翌日の午後、リリアは鏡の前で三度目のため息をついた。
別に、初めて二人で出かけるわけではない。これまでだって街へ行ったことはあるし、隣を歩いたことも、二人きりで食事をしたこともある。それなのに今日は朝から妙に落ち着かなかった。
理由は分かっている。
今日は「調査のついで」でも「生徒会の仕事」でもない。昨日、二人で明確に決めたのだ。
デートをする、と。
「……何着ても変な気がする」
ベッドの上には、候補から外された服が二着転がっている。制服でもいいかと思ったが、せっかくなら私服がいい。かといって頑張りすぎたと思われるのも恥ずかしい。
結局、淡い色のワンピースに薄手のカーディガンを合わせた。鏡の前で髪を整えていると、ふと昨日のルシアンの言葉が蘇る。
『僕も、君の恋人でいることだけ考えていい?』
「……ずるいんだよなあ」
思い出しただけで頬が熱くなる。
しかも昨日、デート中の一時間は世界の話をしないと約束した。管理権限も、同期率も、黒い月もなし。ルシアンはただのルシアンで、自分もただのリリア。
そう考えたら、余計に緊張してきた。
「……普通にすればいい。普通に」
自分へ言い聞かせて部屋を出た。
待ち合わせは学院の正門前だった。
少し早く着いたつもりだったのに、ルシアンはもういる。いつもの制服ではなく、黒いシャツに落ち着いた色の上着。眼鏡はいつも通りなのに、服が違うだけで妙に知らない人に見えた。
リリアは思わず足を止める。
その瞬間、ルシアンがこちらに気づいた。
「リリア」
名前を呼ばれて、ようやく歩き出す。
「早い」
「君もね。待たせたくなかったから」
「私も同じこと考えてた」
「では、お互い少し失敗したね」
「何で?」
「待つ時間もデートらしいかと思って」
そんなことを言いながら笑う。
リリアはルシアンを上から下まで見た。
「先輩、今日ちょっと違う」
「私服だから?」
「うん。なんか……」
「なんか?」
格好いい。
そう言えばいいだけなのに、急に恥ずかしくなった。
「……生徒会長じゃないみたい」
「今日はそのつもりだよ」
「え?」
ルシアンはごく自然に答えた。
「今日は生徒会長として君と出かけるわけじゃないから」
昨日の約束を覚えている。
それだけなのに胸が跳ねた。
「じゃあ何として?」
分かっているのに聞いた。
ルシアンも分かっているのだろう。少しだけ目を細める。
「君の恋人として」
「……はい」
「どうして敬語?」
「急に強いから」
「昨日も言われたね」
「自覚して」
「善処するよ」
「絶対しないやつ」
笑いながら並んで歩き出した。
正門を抜け、学院から街へ続く道へ入る。最初の数分は普通に話していた。朝の調査で何も見つからなかったこと。昼食をちゃんと食べたかということ。リリアが支度に時間をかけすぎたこと。
それなのに、ずっと気になっているものがある。
手。
歩くたび、隣にあるルシアンの左手が視界へ入る。
昨日、約束した。
デートでは手を繋ぐ、と。
でも、どちらから繋ぐのかまでは決めていない。
リリアがちらりと見る。ルシアンは前を向いている。
もう一度見る。
「リリア」
「何?」
「さっきから僕の手を見ているね」
「……見てない」
「三回見た」
「数えてたの?」
「目に入ったから」
「じゃあ先輩から繋いでよ」
「待っていたんだけど」
「何を?」
「君から来るのを」
「何で!」
「昨日、君が『手を繋ぐ』と言ったから」
「そういうところ真面目すぎる」
「では僕からでもいい?」
今さら聞く。
「……いいよ」
ルシアンが手を差し出す。
リリアが重ねると、指が自然に絡んだ。
「これで満足?」
「うん」
「よかった」
「先輩は?」
「かなり」
あっさり返されて、リリアは前を向いた。
「……今日やっぱ強い」
「何が?」
「何でもない」
繋いだ手が少し揺れる。
同期率は四十八・七パーセントのまま。昨夜から変化はない。
でも今日は確認しない。
少なくとも約束した一時間は。
街へ着くと、休日らしく人が多かった。最初に入ったのは服屋だった。リリアが見たいと言った店なのに、気づけばルシアンの服ばかり見ている。
「これ似合いそう」
「僕?」
「うん」
深い紫色のシャツを身体に当ててみる。
「いつも黒多いじゃん」
「選ぶのが楽だからね」
「紫も似合う」
「君が好き?」
「好き」
「では買おうかな」
「早くない?」
「君が好きなら」
「服がだよ?」
「分かっているよ」
絶対少し遊ばれた。
「先輩も私の選んで」
「いいの?」
「うん」
「では真剣に選ばないと」
「そんな大仕事じゃないよ」
ルシアンは本当に真剣に店内を見始めた。
しばらくして持ってきたのは、白を基調に淡い青の入ったワンピースだった。派手ではない。どちらかといえばシンプルだ。
「これ?」
「ああ」
「何で?」
「君に似合いそうだから」
「もっと詳しく」
「面接かな?」
「選んだ理由聞きたい」
ルシアンは少し考える。
「君は明るい色が似合う。それから、飾りが多いものより、こういう方が君自身がよく見えると思った」
「……」
「気に入らなかった?」
「違う」
「では?」
「ちゃんと見てるんだなって」
「君を?」
「うん」
「かなり見ているよ」
「そういうの急に言う」
「聞かれたから答えただけだけど」
「もういい」
服を受け取る。
「試着してくる」
「ああ。待っている」
試着室へ入り、着替える。
鏡を見る。
「……可愛いかも」
自分で言って少し恥ずかしい。
カーテンを開けると、ルシアンが近くで待っていた。
「どう?」
ルシアンがこちらを見る。
そして。
黙った。
「……何?」
「いや」
「変?」
「逆」
「逆って何」
「少し困っている」
「だから何で?」
ルシアンは眼鏡の位置を直した。
「似合うと思って選んだけれど、想像より似合っていた」
「それ困るの?」
「ああ」
「何で?」
「僕以外にも見られるから」
リリアは数秒固まった。
「……先輩」
「何?」
「独占欲出てる」
「自覚している」
「昨日聞いたから?」
「聞かれたせいで隠す必要がなくなった」
「それはそれで困る」
「嫌?」
「逆」
今度はリリアが使った。
ルシアンが笑う。
「気に入った?」
「うん。でも今日は買わない」
「そう?」
「見るだけのつもりだったから」
「では覚えておこう」
「何で?」
「秘密」
「怪しい」
「何もしないよ」
「本当に?」
「多分」
「多分になった」
結局、ルシアンだけ紫色のシャツを買った。
店を出ると、次は菓子店へ向かった。焼き菓子の甘い匂いが外まで漂っている。
「ここ行きたかった」
「昨日から言っていたね」
「先輩甘いの平気?」
「嫌いではないよ」
「何好き?」
「君が食べたいもの」
「それ一番困る答え」
「では、チョコレート」
「意外」
「そう?」
「コーヒーしか飲んでないイメージ」
「君の中の僕はどうなっているんだろう」
店内でそれぞれ菓子を選び、窓際の席へ座った。
リリアは苺のタルト。ルシアンは小さなチョコレートケーキ。
「一口交換しよ」
「いいよ」
リリアが自分の皿を少し押す。
「はい」
「自分で取るよ」
「食べさせようと思ったのに」
ルシアンの手が止まった。
「……それは」
「嫌?」
「嫌ではないけれど」
「じゃあはい」
フォークで小さく切ったタルトを差し出す。
ルシアンが周囲をちらりと見る。
「恥ずかしい?」
「少し」
「先輩でも恥ずかしいことあるんだ」
「かなりあるよ。君が増やしているだけで」
「はい」
「逃がしてくれないんだね」
「早く」
観念したように食べる。
「どう?」
「美味しい」
「でしょ」
「満足?」
「うん」
「では次は僕の番だね」
「え」
今度はルシアンがチョコレートケーキを小さく切る。
「はい」
「自分で食べる」
「僕もそう言ったよ」
「……」
「逃がしてくれないんだろう?」
「仕返し?」
「半分」
「残りは?」
「やってみたい」
昨日から、この「半分」が二人の間で妙に定着している。
リリアは少しだけ周囲を見て、それから口を開けた。
「……美味しい」
「顔が赤いよ」
「先輩もさっき赤かった」
「お互い様だね」
「もう一口」
「気に入った?」
「うん」
「では」
もう一度差し出される。
「待って。今度は普通に食べる」
「どうして?」
「恥ずかしくなってきた」
「僕は楽しくなってきたのに」
「先輩、慣れると強い」
「君が教えたんだよ」
結局二口目は自分で食べた。
店を出た頃には、約束した一時間はとっくに過ぎていた。
「先輩」
「何?」
「世界のこと一回も考えなかった」
「僕もだよ」
「一時間以上経ってる」
「ああ」
「怒る?」
「誰が?」
「世界」
「それなら僕が謝っておく」
「何て?」
「恋人とのデートが楽しかったので忘れていました、と」
「怒られるよ」
「仕方ないね」
繋いだ手が揺れる。
そのまま最後の目的地、雑貨店へ向かった。
小さな店だった。
アクセサリーや文具、魔石を使った小物が並んでいる。
「可愛い」
リリアは棚から棚へ移動する。
ルシアンは少し後ろをついてくる。
「これ見て」
星形の小さな髪飾りを持ち上げる。
「似合いそうだね」
「本当?」
「ああ」
「買おうかな」
「それより」
ルシアンが別の棚を見る。
「こっちは?」
小さな銀色のペンダント。
中央に透明な石が一つ入っている。
「綺麗」
「魔力石だね」
「何するやつ?」
「微弱な魔力を蓄える。実用品というよりお守りに近い」
「へえ」
リリアは少し眺めて、元へ戻した。
「買わないの?」
「今日は見るだけ」
「そう」
ルシアンはそれ以上何も言わなかった。
店を一周して、リリアは結局小さな髪飾りだけ買った。
「満足?」
「うん。楽しかった」
「では帰ろうか」
「もう?」
「調査が待っている」
「現実に戻された」
「僕も戻りたくないけどね」
「じゃあもうちょっと」
「リリア」
「十分」
「……十分だけだよ」
「やった」
店を出て、少し遠回りして帰ることにした。
川沿いの道。
人が少ない。
夕方の光が水面に反射している。
リリアはルシアンの隣を歩きながら、今日のことを思い返していた。
「先輩」
「何?」
「デート楽しかった?」
「楽しかったよ」
「何が一番?」
「難しいな」
「服?」
「うん」
「ケーキ?」
「うん」
「私?」
「それは最初から一番だけど」
リリアの足が止まりかけた。
「……また急に」
「質問されたから」
「先輩今日強すぎない?」
「恋人として過ごしていいと言われたからね」
「普段は?」
「抑えている」
「え」
「何?」
「何を?」
「色々」
「例えば?」
「秘密」
「教えて」
「嫌だ」
「何で!」
「君が調子に乗るから」
「もう乗ってる」
「知っているよ」
笑いながら歩く。
少しして、ルシアンが立ち止まった。
「リリア」
「何?」
「少しだけ、ここにいていい?」
「うん」
川沿いのベンチへ座る。
ルシアンは隣に座ったあと、上着のポケットへ手を入れた。
「何?」
「一つ渡したいものがある」
「え?」
心臓が少し跳ねる。
「さっきの店で買った?」
「違うよ」
「いつ?」
「昨日」
「昨日?」
ルシアンが小さな箱を取り出した。
掌に収まるくらい。
「何これ」
「開けて」
「プレゼント?」
「そう」
「何で?」
「理由が必要?」
「誕生日じゃないよ」
「知っている」
「記念日でも」
「知っているよ」
「じゃあ何で?」
ルシアンは少しだけ困ったように笑った。
「君に渡したかったから」
その答えだけで、胸がいっぱいになる。
「開けていい?」
「もちろん」
箱を受け取る。
蓋を開ける。
中に入っていたのは、細い銀色のブレスレットだった。
派手ではない。
小さな紫色の石が一つ。
その隣に、白い石が一つ。
二つだけ。
「……可愛い」
「気に入った?」
「うん。すごく」
「よかった」
リリアは石を見る。
「紫は先輩?」
「そう思って選んだ」
「白は私?」
「ああ」
「二つ並んでる」
「……それが嫌なら」
「何で嫌なの」
「重いかと思って」
「全然」
リリアはブレスレットを箱から出した。
「つけて」
「僕が?」
「プレゼントした人がつけるものじゃないの?」
「そういう決まりは聞いたことがないけど」
「今できた」
「君の法律?」
「うん」
「では従おう」
「管理されてる」
「これは僕が同意しているからいいんだよ」
ルシアンが笑いながらブレスレットを受け取る。
リリアは左手を差し出した。
細い鎖が手首へ回る。
留め具をつける指が少しだけ触れた。
「できた」
リリアは手首を上げる。
紫と白。
二つの石が夕日に光る。
「可愛い」
「似合っているよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「でも何で急にプレゼント?」
ルシアンは川へ視線を向けた。
「昨日、古い記録を読んだだろう?」
「うん」
「最初の彼女との繋がりが、全部世界によって作られたものだったわけではない。でも、どこまでが僕たち自身の意思だったのか、もう確かめようがない」
「……うん」
「だから」
ルシアンがリリアの手首を見る。
「君との間には、僕が自分で選んだものを増やしたかった」
リリアは何も言えなくなった。
「管理権限でもない。魂の接続でもない。魔法でもない。ただ僕が店へ行って、君に似合うと思って選んで、買っただけのもの」
「……うん」
「君が嫌なら外せるし、なくしても世界は何も変わらない」
「なくさない」
「例えばだよ」
「絶対なくさない」
「……そう?」
「うん」
リリアはブレスレットを見つめた。
「これ、同期率関係ない?」
「ただの装飾品だよ。魔力も入っていない」
「本当に何もない?」
「何もない」
「じゃあ好き」
「魔法がない方が?」
「うん」
リリアは笑った。
「だってこれ、先輩が私にあげたいからくれたんでしょ?」
「ああ」
「私がつけたいからつけてる」
「ああ」
「それだけ?」
「それだけだよ」
「それがいい」
ルシアンが柔らかく笑う。
「僕もそう思った」
リリアは手首を眺めてから、ふとルシアンを見る。
「先輩」
「何?」
「私、何も用意してない」
「必要ないよ」
「でも先輩だけずるい」
「何が?」
「私も何かあげたい」
「では今度」
「今がいい」
「今?」
「うん」
「何を?」
持っているものなんてほとんどない。
髪飾りはさっき買ったばかりだし、ルシアンが使うものでもない。
少し考えて。
「……ない」
「だろうね」
「笑わないで」
「別に今日交換する日ではないから」
「でも何か」
「リリア」
「何?」
「もう貰っているよ」
「何を?」
「今日」
「何?」
「一日」
リリアが瞬きをする。
「君が僕と過ごすために空けた時間」
「それ?」
「ああ」
「プレゼントにしては安くない?」
「僕にはかなり価値がある」
「……先輩」
「何?」
「やっぱ今日強い」
「何度目だろうね」
「ずるい」
「では」
ルシアンが少し笑う。
「もう一つ貰ってもいい?」
「何?」
「君が嫌でなければ」
「だから何?」
ルシアンの視線が少し下がる。
唇。
分かってしまった。
「……キス?」
「正解」
「それプレゼントに数える?」
「君からなら」
リリアの胸が跳ねる。
「ここで?」
「人はほとんどいないけど、嫌なら学院まで待つ」
「嫌じゃない」
「では?」
「……いいよ」
ルシアンはすぐには近づかなかった。
「リリアからでもいい?」
「また?」
「嫌?」
「恥ずかしい」
「では僕から」
「待って」
「どっち?」
「私からする」
言ってしまった。
ルシアンが笑う。
「はい」
「目閉じて」
「また?」
「見られると無理」
「分かった」
眼鏡はそのまま。
ルシアンが目を閉じる。
リリアは少しだけ周囲を見る。
誰もいない。
もう一度ルシアンを見る。
近づく。
頬へ手を添える。
初めて自分からそうした。
ルシアンの眉が僅かに動く。
「動かないで」
「動いてないよ」
「喋らない」
「はい」
近づいて。
唇へ触れる。
昨日よりは長く。
離れようとして。
少し迷う。
もう一度。
自分から触れた。
今度はルシアンの手がリリアの手に重なる。
頬に置いた手を包まれる。
でも、それ以上は動かない。
リリアが離れるまで待っている。
唇を離す。
近いまま目が合った。
「……どう?」
「何が?」
「プレゼント」
「かなり嬉しい」
「ブレスレットとどっち?」
「比較するものじゃないだろう」
「どっち?」
「困ったな」
「答えて」
「キス」
「即答じゃん」
「君が答えろと言ったから」
「ブレスレット可哀想」
「買った本人が言っているからいいんだよ」
リリアは笑う。
ルシアンも笑った。
それから彼は、リリアの手首にある二つの石を指先でそっと触れた。
「リリア」
「何?」
「来年も」
「うん?」
「こういう日があるといいね」
急に胸が締めつけられた。
六十時間ほど先に何が起こるか分からない。
それでもルシアンは「来年」と言った。
「あるよ」
「……うん」
「来年もデートする」
「ああ」
「同じ店行く?」
「別のところも行こう」
「何したい?」
「君が行きたいところ」
「またそれ」
「では僕が決める」
「うん」
「来年まで考えておく」
「長すぎ」
「一年分だからね」
「じゃあ私も考える」
「楽しみにしているよ」
リリアはルシアンの肩へ少しだけ頭を預けた。
すぐに腕が触れる。
何も言わなくても、そのままでいてくれる。
夕日が少しずつ低くなる。
「先輩」
「何?」
「今日、幸せだった」
「……過去形?」
「今も」
「よかった」
「先輩は?」
「僕も」
「何点?」
「採点するの?」
「百点満点」
「百二十」
「超えた」
「予定外のことが多かったから」
「何?」
「君が試着した服が想像以上に似合っていたこと。ケーキを食べさせてもらったこと。君からキスしてもらったこと」
「それで二十点?」
「もっとつけてもいいよ」
「じゃあ二百点」
「僕が採点するんじゃなかった?」
「私も二百点」
「なら引き分けだね」
「勝負だったの?」
「今決まった」
「適当」
笑う。
こんな普通の会話が、今は何より大切だった。
しばらくして、ルシアンが時計を見る。
「そろそろ戻ろう」
「うん」
立ち上がる。
リリアが先に手を差し出した。
「はい」
「今日は積極的だね」
「デート終わるまでだから」
「では急いで帰らない方がいいかな」
「調査は?」
「……帰ろう」
「真面目」
「誰かが真面目でいないとね」
手を繋いで歩き出す。
学院へ戻る頃には、空はもう薄暗くなっていた。
正門の前。
ルシアンが足を止める。
「ここでデート終了?」
リリアが聞く。
「そうなるのかな」
「じゃあ手離す?」
ルシアンは繋いだ手を見る。
「……まだいいんじゃない?」
「どこまで?」
「君の寮まで」
「デート延長?」
「十分だけ」
「さっき私が言ったやつ」
「使ってみた」
「いいよ」
そのまま女子寮へ向かう。
歩きながら、リリアは何度も左手首を見た。
「そんなに見る?」
「嬉しいから」
「よかった」
「毎日つける」
「無理はしなくていいよ」
「つけたいの」
「……そう」
「先輩」
「何?」
「嬉しい?」
「かなり」
「よし」
女子寮の前へ着く。
今度こそ終わり。
「じゃあまた明日」
「ああ」
「朝来る?」
「行くよ」
「絶対?」
「絶対」
「今日も好き?」
「好きだよ」
「昨日より?」
ルシアンが少し笑う。
「増えた」
「どれくらい?」
「測れないな」
「同期率みたいに出ればいいのに」
「それは嫌だよ」
「何で?」
「数字で決められたくない」
リリアは一瞬黙った。
それから笑う。
「確かに」
「君は?」
「増えたよ」
「どれくらい?」
「秘密」
「僕には聞いたのに?」
「恋人なので」
「その言葉、万能すぎない?」
「便利でしょ」
手を離す。
少し寂しい。
でも今日は大丈夫だった。
明日も会う約束がある。
「おやすみ、リリア」
「おやすみ、ルシアン先輩」
リリアは数歩進んだ。
そこで止まる。
振り返る。
ルシアンはまだいた。
「先輩!」
「何?」
リリアは左手を上げた。
紫と白の石が揺れる。
「ありがとう!」
ルシアンが笑った。
「どういたしまして」
「大事にする!」
「ああ」
「あと!」
「まだある?」
「今日めちゃくちゃ楽しかった!」
少し大きな声になった。
近くにいた女子生徒がこちらを見る。
恥ずかしい。
でもルシアンは。
「僕もだよ!」
珍しく、同じくらいの声で返してきた。
リリアは笑って寮へ入った。
その夜。
机に向かいながらも、何度もブレスレットを見てしまう。
魔力はない。
何の術式も刻まれていない。
世界にとっては何の意味もないもの。
だからこそ、嬉しかった。
リリアは二つの石を指で触った。
「……来年も」
小さく呟く。
その頃。
ルシアンは生徒会室へ戻っていた。
デート中、一度も開かなかった監視術式を起動する。
《同期率――四十八・七パーセント》
「……変化なし」
あれだけ手を繋いでも。
キスをしても。
互いを好きだと確認しても。
変わっていない。
仮説はほぼ確信へ変わった。
恋愛感情が二人を同期させているわけではない。
管理関係が同期を生む。
「なら、切れる」
ルシアンは昨日の古い記録を開く。
管理関係解除。
双方による権限放棄。
欠けている対象側の条件。
それさえ見つければ。
リリアを自由にできる。
自分も管理者ではなくなる。
そしてそのあとでも。
今日と同じように、彼女の隣にいられる。
そう思った時。
監視術式が音を立てた。
《管理構造修復開始まで――四十三時間》
まだ時間はある。
ルシアンが次の記録へ手を伸ばす。
その瞬間だった。
《対象個体ELICIA――新規外部接続を検知》
「……何?」
今日までなかった表示。
ルシアンの表情が変わる。
《接続元を解析》
《該当個体――》
文字が浮かぶ。
《NOAH》
「ノア?」
同期率が動いた。
《四十八・七パーセント》
《四十九・一パーセント》
「……なぜ」
ルシアンは立ち上がる。
《四十九・八パーセント》
《五十・六パーセント》
初めて。
ルシアンが何もしていないのに、同期率が上昇している。
さらに。
《旧管理構造への第三者干渉を確認》
《対象個体ELICIAへの接続権限――競合》
ルシアンの右手に、紫黒色の魔法陣が浮かぶ。
同時に。
学院の別棟。
誰もいないはずの部屋で。
ノアが自分の胸元を押さえていた。
「……何だ、これ」
指の隙間から。
金色の光が漏れている。
そして頭の中に、知らないはずの声が響いた。
《第二管理候補――適合》

