翌日の放課後。
リリアは昨日より少し早く教室を出た。
理由は分かっている。
ルシアンに会いたいからだ。
昨日までは「秘密を聞きたいから」とか、「約束したから」とか、一応それらしい理由があった。
今日はない。
ただ会いたい。
それだけだった。
生徒会室までの道を歩きながら、右手を見る。
昨日、長い時間繋いでいた手。
今日は自分から繋ごう。
そんなことまで考えていた。
だから、生徒会室の扉を開けて誰もいなかった時。
「……あれ」
思った以上にがっかりした。
机の上は綺麗に片付いている。
書類もない。
いつも窓際にいる人もいない。
「ルシアン先輩?」
呼んでも返事はない。
廊下へ戻ったところで、通りかかった生徒会役員に聞いた。
「会長なら、今日は王都から来た監督官の対応ですよ」
「戻ります?」
「夕方になると思います」
「そっか」
お礼を言って、その場を離れる。
予定を聞いていたわけではない。
毎日会う約束をしていたわけでもない。
だからルシアンが悪いわけではない。
それでも。
「……つまんない」
思わず口から出た。
昨日までなら、空いた時間に図書館へ行くか、セシルを探すか、寮へ戻っていた。
今日はどれも少し違う。
結局、中庭のベンチへ座った。
ぼんやり空を見る。
「リリア?」
聞き慣れた声に振り向く。
ノアだった。
「何してるの?」
「何も」
「珍しいね。ぼーっとしてる」
「人待ち」
「誰?」
「……ルシアン先輩」
答えると、ノアが少しだけ目を細めた。
「最近よく一緒にいるね」
「うん」
「毎日?」
「最近は」
「へえ」
ノアが隣へ座る。
「生徒会長なら、今日は外部対応じゃなかった?」
「知ってる」
「じゃあ待ってるの?」
「……多分」
「約束してる?」
「してない」
ノアが笑った。
「それでも待つんだ」
「悪い?」
「全然」
ノアはいつもの笑顔だった。
「ただ、結構好きなんだなと思って」
「……何が?」
「ルシアン先輩のこと」
心臓が跳ねた。
「まだ分かんない」
「そう?」
「考えてる途中」
「じゃあ一個だけ聞いていい?」
「何?」
「今、僕と話してる間もルシアン先輩のこと考えてる?」
リリアは黙った。
考えていた。
何時に戻るのかな。
今日も手を繋げるかな。
昨日「楽しみにしている」と言っていたのに、会えなかったらルシアンも残念に思うだろうか。
「……考えてる」
「じゃあかなり重症だね」
「病気みたいに言わないで」
「恋って大体そんなもんじゃない?」
「ノアは詳しいの?」
「まあ、それなりに」
笑顔の奥が一瞬だけ違って見えた。
でもノアはすぐ立ち上がった。
「僕、訓練あるから行くね」
「うん」
「会えるといいね」
「……うん」
ノアが歩いていく。
リリアはまた一人になった。
そして気づく。
ノアと話していても、ルシアンを考えていた。
「……重症なのかな」
少しだけ笑った。
それから図書館へ行った。
本を一冊開く。
三ページ読んで閉じた。
食堂へ行った。
飲み物を買う。
いつの間にか、ルシアンが好きだと言っていた苦めのコーヒーを見ていた。
「私飲めないのに」
自分で呟いて、別のものを買う。
廊下を歩けば、深紅のネクタイが見えるたびに少し期待する。
黒紫の髪ではないと分かると、少しがっかりする。
そこでようやく、リリアは足を止めた。
「……私、何してるんだろ」
会えない。
たったそれだけ。
昨日会った。
一昨日も会った。
明日だって会える。
それなのに今日会えないだけで、こんなに気になる。
昨日、ルシアンに聞いた。
自分は彼を好きなのだろうか、と。
ルシアンは決めてくれなかった。
『僕には決められない』
当然だ。
これは自分の気持ちだから。
「……そっか」
胸元へ手を置く。
昨日、好きだと言われて嬉しかった。
手を繋ぎたかった。
近くに座りたかった。
肩へ寄りかかりたかった。
昔のリリアを好きだったと聞いて、面白くなかった。
セシルに嫉妬したと言われた時は、少し嬉しかった。
今日、会えなくて寂しい。
ずっと探している。
「……好きじゃん」
口に出した。
思ったより簡単だった。
「私、ルシアン先輩のこと好きじゃん」
もう一度。
今度は少し恥ずかしくなる。
「うわ」
両手で顔を覆った。
分かった瞬間、昨日までの全部が違って見える。
手を繋いだ。
好きだと言われた。
肩で寝た。
あれ全部、好きな人とやっていたのだ。
「……急に恥ずかしい」
今さらだった。
しかもルシアンは知っていた。
自分がリリアを好きだと。
その上でずっと隣にいた。
「ずるい……」
でも。
早く会いたい。
分かったことを伝えたい。
そのまま生徒会室へ戻った。
まだいない。
時計を見る。
もう夕方だ。
「待とう」
今度は迷わなかった。
生徒会室のソファへ座る。
昨日、二人で座った場所。
しばらくして、廊下から足音が聞こえた。
扉が開く。
「……リリア?」
顔を上げる。
ルシアンだった。
「ルシアン先輩」
「どうしてここに?」
少し疲れている。
それでも顔を見た瞬間。
胸の奥が一気に明るくなった。
リリアは立ち上がる。
「遅い」
「え?」
「待ってた」
「僕を?」
「うん」
「いつから?」
「結構前」
ルシアンが時計を見る。
「……もしかして、放課後から?」
「途中で図書館とか行ったけど」
「今日は外部対応だと伝えていなかったね。ごめん」
「先輩悪くない」
「でも」
「約束してなかったし」
「じゃあ、なぜ待っていたの?」
聞かれた。
リリアはルシアンを見る。
答えはもう分かっている。
「会いたかったから」
ルシアンの表情が止まった。
「……そう」
「今日ずっと会いたかった」
「リリア」
「生徒会室来たらいなくて、思ったより寂しかった」
「……うん」
「ノアと話してても先輩のこと考えてた」
ルシアンの眉が僅かに動いた。
「ノアと?」
「そこ?」
「いや。続けて」
「図書館行っても集中できなかったし、深紅のネクタイ見るたび先輩かと思った」
「それで?」
「分かった」
心臓が速い。
さっき一人で言うのとは全然違う。
本人を前にすると、急に怖くなる。
ルシアンは急かさなかった。
ただ待っている。
「私」
「うん」
「ルシアン先輩のこと、好きみたい」
言った。
ルシアンは動かなかった。
「……みたい?」
「好き」
「うん」
「多分じゃなくて」
「うん」
「好きです」
やっと言えた。
ルシアンはまだ黙っている。
「……何か言って」
「少し待って」
「何で?」
「思った以上に嬉しくて、今まともなことを言える自信がない」
リリアは目を瞬いた。
「ルシアン先輩でも?」
「僕を何だと思っているんだい」
「何でも余裕ある人」
「君の前では最近ほとんどないよ」
ルシアンが眼鏡を外した。
目元を押さえる。
「……本当に?」
「何が?」
「僕が好き?」
「うん」
「昔のことを聞いたからではなく?」
「違う」
「僕が君を好きだと言ったから?」
「それも違う」
リリアは一歩近づく。
「今日会えなかったから分かった」
ルシアンが顔を上げる。
「先輩がいないだけで寂しかった。会えたらすごく嬉しかった」
「……そう」
「だから好き」
もう一歩。
ルシアンとの距離が近くなる。
「先輩は?」
「聞く必要がある?」
「聞きたい」
ルシアンは眼鏡を持ったまま、少し笑った。
「好きだよ」
胸が跳ねる。
「今の君が好きだ」
「……うん」
「昔の彼女ではなく、エリシアという名前を持った、今ここにいる君が」
「うん」
「会いに来てくれる君が好きだ。僕の秘密を知りたがるところも、何でも顔に出るところも、思ったことをすぐ口にするところも」
「それ褒めてる?」
「全部好きだと言っている」
急に恥ずかしくなる。
「……もっと言って」
「欲張りだね」
「聞きたい」
「僕の眼鏡を勝手に外したがるところも」
「勝手じゃない」
「耳が赤いと嬉しそうに指摘するところも」
「だって可愛い」
「僕を可愛いと言うところも」
「嫌じゃないんでしょ?」
「今ではかなり好きだよ」
ルシアンが一歩近づく。
もうほとんど距離がない。
「それから」
「うん」
「僕に会いたいと言ってくれるところが、一番好きかもしれない」
リリアは何も言えなくなった。
「……ずるい」
「何が?」
「先輩の方が言うの上手い」
「長く生きているからね」
「それ関係ある?」
「ないかもしれない」
二人とも少し笑った。
ルシアンが眼鏡をかけ直す。
「リリア」
「何?」
「一つ確認していい?」
「うん」
「僕と恋人になりたい?」
胸がまた大きく鳴った。
「……なりたい」
「本当に?」
「うん」
「では」
ルシアンは少しだけ姿勢を正した。
「僕と付き合ってくれる?」
「はい」
答えた瞬間、ルシアンが笑った。
今まで見た中で、一番分かりやすい笑顔だった。
「……そんな顔するんだ」
「どんな?」
「嬉しそう」
「嬉しいからね」
「私も」
「そう」
「恋人?」
「ああ」
「ルシアン先輩が?」
「そうだよ」
「私の?」
「他に誰の恋人になるんだい?」
「確認したかった」
「今日は何度でも確認していいよ」
リリアは少し考える。
「じゃあ」
「うん」
「手、繋ぎたい」
「どうぞ」
ルシアンが右手を差し出す。
リリアはその手を取った。
昨日までと同じはずなのに。
恋人になってから繋ぐと、全然違う。
「……変」
「何が?」
「昨日も繋いだのに、今日の方が緊張する」
「僕もだよ」
「本当?」
「確認する?」
ルシアンが自分の胸元を見る。
昨日と同じ。
「する」
「本当に?」
「うん」
リリアは空いている手を伸ばす。
ルシアンの胸へ触れる。
速い。
「……昨日より速い」
「当然だろう」
「何で?」
「好きな人が恋人になった直後だから」
また胸が熱くなる。
「先輩」
「何?」
「私も触って」
ルシアンの動きが止まった。
「……どこを?」
「心臓」
「言い方に気をつけてくれるかな」
「何で?」
「いや」
ルシアンが小さく息を吐く。
「君はそのままでいいよ」
それから、許可を確かめるように一度リリアを見る。
リリアが頷く。
ルシアンの手が、そっと胸元へ触れた。
服の上から。
触れているのはほんの一瞬。
「……速いね」
「先輩のせい」
「それは嬉しい」
「何か悔しい」
「なぜ?」
「余裕ある」
「ないよ」
ルシアンの手はすぐに離れた。
「これ以上触れていると、別のことを考えそうだから」
「別のこと?」
「聞かない方がいい」
「気になる」
「今日は駄目」
「また秘密」
「恋人になっても秘密はあるよ」
「減らして」
「努力する」
リリアはルシアンを見る。
近い。
さっきからずっと近い。
ふと、唇へ目がいった。
そして。
ルシアンが気づいた。
「リリア」
「何?」
「今、どこを見ていた?」
「……顔」
「顔のどこ?」
「言わない」
「珍しいね」
「恥ずかしいから」
ルシアンは少し黙った。
「キスしたい?」
直球だった。
リリアの顔が一気に熱くなる。
「何で言うの!」
「違った?」
「……違わない」
認める。
ルシアンの目が少し柔らかくなる。
「僕もしたいよ」
「……する?」
「今日はやめておこう」
「え」
思わず声が出た。
ルシアンが笑う。
「そんなに残念そうな顔をしないでくれるかな」
「だってしたいって言ったのに」
「したいよ」
「じゃあ何で?」
ルシアンは繋いだ手を少し持ち上げる。
「君にまだ話していないことがある」
「昔のこと?」
「ああ」
「それ聞くまで駄目?」
「駄目というより」
紫の瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「僕自身が、全部話してから君に触れたい」
「何で?」
「君が僕を好きだと言ってくれたからだよ」
「分かんない」
「僕の過去を知っても同じ気持ちでいてくれと、君に要求するつもりはない」
「……嫌われると思ってる?」
「可能性はある」
「私そんな簡単に嫌いになる?」
「僕が君なら、少しくらい怒ると思うよ」
「何したの」
「それは明日話す」
「今!」
「今日は遅い」
「気になる!」
「だから明日も会えるだろう?」
言われて止まる。
「……ずるい」
「知っている」
「じゃあ明日絶対」
「ああ」
「全部?」
「かなり大きなところまで」
「約束」
「約束する」
リリアは少し考えてから言う。
「じゃあキスも明日?」
今度はルシアンが固まった。
「……リリア」
「何?」
「そういう予約をする人は初めて見たよ」
「駄目?」
「駄目ではない」
「じゃあ」
「明日、君が僕の話を聞いて」
ルシアンの親指が、繋いだ手の甲をゆっくり撫でる。
「それでもまだ僕にキスしたいと思っていたら」
「うん」
「その時は、僕から聞くよ」
「何て?」
ルシアンが少しだけ顔を近づけた。
唇が触れるほどではない。
でも、近い。
「キスしてもいい? って」
息が止まりそうになる。
「……今聞いたじゃん」
「これは予告」
「ずるい」
「何度目かな」
「いっぱい」
リリアは顔を逸らした。
でも手は離さない。
「明日も好きだから」
「まだ明日になっていないよ」
「多分好き」
「多分?」
「絶対」
ルシアンが笑う。
「楽しみにしている」
「先輩も明日まで好きでいてね」
「それは心配しなくていい」
「何で?」
「明日程度でなくなるなら」
繋いだ手が、少しだけ強くなる。
「こんなに長い間、君を好きにならないよう苦労していないよ」
リリアはまた黙った。
「……それ、今日一番キュンとした」
「キュン?」
「気にしないで」
「気になるな」
「秘密」
「仕返しかい?」
「うん」
二人で笑った。
その日。
キスはしなかった。
抱きしめもしなかった。
ただ、女子寮の前までずっと手を繋いで歩いた。
別れる直前。
「リリア」
「何?」
「今日、待っていてくれてありがとう」
「うん」
「会いたかったと言ってくれたことも」
「うん」
「好きだと言ってくれたことも」
ルシアンは少しだけ笑う。
「多分、ずっと忘れない」
「大袈裟」
「そうかな」
「明日も言うよ」
「何を?」
「好き」
ルシアンが黙る。
そして、少し困ったように笑った。
「……本当に、今の君には敵わないな」
「じゃあまた明日」
「ああ」
「おやすみ、ルシアン先輩」
「おやすみ、リリア」
部屋へ戻ったリリアは、ベッドへ倒れ込んだ。
恋人になった。
ルシアンと。
「……恋人」
口に出す。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
そして明日。
彼の秘密を聞く。
そのあと。
「……キス」
枕へ顔を埋めた。
「予約しちゃった……」
急に恥ずかしくなった。
でも。
やっぱりしたい。
今のところ、その気持ちは変わらなかった。
一方。
生徒会室へ戻ったルシアンは、一人で机の前に座っていた。
目の前には、一冊の古い記録。
最初の世界より、さらに前。
まだリリアという少女が存在しなかった頃。
そこには、若い自分の記録がある。
そして。
自分の魂が二つに分けられた日の記録も。
ルシアンはページへ触れた。
「……明日か」
今の彼女に話す。
最初のリリアが、何から生まれたのか。
なぜ彼女が自分を愛したのか。
なぜ自分が彼女を愛しながら拒んだのか。
そして。
今のリリアには、その繋がりが一切ないことも。
怖くないと言えば嘘になる。
今日ようやく手に入った恋が。
明日には終わるかもしれない。
それでも話す。
今の彼女を、過去の少女と同じように扱わないために。
彼女が自分で選べるように。
「運命なんてないんだよ、リリア」
誰もいない部屋で呟く。
自分と彼女を結ぶものは、何もない。
魂も。
神も。
世界も。
それでも今日。
彼女は自分を探した。
待った。
会いたかったと言った。
好きだと言った。
その事実だけで十分だった。
「だから明日も」
ルシアンは静かに目を閉じる。
「君が僕を選んでくれたらいい」
リリアは昨日より少し早く教室を出た。
理由は分かっている。
ルシアンに会いたいからだ。
昨日までは「秘密を聞きたいから」とか、「約束したから」とか、一応それらしい理由があった。
今日はない。
ただ会いたい。
それだけだった。
生徒会室までの道を歩きながら、右手を見る。
昨日、長い時間繋いでいた手。
今日は自分から繋ごう。
そんなことまで考えていた。
だから、生徒会室の扉を開けて誰もいなかった時。
「……あれ」
思った以上にがっかりした。
机の上は綺麗に片付いている。
書類もない。
いつも窓際にいる人もいない。
「ルシアン先輩?」
呼んでも返事はない。
廊下へ戻ったところで、通りかかった生徒会役員に聞いた。
「会長なら、今日は王都から来た監督官の対応ですよ」
「戻ります?」
「夕方になると思います」
「そっか」
お礼を言って、その場を離れる。
予定を聞いていたわけではない。
毎日会う約束をしていたわけでもない。
だからルシアンが悪いわけではない。
それでも。
「……つまんない」
思わず口から出た。
昨日までなら、空いた時間に図書館へ行くか、セシルを探すか、寮へ戻っていた。
今日はどれも少し違う。
結局、中庭のベンチへ座った。
ぼんやり空を見る。
「リリア?」
聞き慣れた声に振り向く。
ノアだった。
「何してるの?」
「何も」
「珍しいね。ぼーっとしてる」
「人待ち」
「誰?」
「……ルシアン先輩」
答えると、ノアが少しだけ目を細めた。
「最近よく一緒にいるね」
「うん」
「毎日?」
「最近は」
「へえ」
ノアが隣へ座る。
「生徒会長なら、今日は外部対応じゃなかった?」
「知ってる」
「じゃあ待ってるの?」
「……多分」
「約束してる?」
「してない」
ノアが笑った。
「それでも待つんだ」
「悪い?」
「全然」
ノアはいつもの笑顔だった。
「ただ、結構好きなんだなと思って」
「……何が?」
「ルシアン先輩のこと」
心臓が跳ねた。
「まだ分かんない」
「そう?」
「考えてる途中」
「じゃあ一個だけ聞いていい?」
「何?」
「今、僕と話してる間もルシアン先輩のこと考えてる?」
リリアは黙った。
考えていた。
何時に戻るのかな。
今日も手を繋げるかな。
昨日「楽しみにしている」と言っていたのに、会えなかったらルシアンも残念に思うだろうか。
「……考えてる」
「じゃあかなり重症だね」
「病気みたいに言わないで」
「恋って大体そんなもんじゃない?」
「ノアは詳しいの?」
「まあ、それなりに」
笑顔の奥が一瞬だけ違って見えた。
でもノアはすぐ立ち上がった。
「僕、訓練あるから行くね」
「うん」
「会えるといいね」
「……うん」
ノアが歩いていく。
リリアはまた一人になった。
そして気づく。
ノアと話していても、ルシアンを考えていた。
「……重症なのかな」
少しだけ笑った。
それから図書館へ行った。
本を一冊開く。
三ページ読んで閉じた。
食堂へ行った。
飲み物を買う。
いつの間にか、ルシアンが好きだと言っていた苦めのコーヒーを見ていた。
「私飲めないのに」
自分で呟いて、別のものを買う。
廊下を歩けば、深紅のネクタイが見えるたびに少し期待する。
黒紫の髪ではないと分かると、少しがっかりする。
そこでようやく、リリアは足を止めた。
「……私、何してるんだろ」
会えない。
たったそれだけ。
昨日会った。
一昨日も会った。
明日だって会える。
それなのに今日会えないだけで、こんなに気になる。
昨日、ルシアンに聞いた。
自分は彼を好きなのだろうか、と。
ルシアンは決めてくれなかった。
『僕には決められない』
当然だ。
これは自分の気持ちだから。
「……そっか」
胸元へ手を置く。
昨日、好きだと言われて嬉しかった。
手を繋ぎたかった。
近くに座りたかった。
肩へ寄りかかりたかった。
昔のリリアを好きだったと聞いて、面白くなかった。
セシルに嫉妬したと言われた時は、少し嬉しかった。
今日、会えなくて寂しい。
ずっと探している。
「……好きじゃん」
口に出した。
思ったより簡単だった。
「私、ルシアン先輩のこと好きじゃん」
もう一度。
今度は少し恥ずかしくなる。
「うわ」
両手で顔を覆った。
分かった瞬間、昨日までの全部が違って見える。
手を繋いだ。
好きだと言われた。
肩で寝た。
あれ全部、好きな人とやっていたのだ。
「……急に恥ずかしい」
今さらだった。
しかもルシアンは知っていた。
自分がリリアを好きだと。
その上でずっと隣にいた。
「ずるい……」
でも。
早く会いたい。
分かったことを伝えたい。
そのまま生徒会室へ戻った。
まだいない。
時計を見る。
もう夕方だ。
「待とう」
今度は迷わなかった。
生徒会室のソファへ座る。
昨日、二人で座った場所。
しばらくして、廊下から足音が聞こえた。
扉が開く。
「……リリア?」
顔を上げる。
ルシアンだった。
「ルシアン先輩」
「どうしてここに?」
少し疲れている。
それでも顔を見た瞬間。
胸の奥が一気に明るくなった。
リリアは立ち上がる。
「遅い」
「え?」
「待ってた」
「僕を?」
「うん」
「いつから?」
「結構前」
ルシアンが時計を見る。
「……もしかして、放課後から?」
「途中で図書館とか行ったけど」
「今日は外部対応だと伝えていなかったね。ごめん」
「先輩悪くない」
「でも」
「約束してなかったし」
「じゃあ、なぜ待っていたの?」
聞かれた。
リリアはルシアンを見る。
答えはもう分かっている。
「会いたかったから」
ルシアンの表情が止まった。
「……そう」
「今日ずっと会いたかった」
「リリア」
「生徒会室来たらいなくて、思ったより寂しかった」
「……うん」
「ノアと話してても先輩のこと考えてた」
ルシアンの眉が僅かに動いた。
「ノアと?」
「そこ?」
「いや。続けて」
「図書館行っても集中できなかったし、深紅のネクタイ見るたび先輩かと思った」
「それで?」
「分かった」
心臓が速い。
さっき一人で言うのとは全然違う。
本人を前にすると、急に怖くなる。
ルシアンは急かさなかった。
ただ待っている。
「私」
「うん」
「ルシアン先輩のこと、好きみたい」
言った。
ルシアンは動かなかった。
「……みたい?」
「好き」
「うん」
「多分じゃなくて」
「うん」
「好きです」
やっと言えた。
ルシアンはまだ黙っている。
「……何か言って」
「少し待って」
「何で?」
「思った以上に嬉しくて、今まともなことを言える自信がない」
リリアは目を瞬いた。
「ルシアン先輩でも?」
「僕を何だと思っているんだい」
「何でも余裕ある人」
「君の前では最近ほとんどないよ」
ルシアンが眼鏡を外した。
目元を押さえる。
「……本当に?」
「何が?」
「僕が好き?」
「うん」
「昔のことを聞いたからではなく?」
「違う」
「僕が君を好きだと言ったから?」
「それも違う」
リリアは一歩近づく。
「今日会えなかったから分かった」
ルシアンが顔を上げる。
「先輩がいないだけで寂しかった。会えたらすごく嬉しかった」
「……そう」
「だから好き」
もう一歩。
ルシアンとの距離が近くなる。
「先輩は?」
「聞く必要がある?」
「聞きたい」
ルシアンは眼鏡を持ったまま、少し笑った。
「好きだよ」
胸が跳ねる。
「今の君が好きだ」
「……うん」
「昔の彼女ではなく、エリシアという名前を持った、今ここにいる君が」
「うん」
「会いに来てくれる君が好きだ。僕の秘密を知りたがるところも、何でも顔に出るところも、思ったことをすぐ口にするところも」
「それ褒めてる?」
「全部好きだと言っている」
急に恥ずかしくなる。
「……もっと言って」
「欲張りだね」
「聞きたい」
「僕の眼鏡を勝手に外したがるところも」
「勝手じゃない」
「耳が赤いと嬉しそうに指摘するところも」
「だって可愛い」
「僕を可愛いと言うところも」
「嫌じゃないんでしょ?」
「今ではかなり好きだよ」
ルシアンが一歩近づく。
もうほとんど距離がない。
「それから」
「うん」
「僕に会いたいと言ってくれるところが、一番好きかもしれない」
リリアは何も言えなくなった。
「……ずるい」
「何が?」
「先輩の方が言うの上手い」
「長く生きているからね」
「それ関係ある?」
「ないかもしれない」
二人とも少し笑った。
ルシアンが眼鏡をかけ直す。
「リリア」
「何?」
「一つ確認していい?」
「うん」
「僕と恋人になりたい?」
胸がまた大きく鳴った。
「……なりたい」
「本当に?」
「うん」
「では」
ルシアンは少しだけ姿勢を正した。
「僕と付き合ってくれる?」
「はい」
答えた瞬間、ルシアンが笑った。
今まで見た中で、一番分かりやすい笑顔だった。
「……そんな顔するんだ」
「どんな?」
「嬉しそう」
「嬉しいからね」
「私も」
「そう」
「恋人?」
「ああ」
「ルシアン先輩が?」
「そうだよ」
「私の?」
「他に誰の恋人になるんだい?」
「確認したかった」
「今日は何度でも確認していいよ」
リリアは少し考える。
「じゃあ」
「うん」
「手、繋ぎたい」
「どうぞ」
ルシアンが右手を差し出す。
リリアはその手を取った。
昨日までと同じはずなのに。
恋人になってから繋ぐと、全然違う。
「……変」
「何が?」
「昨日も繋いだのに、今日の方が緊張する」
「僕もだよ」
「本当?」
「確認する?」
ルシアンが自分の胸元を見る。
昨日と同じ。
「する」
「本当に?」
「うん」
リリアは空いている手を伸ばす。
ルシアンの胸へ触れる。
速い。
「……昨日より速い」
「当然だろう」
「何で?」
「好きな人が恋人になった直後だから」
また胸が熱くなる。
「先輩」
「何?」
「私も触って」
ルシアンの動きが止まった。
「……どこを?」
「心臓」
「言い方に気をつけてくれるかな」
「何で?」
「いや」
ルシアンが小さく息を吐く。
「君はそのままでいいよ」
それから、許可を確かめるように一度リリアを見る。
リリアが頷く。
ルシアンの手が、そっと胸元へ触れた。
服の上から。
触れているのはほんの一瞬。
「……速いね」
「先輩のせい」
「それは嬉しい」
「何か悔しい」
「なぜ?」
「余裕ある」
「ないよ」
ルシアンの手はすぐに離れた。
「これ以上触れていると、別のことを考えそうだから」
「別のこと?」
「聞かない方がいい」
「気になる」
「今日は駄目」
「また秘密」
「恋人になっても秘密はあるよ」
「減らして」
「努力する」
リリアはルシアンを見る。
近い。
さっきからずっと近い。
ふと、唇へ目がいった。
そして。
ルシアンが気づいた。
「リリア」
「何?」
「今、どこを見ていた?」
「……顔」
「顔のどこ?」
「言わない」
「珍しいね」
「恥ずかしいから」
ルシアンは少し黙った。
「キスしたい?」
直球だった。
リリアの顔が一気に熱くなる。
「何で言うの!」
「違った?」
「……違わない」
認める。
ルシアンの目が少し柔らかくなる。
「僕もしたいよ」
「……する?」
「今日はやめておこう」
「え」
思わず声が出た。
ルシアンが笑う。
「そんなに残念そうな顔をしないでくれるかな」
「だってしたいって言ったのに」
「したいよ」
「じゃあ何で?」
ルシアンは繋いだ手を少し持ち上げる。
「君にまだ話していないことがある」
「昔のこと?」
「ああ」
「それ聞くまで駄目?」
「駄目というより」
紫の瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「僕自身が、全部話してから君に触れたい」
「何で?」
「君が僕を好きだと言ってくれたからだよ」
「分かんない」
「僕の過去を知っても同じ気持ちでいてくれと、君に要求するつもりはない」
「……嫌われると思ってる?」
「可能性はある」
「私そんな簡単に嫌いになる?」
「僕が君なら、少しくらい怒ると思うよ」
「何したの」
「それは明日話す」
「今!」
「今日は遅い」
「気になる!」
「だから明日も会えるだろう?」
言われて止まる。
「……ずるい」
「知っている」
「じゃあ明日絶対」
「ああ」
「全部?」
「かなり大きなところまで」
「約束」
「約束する」
リリアは少し考えてから言う。
「じゃあキスも明日?」
今度はルシアンが固まった。
「……リリア」
「何?」
「そういう予約をする人は初めて見たよ」
「駄目?」
「駄目ではない」
「じゃあ」
「明日、君が僕の話を聞いて」
ルシアンの親指が、繋いだ手の甲をゆっくり撫でる。
「それでもまだ僕にキスしたいと思っていたら」
「うん」
「その時は、僕から聞くよ」
「何て?」
ルシアンが少しだけ顔を近づけた。
唇が触れるほどではない。
でも、近い。
「キスしてもいい? って」
息が止まりそうになる。
「……今聞いたじゃん」
「これは予告」
「ずるい」
「何度目かな」
「いっぱい」
リリアは顔を逸らした。
でも手は離さない。
「明日も好きだから」
「まだ明日になっていないよ」
「多分好き」
「多分?」
「絶対」
ルシアンが笑う。
「楽しみにしている」
「先輩も明日まで好きでいてね」
「それは心配しなくていい」
「何で?」
「明日程度でなくなるなら」
繋いだ手が、少しだけ強くなる。
「こんなに長い間、君を好きにならないよう苦労していないよ」
リリアはまた黙った。
「……それ、今日一番キュンとした」
「キュン?」
「気にしないで」
「気になるな」
「秘密」
「仕返しかい?」
「うん」
二人で笑った。
その日。
キスはしなかった。
抱きしめもしなかった。
ただ、女子寮の前までずっと手を繋いで歩いた。
別れる直前。
「リリア」
「何?」
「今日、待っていてくれてありがとう」
「うん」
「会いたかったと言ってくれたことも」
「うん」
「好きだと言ってくれたことも」
ルシアンは少しだけ笑う。
「多分、ずっと忘れない」
「大袈裟」
「そうかな」
「明日も言うよ」
「何を?」
「好き」
ルシアンが黙る。
そして、少し困ったように笑った。
「……本当に、今の君には敵わないな」
「じゃあまた明日」
「ああ」
「おやすみ、ルシアン先輩」
「おやすみ、リリア」
部屋へ戻ったリリアは、ベッドへ倒れ込んだ。
恋人になった。
ルシアンと。
「……恋人」
口に出す。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
そして明日。
彼の秘密を聞く。
そのあと。
「……キス」
枕へ顔を埋めた。
「予約しちゃった……」
急に恥ずかしくなった。
でも。
やっぱりしたい。
今のところ、その気持ちは変わらなかった。
一方。
生徒会室へ戻ったルシアンは、一人で机の前に座っていた。
目の前には、一冊の古い記録。
最初の世界より、さらに前。
まだリリアという少女が存在しなかった頃。
そこには、若い自分の記録がある。
そして。
自分の魂が二つに分けられた日の記録も。
ルシアンはページへ触れた。
「……明日か」
今の彼女に話す。
最初のリリアが、何から生まれたのか。
なぜ彼女が自分を愛したのか。
なぜ自分が彼女を愛しながら拒んだのか。
そして。
今のリリアには、その繋がりが一切ないことも。
怖くないと言えば嘘になる。
今日ようやく手に入った恋が。
明日には終わるかもしれない。
それでも話す。
今の彼女を、過去の少女と同じように扱わないために。
彼女が自分で選べるように。
「運命なんてないんだよ、リリア」
誰もいない部屋で呟く。
自分と彼女を結ぶものは、何もない。
魂も。
神も。
世界も。
それでも今日。
彼女は自分を探した。
待った。
会いたかったと言った。
好きだと言った。
その事実だけで十分だった。
「だから明日も」
ルシアンは静かに目を閉じる。
「君が僕を選んでくれたらいい」

