魔法より、君に恋をする。


 ブレスレットをつけたまま眠った。

 朝、目を覚ましたリリアが最初にしたのは、左手首の確認だった。

 紫と白。二つの小さな石が、ちゃんとそこにある。

 昨日のことを思い出して、少しだけ笑った。

 初めてのデート。服を見て、ケーキを食べて、雑貨屋を回った。ルシアンからプレゼントをもらって、自分からキスをした。

 そして最後に、明日も会う約束をした。

「……今日も好き? って聞くの忘れないようにしよ」

 そこまで考えてから、自分でも少し笑う。

 完全に習慣になっていた。

 支度をして部屋を出る。

 いつもなら、そろそろルシアンが来る時間だった。

 けれど。

「……あれ?」

 寮の前にいない。

 少し待つ。

 五分。

 十分。

「珍しい」

 昨日、絶対来ると言った。

 ルシアンが約束を忘れるとは思えない。

 胸の奥に小さな不安が生まれた。

 生徒会室へ行こう。

 そう思って歩き出した瞬間。

「リリア」

 後ろから声がした。

 振り返る。

「ノア?」

 ノアが立っていた。

 でも、何かがおかしい。

 顔色が悪い。

「どうしたの?」

「……分からない」

「何が?」

「昨日の夜から変なんだ」

 ノアが胸元を押さえる。

「熱い」

「魔力?」

「多分。でも俺のじゃない気がする」

 嫌な予感がした。

「ルシアン先輩に見てもらおう」

「俺もそう思って探してた。でも生徒会室にいない」

「いない?」

「ああ」

 リリアの不安が大きくなる。

「どこ行ったんだろ」

「連絡は?」

「来てない」

「珍しいな」

「うん」

 その時。

 ノアの身体が僅かに揺れた。

「ノア?」

「……っ」

 胸元から金色の光が漏れる。

「何それ」

「だから、分かんねえって……!」

 ノアが膝をついた。

「ノア!」

 リリアが駆け寄る。

 肩へ触れた。

 その瞬間。

 世界が止まった。

「――え」

 音が消えた。

 風も。

 鳥の声も。

 遠くを歩いていた生徒たちも。

 全てが静止する。

 動いているのは。

 リリアと。

 ノアだけ。

「……何だよ、これ」

「分かんない」

 リリアは周囲を見る。

 空に。

 巨大な文字が現れた。

《対象個体ELICIAとの接触を確認》

「……エリシア」

 ノアが文字を読む。

「これ、お前のこと?」

「多分」

「何で?」

「説明すると長い」

「また世界滅びる系?」

「……大体合ってる」

「マジかよ」

 こんな時なのに、少しだけいつものノアだった。

 次の文字が浮かぶ。

《第二管理候補NOAH》

《接続試験開始》

「第二管理……?」

 ノアが顔をしかめる。

 リリアの胸が冷たくなる。

「ノア、離れて」

「何で?」

「いいから」

 肩に置いた手を離そうとする。

 離れない。

「え?」

「リリア?」

 指が動かない。

 ノアの肩へ吸いついたように固定されている。

《接続率――三・二パーセント》

「待って」

《四・八パーセント》

「何だこれ」

「ノア、魔力止められる?」

「やってる!」

《六・一パーセント》

 リリアの腕に金色の線が走る。

「痛っ」

「リリア!」

 ノアが反対の手でリリアの腕を掴んだ。

「触らないで!」

「でも!」

《接続率――八・九パーセント》

「増えた!」

「俺が触ると上がるのか!?」

「多分!」

「じゃあどうすりゃいいんだよ!」

 その時。

 空間が裂けた。

 紫黒色の魔法陣。

 そこから腕が伸びる。

 リリアの腰へ回った。

「え」

 強く引かれる。

 ノアの肩から手が外れた。

 そのまま身体が後ろへ倒れる。

 誰かの胸にぶつかった。

「先輩!」

 ルシアンだった。

「リリア、僕を見て」

「でもノアが」

「ノアは大丈夫。今は僕を見て」

 声がいつもより低い。

 余裕がない。

 リリアはルシアンを見る。

「手」

「え?」

「僕の手を握って」

 差し出された手を握る。

 その瞬間、紫色の光がリリアの腕を走った。

《第一管理者LUCIAN――接続》

《競合処理開始》

「競合って何!?」

「後で説明する!」

 ルシアンがリリアを抱き寄せる。

 片腕が背中へ回る。

 強い。

 いつもの抱き方よりずっと強い。

「先輩、痛い」

「……ごめん」

 すぐに力が緩む。

 それでも離さない。

《第二管理候補NOAH――接続率八・九パーセント》

《第一管理者LUCIAN――同期率五十二・三パーセント》

「上がってる」

 昨日まで四十八・七だった。

 一気に三パーセント以上。

「何で?」

「競合しているからだ」

「どういうこと?」

 ルシアンは空に浮かぶ文字を睨んだ。

「管理構造が、僕一人では不安定だと判断した」

「それでノアを?」

「ああ。第二の管理者として接続しようとしている」

「何でノア?」

「適性があるんだろう」

「そんなの本人の意思は?」

「聞いていない」

「最悪じゃん」

「ああ。最悪だ」

 ノアが立ち上がる。

「おい、俺にも分かるように説明しろ」

「簡単に言えば、世界が君をリリアの管理者にしようとしている」

「は?」

「拒否してくれ」

「言われなくても嫌だよ!」

「ありがとう」

「礼言うところか?」

 いつものやり取り。

 でもルシアンは笑わなかった。

「ノア。今から何が聞こえても、命令に同意しないでくれ」

「命令?」

「管理者になるための承認要求が来る」

「分かった」

「絶対に肯定しないで」

「だから嫌だって言ってんだろ」

「……頼む」

 ノアが一瞬黙る。

 ルシアンの顔を見て。

「分かった」

 その直後。

 ノアの身体を金色の光が包んだ。

「っ……!」

「ノア!」

《第二管理候補への承認要求》

《対象個体ELICIAの保護権限を取得しますか?》

「しねえよ!」

《対象個体ELICIAの生命維持権限を取得しますか?》

「いらねえ!」

《対象個体ELICIAの魔力制御権限を取得しますか?》

「全部いらねえ!」

 ノアが叫ぶ。

「リリアはリリアだろ! 何で俺が管理すんだよ!」

 光が激しく揺れた。

《承認拒否》

《第二管理候補――不適合判定》

「やった?」

 リリアが言う。

 ルシアンは答えない。

 空を見ている。

《代替管理候補を検索》

「……まだやるのか」

 ルシアンの声が低くなる。

《候補個体――CECIL》

《候補個体――LEON》

《候補個体――ALLEN》

《候補個体――KYLE》

「待って」

 リリアの顔から血の気が引く。

「みんな?」

「ああ」

「全員にやるつもり?」

「適合するまで」

「そんなの駄目」

 リリアがルシアンの腕を掴む。

「止めて」

「止める」

「どうやって?」

「管理関係を解除する」

「条件分かったの?」

「……まだ全部は」

「じゃあ」

「でも、もう時間がない」

 ルシアンの視線がリリアへ戻る。

「昨日までは四十三時間あると思っていた。でも第二管理候補の検索が始まった以上、待てない」

「どうするの?」

「対象側の条件を推測する」

「危なくない?」

「危険だよ」

「どれくらい?」

「失敗すれば」

 ルシアンが一度言葉を止めた。

「僕との接続が完全に切れる可能性がある」

「それは解除成功じゃないの?」

「魔力だけではなく、記憶まで含めて」

 リリアは固まった。

「……記憶?」

「ああ」

「先輩が私を忘れる?」

「その可能性もある」

「私が先輩を?」

「ある」

 嫌だ。

 反射的にそう思った。

 管理権限はいらない。

 魂の接続もいらない。

 同期率なんてゼロでいい。

 でも。

 昨日のことまで消えるのは嫌だ。

「他の方法は?」

「探している」

「じゃあ探そうよ」

「その間にも候補は増える」

「でも」

「リリア」

 ルシアンの手が頬へ触れる。

 昨日、何度も触れた手。

「怖い?」

「……怖い」

「僕も」

「忘れたくない」

「ああ」

「先輩のこと忘れたくない」

「僕も君を忘れたくない」

「じゃあやめようよ」

 声が少し震えた。

「もうちょっと探そう」

 ルシアンはすぐに答えなかった。

 その沈黙が怖い。

「先輩」

「……僕は」

 言いかけた時。

「待て」

 ノアだった。

 二人が見る。

「お前ら、さっきから二人で全部決めようとしてるけど」

「ノア?」

「対象側の条件って、リリアがやることなんだろ?」

「ああ」

「なら本人に決めさせろよ」

 ルシアンが黙る。

「こいつが怖いって言ってんのに、勝手に危険な方法やろうとすんな」

「でも時間が」

「それも含めて説明して、こいつが決めるんだよ」

 ノアは真っ直ぐルシアンを見る。

「管理者やめたいんだろ?」

 ルシアンの目が僅かに見開かれた。

「だったら最初にやめろよ。それ」

「……」

「守るためだからって勝手に決めるの」

 リリアは思わずノアを見る。

「ノア」

「何だよ」

「今めちゃくちゃいいこと言った」

「普段も言ってる」

「それはない」

「お前な」

 少しだけ空気が緩んだ。

 ルシアンが息を吐く。

「……その通りだ」

「先輩?」

「またやるところだった」

 頬にあった手が離れる。

 でも今度は、逃げるような離し方ではない。

「ごめん、リリア」

「うん」

「君が決めて」

「何を?」

「今すぐ解除を試すか。もう少し条件を探すか」

「探す」

 即答した。

「どれくらい?」

「今日いっぱい」

「分かった」

「それで見つからなかったら」

 怖い。

 でも言う。

「明日の朝、解除を試す」

 ルシアンが頷いた。

「分かった」

「勝手にやらない?」

「やらない」

「絶対?」

「約束する」

「よし」

 リリアは手を差し出した。

「何?」

「約束」

「指切り?」

「違う。手繋ぐ」

「どうして?」

「怖いから」

 ルシアンは少しだけ笑った。

「そういう時は素直だね」

「今はからかわないで」

「ごめん」

 手が重なる。

 指が絡む。

 その瞬間。

《第一管理者LUCIAN――同期率五十二・三パーセント》

 変化なし。

 リリアは表示を見て、少し安心した。

「上がらない」

「ああ」

「やっぱり普通に触るのは関係ない」

「そうだね」

 ノアが二人を見る。

「……俺、帰っていい?」

「何で?」

「何でって」

「一緒に調べてよ」

「俺も?」

「第二管理候補だったんでしょ」

「過去形にしてくれ」

「じゃあ元第二管理候補」

「肩書きみたいに言うな」

 ルシアンがようやく少し笑った。

「手伝ってもらえると助かる」

「……仕方ねえな」

「ありがとう」

「ただし」

 ノアが二人の繋いだ手を見る。

「調査中ずっとそれやってるなら、俺帰るからな」

「何で?」

「邪魔なんだよ!」

「手繋いでるだけじゃん」

「昨日デートしてた奴らの『手繋いでるだけ』は信用できねえ!」

 リリアがルシアンを見る。

「先輩」

「何?」

「ばれてる」

「何が?」

「デート」

「別に隠していないよ」

「そうだった」

「お前ら本当に緊張感ねえな!」

 ノアの声を聞きながら、生徒会室へ向かった。

 世界は止まったままだった。

 ルシアンが簡易的に時間停止領域を解除すると、風が戻り、人々が再び動き出す。

 何事もなかったように。

 でも、残された時間は確実に減っていた。

 生徒会室へ入ると、三人で古い記録を机いっぱいに広げた。

 リリアは対象個体に関する記述。

 ルシアンは管理権限解除。

 ノアは過去の接続事例。

 一時間。

 二時間。

 三時間。

 何も見つからない。

「疲れた」

 リリアが机へ突っ伏した。

「休憩しようか」

「五分」

「十五分にしよう」

「先輩も疲れてる?」

「少し」

「コーヒー飲む?」

「淹れてくれる?」

「うん」

「俺のは?」

 ノアが言う。

「自分で」

「差別!」

「恋人なので」

「その言葉便利に使いすぎだろ!」

 ルシアンが笑っている。

「ノアも何か飲む?」

「ルシアン、お前甘やかすな」

「手伝ってもらっているからね」

「……じゃあコーヒー」

「三人分淹れるよ」

「最初からそうしろ」

 少しだけ普通の時間。

 それがありがたかった。

 コーヒーを飲みながら、リリアは左手首を見る。

 昨日もらったブレスレット。

 紫と白。

 何の魔力もない。

 何の意味もない。

 ただ二人が選んだもの。

「……選ぶ」

 リリアが呟いた。

「何?」

 ルシアンが見る。

「昨日、先輩言ったよね」

「何を?」

「このブレスレット。自分で選んだものを増やしたかったって」

「ああ」

「管理じゃなくて、世界じゃなくて、自分で」

「そうだね」

 リリアはブレスレットを見たまま考える。

「最初のリリアは、何で解除を拒否したんだろ」

「僕との繋がりを失いたくなかったから」

「本当に?」

 ルシアンが止まる。

「記録にはそう」

「でもそれ、結果じゃない?」

「どういう意味?」

「『自由なんていらない』って言った。でも、解除を拒否するために何をしたの?」

 ルシアンの表情が変わった。

「……待って」

 古い記録を開く。

 何ページも戻る。

「ここだ」

「何?」

「対象個体による解除承認」

「承認?」

「ああ」

「じゃあ拒否したってことは、承認しなかった?」

「そういうことになる」

「承認ってどうやるの?」

「記録が欠けている」

「他にない?」

 三人で探す。

 ノアが別の本を引き寄せる。

「これ似た言葉あるぞ」

「どこ?」

「ここ。『管理対象は、管理者による権限放棄の際――』」

 ルシアンが読む。

「『自身の所属を宣言する』」

「所属?」

「続きが破れてる」

「また!?」

「古い本だからね」

「大事なところだけ破れすぎじゃない?」

「物語なら随分都合がいいな」

「ノア、それ言っちゃ駄目なやつ」

「何の話だよ」

 リリアは文章を見る。

 自身の所属。

「誰のものか言うってこと?」

「可能性はある」

「じゃあ『私はルシアン先輩のものです』とか?」

 ルシアンが咳き込んだ。

「先輩?」

「急に何を言うの」

「例えだよ」

「心臓に悪い例を出さないで」

 ノアが呆れた顔をする。

「お前ら俺がいること忘れてない?」

「忘れてない」

「ならもう少し抑えろ」

 リリアは笑いながら、もう一度文字を見る。

「でも、それだと解除にならなくない?」

「僕もそう思う」

「管理者のものって宣言したら、むしろ管理されるじゃん」

「そうだね」

「じゃあ誰のもの?」

 沈黙。

 リリアは自分の手を見る。

 誰のもの。

 管理者でもない。

 世界でもない。

 魔法でもない。

「……私」

 ルシアンが顔を上げる。

「何?」

「私のもの」

「リリア?」

「自分の所属を宣言するって」

 心臓が速くなる。

「『私は私のもの』ってことじゃない?」

 ルシアンが完全に止まった。

 ノアも黙る。

「管理される側が、自分は誰かの所有物じゃないって宣言する」

 リリアは立ち上がった。

「それが対象側の権限放棄なんじゃない?」

 ルシアンが記録を何冊も開く。

 文字を追う。

「……ある」

「何?」

「別の時代の記録」

 指で一行を示す。

「『自己帰属を確立した対象は、管理権限の外へ出る』」

「それだ!」

「待って。まだ確定では」

「でも繋がるじゃん」

「ああ」

 ルシアンの声が少し震えていた。

「繋がる」

 リリアの胸が高鳴る。

「じゃあ解除できる?」

「可能性は高い」

「記憶は?」

「自己帰属が成立するなら、魂そのものを切断する必要はない」

「じゃあ忘れない?」

「理論上は」

 リリアは笑った。

「やろう」

「今?」

「今」

「明日の朝と言っただろう?」

「条件見つかったじゃん」

「でもまだ検証が」

「先輩」

「……うん」

「怖い?」

 ルシアンは黙った。

 そして。

「怖いよ」

 素直に答えた。

「僕が管理者じゃなくなった瞬間、君との繋がりが全部なくなるかもしれない」

「うん」

「君の魔力を感じられなくなるかもしれない」

「うん」

「君がどこにいるかも、危険かどうかも分からなくなる」

「うん」

「今まで僕が当然に持っていたものを、全部失う」

「うん」

「それでも」

 ルシアンがリリアを見る。

「君を自由にしたい」

 リリアは笑った。

「じゃあやろう」

「……ああ」

「その代わり」

「何?」

「管理者じゃなくなったら、普通に心配して」

「普通に?」

「私が危なそうなら聞いて。大丈夫って」

「うん」

「どこにいるか分からなかったら連絡して」

「ああ」

「会いたかったら会いたいって言って」

 ルシアンの表情が柔らかくなる。

「それでいいの?」

「それがいい」

「……分かった」

 ノアが立ち上がる。

「俺、外出てる」

「何で?」

「何となく二人でやった方がいいだろ」

「ノア」

「何だよ」

「ありがとう」

「終わってから言え」

 扉へ向かう。

 途中で振り返った。

「あとリリア」

「何?」

「自分のものならちゃんと自分で帰ってこいよ」

「……うん」

「ルシアン」

「何?」

「こいつ戻ってきたらちゃんと捕まえとけ」

「管理はしないよ」

「そういう意味じゃねえ!」

 扉が閉まる。

 二人きりになった。

 ルシアンが魔法陣を展開する。

 紫黒色の光。

「リリア」

「うん」

「最後に確認する」

「うん」

「本当にいい?」

「いいよ」

「管理権限を失えば、僕はもう君の魔力を強制的に止められない」

「うん」

「君を呼び戻すこともできない」

「うん」

「命令もできない」

「それは元からしないで」

「そうだった」

 二人とも少し笑った。

 ルシアンが手を差し出す。

「では」

 リリアが握る。

 指を絡める。

「始めるよ」

「うん」

 魔法陣が広がる。

《第一管理者LUCIAN》

《対象個体ELICIA》

《管理関係解除申請》

《双方の承認を要求》

 ルシアンが息を吸う。

「僕、ルシアン・ノクスは」

 紫色の光が強くなる。

「対象個体エリシアに対する全管理権限を放棄する」

《管理者側――承認》

 リリアの胸に光が集まる。

《対象個体――自己帰属を宣言してください》

 来た。

 リリアはルシアンを見る。

 紫の瞳。

 怖そうだった。

 それでも笑っている。

 だからリリアも笑った。

「私は」

 世界が震える。

「リリア・アスター」

 胸の奥で何かが切れ始める。

 痛い。

 でも言う。

「エリシアでも、十三回目でも、管理対象でもない」

 光が弾ける。

「私は私のもの」

 ルシアンの手が震えた。

「誰かに選ばれたからここにいるんじゃない」

 昨日のブレスレットが光を反射する。

 魔力はない。

 何の力もない。

 それでも。

 今、一番心強い。

「私が自分で選ぶ」

 リリアは繋いだ手へ力を込めた。

「生きることも」

 一つ。

 鎖が切れる。

「この世界にいることも」

 二つ。

「誰を好きになるかも」

 三つ。

 最後の鎖。

「全部、私が決める」

 そして。

 ルシアンを見る。

「私は、ルシアン先輩が好き」

 ルシアンの目が見開かれる。

「それも、世界に決められたんじゃない」

 最後の鎖が軋む。

「私が選んだの」

 音がした。

 何かが。

 完全に切れた。

《自己帰属――確立》

《管理関係――解除》

《第一管理者LUCIAN――権限消失》

《対象個体ELICIA――管理対象指定解除》

 光が消えた。

 静かになる。

「……」

「……」

 リリアは自分を見る。

「終わった?」

 ルシアンが答えない。

「先輩?」

 顔を見る。

 ルシアンは。

 泣いていた。

「……え」

 リリアが固まる。

「先輩?」

「……」

「泣いてる?」

「見れば分かることを聞かないで」

「だって初めて見た」

「僕もあまり見せたことはないよ」

「何で?」

 ルシアンは目元を押さえる。

「分からない」

「悲しい?」

「違う」

「痛い?」

「違うよ」

「じゃあ」

 ルシアンが笑った。

 涙が一つ落ちる。

「君が自由になったから」

 胸が締めつけられた。

 リリアは迷わず抱きついた。

「先輩」

「……うん」

「私、いるよ」

「ああ」

「忘れてない」

「ああ」

「先輩も覚えてる?」

「全部」

「昨日のデートも?」

「覚えている」

「キスも?」

「それを今確認する?」

「大事」

「覚えているよ」

「私が何回したかも?」

「数えていない」

「嘘」

「……覚えている」

「よし」

 ルシアンの腕が背中へ回った。

 でも。

 その瞬間。

 リリアは気づく。

「先輩」

「何?」

「私の魔力、分かる?」

 ルシアンが少し黙る。

「……分からない」

「本当に?」

「ああ」

「今どれくらいあるかも?」

「全く」

「私が離れたら?」

「分からない」

「どこにいるかも?」

「分からないよ」

 リリアは少し身体を離した。

 ルシアンを見る。

「どう?」

「……怖い」

「そっか」

「でも」

 頬へ手が触れる。

 今まで何度もされたこと。

 なのに。

 今日は違う。

 管理者の手ではない。

 魔力を止められない。

 居場所も分からない。

 命令もできない。

 ただの。

 好きな人の手。

「嬉しい」

 ルシアンが言った。

 リリアは笑う。

「私も」

「リリア」

「何?」

「一つ聞いていい?」

「うん」

「今」

 少しだけ言いづらそうにする。

「僕に触れられるのは嫌?」

「何で?」

「もう管理関係はない」

「うん」

「だから改めて」

 ルシアンの親指が頬から離れる。

「触れてもいい?」

 リリアは一瞬黙った。

 それから。

 笑った。

「いいよ」

 頬へ戻ってくる。

「抱きしめても?」

「いいよ」

 腕が背中へ回る。

「手を繋いでも?」

「いい」

 指が絡む。

「キスは?」

「……それ毎回聞く?」

「嫌?」

「嫌じゃない」

「なら」

「いいよ」

 ルシアンが近づく。

 でもリリアは直前で止めた。

「待って」

「何?」

「私から」

 ルシアンが目を細める。

「どうぞ」

 リリアは彼の頬へ手を添えた。

 近づく。

 唇が触れる。

 短く。

 離れる。

 ルシアンを見る。

「……何?」

「何でもない」

「何?」

「嬉しいだけ」

「何が?」

 ルシアンは繋いだ手を見る。

「今のキスに」

「うん」

「何の意味もなかったこと」

「……意味ないの?」

「世界にとっては」

 リリアは少し考える。

「じゃあ私たちには?」

「かなりある」

「何?」

「君が僕を好きだという意味」

「先輩は?」

「僕も君が好きだという意味」

「じゃあ十分じゃん」

「そうだね」

 リリアはもう一度近づく。

「もう一回」

「いいの?」

「うん」

 二度目。

 今度はルシアンから。

 ゆっくり。

 触れる。

 離れる。

 何も起きない。

 同期率の表示も。

 警告も。

 世界の反応も。

 何一つ。

 ただ心臓だけが速くなる。

「先輩」

「何?」

「同期率」

「もう存在しないよ」

「ゼロ?」

「違う」

 ルシアンが笑う。

「測れない」

 リリアも笑った。

「それいいね」

「ああ」

「好き」

「僕も」

「どれくらい?」

「測れない」

「真似した」

「ちょうどいいだろう?」

「うん」

 もう一度抱きしめられる。

 今度はリリアも腕を回した。

 その時。

 机の上で。

 監視術式が動いた。

「……先輩」

「ああ」

 二人が見る。

《管理関係解除――確認》

《第一管理者消失》

《対象個体ELICIA――独立》

 成功。

 その下に。

 新しい文字。

《第十三循環――終了条件を再計算》

 リリアの笑顔が消えた。

「十三回目」

「ああ」

 まだ終わっていない。

《管理者による維持機構――停止》

《世界寿命――》

 数字が出る。

《残り四十二時間》

「……え」

 ルシアンの顔色が変わった。

「何で」

「管理者がいなくなったからだ」

「私、自由になったのに」

「ああ」

「じゃあ世界は?」

 ルシアンは答えられない。

 次の文字。

《第十三循環の終了を選択してください》

《A:世界の初期化》

《B:第十四循環への移行》

《C:管理構造を持たない世界への再構築》

 三つ。

 初めて。

 三つ目の選択肢が現れた。

 ルシアンが息を呑む。

「……これだ」

「何?」

「今までなかった」

「C?」

「ああ」

「管理構造を持たない世界」

「管理者も、対象個体も存在しない世界だ」

「それ選べばいいじゃん」

「待って」

 ルシアンが文字を読む。

 その下。

 条件が表示される。

《再構築には、第十三循環に蓄積された全記録の解放が必要です》

「全記録?」

「……十三回分の記憶だ」

 リリアの表情が変わる。

《対象個体ELICIAに保存された十二循環分の記憶を復元します》

「私に?」

「ああ」

「十二回分全部?」

「……そうだ」

《記憶復元後、対象個体による最終選択を要求》

《拒否した場合――世界初期化》

 リリアは画面を見つめた。

「つまり」

「ああ」

 ルシアンの声が低くなる。

「君は思い出さなければならない」

 一回目。

 二回目。

 三回目。

 そして。

 十二回目まで。

 死んだことも。

 失ったことも。

 ルシアンを愛したことも。

 憎んだことも。

 全部。

「それを全部思い出して」

 ルシアンがリリアを見る。

「それでも十三回目の君として、この世界を選ばなければならない」

 リリアは少し黙った。

 そして。

「……じゃあ」

「うん?」

「終わらせよう」

 ルシアンの目が揺れる。

「十三回目」

「リリア」

「十四回目には行かない」

 左手首。

 紫と白の石。

 昨日の自分が選んだ未来。

「だって私」

 ルシアンの手を握る。

「来年、先輩とデートするから」

 ルシアンは何も言わなかった。

 数秒後。

 握られた手へ、強く指を絡めた。

「……そうだったね」

「忘れた?」

「忘れてないよ」

「じゃあ生きないと」

「ああ」

「二人とも」

「ああ」

「約束」

 ルシアンは笑った。

「約束する」

 そして。

 二人の前で。

《十二循環分記憶復元――開始》

 最初の光が灯った。