魔法より、君に恋をする。

翌日の放課後。

 リリアは昨日より少し早く教室を出た。

 理由は分かっている。

 ルシアンに会いたいからだ。

 昨日までは「秘密を聞きたいから」とか、「約束したから」とか、一応それらしい理由があった。

 今日はない。

 ただ会いたい。

 それだけだった。

 生徒会室までの道を歩きながら、右手を見る。

 昨日、長い時間繋いでいた手。

 今日は自分から繋ごう。

 そんなことまで考えていた。

 だから、生徒会室の扉を開けて誰もいなかった時。

「……あれ」

 思った以上にがっかりした。

 机の上は綺麗に片付いている。

 書類もない。

 いつも窓際にいる人もいない。

「ルシアン先輩?」

 呼んでも返事はない。

 廊下へ戻ったところで、通りかかった生徒会役員に聞いた。

「会長なら、今日は王都から来た監督官の対応ですよ」

「戻ります?」

「夕方になると思います」

「そっか」

 お礼を言って、その場を離れる。

 予定を聞いていたわけではない。

 毎日会う約束をしていたわけでもない。

 だからルシアンが悪いわけではない。

 それでも。

「……つまんない」

 思わず口から出た。

 昨日までなら、空いた時間に図書館へ行くか、セシルを探すか、寮へ戻っていた。

 今日はどれも少し違う。

 結局、中庭のベンチへ座った。

 ぼんやり空を見る。

「リリア?」

 聞き慣れた声に振り向く。

 ノアだった。

「何してるの?」

「何も」

「珍しいね。ぼーっとしてる」

「人待ち」

「誰?」

「……ルシアン先輩」

 答えると、ノアが少しだけ目を細めた。

「最近よく一緒にいるね」

「うん」

「毎日?」

「最近は」

「へえ」

 ノアが隣へ座る。

「生徒会長なら、今日は外部対応じゃなかった?」

「知ってる」

「じゃあ待ってるの?」

「……多分」

「約束してる?」

「してない」

 ノアが笑った。

「それでも待つんだ」

「悪い?」

「全然」

 ノアはいつもの笑顔だった。

「ただ、結構好きなんだなと思って」

「……何が?」

「ルシアン先輩のこと」

 心臓が跳ねた。

「まだ分かんない」

「そう?」

「考えてる途中」

「じゃあ一個だけ聞いていい?」

「何?」

「今、僕と話してる間もルシアン先輩のこと考えてる?」

 リリアは黙った。

 考えていた。

 何時に戻るのかな。

 今日も手を繋げるかな。

 昨日「楽しみにしている」と言っていたのに、会えなかったらルシアンも残念に思うだろうか。

「……考えてる」

「じゃあかなり重症だね」

「病気みたいに言わないで」

「恋って大体そんなもんじゃない?」

「ノアは詳しいの?」

「まあ、それなりに」

 笑顔の奥が一瞬だけ違って見えた。

 でもノアはすぐ立ち上がった。

「僕、訓練あるから行くね」

「うん」

「会えるといいね」

「……うん」

 ノアが歩いていく。

 リリアはまた一人になった。

 そして気づく。

 ノアと話していても、ルシアンを考えていた。

「……重症なのかな」

 少しだけ笑った。

 それから図書館へ行った。

 本を一冊開く。

 三ページ読んで閉じた。

 食堂へ行った。

 飲み物を買う。

 いつの間にか、ルシアンが好きだと言っていた苦めのコーヒーを見ていた。

「私飲めないのに」

 自分で呟いて、別のものを買う。

 廊下を歩けば、深紅のネクタイが見えるたびに少し期待する。

 黒紫の髪ではないと分かると、少しがっかりする。

 そこでようやく、リリアは足を止めた。

「……私、何してるんだろ」

 会えない。

 たったそれだけ。

 昨日会った。

 一昨日も会った。

 明日だって会える。

 それなのに今日会えないだけで、こんなに気になる。

 昨日、ルシアンに聞いた。

 自分は彼を好きなのだろうか、と。

 ルシアンは決めてくれなかった。

『僕には決められない』

 当然だ。

 これは自分の気持ちだから。

「……そっか」

 胸元へ手を置く。

 昨日、好きだと言われて嬉しかった。

 手を繋ぎたかった。

 近くに座りたかった。

 肩へ寄りかかりたかった。

 昔のリリアを好きだったと聞いて、面白くなかった。

 セシルに嫉妬したと言われた時は、少し嬉しかった。

 今日、会えなくて寂しい。

 ずっと探している。

「……好きじゃん」

 口に出した。

 思ったより簡単だった。

「私、ルシアン先輩のこと好きじゃん」

 もう一度。

 今度は少し恥ずかしくなる。

「うわ」

 両手で顔を覆った。

 分かった瞬間、昨日までの全部が違って見える。

 手を繋いだ。

 好きだと言われた。

 肩で寝た。

 あれ全部、好きな人とやっていたのだ。

「……急に恥ずかしい」

 今さらだった。

 しかもルシアンは知っていた。

 自分がリリアを好きだと。

 その上でずっと隣にいた。

「ずるい……」

 でも。

 早く会いたい。

 分かったことを伝えたい。

 そのまま生徒会室へ戻った。

 まだいない。

 時計を見る。

 もう夕方だ。

「待とう」

 今度は迷わなかった。

 生徒会室のソファへ座る。

 昨日、二人で座った場所。

 しばらくして、廊下から足音が聞こえた。

 扉が開く。

「……リリア?」

 顔を上げる。

 ルシアンだった。

「ルシアン先輩」

「どうしてここに?」

 少し疲れている。

 それでも顔を見た瞬間。

 胸の奥が一気に明るくなった。

 リリアは立ち上がる。

「遅い」

「え?」

「待ってた」

「僕を?」

「うん」

「いつから?」

「結構前」

 ルシアンが時計を見る。

「……もしかして、放課後から?」

「途中で図書館とか行ったけど」

「今日は外部対応だと伝えていなかったね。ごめん」

「先輩悪くない」

「でも」

「約束してなかったし」

「じゃあ、なぜ待っていたの?」

 聞かれた。

 リリアはルシアンを見る。

 答えはもう分かっている。

「会いたかったから」

 ルシアンの表情が止まった。

「……そう」

「今日ずっと会いたかった」

「リリア」

「生徒会室来たらいなくて、思ったより寂しかった」

「……うん」

「ノアと話してても先輩のこと考えてた」

 ルシアンの眉が僅かに動いた。

「ノアと?」

「そこ?」

「いや。続けて」

「図書館行っても集中できなかったし、深紅のネクタイ見るたび先輩かと思った」

「それで?」

「分かった」

 心臓が速い。

 さっき一人で言うのとは全然違う。

 本人を前にすると、急に怖くなる。

 ルシアンは急かさなかった。

 ただ待っている。

「私」

「うん」

「ルシアン先輩のこと、好きみたい」

 言った。

 ルシアンは動かなかった。

「……みたい?」

「好き」

「うん」

「多分じゃなくて」

「うん」

「好きです」

 やっと言えた。

 ルシアンはまだ黙っている。

「……何か言って」

「少し待って」

「何で?」

「思った以上に嬉しくて、今まともなことを言える自信がない」

 リリアは目を瞬いた。

「ルシアン先輩でも?」

「僕を何だと思っているんだい」

「何でも余裕ある人」

「君の前では最近ほとんどないよ」

 ルシアンが眼鏡を外した。

 目元を押さえる。

「……本当に?」

「何が?」

「僕が好き?」

「うん」

「昔のことを聞いたからではなく?」

「違う」

「僕が君を好きだと言ったから?」

「それも違う」

 リリアは一歩近づく。

「今日会えなかったから分かった」

 ルシアンが顔を上げる。

「先輩がいないだけで寂しかった。会えたらすごく嬉しかった」

「……そう」

「だから好き」

 もう一歩。

 ルシアンとの距離が近くなる。

「先輩は?」

「聞く必要がある?」

「聞きたい」

 ルシアンは眼鏡を持ったまま、少し笑った。

「好きだよ」

 胸が跳ねる。

「今の君が好きだ」

「……うん」

「昔の彼女ではなく、エリシアという名前を持った、今ここにいる君が」

「うん」

「会いに来てくれる君が好きだ。僕の秘密を知りたがるところも、何でも顔に出るところも、思ったことをすぐ口にするところも」

「それ褒めてる?」

「全部好きだと言っている」

 急に恥ずかしくなる。

「……もっと言って」

「欲張りだね」

「聞きたい」

「僕の眼鏡を勝手に外したがるところも」

「勝手じゃない」

「耳が赤いと嬉しそうに指摘するところも」

「だって可愛い」

「僕を可愛いと言うところも」

「嫌じゃないんでしょ?」

「今ではかなり好きだよ」

 ルシアンが一歩近づく。

 もうほとんど距離がない。

「それから」

「うん」

「僕に会いたいと言ってくれるところが、一番好きかもしれない」

 リリアは何も言えなくなった。

「……ずるい」

「何が?」

「先輩の方が言うの上手い」

「長く生きているからね」

「それ関係ある?」

「ないかもしれない」

 二人とも少し笑った。

 ルシアンが眼鏡をかけ直す。

「リリア」

「何?」

「一つ確認していい?」

「うん」

「僕と恋人になりたい?」

 胸がまた大きく鳴った。

「……なりたい」

「本当に?」

「うん」

「では」

 ルシアンは少しだけ姿勢を正した。

「僕と付き合ってくれる?」

「はい」

 答えた瞬間、ルシアンが笑った。

 今まで見た中で、一番分かりやすい笑顔だった。

「……そんな顔するんだ」

「どんな?」

「嬉しそう」

「嬉しいからね」

「私も」

「そう」

「恋人?」

「ああ」

「ルシアン先輩が?」

「そうだよ」

「私の?」

「他に誰の恋人になるんだい?」

「確認したかった」

「今日は何度でも確認していいよ」

 リリアは少し考える。

「じゃあ」

「うん」

「手、繋ぎたい」

「どうぞ」

 ルシアンが右手を差し出す。

 リリアはその手を取った。

 昨日までと同じはずなのに。

 恋人になってから繋ぐと、全然違う。

「……変」

「何が?」

「昨日も繋いだのに、今日の方が緊張する」

「僕もだよ」

「本当?」

「確認する?」

 ルシアンが自分の胸元を見る。

 昨日と同じ。

「する」

「本当に?」

「うん」

 リリアは空いている手を伸ばす。

 ルシアンの胸へ触れる。

 速い。

「……昨日より速い」

「当然だろう」

「何で?」

「好きな人が恋人になった直後だから」

 また胸が熱くなる。

「先輩」

「何?」

「私も触って」

 ルシアンの動きが止まった。

「……どこを?」

「心臓」

「言い方に気をつけてくれるかな」

「何で?」

「いや」

 ルシアンが小さく息を吐く。

「君はそのままでいいよ」

 それから、許可を確かめるように一度リリアを見る。

 リリアが頷く。

 ルシアンの手が、そっと胸元へ触れた。

 服の上から。

 触れているのはほんの一瞬。

「……速いね」

「先輩のせい」

「それは嬉しい」

「何か悔しい」

「なぜ?」

「余裕ある」

「ないよ」

 ルシアンの手はすぐに離れた。

「これ以上触れていると、別のことを考えそうだから」

「別のこと?」

「聞かない方がいい」

「気になる」

「今日は駄目」

「また秘密」

「恋人になっても秘密はあるよ」

「減らして」

「努力する」

 リリアはルシアンを見る。

 近い。

 さっきからずっと近い。

 ふと、唇へ目がいった。

 そして。

 ルシアンが気づいた。

「リリア」

「何?」

「今、どこを見ていた?」

「……顔」

「顔のどこ?」

「言わない」

「珍しいね」

「恥ずかしいから」

 ルシアンは少し黙った。

「キスしたい?」

 直球だった。

 リリアの顔が一気に熱くなる。

「何で言うの!」

「違った?」

「……違わない」

 認める。

 ルシアンの目が少し柔らかくなる。

「僕もしたいよ」

「……する?」

「今日はやめておこう」

「え」

 思わず声が出た。

 ルシアンが笑う。

「そんなに残念そうな顔をしないでくれるかな」

「だってしたいって言ったのに」

「したいよ」

「じゃあ何で?」

 ルシアンは繋いだ手を少し持ち上げる。

「君にまだ話していないことがある」

「昔のこと?」

「ああ」

「それ聞くまで駄目?」

「駄目というより」

 紫の瞳が真っ直ぐこちらを見る。

「僕自身が、全部話してから君に触れたい」

「何で?」

「君が僕を好きだと言ってくれたからだよ」

「分かんない」

「僕の過去を知っても同じ気持ちでいてくれと、君に要求するつもりはない」

「……嫌われると思ってる?」

「可能性はある」

「私そんな簡単に嫌いになる?」

「僕が君なら、少しくらい怒ると思うよ」

「何したの」

「それは明日話す」

「今!」

「今日は遅い」

「気になる!」

「だから明日も会えるだろう?」

 言われて止まる。

「……ずるい」

「知っている」

「じゃあ明日絶対」

「ああ」

「全部?」

「かなり大きなところまで」

「約束」

「約束する」

 リリアは少し考えてから言う。

「じゃあキスも明日?」

 今度はルシアンが固まった。

「……リリア」

「何?」

「そういう予約をする人は初めて見たよ」

「駄目?」

「駄目ではない」

「じゃあ」

「明日、君が僕の話を聞いて」

 ルシアンの親指が、繋いだ手の甲をゆっくり撫でる。

「それでもまだ僕にキスしたいと思っていたら」

「うん」

「その時は、僕から聞くよ」

「何て?」

 ルシアンが少しだけ顔を近づけた。

 唇が触れるほどではない。

 でも、近い。

「キスしてもいい? って」

 息が止まりそうになる。

「……今聞いたじゃん」

「これは予告」

「ずるい」

「何度目かな」

「いっぱい」

 リリアは顔を逸らした。

 でも手は離さない。

「明日も好きだから」

「まだ明日になっていないよ」

「多分好き」

「多分?」

「絶対」

 ルシアンが笑う。

「楽しみにしている」

「先輩も明日まで好きでいてね」

「それは心配しなくていい」

「何で?」

「明日程度でなくなるなら」

 繋いだ手が、少しだけ強くなる。

「こんなに長い間、君を好きにならないよう苦労していないよ」

 リリアはまた黙った。

「……それ、今日一番キュンとした」

「キュン?」

「気にしないで」

「気になるな」

「秘密」

「仕返しかい?」

「うん」

 二人で笑った。

 その日。

 キスはしなかった。

 抱きしめもしなかった。

 ただ、女子寮の前までずっと手を繋いで歩いた。

 別れる直前。

「リリア」

「何?」

「今日、待っていてくれてありがとう」

「うん」

「会いたかったと言ってくれたことも」

「うん」

「好きだと言ってくれたことも」

 ルシアンは少しだけ笑う。

「多分、ずっと忘れない」

「大袈裟」

「そうかな」

「明日も言うよ」

「何を?」

「好き」

 ルシアンが黙る。

 そして、少し困ったように笑った。

「……本当に、今の君には敵わないな」

「じゃあまた明日」

「ああ」

「おやすみ、ルシアン先輩」

「おやすみ、リリア」

 部屋へ戻ったリリアは、ベッドへ倒れ込んだ。

 恋人になった。

 ルシアンと。

「……恋人」

 口に出す。

 嬉しい。

 ものすごく嬉しい。

 そして明日。

 彼の秘密を聞く。

 そのあと。

「……キス」

 枕へ顔を埋めた。

「予約しちゃった……」

 急に恥ずかしくなった。

 でも。

 やっぱりしたい。

 今のところ、その気持ちは変わらなかった。

 一方。

 生徒会室へ戻ったルシアンは、一人で机の前に座っていた。

 目の前には、一冊の古い記録。

 最初の世界より、さらに前。

 まだリリアという少女が存在しなかった頃。

 そこには、若い自分の記録がある。

 そして。

 自分の魂が二つに分けられた日の記録も。

 ルシアンはページへ触れた。

「……明日か」

 今の彼女に話す。

 最初のリリアが、何から生まれたのか。

 なぜ彼女が自分を愛したのか。

 なぜ自分が彼女を愛しながら拒んだのか。

 そして。

 今のリリアには、その繋がりが一切ないことも。

 怖くないと言えば嘘になる。

 今日ようやく手に入った恋が。

 明日には終わるかもしれない。

 それでも話す。

 今の彼女を、過去の少女と同じように扱わないために。

 彼女が自分で選べるように。

「運命なんてないんだよ、リリア」

 誰もいない部屋で呟く。

 自分と彼女を結ぶものは、何もない。

 魂も。

 神も。

 世界も。

 それでも今日。

 彼女は自分を探した。

 待った。

 会いたかったと言った。

 好きだと言った。

 その事実だけで十分だった。

「だから明日も」

 ルシアンは静かに目を閉じる。

「君が僕を選んでくれたらいい」