魔法より、君に恋をする。

翌朝。

 リリアは授業が始まる前から、放課後のことを考えていた。

 昨日、ルシアンと約束した。

 次に会ったら、秘密を一つ教える。

 だから今日は生徒会室へ行く。

 そのため。

 ――だけではない気がする。

「リリア」

「ん?」

 隣から声をかけられ、顔を上げる。

 セシルがこちらを見ていた。

「さっきから同じページ見てるけど」

「読んでる」

「十分くらい?」

「……そんなに?」

「うん」

 リリアは教科書を見る。

 確かに全然頭に入っていない。

「何か考え事?」

「放課後」

「予定あるの?」

「ルシアン先輩のところ行く」

 セシルの指が僅かに止まった。

「生徒会長?」

「うん」

「最近よく一緒にいるね」

「昨日も出かけた」

「……二人で?」

「うん」

 セシルが少しだけ目を丸くする。

「古書店行って、散歩して、ご飯食べた」

「それって」

「何?」

「いや」

 セシルは小さく笑った。

「楽しかった?」

「楽しかった」

「そっか」

「今日も会いたい」

 言ってから、リリア自身が少し止まった。

 昨日は普通に言えた。

 でも今、自分の口から出た言葉を改めて聞くと、少し違って聞こえる。

「……私、結構会いたいかも」

 セシルはリリアを見た。

「それ、本人には言った?」

「昨日言った」

「リリアは強いね」

「何が?」

「何でもない」

 セシルは笑った。

 少しだけ寂しそうに見えた気がしたけれど、すぐいつもの顔に戻った。

「じゃあ放課後、楽しんできて」

「うん」

 その日の授業は、いつもより少し長く感じた。

 放課後になると、リリアは教室を出る。

 生徒会室への道は、もう覚えた。

 少なくとも今日は迷わなかった。

 扉をノックする。

「どうぞ」

 声を聞いただけで、少し嬉しくなる。

「失礼します」

 扉を開ける。

 ルシアンは机に向かっていた。

「こんにちは」

「こんにちは、リリア」

 顔を上げる。

 そして少し笑った。

「本当に来たね」

「来るって言ったじゃん」

「そうだったね」

「待ってた?」

「少し」

「少しだけ?」

「……かなり」

 リリアは足を止めた。

「今のもう一回」

「言わない」

「聞こえたけど」

「なら十分だろう」

 ルシアンが視線を資料へ戻す。

 耳が少し赤い。

「また赤い」

「今日は暑いからね」

「普通です」

「窓際は暑い」

「言い訳下手になってない?」

「君相手だと調子が狂うらしい」

「私のせい?」

「そうとも言える」

「何もしてない」

「それが問題なんだよ」

 意味が分からない。

 でも少し嬉しい。

「仕事終わる?」

「あと五分」

「じゃあ待つ」

「大人しく?」

「多分」

「不安だな」

 リリアはソファへ座った。

 ルシアンが仕事をしている間、昨日買ったらしい本を手に取る。

「これ読んでいい?」

「いいよ。眠る本ではない」

「確認しようと思ってた」

「成長したね」

「馬鹿にしてる?」

「褒めている」

 昨日と同じ。

 そんなやり取りをしながら、本を開く。

 数分後。

「終わった」

 ルシアンが立ち上がる。

「早い」

「君を待たせているからね」

「急いだ?」

「少し」

「仕事大丈夫?」

「問題ないよ」

 ルシアンが向かいへ座る。

「それで?」

「秘密」

「早いね」

「そのために来た」

「僕に会いたかったんじゃなかった?」

 言われて、リリアは黙る。

 ルシアンが少し笑った。

「昨日、そう言っていただろう」

「……会いたかったのもある」

「そう」

「何で嬉しそうなの」

「嬉しいから」

 今日は素直だ。

「ルシアン先輩、今日変」

「君が毎日会いに来るからじゃないかな」

「嫌だった?」

「逆だよ」

 紫の瞳がこちらを見る。

「慣れてきた」

「何に?」

「君が僕を選んでここへ来ることに」

 昨日も似たことを言っていた。

 リリアは少し考える。

「それって、そんなに変?」

「僕にとってはね」

「何で?」

「それが今日の秘密に繋がる」

 ルシアンは少し姿勢を変えた。

「リリア」

「はい」

「僕は君を、君が生まれるよりずっと前から知っている」

 リリアは瞬きをした。

「……私を?」

「正確には、君と同じ名前と姿を持つ存在を」

 昨日までなら、胸がざわついたかもしれない。

 でも今は、少し違った。

「昔のリリア?」

「ああ」

「どれくらい昔?」

「とても昔」

「百年?」

「もっと」

「千年?」

「数字当てを始めるのはやめようか」

「気になる」

「いずれ話すよ」

「今日の秘密、一個だけだから?」

「そういうことにしておこう」

 ルシアンは少し笑った。

「僕は、最初のリリアを知っている」

「最初?」

「ああ」

「十二回より前?」

 笑みが消えた。

「……鋭いね」

「当たり?」

「今日はそこまで」

「ずるい」

「約束は一つだからね」

 リリアは少し不満だった。

 でも、その言葉を頭の中で整理する。

「じゃあルシアン先輩は、最初のリリアも、十二回のリリアも知ってる?」

「全てを同じように知っているわけではない。ただ、記録と記憶はある」

「すごい長い付き合い」

「そう見える?」

「うん」

「でも君とは、まだ数か月だ」

 リリアはルシアンを見る。

「私とは?」

「ああ」

「別に数えるんだ」

「当然だよ」

 即答だった。

「君は彼女ではない」

「……うん」

「僕はそれを間違えたくない」

 ルシアンの声が少し低くなる。

「同じ顔をしている。同じ名前を使っている。似た魔力を持っている。それでも、君は君だ」

「エリシアだから?」

「それだけではない」

「じゃあ?」

「君を知ったから」

 リリアは黙った。

「昔の彼女は、古書店で危険な本を見つけても無警戒に手を出したりしなかった」

「そこ?」

「重要だよ」

「恥ずかしい」

「僕の耳が赤いと何度も指摘もしなかった」

「だって赤かった」

「眼鏡を外せと言って、顔がいいと真顔で感想を言うこともなかった」

「それも恥ずかしいからやめて」

「それから」

 ルシアンが少し笑う。

「会いたかったと、こんなに簡単に言う人でもなかった」

 リリアは何も言えなくなる。

「だから僕は、君を彼女と間違えない」

「……そっか」

「安心した?」

「ちょっと」

「ちょっと?」

「うん」

 リリアは自分の膝を見る。

「ルシアン先輩、昔のリリアのこと好きだった?」

 空気が止まった。

 昨日も聞いた。

 恋をしたことがあるか。

 今も好きか。

 答えは曖昧だった。

「……好きだったよ」

 今日は答えた。

 リリアは顔を上げる。

「本当に?」

「ああ」

「付き合ってた?」

「いや」

「告白した?」

「していない」

「された?」

 ルシアンが黙った。

「……されたんだ」

「鋭いね」

「顔」

「そんなに分かりやすいかな」

「最近は」

 ルシアンは少し困ったように笑った。

「彼女は僕を好きだと言った」

「ルシアン先輩は?」

「断った」

「好きだったのに?」

「ああ」

「何で?」

「それは、今日の一つには含まれない」

「えー」

「欲張りだね」

「だって気になる」

「いずれ話す」

 リリアは頬を膨らませる。

 でもそれ以上追及はしなかった。

 代わりに、別のことが気になった。

「……今も好き?」

 昨日と同じ質問。

 ルシアンはすぐには答えなかった。

「大切だよ」

「好きじゃなくて?」

「今の僕が、彼女に恋をしているのかと聞かれれば」

 少しだけ目を伏せる。

「分からない」

「分からないんだ」

「あまりにも昔のことだからね」

「でも忘れてない」

「忘れられないよ」

 その答えを聞いた瞬間。

 胸の奥が少しだけ嫌な感じになった。

 痛いほどではない。

 でも、面白くない。

「……そっか」

「リリア?」

「何?」

「急に不機嫌になったね」

「なってない」

「なっている」

「普通」

「分かりやすいな」

「うるさい」

 ルシアンが少し驚いた顔をする。

「……もしかして」

「何?」

「嫉妬している?」

「してない」

 即答した。

「本当に?」

「何で私が昔の私に嫉妬するの」

「僕もそれが不思議でね」

「してないです」

「そういうことにしておこう」

「絶対信じてない」

「うん」

「ルシアン先輩!」

 思わず睨む。

 ルシアンは笑った。

「ごめん」

「楽しんでる」

「少し」

「意地悪」

「知っている」

 腹が立つ。

 なのに、笑っている顔を見ると本気で怒れない。

「じゃあ私も聞く」

「何を?」

「ルシアン先輩って嫉妬する?」

「するよ」

「意外」

「僕を聖人か何かだと思っている?」

「どっちかというと怪しい人」

「酷いな」

「誰に嫉妬したことある?」

「昔の話?」

「今」

 ルシアンが止まった。

「今?」

「うん」

「……なぜ?」

「私だけ嫉妬してるみたいなの悔しいから」

 言ってから気づく。

「あ」

 ルシアンが笑う。

「認めたね」

「今のなし」

「無理だよ」

「忘れて」

「嫌だ」

「意地悪!」

「今日一番面白い情報だった」

「最低」

 リリアは顔を逸らした。

 恥ずかしい。

「リリア」

「何」

「僕もしたよ」

 顔を戻す。

「何を?」

「嫉妬」

「いつ?」

「今朝」

「今朝?」

「君がセシルと話していただろう」

「見てたの?」

「偶然ね」

「何でそれで嫉妬するの?」

「随分楽しそうだったから」

「友達だもん」

「知っている」

「セシル女の子だよ」

「知っているよ」

「じゃあ何で?」

「恋愛感情は性別で決まるものでもないだろう」

 正論だった。

 しかもセシルに関しては、なぜか少しだけ返事に困った。

「……でも私とセシルは」

「分かっている」

「じゃあ」

「感情は理屈通りには動かないらしい」

 ルシアンは困ったように笑った。

「君が僕以外の誰かと楽しそうにしているのを見て、少し面白くなかった」

 胸が跳ねた。

「……それって」

「何だろうね」

「分かんないの?」

「分かっている可能性もある」

「また誤魔化す」

「今はね」

「ずるい」

「僕はずるい男だから」

 さらりと言う。

「自覚あるんだ」

「あるよ」

「直して」

「努力する」

 少しの沈黙。

 リリアは昨日と同じソファに座っている。

 ルシアンも向かいにいる。

 なのに昨日より距離が近く感じた。

「ルシアン先輩」

「何?」

「こっち来て」

「なぜ?」

「遠い」

 言ってから、自分でも驚いた。

 ルシアンも同じだったらしい。

「……遠い?」

「向かいだから」

「昨日もそうだったよ」

「今日は何か遠い」

 ルシアンはしばらくこちらを見る。

「隣に座れと?」

「嫌ならいいけど」

「嫌とは言っていない」

 立ち上がる。

 そしてリリアの隣へ座った。

 一人分くらい距離がある。

「遠い」

「注文が多いね」

「もうちょっと」

「……君は」

 呆れながら少し近づく。

 肩が触れそうな距離。

「これで?」

「うん」

「満足?」

「多分」

「多分なんだ」

 隣にいる。

 それだけ。

 昨日、頭を撫でられたことを思い出した。

 古書店で近づかれたことも。

 指が触れたことも。

「……手」

 リリアが呟く。

「何?」

「昨日触れたよね」

「眼鏡を渡した時?」

「うん」

「それが?」

「ちょっと気になった」

 ルシアンの視線がリリアの手へ落ちる。

「触れたい?」

 聞かれた。

 急に恥ずかしくなる。

「……分かんない」

「ではやめておこうか」

「何で?」

「分からないなら、分かるまで待てばいい」

 ルシアンらしい答えだった。

「ルシアン先輩は?」

「何が?」

「触れたい?」

 今度はルシアンが黙った。

「正直に」

「……触れたいよ」

 胸がまた跳ねる。

「手?」

「今は、それくらいがいいかな」

「何で?」

「それ以上を答えると、君が困りそうだから」

「何それ」

「大人の配慮」

「十七歳でしょ」

「表向きはね」

「ずるい」

 ルシアンが笑った。

「でも」

 彼の手が、ソファの上へ置かれる。

 リリアの手のすぐ近く。

「君が触れたいと思ったら、触れていいよ」

「先輩からは?」

「今日はしない」

「何で?」

「君が自分で決めるところを見たいから」

 リリアはその手を見る。

 長い指。

 自分よりずっと大きい手。

 触れたいか。

 まだ分からない。

 でも、気になる。

 だから。

 小指だけを伸ばした。

 ルシアンの小指へ触れる。

 ぴたりと重なった。

「……これくらい」

 リリアが言う。

 ルシアンは動かなかった。

「うん」

「嫌?」

「まさか」

 小指だけ。

 手を繋いでいるわけでもない。

 それなのに、妙に意識する。

「ルシアン先輩」

「何?」

「今、何考えてる?」

「言わない」

「何で?」

「僕にも秘密にしておきたいことくらいある」

「私に関係ある?」

「かなり」

「じゃあ知りたい」

「まだ駄目」

「また秘密増えた」

「困ったね」

 そう言いながら、ルシアンは笑っていた。

 しばらく二人とも動かなかった。

 小指だけ触れたまま。

 やがてリリアが先に離した。

「……今日はここまで」

「何が?」

「触るの」

「そう」

「またしたくなったらする」

「分かった」

「嫌じゃない?」

「何度聞くんだい」

 ルシアンが少しだけ顔を近づける。

 眼鏡の奥の紫の瞳が、いつもより近い。

「君に触れられるのは、かなり嬉しいよ」

 リリアは固まった。

 ルシアンはすぐ元の位置へ戻る。

「……ずるい」

「何が?」

「急にそういうこと言う」

「正直にと言ったのは君だよ」

「そうだけど」

 顔が熱い。

「今日もう帰る」

「逃げる?」

「逃げます」

「素直だね」

「うるさい」

 立ち上がる。

 鞄を持つ。

「明日は?」

 背後から聞かれた。

 リリアは振り返る。

「何が?」

「来る?」

 昨日まで、会いに行くと言うのはリリアだった。

 今日はルシアンから聞いた。

「来てほしい?」

「……ああ」

 少しだけ間があった。

「来てほしい」

 さっきまでの恥ずかしさが、少し違うものに変わる。

「じゃあ来る」

「そう」

「嬉しい?」

「かなり」

「またそれ」

「本当だからね」

 リリアは笑った。

「じゃあ明日」

「ああ。待っているよ」

 生徒会室を出る。

 扉が閉まったあと、自分の右手を見る。

 小指。

 ほんの少し触れただけ。

「……何でこんな気になるんだろ」

 分からない。

 でも明日も会いたい。

 それだけは、もう分かっていた。

 生徒会室の中。

 ルシアンは閉じた扉を見ていた。

 そして、ゆっくり自分の手を見る。

 小指。

 そこに残っているはずもない温度を、まだ感じる気がした。

「……これは駄目だな」

 小さく呟く。

 彼女が自分から触れた。

 ただそれだけで、こんなに嬉しい。

 セシルと笑っている姿を見て、面白くないと思った。

 明日も来てほしいと、自分から言った。

 もう答えは分かっている。

 問題は、その先だった。

 最初のリリアは、自分の魂の半分から作られた。

 彼女が自分を愛した時、その感情を完全に自由なものだと信じることができなかった。

 だから拒んだ。

 彼女が自分から切り離された一人の人間として生きられるように。

 そして今。

 何の魂の繋がりもない少女が、自分から会いに来る。

 自分を知りたいと言う。

 嫉妬する。

 触れたいかもしれないと言う。

 明日も会いに来る。

「……今度は、僕が好きになるのか」

 誰も決めていない。

 術式も。

 世界も。

 運命も。

 これは自分だけの感情だ。

 だからこそ、ルシアンには。

 それが何よりも怖かった。