翌朝。
リリアは目を覚まして、最初に左手首を見た。
紫と白の石。
ある。
「……よし」
何が「よし」なのか自分でも分からない。
ただ、それがそこにあるだけで少し安心した。
昨日のことも覚えている。
菓子店。
川沿い。
繋いだ手。
そして。
キス。
「……」
布団を頭まで被った。
「いや待って」
昨日の自分。
何をしている。
『終わり?』
「何で言った?」
『短い』
「何で!?」
思い出すだけで恥ずかしい。
しかもルシアンは全部覚えている。
いや。
今度こそ忘れたくないとまで言っていた。
「最悪……」
全然最悪ではない。
むしろ。
嬉しい。
だから余計に困る。
リリアは布団の中でしばらく転がってから、ようやく起きた。
*
「おはよう」
「……おはようございます」
学院へ着いて最初に会ったのがルシアンだった。
最悪のタイミング。
いや、会いたかった。
でも今ではない。
昨日のキスを思い出した直後ではない。
「どうしたの?」
「何も」
「顔赤いけど」
「暑い」
「今日はかなり涼しいよ」
「走ったから」
「さっき門の前を普通に歩いていたけど」
「見てたんですか?」
「たまたま」
「……」
「リリア?」
「先輩」
「何?」
「昨日のこと、一回忘れてくれません?」
ルシアンが少し考える。
「どこから?」
「どこからって」
「菓子店?」
「もっと後」
「川?」
「もっと後」
「キス?」
「言わないで!」
ルシアンが笑った。
「そこ?」
「そこじゃない!」
「じゃあどこ?」
「その後!」
ルシアンは少し考えて。
思い出したらしい。
「ああ」
「その顔やめて」
「『短い』?」
「忘れて!」
思ったより大きな声が出た。
近くを歩いていた生徒が振り返る。
リリアは慌てて声を落とした。
「……本当に」
「嫌だ」
「即答!?」
「今度は忘れたくないって言っただろう?」
「そこまで覚えなくていい!」
「僕にはかなり嬉しかったんだけど」
「何が?」
「君がもう一度、僕に触れたいと思ってくれたこと」
リリアは言葉に詰まった。
そういう言い方は。
ずるい。
「……先輩」
「何?」
「朝からそれ禁止」
「何が?」
「そういうの」
「どういうの?」
「分かってるくせに」
ルシアンは楽しそうに笑っている。
この人。
昨日まであんなに慎重だったのに。
「何か今日、余裕あるね」
「そう?」
「ある」
「多分」
少しだけリリアへ近づく。
「昨日、安心したから」
「……何に?」
「君が僕との新しい記憶を作りたいと言ってくれた」
また。
心臓が変な音を立てる。
「だから少しくらい」
紫色の瞳が細くなる。
「期待してもいいのかなと思って」
リリアは目を逸らした。
「……少しくらいなら」
「本当に?」
「少しね」
「どのくらい?」
「知らない」
「測れない?」
リリアは思わず彼を見る。
ルシアンも。
言ってから気づいたようだった。
二人の間に。
一瞬。
静かなものが落ちる。
昔なら。
同期率があった。
数字があった。
世界が二人の関係を勝手に測った。
でも今は。
「うん」
リリアは笑った。
「測れない」
ルシアンも笑う。
「それがいいね」
「うん」
廊下を並んで歩く。
少しして。
リリアの手の甲に何かが触れた。
ルシアンの指。
偶然かと思った。
また触れる。
「……先輩」
「何?」
「手」
「うん」
「繋ぎたいの?」
「……」
「何で黙るの」
「君が嫌ならやめようと思って」
リリアは少し笑った。
そして。
自分から小指を絡める。
「全部繋ぐと目立つから」
「ああ」
「これなら」
「うん」
小指だけ。
それで歩く。
たったそれだけなのに。
昨日のキスより。
なぜか恥ずかしい。
「先輩」
「何?」
「これ、結構恥ずかしいね」
「僕も今思ってた」
「やめる?」
「嫌だ」
「私も」
そのまま。
生徒会室まで歩いた。
*
昼休み。
ノアが二人を交互に見ていた。
「何?」
リリアが聞く。
「いや」
「言いたいことあるなら言って」
「お前らさ」
ノアがルシアンを見る。
次にリリアを見る。
「付き合ってんの?」
リリアは固まった。
ルシアンも黙る。
「……え?」
「いや、何その反応」
「待って」
リリアはルシアンを見る。
「私たち今付き合ってる?」
「僕に聞く?」
「だって」
「僕は君に決めてもらうつもりだったから」
「何を?」
「今の関係を」
ノアが眉を寄せる。
「何の話?」
「ちょっと黙ってて」
「俺が聞いたんだけど」
「大事なところだから!」
「はいはい」
リリアはルシアンを見る。
「前は付き合ってた」
「ああ」
「私が忘れた」
「うん」
「昨日キスした」
「おい」
「ノア黙って!」
「はい」
「で」
リリアは少し困った。
「今は?」
「僕は」
ルシアンが静かに言う。
「恋人に戻れたら嬉しい」
「……うん」
「でも、以前そうだったからという理由だけで戻るのは違うと思ってる」
「うん」
「だから君が決めて」
また。
それ。
今のルシアンは。
何でもリリアに決めさせる。
昔の彼を知っているからこそ。
その変化が分かる。
怖いくせに。
自分を選んでほしいくせに。
それでも。
待っている。
「……じゃあ」
リリアは少し考えた。
「今は付き合ってない」
ルシアンの目が。
ほんの少しだけ揺れた。
「分かった」
笑った。
普通に。
でも。
リリアには分かった。
傷ついた。
「ただし」
ルシアンが顔を上げる。
「私、先輩のこと気になってる」
「……」
「かなり」
ノアが隣で「あー」と何か言いかけたが、リリアは無視した。
「だから」
少し恥ずかしい。
「もう一回、口説いて」
ルシアンが目を瞬く。
「……僕が?」
「うん」
「君を?」
「他に誰がいるの」
「いや」
珍しく。
本当に困っている。
「そういう経験があまり」
「十二回も恋してるのに?」
「全部思い通りになっていたと思う?」
「あ」
「半分以上振られてるよ」
「そうだった」
ノアが完全に置いていかれている。
「何の話?」
「長い話」
「十二回振られてんの?」
「半分以上とは言ったけど十二回とは言ってない」
「そこ訂正するんだ」
リリアは笑った。
「じゃあ頑張って、先輩」
「……分かった」
ルシアンが眼鏡を直す。
「努力する」
「楽しみにしてる」
「ちなみに」
「何?」
「期限は?」
「期限?」
「いつまでに君を好きにさせればいい?」
「そういうゲームじゃないから!」
「目標があった方が」
「生徒会の仕事みたいにしないで!」
ノアが吹き出した。
「ルシアン、恋愛向いてねえな」
「君に言われたくない」
「俺は少なくとも期限聞かねえよ」
「では君ならどうする?」
「俺を巻き込むな」
普通の会話。
普通の昼休み。
世界の命運なんて。
誰も背負っていない。
リリアは。
その時間が。
すごく好きだった。
*
その日の放課後。
「リリア」
「ん?」
「少し時間ある?」
「あるよ」
「では」
ルシアンが小さな紙袋を差し出した。
「これ」
「何?」
「口説く第一回」
「言い方!」
笑いながら受け取る。
中を見る。
「……クッキー?」
「ああ」
「買ったの?」
「作った」
「え?」
リリアはルシアンを見る。
「先輩が?」
「そんなに驚く?」
「料理できるの?」
「一応」
その瞬間。
記憶。
黒い何か。
『食べられる?』
『食べられるよ』
『炭だよ』
「……ふっ」
「何?」
「いや」
笑いが止まらない。
「先輩」
「何?」
「昔、料理焦がしたことある?」
ルシアンが固まる。
「……どうして知ってる?」
「思い出した」
「よりによってそこ?」
「炭みたいだった」
「第零循環の話だね」
「覚えてるの?」
「少しずつ」
「僕も」
「じゃあ今は上手?」
「何千年経ったと思ってる?」
「クッキー一枚に何千年の修行積んでるの」
「言い方がおかしい」
袋から一枚取る。
食べる。
「……美味しい」
「本当?」
「うん」
「よかった」
ルシアンが。
本当に安心した顔をする。
「先輩」
「何?」
「これで口説いてるつもり?」
「……駄目?」
「いや」
リリアはもう一枚食べる。
「結構いい」
「本当に?」
「うん」
「ならよかった」
「でも」
「何?」
「私甘いもの好きだから、物で釣られやすいよ」
「では毎日作ろうか」
「太らせる気?」
「困ったな」
「そこは調整して」
「難しい」
「頑張って」
ルシアンが笑う。
リリアも笑った。
そのまま帰ろうとして。
ふと。
袖を掴んだ。
「先輩」
「何?」
「今日」
少し迷う。
「一緒に帰らない?」
「もちろん」
学院を出る。
夕方の道。
並んで歩く。
今日は。
最初から手を繋いでいない。
少し。
気になる。
ルシアンも。
何度かこちらの手を見ている。
でも触れてこない。
昨日リリアが「付き合ってない」と言ったからだろう。
「……真面目」
「何が?」
「何でもない」
しばらく歩く。
夕日が長い影を作る。
「先輩」
「何?」
「口説く第二回は?」
「もう?」
「クッキーだけ?」
「今日一日で何回必要なの?」
「知らない」
「では」
ルシアンが考える。
「明日も一緒に帰らない?」
「それ口説いてる?」
「僕なりに」
「弱い」
「難しいな」
「もっとキュンとするやつ」
「急に要求が上がったね」
「頑張って」
「そう言われても」
ルシアンが困ったように笑う。
そして。
少し歩いてから。
「……君といると」
「うん」
「明日の予定を考えるようになった」
リリアの足が。
少しだけ遅くなる。
「前は?」
「考えなかった」
「何で?」
「どうせまた世界が終わると思っていたから」
静かな声。
「一年後も、十年後も。考える意味がないと思っていた」
「……うん」
「でも今は」
ルシアンが前を見る。
「明日は君と帰りたいと思うし」
一歩。
「週末はどこかへ行けたらと思う」
また一歩。
「来年も」
紫色の目が。
リリアを見る。
「君の隣にいたいと思ってる」
胸が。
跳ねた。
「……」
「どう?」
「何が?」
「第二回」
「……ずるい」
「駄目?」
「急に強いの出してきた」
「君がキュンとするものと言ったから」
「加減して」
「難しいな」
リリアは顔を逸らした。
熱い。
これは。
かなり。
効いた。
「……八十点」
「採点されるの?」
「されます」
「百点は?」
「まだ」
「厳しい」
「頑張って」
「分かった」
少しして。
ルシアンの手が。
またリリアの手の近くへ来た。
触れない。
待っている。
リリアは。
その手を見た。
そして。
自分から握った。
「これは?」
ルシアンが聞く。
「何?」
「付き合っていないけど、いいの?」
「手くらい」
「昨日キスもしたけど」
「それは」
「うん」
「……特別」
「何が?」
「先輩だから」
ルシアンが止まった。
リリアも止まる。
「今の」
「何?」
「もう一度言って」
「嫌」
「どうして?」
「恥ずかしい」
「僕にはかなり」
「言わない」
「リリア」
「行くよ!」
手を繋いだまま歩き出す。
ルシアンも追いつく。
「先輩だから、何?」
「うるさい!」
「聞こえなかった」
「絶対聞こえてた!」
「もう一度」
「嫌!」
笑いながら。
歩く。
それから三日。
ルシアンは本当に。
リリアを口説き続けた。
朝。
「おはよう」
それだけ言って、温かい飲み物を渡された。
「何これ」
「君、朝寒いって言ってただろう」
「……覚えてたの?」
「昨日言ってたから」
二十点。
いや。
四十点。
昼。
大量の資料を抱えていたら。
「半分」
「大丈夫」
「知ってる」
勝手に半分持っていく。
「大丈夫なら持たないの?」
「違う」
「何?」
「君が一人で持てることと、僕が持ちたいことは別」
「……」
八十五点。
放課後。
リリアが机で眠ってしまった。
目を覚ますと。
肩に上着が掛かっていた。
ルシアンは向かいで仕事をしている。
「先輩」
「起きた?」
「これ」
「寒そうだったから」
「起こせばよかったのに」
「よく寝てたから」
「どれくらい?」
「四十分」
「見てた?」
「仕事してた」
「本当に?」
「時々」
「……」
九十点。
そして。
四日目。
リリアは気づいた。
「……あれ」
朝。
学院へ向かう途中。
ルシアンを探している。
いない。
いつもなら門の近くで会う。
今日は。
いない。
「……別に」
待ち合わせしているわけではない。
約束もしていない。
そのまま学院へ入る。
廊下。
いない。
生徒会室。
いない。
「……」
「誰探してんの?」
ノア。
「別に」
「ルシアン?」
「違う」
「今日休み」
「え?」
反射的に振り返った。
ノアが笑う。
「やっぱルシアンじゃん」
「何で休み?」
「知らね。体調悪いんじゃね?」
「体調?」
胸がざわつく。
嫌な感じ。
頭では。
ただの欠席だと分かっている。
世界はもう壊れない。
管理者でもない。
でも。
ルシアンがいない。
それだけで。
十二回分の何かが。
身体の奥で。
怖がっている。
「……家どこ」
「は?」
「先輩の家」
「知らねえよ」
「生徒会の名簿!」
「個人情報を何だと思ってんだ」
「緊急!」
「何が?」
「……分かんない」
自分でも。
説明できない。
ただ。
会いたい。
顔を見たい。
無事だと知りたい。
その時。
扉が開いた。
「ごめん、遅れた」
リリアが振り返る。
ルシアン。
「……」
「リリア?」
走った。
考えるより先に。
胸へ飛び込んだ。
「うわ」
ルシアンが慌てて受け止める。
「どうしたの?」
「休みって!」
「誰が?」
「ノア!」
ルシアンがノアを見る。
「おい」
「いや、こいつが探してたから」
「休みとは言ってない」
「ちょっとからかっただけ」
「殺す」
「元管理者怖っ」
リリアはルシアンの服を掴んだまま離れない。
「リリア」
「……」
「ごめん」
「何で遅れたの」
「教師に呼ばれてた」
「体調は?」
「元気だよ」
「本当に?」
「ああ」
「どこも痛くない?」
「ない」
「消えない?」
言ってから。
自分で。
止まった。
ルシアンも。
ノアも。
黙った。
「……ごめん」
離れようとした。
でも。
ルシアンの腕が背中へ回った。
「消えないよ」
「……うん」
「僕はここにいる」
「うん」
「大丈夫」
頭を。
ゆっくり撫でられる。
その感触で。
胸のざわつきが。
少しずつ消えていく。
「……怖かった」
「うん」
「何でか分かんないけど」
「分かるよ」
「先輩がいないだけで」
「うん」
「すごく嫌だった」
ルシアンは。
何も言わなかった。
ただ抱きしめていた。
そして。
少し落ち着いてから。
リリアは気づいた。
ノアがいる。
「……」
離れる。
ノアと目が合う。
「何」
「いや」
「何」
「付き合ってないんだよな?」
「……」
「へえ」
「何その顔!」
「別に」
「うるさい!」
ノアは笑いながら出ていった。
扉が閉まる。
二人きり。
急に。
恥ずかしくなる。
「……先輩」
「何?」
「今の忘れて」
「嫌だ」
「また!?」
「今度は忘れないって言っただろう」
「都合よく使わないで!」
ルシアンが笑う。
「でも」
リリアを見る。
「嬉しかった」
「……何が?」
「僕がいなくて寂しかった?」
「寂しいというか」
「うん」
「心配した」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「会いたかった」
そこまで言って。
止まる。
ルシアンの目が。
優しくなる。
「……何」
「いや」
「言いたいことあるなら言って」
「口説く必要」
「うん」
「もうあまりないのかなと思って」
「調子乗らないで」
「すみません」
でも。
否定できなかった。
リリアは。
気づき始めている。
いや。
もう。
多分。
分かっている。
記憶が戻ったからではない。
昔恋人だったからでもない。
ルシアンが自分を好きだからでもない。
朝。
会いたい。
昼。
話したい。
帰り。
一緒にいたい。
いないと。
探してしまう。
触れられると。
嬉しい。
他の誰でもなく。
今。
目の前にいる。
この人に。
「……先輩」
「何?」
「今日、帰り」
「うん」
「屋上来て」
ルシアンが少し驚く。
「屋上?」
「うん」
「何かある?」
「ある」
「何?」
「今言ったら屋上行く意味ないじゃん」
「それはそうだけど」
「放課後」
「分かった」
「絶対ね」
「ああ」
リリアは。
生徒会室を出る。
廊下を歩く。
心臓が。
うるさい。
「……無理」
顔が熱い。
でも。
言う。
今度は。
昔の続きをするためではない。
今の自分が。
今のルシアンを。
選ぶために。
*
放課後。
屋上。
夕焼け。
風。
先に来たリリアは。
もう十分くらい。
同じ場所を歩き回っていた。
「何て言うの」
好き。
普通に。
それだけでいい。
「いや無理」
何が無理なのか。
十三回世界を越えたくせに。
告白一つが。
怖い。
扉が開く。
「リリア?」
「来た!」
「呼んだのは君だよ」
「そうだけど」
ルシアンが近づく。
「どうしたの?」
「そこ」
「ここ?」
「うん」
「分かった」
立つ。
リリアの前。
「……」
「……」
「先輩」
「うん」
「私」
「うん」
「……」
言えない。
ルシアンは。
急かさない。
ただ待っている。
それが。
余計に。
好きだと思った。
「私さ」
「うん」
「前のこと」
「ああ」
「まだ全部思い出してない」
「うん」
「多分、戻らないのもある」
「そうだね」
「それで」
一度。
息を吸う。
「前の私が先輩をどれくらい好きだったかも」
「うん」
「全部は分かんない」
「大丈夫」
「でも」
ルシアンを見る。
紫色の目。
初めて見た時。
綺麗だと思った。
もう一度出会った時も。
同じことを思った。
「今の私は」
声が震える。
「先輩が好き」
ルシアンの目が。
ゆっくり見開かれる。
「……」
「何か言って」
「待って」
「何で」
「今」
ルシアンが顔を逸らす。
「少し無理」
「何が!?」
「嬉しすぎて」
「……」
「ごめん」
眼鏡を外す。
目元を押さえる。
「先輩」
「うん」
「泣いてる?」
「泣いてない」
「それ私のやつ」
「借りた」
リリアは。
少し笑った。
ルシアンも。
顔を戻す。
目が赤い。
「もう一度」
「何?」
「言って」
「嫌」
「どうして」
「恥ずかしい」
「お願い」
「先輩」
「うん」
「好き」
今度は。
ちゃんと言えた。
「前の私がどうとかじゃなくて」
「うん」
「エリシアでもなくて」
「ああ」
「今の」
胸に手を当てる。
「リリア・アスターが」
ルシアンを見る。
「ルシアン先輩を好き」
静かな。
夕方。
世界は。
何も起こさない。
祝福の光も。
魔法陣も。
同期率の表示も。
ない。
だから。
ルシアン自身が。
答えた。
「僕も」
一歩。
近づく。
「君が好きだ」
もう一歩。
「今の君が」
手を取る。
「リリア・アスターが好きだよ」
リリアは笑った。
「じゃあ」
「うん」
「付き合う?」
ルシアンが笑う。
「そこは僕から言わせてもらえない?」
「あ」
「口説けと言っただろう」
「そうだった」
「リリア」
「はい」
手を握る。
今までで。
一番緊張しているように見えた。
「僕と」
少し息を吸って。
「もう一度、恋人になってください」
リリアは。
少し考えるふりをした。
「……どうしよっかな」
「リリア」
「冗談」
「心臓に悪い」
「先輩も緊張するんだ」
「するよ」
「じゃあ」
握られた手を。
握り返す。
「よろしくお願いします」
ルシアンの顔が。
ゆっくり。
ほどける。
「……よかった」
「そんなに?」
「かなり」
「じゃあ」
リリアは。
少しだけ近づいた。
「百点」
「何が?」
「口説くやつ」
「合格?」
「合格」
「ご褒美は?」
「調子乗った」
「君が採点制度を作ったんだろう?」
「ご褒美欲しいの?」
「できれば」
「何?」
「……」
ルシアンが。
リリアの唇を一瞬見る。
分かりやすい。
「先輩」
「何?」
「顔」
「何」
「分かりやすすぎ」
「……」
「キス?」
「できれば」
リリアは笑った。
「いいよ」
ルシアンの手が。
頬へ触れる。
でも。
そこで止まる。
「何?」
「一つだけ」
「うん」
「本当に」
紫色の瞳が。
近くでリリアを見る。
「僕でいい?」
リリアは。
一瞬。
呆れた。
「先輩」
「何?」
「それ」
「うん」
「何回聞く気?」
「……」
「十二回?」
「さすがに」
「十三回?」
「リリア」
「百回?」
「ごめん」
「もう」
リリアは。
ルシアンの服を掴んだ。
少し引き寄せる。
「私が選んだって言ってるでしょ」
「……うん」
「だから」
今度は。
自分から。
唇を重ねた。
ほんの一瞬。
離れる。
「これで分かった?」
ルシアンは。
少し黙って。
「……もう一回なら」
「欲張り」
「恋人になったばかりだから」
「前から恋人だったけどね」
「今の僕たちは今日からだろう?」
その言葉が。
すごく。
好きだった。
「……うん」
リリアは笑う。
「今日から」
今度は。
ルシアンから。
ゆっくり近づく。
二度目のキス。
いや。
何度目でもない。
数える必要なんて。
もうなかった。
唇が離れる。
額が触れる。
「リリア」
「何?」
「明日も好きだと思う」
「多分?」
「絶対」
「来週は?」
「好き」
「来年」
「好きだよ」
「十年後」
「君が嫌がっても」
「それはちょっと重い」
「……」
「冗談」
ルシアンが笑う。
リリアも笑った。
「じゃあ先輩」
「何?」
「明日も会おうね」
それは。
何千年先でも。
来世でも。
十四回目でもない。
たった一日先の約束。
ルシアンは。
今までで一番嬉しそうに。
「うん」
そう答えた。
「明日も会おう」
リリアは目を覚まして、最初に左手首を見た。
紫と白の石。
ある。
「……よし」
何が「よし」なのか自分でも分からない。
ただ、それがそこにあるだけで少し安心した。
昨日のことも覚えている。
菓子店。
川沿い。
繋いだ手。
そして。
キス。
「……」
布団を頭まで被った。
「いや待って」
昨日の自分。
何をしている。
『終わり?』
「何で言った?」
『短い』
「何で!?」
思い出すだけで恥ずかしい。
しかもルシアンは全部覚えている。
いや。
今度こそ忘れたくないとまで言っていた。
「最悪……」
全然最悪ではない。
むしろ。
嬉しい。
だから余計に困る。
リリアは布団の中でしばらく転がってから、ようやく起きた。
*
「おはよう」
「……おはようございます」
学院へ着いて最初に会ったのがルシアンだった。
最悪のタイミング。
いや、会いたかった。
でも今ではない。
昨日のキスを思い出した直後ではない。
「どうしたの?」
「何も」
「顔赤いけど」
「暑い」
「今日はかなり涼しいよ」
「走ったから」
「さっき門の前を普通に歩いていたけど」
「見てたんですか?」
「たまたま」
「……」
「リリア?」
「先輩」
「何?」
「昨日のこと、一回忘れてくれません?」
ルシアンが少し考える。
「どこから?」
「どこからって」
「菓子店?」
「もっと後」
「川?」
「もっと後」
「キス?」
「言わないで!」
ルシアンが笑った。
「そこ?」
「そこじゃない!」
「じゃあどこ?」
「その後!」
ルシアンは少し考えて。
思い出したらしい。
「ああ」
「その顔やめて」
「『短い』?」
「忘れて!」
思ったより大きな声が出た。
近くを歩いていた生徒が振り返る。
リリアは慌てて声を落とした。
「……本当に」
「嫌だ」
「即答!?」
「今度は忘れたくないって言っただろう?」
「そこまで覚えなくていい!」
「僕にはかなり嬉しかったんだけど」
「何が?」
「君がもう一度、僕に触れたいと思ってくれたこと」
リリアは言葉に詰まった。
そういう言い方は。
ずるい。
「……先輩」
「何?」
「朝からそれ禁止」
「何が?」
「そういうの」
「どういうの?」
「分かってるくせに」
ルシアンは楽しそうに笑っている。
この人。
昨日まであんなに慎重だったのに。
「何か今日、余裕あるね」
「そう?」
「ある」
「多分」
少しだけリリアへ近づく。
「昨日、安心したから」
「……何に?」
「君が僕との新しい記憶を作りたいと言ってくれた」
また。
心臓が変な音を立てる。
「だから少しくらい」
紫色の瞳が細くなる。
「期待してもいいのかなと思って」
リリアは目を逸らした。
「……少しくらいなら」
「本当に?」
「少しね」
「どのくらい?」
「知らない」
「測れない?」
リリアは思わず彼を見る。
ルシアンも。
言ってから気づいたようだった。
二人の間に。
一瞬。
静かなものが落ちる。
昔なら。
同期率があった。
数字があった。
世界が二人の関係を勝手に測った。
でも今は。
「うん」
リリアは笑った。
「測れない」
ルシアンも笑う。
「それがいいね」
「うん」
廊下を並んで歩く。
少しして。
リリアの手の甲に何かが触れた。
ルシアンの指。
偶然かと思った。
また触れる。
「……先輩」
「何?」
「手」
「うん」
「繋ぎたいの?」
「……」
「何で黙るの」
「君が嫌ならやめようと思って」
リリアは少し笑った。
そして。
自分から小指を絡める。
「全部繋ぐと目立つから」
「ああ」
「これなら」
「うん」
小指だけ。
それで歩く。
たったそれだけなのに。
昨日のキスより。
なぜか恥ずかしい。
「先輩」
「何?」
「これ、結構恥ずかしいね」
「僕も今思ってた」
「やめる?」
「嫌だ」
「私も」
そのまま。
生徒会室まで歩いた。
*
昼休み。
ノアが二人を交互に見ていた。
「何?」
リリアが聞く。
「いや」
「言いたいことあるなら言って」
「お前らさ」
ノアがルシアンを見る。
次にリリアを見る。
「付き合ってんの?」
リリアは固まった。
ルシアンも黙る。
「……え?」
「いや、何その反応」
「待って」
リリアはルシアンを見る。
「私たち今付き合ってる?」
「僕に聞く?」
「だって」
「僕は君に決めてもらうつもりだったから」
「何を?」
「今の関係を」
ノアが眉を寄せる。
「何の話?」
「ちょっと黙ってて」
「俺が聞いたんだけど」
「大事なところだから!」
「はいはい」
リリアはルシアンを見る。
「前は付き合ってた」
「ああ」
「私が忘れた」
「うん」
「昨日キスした」
「おい」
「ノア黙って!」
「はい」
「で」
リリアは少し困った。
「今は?」
「僕は」
ルシアンが静かに言う。
「恋人に戻れたら嬉しい」
「……うん」
「でも、以前そうだったからという理由だけで戻るのは違うと思ってる」
「うん」
「だから君が決めて」
また。
それ。
今のルシアンは。
何でもリリアに決めさせる。
昔の彼を知っているからこそ。
その変化が分かる。
怖いくせに。
自分を選んでほしいくせに。
それでも。
待っている。
「……じゃあ」
リリアは少し考えた。
「今は付き合ってない」
ルシアンの目が。
ほんの少しだけ揺れた。
「分かった」
笑った。
普通に。
でも。
リリアには分かった。
傷ついた。
「ただし」
ルシアンが顔を上げる。
「私、先輩のこと気になってる」
「……」
「かなり」
ノアが隣で「あー」と何か言いかけたが、リリアは無視した。
「だから」
少し恥ずかしい。
「もう一回、口説いて」
ルシアンが目を瞬く。
「……僕が?」
「うん」
「君を?」
「他に誰がいるの」
「いや」
珍しく。
本当に困っている。
「そういう経験があまり」
「十二回も恋してるのに?」
「全部思い通りになっていたと思う?」
「あ」
「半分以上振られてるよ」
「そうだった」
ノアが完全に置いていかれている。
「何の話?」
「長い話」
「十二回振られてんの?」
「半分以上とは言ったけど十二回とは言ってない」
「そこ訂正するんだ」
リリアは笑った。
「じゃあ頑張って、先輩」
「……分かった」
ルシアンが眼鏡を直す。
「努力する」
「楽しみにしてる」
「ちなみに」
「何?」
「期限は?」
「期限?」
「いつまでに君を好きにさせればいい?」
「そういうゲームじゃないから!」
「目標があった方が」
「生徒会の仕事みたいにしないで!」
ノアが吹き出した。
「ルシアン、恋愛向いてねえな」
「君に言われたくない」
「俺は少なくとも期限聞かねえよ」
「では君ならどうする?」
「俺を巻き込むな」
普通の会話。
普通の昼休み。
世界の命運なんて。
誰も背負っていない。
リリアは。
その時間が。
すごく好きだった。
*
その日の放課後。
「リリア」
「ん?」
「少し時間ある?」
「あるよ」
「では」
ルシアンが小さな紙袋を差し出した。
「これ」
「何?」
「口説く第一回」
「言い方!」
笑いながら受け取る。
中を見る。
「……クッキー?」
「ああ」
「買ったの?」
「作った」
「え?」
リリアはルシアンを見る。
「先輩が?」
「そんなに驚く?」
「料理できるの?」
「一応」
その瞬間。
記憶。
黒い何か。
『食べられる?』
『食べられるよ』
『炭だよ』
「……ふっ」
「何?」
「いや」
笑いが止まらない。
「先輩」
「何?」
「昔、料理焦がしたことある?」
ルシアンが固まる。
「……どうして知ってる?」
「思い出した」
「よりによってそこ?」
「炭みたいだった」
「第零循環の話だね」
「覚えてるの?」
「少しずつ」
「僕も」
「じゃあ今は上手?」
「何千年経ったと思ってる?」
「クッキー一枚に何千年の修行積んでるの」
「言い方がおかしい」
袋から一枚取る。
食べる。
「……美味しい」
「本当?」
「うん」
「よかった」
ルシアンが。
本当に安心した顔をする。
「先輩」
「何?」
「これで口説いてるつもり?」
「……駄目?」
「いや」
リリアはもう一枚食べる。
「結構いい」
「本当に?」
「うん」
「ならよかった」
「でも」
「何?」
「私甘いもの好きだから、物で釣られやすいよ」
「では毎日作ろうか」
「太らせる気?」
「困ったな」
「そこは調整して」
「難しい」
「頑張って」
ルシアンが笑う。
リリアも笑った。
そのまま帰ろうとして。
ふと。
袖を掴んだ。
「先輩」
「何?」
「今日」
少し迷う。
「一緒に帰らない?」
「もちろん」
学院を出る。
夕方の道。
並んで歩く。
今日は。
最初から手を繋いでいない。
少し。
気になる。
ルシアンも。
何度かこちらの手を見ている。
でも触れてこない。
昨日リリアが「付き合ってない」と言ったからだろう。
「……真面目」
「何が?」
「何でもない」
しばらく歩く。
夕日が長い影を作る。
「先輩」
「何?」
「口説く第二回は?」
「もう?」
「クッキーだけ?」
「今日一日で何回必要なの?」
「知らない」
「では」
ルシアンが考える。
「明日も一緒に帰らない?」
「それ口説いてる?」
「僕なりに」
「弱い」
「難しいな」
「もっとキュンとするやつ」
「急に要求が上がったね」
「頑張って」
「そう言われても」
ルシアンが困ったように笑う。
そして。
少し歩いてから。
「……君といると」
「うん」
「明日の予定を考えるようになった」
リリアの足が。
少しだけ遅くなる。
「前は?」
「考えなかった」
「何で?」
「どうせまた世界が終わると思っていたから」
静かな声。
「一年後も、十年後も。考える意味がないと思っていた」
「……うん」
「でも今は」
ルシアンが前を見る。
「明日は君と帰りたいと思うし」
一歩。
「週末はどこかへ行けたらと思う」
また一歩。
「来年も」
紫色の目が。
リリアを見る。
「君の隣にいたいと思ってる」
胸が。
跳ねた。
「……」
「どう?」
「何が?」
「第二回」
「……ずるい」
「駄目?」
「急に強いの出してきた」
「君がキュンとするものと言ったから」
「加減して」
「難しいな」
リリアは顔を逸らした。
熱い。
これは。
かなり。
効いた。
「……八十点」
「採点されるの?」
「されます」
「百点は?」
「まだ」
「厳しい」
「頑張って」
「分かった」
少しして。
ルシアンの手が。
またリリアの手の近くへ来た。
触れない。
待っている。
リリアは。
その手を見た。
そして。
自分から握った。
「これは?」
ルシアンが聞く。
「何?」
「付き合っていないけど、いいの?」
「手くらい」
「昨日キスもしたけど」
「それは」
「うん」
「……特別」
「何が?」
「先輩だから」
ルシアンが止まった。
リリアも止まる。
「今の」
「何?」
「もう一度言って」
「嫌」
「どうして?」
「恥ずかしい」
「僕にはかなり」
「言わない」
「リリア」
「行くよ!」
手を繋いだまま歩き出す。
ルシアンも追いつく。
「先輩だから、何?」
「うるさい!」
「聞こえなかった」
「絶対聞こえてた!」
「もう一度」
「嫌!」
笑いながら。
歩く。
それから三日。
ルシアンは本当に。
リリアを口説き続けた。
朝。
「おはよう」
それだけ言って、温かい飲み物を渡された。
「何これ」
「君、朝寒いって言ってただろう」
「……覚えてたの?」
「昨日言ってたから」
二十点。
いや。
四十点。
昼。
大量の資料を抱えていたら。
「半分」
「大丈夫」
「知ってる」
勝手に半分持っていく。
「大丈夫なら持たないの?」
「違う」
「何?」
「君が一人で持てることと、僕が持ちたいことは別」
「……」
八十五点。
放課後。
リリアが机で眠ってしまった。
目を覚ますと。
肩に上着が掛かっていた。
ルシアンは向かいで仕事をしている。
「先輩」
「起きた?」
「これ」
「寒そうだったから」
「起こせばよかったのに」
「よく寝てたから」
「どれくらい?」
「四十分」
「見てた?」
「仕事してた」
「本当に?」
「時々」
「……」
九十点。
そして。
四日目。
リリアは気づいた。
「……あれ」
朝。
学院へ向かう途中。
ルシアンを探している。
いない。
いつもなら門の近くで会う。
今日は。
いない。
「……別に」
待ち合わせしているわけではない。
約束もしていない。
そのまま学院へ入る。
廊下。
いない。
生徒会室。
いない。
「……」
「誰探してんの?」
ノア。
「別に」
「ルシアン?」
「違う」
「今日休み」
「え?」
反射的に振り返った。
ノアが笑う。
「やっぱルシアンじゃん」
「何で休み?」
「知らね。体調悪いんじゃね?」
「体調?」
胸がざわつく。
嫌な感じ。
頭では。
ただの欠席だと分かっている。
世界はもう壊れない。
管理者でもない。
でも。
ルシアンがいない。
それだけで。
十二回分の何かが。
身体の奥で。
怖がっている。
「……家どこ」
「は?」
「先輩の家」
「知らねえよ」
「生徒会の名簿!」
「個人情報を何だと思ってんだ」
「緊急!」
「何が?」
「……分かんない」
自分でも。
説明できない。
ただ。
会いたい。
顔を見たい。
無事だと知りたい。
その時。
扉が開いた。
「ごめん、遅れた」
リリアが振り返る。
ルシアン。
「……」
「リリア?」
走った。
考えるより先に。
胸へ飛び込んだ。
「うわ」
ルシアンが慌てて受け止める。
「どうしたの?」
「休みって!」
「誰が?」
「ノア!」
ルシアンがノアを見る。
「おい」
「いや、こいつが探してたから」
「休みとは言ってない」
「ちょっとからかっただけ」
「殺す」
「元管理者怖っ」
リリアはルシアンの服を掴んだまま離れない。
「リリア」
「……」
「ごめん」
「何で遅れたの」
「教師に呼ばれてた」
「体調は?」
「元気だよ」
「本当に?」
「ああ」
「どこも痛くない?」
「ない」
「消えない?」
言ってから。
自分で。
止まった。
ルシアンも。
ノアも。
黙った。
「……ごめん」
離れようとした。
でも。
ルシアンの腕が背中へ回った。
「消えないよ」
「……うん」
「僕はここにいる」
「うん」
「大丈夫」
頭を。
ゆっくり撫でられる。
その感触で。
胸のざわつきが。
少しずつ消えていく。
「……怖かった」
「うん」
「何でか分かんないけど」
「分かるよ」
「先輩がいないだけで」
「うん」
「すごく嫌だった」
ルシアンは。
何も言わなかった。
ただ抱きしめていた。
そして。
少し落ち着いてから。
リリアは気づいた。
ノアがいる。
「……」
離れる。
ノアと目が合う。
「何」
「いや」
「何」
「付き合ってないんだよな?」
「……」
「へえ」
「何その顔!」
「別に」
「うるさい!」
ノアは笑いながら出ていった。
扉が閉まる。
二人きり。
急に。
恥ずかしくなる。
「……先輩」
「何?」
「今の忘れて」
「嫌だ」
「また!?」
「今度は忘れないって言っただろう」
「都合よく使わないで!」
ルシアンが笑う。
「でも」
リリアを見る。
「嬉しかった」
「……何が?」
「僕がいなくて寂しかった?」
「寂しいというか」
「うん」
「心配した」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「会いたかった」
そこまで言って。
止まる。
ルシアンの目が。
優しくなる。
「……何」
「いや」
「言いたいことあるなら言って」
「口説く必要」
「うん」
「もうあまりないのかなと思って」
「調子乗らないで」
「すみません」
でも。
否定できなかった。
リリアは。
気づき始めている。
いや。
もう。
多分。
分かっている。
記憶が戻ったからではない。
昔恋人だったからでもない。
ルシアンが自分を好きだからでもない。
朝。
会いたい。
昼。
話したい。
帰り。
一緒にいたい。
いないと。
探してしまう。
触れられると。
嬉しい。
他の誰でもなく。
今。
目の前にいる。
この人に。
「……先輩」
「何?」
「今日、帰り」
「うん」
「屋上来て」
ルシアンが少し驚く。
「屋上?」
「うん」
「何かある?」
「ある」
「何?」
「今言ったら屋上行く意味ないじゃん」
「それはそうだけど」
「放課後」
「分かった」
「絶対ね」
「ああ」
リリアは。
生徒会室を出る。
廊下を歩く。
心臓が。
うるさい。
「……無理」
顔が熱い。
でも。
言う。
今度は。
昔の続きをするためではない。
今の自分が。
今のルシアンを。
選ぶために。
*
放課後。
屋上。
夕焼け。
風。
先に来たリリアは。
もう十分くらい。
同じ場所を歩き回っていた。
「何て言うの」
好き。
普通に。
それだけでいい。
「いや無理」
何が無理なのか。
十三回世界を越えたくせに。
告白一つが。
怖い。
扉が開く。
「リリア?」
「来た!」
「呼んだのは君だよ」
「そうだけど」
ルシアンが近づく。
「どうしたの?」
「そこ」
「ここ?」
「うん」
「分かった」
立つ。
リリアの前。
「……」
「……」
「先輩」
「うん」
「私」
「うん」
「……」
言えない。
ルシアンは。
急かさない。
ただ待っている。
それが。
余計に。
好きだと思った。
「私さ」
「うん」
「前のこと」
「ああ」
「まだ全部思い出してない」
「うん」
「多分、戻らないのもある」
「そうだね」
「それで」
一度。
息を吸う。
「前の私が先輩をどれくらい好きだったかも」
「うん」
「全部は分かんない」
「大丈夫」
「でも」
ルシアンを見る。
紫色の目。
初めて見た時。
綺麗だと思った。
もう一度出会った時も。
同じことを思った。
「今の私は」
声が震える。
「先輩が好き」
ルシアンの目が。
ゆっくり見開かれる。
「……」
「何か言って」
「待って」
「何で」
「今」
ルシアンが顔を逸らす。
「少し無理」
「何が!?」
「嬉しすぎて」
「……」
「ごめん」
眼鏡を外す。
目元を押さえる。
「先輩」
「うん」
「泣いてる?」
「泣いてない」
「それ私のやつ」
「借りた」
リリアは。
少し笑った。
ルシアンも。
顔を戻す。
目が赤い。
「もう一度」
「何?」
「言って」
「嫌」
「どうして」
「恥ずかしい」
「お願い」
「先輩」
「うん」
「好き」
今度は。
ちゃんと言えた。
「前の私がどうとかじゃなくて」
「うん」
「エリシアでもなくて」
「ああ」
「今の」
胸に手を当てる。
「リリア・アスターが」
ルシアンを見る。
「ルシアン先輩を好き」
静かな。
夕方。
世界は。
何も起こさない。
祝福の光も。
魔法陣も。
同期率の表示も。
ない。
だから。
ルシアン自身が。
答えた。
「僕も」
一歩。
近づく。
「君が好きだ」
もう一歩。
「今の君が」
手を取る。
「リリア・アスターが好きだよ」
リリアは笑った。
「じゃあ」
「うん」
「付き合う?」
ルシアンが笑う。
「そこは僕から言わせてもらえない?」
「あ」
「口説けと言っただろう」
「そうだった」
「リリア」
「はい」
手を握る。
今までで。
一番緊張しているように見えた。
「僕と」
少し息を吸って。
「もう一度、恋人になってください」
リリアは。
少し考えるふりをした。
「……どうしよっかな」
「リリア」
「冗談」
「心臓に悪い」
「先輩も緊張するんだ」
「するよ」
「じゃあ」
握られた手を。
握り返す。
「よろしくお願いします」
ルシアンの顔が。
ゆっくり。
ほどける。
「……よかった」
「そんなに?」
「かなり」
「じゃあ」
リリアは。
少しだけ近づいた。
「百点」
「何が?」
「口説くやつ」
「合格?」
「合格」
「ご褒美は?」
「調子乗った」
「君が採点制度を作ったんだろう?」
「ご褒美欲しいの?」
「できれば」
「何?」
「……」
ルシアンが。
リリアの唇を一瞬見る。
分かりやすい。
「先輩」
「何?」
「顔」
「何」
「分かりやすすぎ」
「……」
「キス?」
「できれば」
リリアは笑った。
「いいよ」
ルシアンの手が。
頬へ触れる。
でも。
そこで止まる。
「何?」
「一つだけ」
「うん」
「本当に」
紫色の瞳が。
近くでリリアを見る。
「僕でいい?」
リリアは。
一瞬。
呆れた。
「先輩」
「何?」
「それ」
「うん」
「何回聞く気?」
「……」
「十二回?」
「さすがに」
「十三回?」
「リリア」
「百回?」
「ごめん」
「もう」
リリアは。
ルシアンの服を掴んだ。
少し引き寄せる。
「私が選んだって言ってるでしょ」
「……うん」
「だから」
今度は。
自分から。
唇を重ねた。
ほんの一瞬。
離れる。
「これで分かった?」
ルシアンは。
少し黙って。
「……もう一回なら」
「欲張り」
「恋人になったばかりだから」
「前から恋人だったけどね」
「今の僕たちは今日からだろう?」
その言葉が。
すごく。
好きだった。
「……うん」
リリアは笑う。
「今日から」
今度は。
ルシアンから。
ゆっくり近づく。
二度目のキス。
いや。
何度目でもない。
数える必要なんて。
もうなかった。
唇が離れる。
額が触れる。
「リリア」
「何?」
「明日も好きだと思う」
「多分?」
「絶対」
「来週は?」
「好き」
「来年」
「好きだよ」
「十年後」
「君が嫌がっても」
「それはちょっと重い」
「……」
「冗談」
ルシアンが笑う。
リリアも笑った。
「じゃあ先輩」
「何?」
「明日も会おうね」
それは。
何千年先でも。
来世でも。
十四回目でもない。
たった一日先の約束。
ルシアンは。
今までで一番嬉しそうに。
「うん」
そう答えた。
「明日も会おう」

