翌朝。
リリアは授業が始まる前から、放課後のことを考えていた。
昨日、ルシアンと約束した。
次に会ったら、秘密を一つ教える。
だから今日は生徒会室へ行く。
そのため。
――だけではない気がする。
「リリア」
「ん?」
隣から声をかけられ、顔を上げる。
セシルがこちらを見ていた。
「さっきから同じページ見てるけど」
「読んでる」
「十分くらい?」
「……そんなに?」
「うん」
リリアは教科書を見る。
確かに全然頭に入っていない。
「何か考え事?」
「放課後」
「予定あるの?」
「ルシアン先輩のところ行く」
セシルの指が僅かに止まった。
「生徒会長?」
「うん」
「最近よく一緒にいるね」
「昨日も出かけた」
「……二人で?」
「うん」
セシルが少しだけ目を丸くする。
「古書店行って、散歩して、ご飯食べた」
「それって」
「何?」
「いや」
セシルは小さく笑った。
「楽しかった?」
「楽しかった」
「そっか」
「今日も会いたい」
言ってから、リリア自身が少し止まった。
昨日は普通に言えた。
でも今、自分の口から出た言葉を改めて聞くと、少し違って聞こえる。
「……私、結構会いたいかも」
セシルはリリアを見た。
「それ、本人には言った?」
「昨日言った」
「リリアは強いね」
「何が?」
「何でもない」
セシルは笑った。
少しだけ寂しそうに見えた気がしたけれど、すぐいつもの顔に戻った。
「じゃあ放課後、楽しんできて」
「うん」
その日の授業は、いつもより少し長く感じた。
放課後になると、リリアは教室を出る。
生徒会室への道は、もう覚えた。
少なくとも今日は迷わなかった。
扉をノックする。
「どうぞ」
声を聞いただけで、少し嬉しくなる。
「失礼します」
扉を開ける。
ルシアンは机に向かっていた。
「こんにちは」
「こんにちは、リリア」
顔を上げる。
そして少し笑った。
「本当に来たね」
「来るって言ったじゃん」
「そうだったね」
「待ってた?」
「少し」
「少しだけ?」
「……かなり」
リリアは足を止めた。
「今のもう一回」
「言わない」
「聞こえたけど」
「なら十分だろう」
ルシアンが視線を資料へ戻す。
耳が少し赤い。
「また赤い」
「今日は暑いからね」
「普通です」
「窓際は暑い」
「言い訳下手になってない?」
「君相手だと調子が狂うらしい」
「私のせい?」
「そうとも言える」
「何もしてない」
「それが問題なんだよ」
意味が分からない。
でも少し嬉しい。
「仕事終わる?」
「あと五分」
「じゃあ待つ」
「大人しく?」
「多分」
「不安だな」
リリアはソファへ座った。
ルシアンが仕事をしている間、昨日買ったらしい本を手に取る。
「これ読んでいい?」
「いいよ。眠る本ではない」
「確認しようと思ってた」
「成長したね」
「馬鹿にしてる?」
「褒めている」
昨日と同じ。
そんなやり取りをしながら、本を開く。
数分後。
「終わった」
ルシアンが立ち上がる。
「早い」
「君を待たせているからね」
「急いだ?」
「少し」
「仕事大丈夫?」
「問題ないよ」
ルシアンが向かいへ座る。
「それで?」
「秘密」
「早いね」
「そのために来た」
「僕に会いたかったんじゃなかった?」
言われて、リリアは黙る。
ルシアンが少し笑った。
「昨日、そう言っていただろう」
「……会いたかったのもある」
「そう」
「何で嬉しそうなの」
「嬉しいから」
今日は素直だ。
「ルシアン先輩、今日変」
「君が毎日会いに来るからじゃないかな」
「嫌だった?」
「逆だよ」
紫の瞳がこちらを見る。
「慣れてきた」
「何に?」
「君が僕を選んでここへ来ることに」
昨日も似たことを言っていた。
リリアは少し考える。
「それって、そんなに変?」
「僕にとってはね」
「何で?」
「それが今日の秘密に繋がる」
ルシアンは少し姿勢を変えた。
「リリア」
「はい」
「僕は君を、君が生まれるよりずっと前から知っている」
リリアは瞬きをした。
「……私を?」
「正確には、君と同じ名前と姿を持つ存在を」
昨日までなら、胸がざわついたかもしれない。
でも今は、少し違った。
「昔のリリア?」
「ああ」
「どれくらい昔?」
「とても昔」
「百年?」
「もっと」
「千年?」
「数字当てを始めるのはやめようか」
「気になる」
「いずれ話すよ」
「今日の秘密、一個だけだから?」
「そういうことにしておこう」
ルシアンは少し笑った。
「僕は、最初のリリアを知っている」
「最初?」
「ああ」
「十二回より前?」
笑みが消えた。
「……鋭いね」
「当たり?」
「今日はそこまで」
「ずるい」
「約束は一つだからね」
リリアは少し不満だった。
でも、その言葉を頭の中で整理する。
「じゃあルシアン先輩は、最初のリリアも、十二回のリリアも知ってる?」
「全てを同じように知っているわけではない。ただ、記録と記憶はある」
「すごい長い付き合い」
「そう見える?」
「うん」
「でも君とは、まだ数か月だ」
リリアはルシアンを見る。
「私とは?」
「ああ」
「別に数えるんだ」
「当然だよ」
即答だった。
「君は彼女ではない」
「……うん」
「僕はそれを間違えたくない」
ルシアンの声が少し低くなる。
「同じ顔をしている。同じ名前を使っている。似た魔力を持っている。それでも、君は君だ」
「エリシアだから?」
「それだけではない」
「じゃあ?」
「君を知ったから」
リリアは黙った。
「昔の彼女は、古書店で危険な本を見つけても無警戒に手を出したりしなかった」
「そこ?」
「重要だよ」
「恥ずかしい」
「僕の耳が赤いと何度も指摘もしなかった」
「だって赤かった」
「眼鏡を外せと言って、顔がいいと真顔で感想を言うこともなかった」
「それも恥ずかしいからやめて」
「それから」
ルシアンが少し笑う。
「会いたかったと、こんなに簡単に言う人でもなかった」
リリアは何も言えなくなる。
「だから僕は、君を彼女と間違えない」
「……そっか」
「安心した?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
「うん」
リリアは自分の膝を見る。
「ルシアン先輩、昔のリリアのこと好きだった?」
空気が止まった。
昨日も聞いた。
恋をしたことがあるか。
今も好きか。
答えは曖昧だった。
「……好きだったよ」
今日は答えた。
リリアは顔を上げる。
「本当に?」
「ああ」
「付き合ってた?」
「いや」
「告白した?」
「していない」
「された?」
ルシアンが黙った。
「……されたんだ」
「鋭いね」
「顔」
「そんなに分かりやすいかな」
「最近は」
ルシアンは少し困ったように笑った。
「彼女は僕を好きだと言った」
「ルシアン先輩は?」
「断った」
「好きだったのに?」
「ああ」
「何で?」
「それは、今日の一つには含まれない」
「えー」
「欲張りだね」
「だって気になる」
「いずれ話す」
リリアは頬を膨らませる。
でもそれ以上追及はしなかった。
代わりに、別のことが気になった。
「……今も好き?」
昨日と同じ質問。
ルシアンはすぐには答えなかった。
「大切だよ」
「好きじゃなくて?」
「今の僕が、彼女に恋をしているのかと聞かれれば」
少しだけ目を伏せる。
「分からない」
「分からないんだ」
「あまりにも昔のことだからね」
「でも忘れてない」
「忘れられないよ」
その答えを聞いた瞬間。
胸の奥が少しだけ嫌な感じになった。
痛いほどではない。
でも、面白くない。
「……そっか」
「リリア?」
「何?」
「急に不機嫌になったね」
「なってない」
「なっている」
「普通」
「分かりやすいな」
「うるさい」
ルシアンが少し驚いた顔をする。
「……もしかして」
「何?」
「嫉妬している?」
「してない」
即答した。
「本当に?」
「何で私が昔の私に嫉妬するの」
「僕もそれが不思議でね」
「してないです」
「そういうことにしておこう」
「絶対信じてない」
「うん」
「ルシアン先輩!」
思わず睨む。
ルシアンは笑った。
「ごめん」
「楽しんでる」
「少し」
「意地悪」
「知っている」
腹が立つ。
なのに、笑っている顔を見ると本気で怒れない。
「じゃあ私も聞く」
「何を?」
「ルシアン先輩って嫉妬する?」
「するよ」
「意外」
「僕を聖人か何かだと思っている?」
「どっちかというと怪しい人」
「酷いな」
「誰に嫉妬したことある?」
「昔の話?」
「今」
ルシアンが止まった。
「今?」
「うん」
「……なぜ?」
「私だけ嫉妬してるみたいなの悔しいから」
言ってから気づく。
「あ」
ルシアンが笑う。
「認めたね」
「今のなし」
「無理だよ」
「忘れて」
「嫌だ」
「意地悪!」
「今日一番面白い情報だった」
「最低」
リリアは顔を逸らした。
恥ずかしい。
「リリア」
「何」
「僕もしたよ」
顔を戻す。
「何を?」
「嫉妬」
「いつ?」
「今朝」
「今朝?」
「君がセシルと話していただろう」
「見てたの?」
「偶然ね」
「何でそれで嫉妬するの?」
「随分楽しそうだったから」
「友達だもん」
「知っている」
「セシル女の子だよ」
「知っているよ」
「じゃあ何で?」
「恋愛感情は性別で決まるものでもないだろう」
正論だった。
しかもセシルに関しては、なぜか少しだけ返事に困った。
「……でも私とセシルは」
「分かっている」
「じゃあ」
「感情は理屈通りには動かないらしい」
ルシアンは困ったように笑った。
「君が僕以外の誰かと楽しそうにしているのを見て、少し面白くなかった」
胸が跳ねた。
「……それって」
「何だろうね」
「分かんないの?」
「分かっている可能性もある」
「また誤魔化す」
「今はね」
「ずるい」
「僕はずるい男だから」
さらりと言う。
「自覚あるんだ」
「あるよ」
「直して」
「努力する」
少しの沈黙。
リリアは昨日と同じソファに座っている。
ルシアンも向かいにいる。
なのに昨日より距離が近く感じた。
「ルシアン先輩」
「何?」
「こっち来て」
「なぜ?」
「遠い」
言ってから、自分でも驚いた。
ルシアンも同じだったらしい。
「……遠い?」
「向かいだから」
「昨日もそうだったよ」
「今日は何か遠い」
ルシアンはしばらくこちらを見る。
「隣に座れと?」
「嫌ならいいけど」
「嫌とは言っていない」
立ち上がる。
そしてリリアの隣へ座った。
一人分くらい距離がある。
「遠い」
「注文が多いね」
「もうちょっと」
「……君は」
呆れながら少し近づく。
肩が触れそうな距離。
「これで?」
「うん」
「満足?」
「多分」
「多分なんだ」
隣にいる。
それだけ。
昨日、頭を撫でられたことを思い出した。
古書店で近づかれたことも。
指が触れたことも。
「……手」
リリアが呟く。
「何?」
「昨日触れたよね」
「眼鏡を渡した時?」
「うん」
「それが?」
「ちょっと気になった」
ルシアンの視線がリリアの手へ落ちる。
「触れたい?」
聞かれた。
急に恥ずかしくなる。
「……分かんない」
「ではやめておこうか」
「何で?」
「分からないなら、分かるまで待てばいい」
ルシアンらしい答えだった。
「ルシアン先輩は?」
「何が?」
「触れたい?」
今度はルシアンが黙った。
「正直に」
「……触れたいよ」
胸がまた跳ねる。
「手?」
「今は、それくらいがいいかな」
「何で?」
「それ以上を答えると、君が困りそうだから」
「何それ」
「大人の配慮」
「十七歳でしょ」
「表向きはね」
「ずるい」
ルシアンが笑った。
「でも」
彼の手が、ソファの上へ置かれる。
リリアの手のすぐ近く。
「君が触れたいと思ったら、触れていいよ」
「先輩からは?」
「今日はしない」
「何で?」
「君が自分で決めるところを見たいから」
リリアはその手を見る。
長い指。
自分よりずっと大きい手。
触れたいか。
まだ分からない。
でも、気になる。
だから。
小指だけを伸ばした。
ルシアンの小指へ触れる。
ぴたりと重なった。
「……これくらい」
リリアが言う。
ルシアンは動かなかった。
「うん」
「嫌?」
「まさか」
小指だけ。
手を繋いでいるわけでもない。
それなのに、妙に意識する。
「ルシアン先輩」
「何?」
「今、何考えてる?」
「言わない」
「何で?」
「僕にも秘密にしておきたいことくらいある」
「私に関係ある?」
「かなり」
「じゃあ知りたい」
「まだ駄目」
「また秘密増えた」
「困ったね」
そう言いながら、ルシアンは笑っていた。
しばらく二人とも動かなかった。
小指だけ触れたまま。
やがてリリアが先に離した。
「……今日はここまで」
「何が?」
「触るの」
「そう」
「またしたくなったらする」
「分かった」
「嫌じゃない?」
「何度聞くんだい」
ルシアンが少しだけ顔を近づける。
眼鏡の奥の紫の瞳が、いつもより近い。
「君に触れられるのは、かなり嬉しいよ」
リリアは固まった。
ルシアンはすぐ元の位置へ戻る。
「……ずるい」
「何が?」
「急にそういうこと言う」
「正直にと言ったのは君だよ」
「そうだけど」
顔が熱い。
「今日もう帰る」
「逃げる?」
「逃げます」
「素直だね」
「うるさい」
立ち上がる。
鞄を持つ。
「明日は?」
背後から聞かれた。
リリアは振り返る。
「何が?」
「来る?」
昨日まで、会いに行くと言うのはリリアだった。
今日はルシアンから聞いた。
「来てほしい?」
「……ああ」
少しだけ間があった。
「来てほしい」
さっきまでの恥ずかしさが、少し違うものに変わる。
「じゃあ来る」
「そう」
「嬉しい?」
「かなり」
「またそれ」
「本当だからね」
リリアは笑った。
「じゃあ明日」
「ああ。待っているよ」
生徒会室を出る。
扉が閉まったあと、自分の右手を見る。
小指。
ほんの少し触れただけ。
「……何でこんな気になるんだろ」
分からない。
でも明日も会いたい。
それだけは、もう分かっていた。
生徒会室の中。
ルシアンは閉じた扉を見ていた。
そして、ゆっくり自分の手を見る。
小指。
そこに残っているはずもない温度を、まだ感じる気がした。
「……これは駄目だな」
小さく呟く。
彼女が自分から触れた。
ただそれだけで、こんなに嬉しい。
セシルと笑っている姿を見て、面白くないと思った。
明日も来てほしいと、自分から言った。
もう答えは分かっている。
問題は、その先だった。
最初のリリアは、自分の魂の半分から作られた。
彼女が自分を愛した時、その感情を完全に自由なものだと信じることができなかった。
だから拒んだ。
彼女が自分から切り離された一人の人間として生きられるように。
そして今。
何の魂の繋がりもない少女が、自分から会いに来る。
自分を知りたいと言う。
嫉妬する。
触れたいかもしれないと言う。
明日も会いに来る。
「……今度は、僕が好きになるのか」
誰も決めていない。
術式も。
世界も。
運命も。
これは自分だけの感情だ。
だからこそ、ルシアンには。
それが何よりも怖かった。
リリアは授業が始まる前から、放課後のことを考えていた。
昨日、ルシアンと約束した。
次に会ったら、秘密を一つ教える。
だから今日は生徒会室へ行く。
そのため。
――だけではない気がする。
「リリア」
「ん?」
隣から声をかけられ、顔を上げる。
セシルがこちらを見ていた。
「さっきから同じページ見てるけど」
「読んでる」
「十分くらい?」
「……そんなに?」
「うん」
リリアは教科書を見る。
確かに全然頭に入っていない。
「何か考え事?」
「放課後」
「予定あるの?」
「ルシアン先輩のところ行く」
セシルの指が僅かに止まった。
「生徒会長?」
「うん」
「最近よく一緒にいるね」
「昨日も出かけた」
「……二人で?」
「うん」
セシルが少しだけ目を丸くする。
「古書店行って、散歩して、ご飯食べた」
「それって」
「何?」
「いや」
セシルは小さく笑った。
「楽しかった?」
「楽しかった」
「そっか」
「今日も会いたい」
言ってから、リリア自身が少し止まった。
昨日は普通に言えた。
でも今、自分の口から出た言葉を改めて聞くと、少し違って聞こえる。
「……私、結構会いたいかも」
セシルはリリアを見た。
「それ、本人には言った?」
「昨日言った」
「リリアは強いね」
「何が?」
「何でもない」
セシルは笑った。
少しだけ寂しそうに見えた気がしたけれど、すぐいつもの顔に戻った。
「じゃあ放課後、楽しんできて」
「うん」
その日の授業は、いつもより少し長く感じた。
放課後になると、リリアは教室を出る。
生徒会室への道は、もう覚えた。
少なくとも今日は迷わなかった。
扉をノックする。
「どうぞ」
声を聞いただけで、少し嬉しくなる。
「失礼します」
扉を開ける。
ルシアンは机に向かっていた。
「こんにちは」
「こんにちは、リリア」
顔を上げる。
そして少し笑った。
「本当に来たね」
「来るって言ったじゃん」
「そうだったね」
「待ってた?」
「少し」
「少しだけ?」
「……かなり」
リリアは足を止めた。
「今のもう一回」
「言わない」
「聞こえたけど」
「なら十分だろう」
ルシアンが視線を資料へ戻す。
耳が少し赤い。
「また赤い」
「今日は暑いからね」
「普通です」
「窓際は暑い」
「言い訳下手になってない?」
「君相手だと調子が狂うらしい」
「私のせい?」
「そうとも言える」
「何もしてない」
「それが問題なんだよ」
意味が分からない。
でも少し嬉しい。
「仕事終わる?」
「あと五分」
「じゃあ待つ」
「大人しく?」
「多分」
「不安だな」
リリアはソファへ座った。
ルシアンが仕事をしている間、昨日買ったらしい本を手に取る。
「これ読んでいい?」
「いいよ。眠る本ではない」
「確認しようと思ってた」
「成長したね」
「馬鹿にしてる?」
「褒めている」
昨日と同じ。
そんなやり取りをしながら、本を開く。
数分後。
「終わった」
ルシアンが立ち上がる。
「早い」
「君を待たせているからね」
「急いだ?」
「少し」
「仕事大丈夫?」
「問題ないよ」
ルシアンが向かいへ座る。
「それで?」
「秘密」
「早いね」
「そのために来た」
「僕に会いたかったんじゃなかった?」
言われて、リリアは黙る。
ルシアンが少し笑った。
「昨日、そう言っていただろう」
「……会いたかったのもある」
「そう」
「何で嬉しそうなの」
「嬉しいから」
今日は素直だ。
「ルシアン先輩、今日変」
「君が毎日会いに来るからじゃないかな」
「嫌だった?」
「逆だよ」
紫の瞳がこちらを見る。
「慣れてきた」
「何に?」
「君が僕を選んでここへ来ることに」
昨日も似たことを言っていた。
リリアは少し考える。
「それって、そんなに変?」
「僕にとってはね」
「何で?」
「それが今日の秘密に繋がる」
ルシアンは少し姿勢を変えた。
「リリア」
「はい」
「僕は君を、君が生まれるよりずっと前から知っている」
リリアは瞬きをした。
「……私を?」
「正確には、君と同じ名前と姿を持つ存在を」
昨日までなら、胸がざわついたかもしれない。
でも今は、少し違った。
「昔のリリア?」
「ああ」
「どれくらい昔?」
「とても昔」
「百年?」
「もっと」
「千年?」
「数字当てを始めるのはやめようか」
「気になる」
「いずれ話すよ」
「今日の秘密、一個だけだから?」
「そういうことにしておこう」
ルシアンは少し笑った。
「僕は、最初のリリアを知っている」
「最初?」
「ああ」
「十二回より前?」
笑みが消えた。
「……鋭いね」
「当たり?」
「今日はそこまで」
「ずるい」
「約束は一つだからね」
リリアは少し不満だった。
でも、その言葉を頭の中で整理する。
「じゃあルシアン先輩は、最初のリリアも、十二回のリリアも知ってる?」
「全てを同じように知っているわけではない。ただ、記録と記憶はある」
「すごい長い付き合い」
「そう見える?」
「うん」
「でも君とは、まだ数か月だ」
リリアはルシアンを見る。
「私とは?」
「ああ」
「別に数えるんだ」
「当然だよ」
即答だった。
「君は彼女ではない」
「……うん」
「僕はそれを間違えたくない」
ルシアンの声が少し低くなる。
「同じ顔をしている。同じ名前を使っている。似た魔力を持っている。それでも、君は君だ」
「エリシアだから?」
「それだけではない」
「じゃあ?」
「君を知ったから」
リリアは黙った。
「昔の彼女は、古書店で危険な本を見つけても無警戒に手を出したりしなかった」
「そこ?」
「重要だよ」
「恥ずかしい」
「僕の耳が赤いと何度も指摘もしなかった」
「だって赤かった」
「眼鏡を外せと言って、顔がいいと真顔で感想を言うこともなかった」
「それも恥ずかしいからやめて」
「それから」
ルシアンが少し笑う。
「会いたかったと、こんなに簡単に言う人でもなかった」
リリアは何も言えなくなる。
「だから僕は、君を彼女と間違えない」
「……そっか」
「安心した?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
「うん」
リリアは自分の膝を見る。
「ルシアン先輩、昔のリリアのこと好きだった?」
空気が止まった。
昨日も聞いた。
恋をしたことがあるか。
今も好きか。
答えは曖昧だった。
「……好きだったよ」
今日は答えた。
リリアは顔を上げる。
「本当に?」
「ああ」
「付き合ってた?」
「いや」
「告白した?」
「していない」
「された?」
ルシアンが黙った。
「……されたんだ」
「鋭いね」
「顔」
「そんなに分かりやすいかな」
「最近は」
ルシアンは少し困ったように笑った。
「彼女は僕を好きだと言った」
「ルシアン先輩は?」
「断った」
「好きだったのに?」
「ああ」
「何で?」
「それは、今日の一つには含まれない」
「えー」
「欲張りだね」
「だって気になる」
「いずれ話す」
リリアは頬を膨らませる。
でもそれ以上追及はしなかった。
代わりに、別のことが気になった。
「……今も好き?」
昨日と同じ質問。
ルシアンはすぐには答えなかった。
「大切だよ」
「好きじゃなくて?」
「今の僕が、彼女に恋をしているのかと聞かれれば」
少しだけ目を伏せる。
「分からない」
「分からないんだ」
「あまりにも昔のことだからね」
「でも忘れてない」
「忘れられないよ」
その答えを聞いた瞬間。
胸の奥が少しだけ嫌な感じになった。
痛いほどではない。
でも、面白くない。
「……そっか」
「リリア?」
「何?」
「急に不機嫌になったね」
「なってない」
「なっている」
「普通」
「分かりやすいな」
「うるさい」
ルシアンが少し驚いた顔をする。
「……もしかして」
「何?」
「嫉妬している?」
「してない」
即答した。
「本当に?」
「何で私が昔の私に嫉妬するの」
「僕もそれが不思議でね」
「してないです」
「そういうことにしておこう」
「絶対信じてない」
「うん」
「ルシアン先輩!」
思わず睨む。
ルシアンは笑った。
「ごめん」
「楽しんでる」
「少し」
「意地悪」
「知っている」
腹が立つ。
なのに、笑っている顔を見ると本気で怒れない。
「じゃあ私も聞く」
「何を?」
「ルシアン先輩って嫉妬する?」
「するよ」
「意外」
「僕を聖人か何かだと思っている?」
「どっちかというと怪しい人」
「酷いな」
「誰に嫉妬したことある?」
「昔の話?」
「今」
ルシアンが止まった。
「今?」
「うん」
「……なぜ?」
「私だけ嫉妬してるみたいなの悔しいから」
言ってから気づく。
「あ」
ルシアンが笑う。
「認めたね」
「今のなし」
「無理だよ」
「忘れて」
「嫌だ」
「意地悪!」
「今日一番面白い情報だった」
「最低」
リリアは顔を逸らした。
恥ずかしい。
「リリア」
「何」
「僕もしたよ」
顔を戻す。
「何を?」
「嫉妬」
「いつ?」
「今朝」
「今朝?」
「君がセシルと話していただろう」
「見てたの?」
「偶然ね」
「何でそれで嫉妬するの?」
「随分楽しそうだったから」
「友達だもん」
「知っている」
「セシル女の子だよ」
「知っているよ」
「じゃあ何で?」
「恋愛感情は性別で決まるものでもないだろう」
正論だった。
しかもセシルに関しては、なぜか少しだけ返事に困った。
「……でも私とセシルは」
「分かっている」
「じゃあ」
「感情は理屈通りには動かないらしい」
ルシアンは困ったように笑った。
「君が僕以外の誰かと楽しそうにしているのを見て、少し面白くなかった」
胸が跳ねた。
「……それって」
「何だろうね」
「分かんないの?」
「分かっている可能性もある」
「また誤魔化す」
「今はね」
「ずるい」
「僕はずるい男だから」
さらりと言う。
「自覚あるんだ」
「あるよ」
「直して」
「努力する」
少しの沈黙。
リリアは昨日と同じソファに座っている。
ルシアンも向かいにいる。
なのに昨日より距離が近く感じた。
「ルシアン先輩」
「何?」
「こっち来て」
「なぜ?」
「遠い」
言ってから、自分でも驚いた。
ルシアンも同じだったらしい。
「……遠い?」
「向かいだから」
「昨日もそうだったよ」
「今日は何か遠い」
ルシアンはしばらくこちらを見る。
「隣に座れと?」
「嫌ならいいけど」
「嫌とは言っていない」
立ち上がる。
そしてリリアの隣へ座った。
一人分くらい距離がある。
「遠い」
「注文が多いね」
「もうちょっと」
「……君は」
呆れながら少し近づく。
肩が触れそうな距離。
「これで?」
「うん」
「満足?」
「多分」
「多分なんだ」
隣にいる。
それだけ。
昨日、頭を撫でられたことを思い出した。
古書店で近づかれたことも。
指が触れたことも。
「……手」
リリアが呟く。
「何?」
「昨日触れたよね」
「眼鏡を渡した時?」
「うん」
「それが?」
「ちょっと気になった」
ルシアンの視線がリリアの手へ落ちる。
「触れたい?」
聞かれた。
急に恥ずかしくなる。
「……分かんない」
「ではやめておこうか」
「何で?」
「分からないなら、分かるまで待てばいい」
ルシアンらしい答えだった。
「ルシアン先輩は?」
「何が?」
「触れたい?」
今度はルシアンが黙った。
「正直に」
「……触れたいよ」
胸がまた跳ねる。
「手?」
「今は、それくらいがいいかな」
「何で?」
「それ以上を答えると、君が困りそうだから」
「何それ」
「大人の配慮」
「十七歳でしょ」
「表向きはね」
「ずるい」
ルシアンが笑った。
「でも」
彼の手が、ソファの上へ置かれる。
リリアの手のすぐ近く。
「君が触れたいと思ったら、触れていいよ」
「先輩からは?」
「今日はしない」
「何で?」
「君が自分で決めるところを見たいから」
リリアはその手を見る。
長い指。
自分よりずっと大きい手。
触れたいか。
まだ分からない。
でも、気になる。
だから。
小指だけを伸ばした。
ルシアンの小指へ触れる。
ぴたりと重なった。
「……これくらい」
リリアが言う。
ルシアンは動かなかった。
「うん」
「嫌?」
「まさか」
小指だけ。
手を繋いでいるわけでもない。
それなのに、妙に意識する。
「ルシアン先輩」
「何?」
「今、何考えてる?」
「言わない」
「何で?」
「僕にも秘密にしておきたいことくらいある」
「私に関係ある?」
「かなり」
「じゃあ知りたい」
「まだ駄目」
「また秘密増えた」
「困ったね」
そう言いながら、ルシアンは笑っていた。
しばらく二人とも動かなかった。
小指だけ触れたまま。
やがてリリアが先に離した。
「……今日はここまで」
「何が?」
「触るの」
「そう」
「またしたくなったらする」
「分かった」
「嫌じゃない?」
「何度聞くんだい」
ルシアンが少しだけ顔を近づける。
眼鏡の奥の紫の瞳が、いつもより近い。
「君に触れられるのは、かなり嬉しいよ」
リリアは固まった。
ルシアンはすぐ元の位置へ戻る。
「……ずるい」
「何が?」
「急にそういうこと言う」
「正直にと言ったのは君だよ」
「そうだけど」
顔が熱い。
「今日もう帰る」
「逃げる?」
「逃げます」
「素直だね」
「うるさい」
立ち上がる。
鞄を持つ。
「明日は?」
背後から聞かれた。
リリアは振り返る。
「何が?」
「来る?」
昨日まで、会いに行くと言うのはリリアだった。
今日はルシアンから聞いた。
「来てほしい?」
「……ああ」
少しだけ間があった。
「来てほしい」
さっきまでの恥ずかしさが、少し違うものに変わる。
「じゃあ来る」
「そう」
「嬉しい?」
「かなり」
「またそれ」
「本当だからね」
リリアは笑った。
「じゃあ明日」
「ああ。待っているよ」
生徒会室を出る。
扉が閉まったあと、自分の右手を見る。
小指。
ほんの少し触れただけ。
「……何でこんな気になるんだろ」
分からない。
でも明日も会いたい。
それだけは、もう分かっていた。
生徒会室の中。
ルシアンは閉じた扉を見ていた。
そして、ゆっくり自分の手を見る。
小指。
そこに残っているはずもない温度を、まだ感じる気がした。
「……これは駄目だな」
小さく呟く。
彼女が自分から触れた。
ただそれだけで、こんなに嬉しい。
セシルと笑っている姿を見て、面白くないと思った。
明日も来てほしいと、自分から言った。
もう答えは分かっている。
問題は、その先だった。
最初のリリアは、自分の魂の半分から作られた。
彼女が自分を愛した時、その感情を完全に自由なものだと信じることができなかった。
だから拒んだ。
彼女が自分から切り離された一人の人間として生きられるように。
そして今。
何の魂の繋がりもない少女が、自分から会いに来る。
自分を知りたいと言う。
嫉妬する。
触れたいかもしれないと言う。
明日も会いに来る。
「……今度は、僕が好きになるのか」
誰も決めていない。
術式も。
世界も。
運命も。
これは自分だけの感情だ。
だからこそ、ルシアンには。
それが何よりも怖かった。

