。

 リリア。

「じゃあ」

 リリアは。

 繋いだ手を揺らす。

「今のところ」

「うん」

「いる予定」

 ルシアンの目が。

 少しだけ。

 柔らかくなる。

「そう」

「嬉しい?」

「かなり」

「十年後も?」

「できれば」

「二十年後」

「もちろん」

「五十年後」

「君が嫌でなければ」

「百年後」

 ルシアンが。

 少しだけ。

 黙った。

「……それは」

「無理?」

「今の僕たちは普通の人間だからね」

「あ」

「もう不老ではない」

「そっか」

「だから」

 ルシアンが。

 穏やかに笑った。

「百年後には、二人ともいないかもしれない」

 以前なら。

 怖かった言葉。

 死。

 終わり。

 でも。

 今は。

 不思議と怖くなかった。

「じゃあ」

 リリアは言う。

「それまで一緒にいればいいね」

 ルシアンが。

 息を止めた。

「……リリア」

「何?」

「今の」

「うん」

「意味分かってる?」

「何が?」

「それまで一緒にいるって」

「分かってるよ」

「本当に?」

「先輩」

 リリアは呆れて笑った。

「一年経ってもそれ?」

「何が?」

「確認しすぎ」

「大事だから」

「じゃあ」

 ルシアンを見る。

「先輩は?」

「何が?」

「それまで」

 少し恥ずかしい。

 でも。

 聞く。

「私といたい?」

「いたい」

 即答。

「ずっと?」

「ああ」

「私がおばあちゃんになっても?」

「もちろん」

「髪真っ白」

「似合うと思う」

「しわしわ」

「僕もだろう?」

「先輩、眼鏡だけ変わらなそう」

「そこ?」

「ずっと同じの使ってそう」

「壊れるよ」

「じゃあ新しいの選んであげる」

「君が?」

「うん」

「ではお願いしようかな」

 笑う。

 こんなふうに。

 老いる話をして。

 笑える。

 それが。

 何より。

 幸せだった。

     *

「そういえば」

 リリアが言う。

「何?」

「去年」

「うん」

「私、先輩に言ったよね」

「何を?」

「先輩からも告白されたいって」

 ルシアンが。

 黙った。

「覚えてる?」

「ああ」

「まだ?」

「……」

「忘れた?」

「忘れてない」

「じゃあ」

 ルシアンが。

 立ち上がった。

「先輩?」

「少し歩こう」

「何で?」

「いいから」

「怪しい」

 でも。

 ついていく。

 川沿い。

 夕焼け。

 手を繋いで。

 少し歩く。

 そして。

 人の少ない場所で。

 ルシアンが止まった。

「リリア」

「何?」

 向かい合う。

 いつもと。

 少し雰囲気が違う。

「……先輩?」

「一年」

「うん」

「考えた」

「長」

「僕にとっては短いよ」

「何を?」

「君に」

 ルシアンが。

 少しだけ。

 緊張したように息を吸う。

「何を言えばいいか」

 リリアは。

 黙った。

「最初は」

 紫色の瞳が。

 真っ直ぐ。

 リリアを見る。

「ずっと一緒にいてほしいと思った」

「うん」

「でも、それは僕の願いだから」

「うん」

「君の人生を僕が決める言葉にはしたくなかった」

 ルシアンらしい。

 本当に。

 面倒なくらい。

 ルシアンらしい。

「だから」

 ルシアンが。

 リリアの左手を取った。

 紫と白のブレスレット。

「お願いがある」

「何?」

「これから先」

 指が。

 リリアの指へ絡む。

「君が何を選んでも」

「うん」

「どこへ行っても」

「うん」

「君自身でいることを、やめないでほしい」

 リリアは。

 少しだけ。

 眉を寄せた。

「告白じゃなくない?」

「最後まで聞いて」

「はい」

「その上で」

 ルシアンが。

 笑った。

「できれば」

 少し。

 声が震える。

「その人生の隣に」

 リリアの手を。

 大切そうに。

 握る。

「僕を置いてほしい」

 胸が。

 きゅっと。

 痛くなった。

「……ずる」

「何が?」

「それ」

「駄目?」

「駄目じゃない」

「なら」

「でも」

 リリアは。

 少し笑う。

「それって告白?」

「僕としては」

「好きって言ってない」

「……」

「ちゃんと言って」

「今さら?」

「今さら」

 ルシアンが。

 困ったように。

 笑った。

 そして。

「好きだよ」

「うん」

「リリアが好きだ」

「うん」

「君と生きたい」

 夕焼けの中。

 たった一人の。

 普通の男の人として。

「これから先も」

 言う。

「僕の恋人でいてください」

 リリアは。

 笑った。

「はい」

「……即答だね」

「一年待ったから」

「そうだった」

「でも」

 リリアは。

 一歩近づく。

「先輩」

「何?」

「それだけ?」

「……何が?」

「一年考えたんでしょ」

「考えたよ」

「もっと先は?」

 ルシアンが。

 黙る。

「先輩?」

「……君は」

「うん」

「本当に」

 眼鏡を直す。

「時々、僕より先に行くね」

「何の話?」

「いや」

 ルシアンは。

 少し笑った。

「今日はここまで」

「何それ」

「その先は」

 リリアの左手を。

 もう一度。

 握る。

「いつか、ちゃんと僕から言う」

「……」

 分かった。

 多分。

 言っている意味が。

「それって」

「今は秘密」

「また!?」

「その時まで」

 ルシアンが。

 珍しく。

 少し悪戯っぽく笑う。

「待っていて」

 リリアは。

 顔が熱くなった。

「……何年?」

「そんなに待たせないよ」

「一年?」

「どうかな」

「半年?」

「リリア」

「三か月?」

「秘密」

「気になる!」

「楽しみにしていて」

「ずるい」

「君に教わった」

 リリアは。

 少しだけ。

 むっとして。

 ルシアンの服を掴んだ。

「じゃあ」

「何?」

「今日はこれで我慢する」

「何を――」

 最後まで。

 言わせなかった。

 キスをした。

 自分から。

 ルシアンの身体が。

 一瞬だけ固まる。

 でも。

 すぐに。

 頬へ手が触れた。

 唇が離れて。

 もう一度。

 今度は。

 ルシアンから。

 触れる。

 長くはない。

 でも。

 急がない。

 もう。

 時間は。

 いくらでもある。

 離れたあと。

 リリアは。

 近い距離で笑った。

「先輩」

「何?」

「今、幸せ?」

 ルシアンは。

 少し考えた。

「うん」

「即答じゃない」

「言葉を選んでいた」

「何て?」

「幸せ、だけでは足りない気がして」

「じゃあ何?」

「分からない」

「またそれ」

「ああ」

 ルシアンが。

 額を。

 リリアの額へ重ねる。

「でも」

 紫色の瞳が。

 すぐ近くにある。

「明日も欲しい」

 リリアは。

 笑った。

「私も」

「明後日も」

「うん」

「来年も」

「うん」

「その先も」

「しつこい」

「……」

「冗談」

 ルシアンが。

 呆れたように笑う。

「じゃあ」

 リリアは。

 手を握る。

「帰ろ」

「ああ」

「明日何時?」

「八時」

「え」

「勝負だろう?」

「八時五分にしてよ!」

「嫌だ」

「先輩!」

「明日は僕が勝つ」

「今日も先輩じゃん!」

「では連勝」

「ずる!」

 二人で歩き出す。

 川沿い。

 夕焼け。

 繋いだ手。

 何も。

 特別なものはない。

 魔法陣も。

 世界からの命令も。

 運命の数字も。

 二人を結びつける。

 見えない糸さえ。

 きっと。

 ない。

 それでいい。

 リリアは。

 ルシアンを選んだ。

 ルシアンも。

 リリアを選んだ。

 明日になれば。

 また選ぶ。

 明後日も。

 その次の日も。

 きっと。

 恋とは。

 一度選んで終わるものではない。

 毎日。

 何度でも。

 同じ人を。

 自分の意思で。

 選び直すことなのかもしれない。

「リリア」

「何?」

「好きだよ」

「急に言うの禁止って言ったじゃん」

「一年経ったから時効かと」

「何その理屈」

「嫌だった?」

 リリアは。

 繋いだ手を。

 少し強く握った。

「逆」

 ルシアンが。

 笑った。

「知ってる」

 世界を作るほどの魔法があった。

 時間を越える魔法もあった。

 魂を繋ぐ術式も。

 運命を書き換える力もあった。

 それでも。

 最後に二人を結んだものは。

 そのどれでもなかった。

 明日も会いたい。

 もう少し一緒にいたい。

 好きな人の隣を歩きたい。

 そんな。

 魔法よりずっと小さくて。

 ずっとありふれていて。

 けれど。

 どんな魔法にも決められない。

 たった一つの気持ち。

 だから。

 明日も。

 その次の日も。

 何度だって。

 君を選ぶ。

 魔法ではなく。

 運命でもなく。

 ただ。

 僕が。

 私が。

 君に恋をする。

『魔法より、君に恋をする。』

ルシアンルート 完