魔法より、君に恋をする。



 境界を越えた瞬間、最初に感じたのは静けさだった。

 風は吹いている。それなのに木々の葉が擦れる音も、鳥の声も、人の気配もない。見上げた空は夕焼けとは違う暗い赤色に染まり、遠くにある建物は半分以上が崩れていた。学院にいた時と同じ制服を着て、同じようにアレンと手を繋いでいるのに、たった一歩進んだだけで別の世界へ来てしまったことが分かる。

「ここが……?」

「ああ」

 アレンの声は低かった。

「俺が残された世界だ」

 リリアは周囲を見渡した。道はひび割れ、石造りの家々には窓も扉も残っていない。かつて街だったことは分かるのに、人が暮らしていた痕跡だけが取り残されている。

「ずっと、こんな感じだった?」

「最初はもう少しマシだった。建物も残ってたし、植物もあった。でも時間が経つにつれて全部なくなった」

「食べ物は?」

「最初は探した。途中から食わなくても死なねえって気づいた」

 何気ない口調で言われた言葉に、リリアは思わずアレンを見た。

「食べなくても?」

「あの世界じゃ俺の時間がまともに進んでなかったらしい。腹は減るし眠くもなるのに、どれだけ身体が弱っても死ななかった」

「じゃあ、三百年ずっと……」

「そういう顔すんな」

「どんな顔?」

「泣きそうな顔」

「泣いてない」

「知ってる」

 アレンは少しだけ笑ったが、いつもの明るさはなかった。リリアは繋いだ手を握り直した。慰めの言葉を探したものの、どんな言葉も三百年という長さの前では軽くなってしまう気がして、結局何も言わなかった。

 二人で歩き始める。

 アレンは道を覚えていた。三百年も過ごした場所なのだから当然なのかもしれないが、崩れた建物ばかりの街を迷わず進む姿を見ていると、その事実が改めて重く感じられた。

「ここ、店だった」

 アレンが突然言った。

「何の?」

「パン屋。最初の頃は中に残ってた小麦粉とか使ってた」

「パン作れるの?」

「作れるようになった」

「意外」

「三百年あったからな。暇すぎて大抵のことは試したぞ」

「料理も?」

「そこそこ」

「今度作って」

 アレンが足を止めた。

「……今度?」

「うん」

「俺が?」

「彼氏が料理できるなら食べたい」

 アレンはしばらくリリアを見つめたあと、小さく息を吐いて笑った。

「いいぞ」

「何作れる?」

「パン、スープ、肉焼くくらいなら」

「肉ばっかり」

「スープも言っただろ」

「甘いものは?」

「無理」

「じゃあ私が作る」

「作れんの?」

「たぶん」

「たぶんで俺に食わせる気かよ」

「一緒に作れば失敗しない」

「それはちょっと楽しそうだな」

 そんな会話をしていると、目の前の景色が少しだけ現実から遠ざかる。

 ここは死んだ世界なのに、二人が話しているのは次の休日のことだった。

 リリアはそれでいいと思った。アレンにとってここが三百年間変わらなかった場所なら、今の自分はここへ未来の話を持ち込みたかった。

「今度の休み、やろう」

「本当に?」

「うん。パン作って」

「分かった」

「約束」

「ああ」

 アレンの返事が少しだけ嬉しそうだった。

 さらに歩くと、街並みが途切れた。

 その先には荒れた平原が広がっている。

 遠くに一本だけ枯れた木があり、その根元に小さな石が見えた。

 アレンの足が止まる。

 リリアにも分かった。

「あれ?」

「……ああ」

 握られている手がわずかに強くなる。

「お前の墓だ」

 胸の奥が重くなった。

「行く?」

 リリアが聞くと、アレンはすぐには答えなかった。

「行かなくてもいいですよ」

「いや」

 アレンは一度深く息を吸った。

「行く」

 二人でゆっくり歩いた。

 近づくにつれて墓の形がはっきりする。立派なものではない。平たい石を積み、その中央に少し大きな石を立てただけの簡素な墓だった。

 文字はほとんど消えている。

 それでも、一つだけ読めた。

 LILIA。

 自分の名前。

 リリアは不思議な気持ちでそれを見つめた。

「ここに、私と同じ顔の人がいるんだ」

「もう何も残ってねえと思う」

「そうなの?」

「最初はちゃんと埋めた。でも三百年だからな」

 アレンは墓の前へしゃがんだ。

 しばらく何も言わず、石へ触れている。

 リリアはその隣にしゃがんだ。

「いつもここで話してた?」

「ああ」

「どこに座ってたの?」

「そこ」

 少し離れた地面を指す。

「雨の日も?」

「雨なんて途中から降らなくなった」

「毎日来た?」

「最初の百年くらいは」

「……百年」

「途中から何日経ったか分かんなくなったけどな」

 アレンは墓石を見つめたまま笑った。

「何もねえのに、今日も何もなかったって報告してた。馬鹿みてえだろ」

「馬鹿じゃない」

「返事もねえんだぞ」

「それでも話したかったんでしょ?」

「……まあな」

「じゃあ馬鹿じゃない」

 アレンは何も言わなかった。

 リリアは墓を見る。

 ここに眠った少女のことを自分は知らない。どんなふうに笑い、どんなふうにアレンを好きになり、どんな気持ちで彼に自分を殺してほしいと頼んだのかも分からない。

 でも、その少女が最後にアレンへ「次は見つけて」と言ったことだけは知っている。

「ねえ」

「ん?」

「昔の私は、アレン先輩に見つけてもらえて嬉しかったのかな」

「分かんねえ」

「そっか」

「でも俺は、見つけたかった」

 アレンは静かに答えた。

「約束したからじゃなくて、もう一回会いたかった」

 リリアは横顔を見る。

「今の私を初めて見た時、昔の私だと思った?」

「ああ」

「嬉しかった?」

「死ぬほど」

「それで私が全然違った」

「死ぬほど混乱した」

 少し笑ってしまう。

「がっかりした?」

「それは一回もねえよ」

 アレンがこちらを向いた。

「最初は混乱したし、なんで覚えてねえんだって思った。俺だけ三百年抱えて、お前は何も知らねえで普通に笑ってるの見て、腹立ったこともある」

 初めて聞く言葉だった。

「怒ってたんだ」

「ちょっとな」

「私に?」

「正確には状況に。でも、お前に当たりそうになったことはある」

「知らなかった」

「言ってねえからな」

「なんで言わなかったの?」

「お前のせいじゃねえって途中で分かったから」

 アレンは墓石から手を離した。

「昔のお前に『見つけて』って言われたから、俺はずっと次のお前を探してた。でも実際に見つけたのは、俺のことなんか知らねえ別人だった」

「うん」

「最初は、それを認めるのが怖かった」

「どうして?」

「別人だって認めたら、俺が三百年待ってた相手はもうどこにもいねえってことになるから」

 リリアは何も言えなかった。

 それはきっと、アレンにとって最も残酷な事実だったのだろう。

 今のリリアを昔の少女と同じだと思えば、三百年の待ち時間には終わりがある。でも別人だと認めれば、彼が待っていた少女は本当にあの墓の下で終わっていて、二度と戻ってこない。

「でも、今は?」

 リリアが尋ねる。

 アレンは少し考えてから答えた。

「今は別人でよかったと思ってる」

「よかった?」

「ああ」

 意外な答えだった。

「何で?」

「お前を好きになれたから」

 アレンは照れもせず、静かに言った。

「昔のリリアが戻ってきただけなら、俺はたぶん三百年前から何も変わらなかった。あいつを殺したことを謝って、二度と離さねえって言って、それで終わってたと思う」

「今も離したくないでしょ?」

「離したくねえよ。でも意味が違う」

 アレンの手がリリアの手を取った。

「お前は俺が知らねえことするし、俺が思った通りに動かねえし、勝手に危ねえことするし、方向音痴だし、口も達者だし、たまに本気で腹立つ」

「褒めてる?」

「最後まで聞けって」

「はい」

「そういうお前を一から知って、好きになった。だから今は、お前が昔のあいつじゃなくてよかったって思える」

 その言葉が、嬉しかった。

 昔の少女に勝ったわけではない。比べて選ばれたわけでもない。

 そもそも比べる必要がなかったのだ。

「私も」

 リリアは繋いだ手へ視線を落とした。

「アレン先輩が三百年待ってたから好きになったんじゃない」

「知ってる」

「でも、三百年のことを知れてよかった」

「何で?」

「今のアレン先輩のこと、前より分かったから」

 アレンが少しだけ目を細める。

「ご飯を一緒に食べるのが好きな理由も、明日って言うと嬉しそうにする理由も、手を離した時に怖そうな顔をした理由も分かった。それを知らないままより、知ってる方がいい」

「重くねえ?」

「重いですよ」

「即答かよ」

「三百年は重いです」

「だよな」

「でも、重いから捨てるとは言ってない」

 アレンが黙った。

「全部持ってあげるとは言えないです。私の記憶じゃないし、私には本当の意味で分からないから。でも、話を聞くことはできるし、怖くなった時に隣にいることもできる」

「……リリア」

「だから、一人で抱えなくていいですよ」

 アレンは長い間何も言わなかった。

 やがて繋いだ手を引かれ、リリアの身体が彼の胸へ寄せられた。

「抱きしめるなら先に言って」

「嫌だった?」

「嫌じゃないけど」

「じゃあいいだろ」

「彼氏だからって何でも通ると思ってる?」

「お前に教わった」

「悪用されてる」

 言いながらも、リリアはアレンの背中へ腕を回した。

 墓の前で抱き合うことに、少しだけ迷いがあった。ここには昔のリリアが眠っている。アレンが愛し、三百年間話しかけ続けた少女がいる。

 けれど、アレンは何かを察したようにリリアの髪へ頬を寄せた。

「気にしなくていい」

「何を?」

「こいつの前で俺とこうしてんの」

 墓のことだと分かった。

「怒られない?」

「たぶんな」

「昔の私なのに?」

「昔のお前だからこそ、分かると思う」

「何が?」

「俺がようやく前向いてんの」

 リリアは墓石を見た。

 何も答えない石。

 それでも、もしここに眠る少女が本当にアレンを愛していたのなら、三百年間ずっと墓の前で立ち止まっていることを望んだとは思えなかった。

「……ありがとう」

 自然に言葉が出た。

 アレンの腕がわずかに動く。

「誰に?」

「昔のリリアに」

 リリアは墓を見たまま続けた。

「アレン先輩を好きになってくれてありがとう。見つけてって言ってくれてありがとう。私はあなたじゃないけど、今は私がこの人を好きだから」

「リリア」

「だから、もう大丈夫ですって言っておく」

「何が大丈夫なんだよ」

「アレン先輩、一人じゃないから」

 アレンは何も言わなかった。

 けれど抱きしめる腕が少しだけ震えた。

「……それ、反則」

「最近よく言われる」

「誰にだよ」

「アレン先輩に」

「俺しか言ってねえじゃねえか」

 声は笑っていた。

 でも、リリアの髪へ落ちたものが一滴だけ冷たかったことには気づいた。

 気づいても、何も言わなかった。

 代わりに少しだけ強く抱きしめた。

     *

 どれくらいそうしていたのか分からない。

 やがてアレンが身体を離し、目元を乱暴に手の甲で拭った。

「帰るか」

「もういいの?」

「ああ」

「昔の私に何か言わなくていい?」

「さっきお前が全部言った」

「私が?」

「十分だ」

 アレンは墓へ向き直った。

 しばらく黙って見つめたあと、短く息を吐く。

「じゃあな」

 それだけだった。

 三百年間、数え切れないほど言葉をかけてきた相手への別れにしては、驚くほど短い。

 けれど、今のアレンにはそれでよかったのだと思う。

 彼は墓へ背を向けた。

 リリアも隣へ並ぶ。

 二人で歩き始めようとした、その時だった。

『行くの?』

 声が聞こえた。

 二人の足が同時に止まる。

 振り返る。

 墓の前に少女が立っていた。

 銀白の長い髪。青紫の瞳。リリアとほとんど同じ顔をしている。

 けれど、リリアではない。

 アレンの呼吸が止まった。

「……リリア」

 隣から聞こえた声が、今まで一度も聞いたことがないほど弱かった。

 少女は微笑む。

『やっと見つけてくれたのに』

 アレンの手が震えた。

 リリアはすぐにその手を握った。

「アレン先輩」

 返事はない。

 少女は一歩近づく。

『約束したでしょう? 次の世界で、私を見つけてって』

 アレンの顔から血の気が引いていく。

 リリアは少女を見る。

 顔は同じ。

 声も似ている。

 でも、自分ではない。

「あなたは誰?」

 リリアが尋ねた。

 少女は少し不思議そうに首を傾げた。

『リリアだよ』

「どのリリア?」

 笑顔が止まる。

「三つ目の世界のリリア? それとも、その人の記憶を使ってる何か?」

 少女は答えない。

 代わりにアレンを見る。

『アレン、こっちに来て』

 アレンの指がぴくりと動いた。

『ずっと待ってたよ』

 その言葉に、リリアは違和感を覚えた。

 待っていた。

 確かに、昔のリリアも死んだあと何かしらの形で残っていたのなら、そう言う可能性はある。

 でも。

「違う」

 リリアが言った。

 アレンがこちらを見る。

「何が?」

「待ってたのは、アレン先輩の方です」

 少女の表情がわずかに歪んだ。

「昔のリリアがどう思ってたか私は知らない。でも、三百年ここにいたのはアレン先輩でしょ。毎日ここへ来て、ずっと話して、次の世界を待ってたのもアレン先輩」

『だから何?』

「あなた、アレン先輩が欲しい言葉を言ってるだけに見える」

 空気が変わった。

 赤い空がさらに暗くなる。

 アレンがリリアを庇うように半歩前へ出た。

 少女の笑顔が消える。

『私は本物だよ』

「だったら証明して」

『証明?』

「アレン先輩が三百年間、ここであなたに何を話してたか知ってる?」

 少女は黙った。

「一番最初に作ったパン、どんな味だった?」

 答えない。

「雨が降らなくなったのは何年目?」

 答えない。

「アレン先輩が毎日あなたに話しかけてたなら、あなたが本当にここにいたなら、何か知ってるはずでしょ」

 少女の姿が僅かに揺らぐ。

 アレンが息を呑んだ。

「……お前」

『黙って』

 少女の声が変わった。

 リリアと同じ声だったものに、別の何かが混ざる。

『お前さえいなければ、アレンは私を選ぶ』

 リリアは眉を寄せた。

「それ、私に言ってる?」

『そうだ』

「だったら嫌です」

 あまりにも即答したせいか、今度はアレンがこちらを見た。

「リリア?」

「だって私、アレン先輩の彼女だもん」

「今それ言う?」

「大事でしょ」

 怖い。

 目の前にいるものが何なのか分からない。世界そのものも不気味で、魔力の流れも正常ではない。

 それでも。

 ここで昔の少女へアレンを譲るつもりはなかった。

「昔のリリアが本当にいたとしても、アレン先輩が今誰を好きか決めるのはアレン先輩です。あなたでも私でもない」

 リリアは隣を見る。

「そうでしょ?」

 アレンは一瞬だけ目を見開き、それから笑った。

「そうだな」

 震えていた手が止まる。

 アレンはリリアの手を握り直し、少女を見る。

「悪いけど、俺は行かねえよ」

『どうして?』

「俺が好きだったリリアは死んだ」

 言葉にした瞬間、アレンの顔が痛そうに歪んだ。

 それでも続けた。

「俺が殺した。三百年認めたくなかったけど、もう分かってる。あいつは戻ってこねえ」

『私はここにいる』

「お前が本当にあいつの残した何かだったとしても、今の俺が好きなのはこいつだ」

 アレンは繋いだ手を少し持ち上げた。

「今のリリアだ」

 少女の姿が大きく揺らいだ。

 赤い空に黒い亀裂が走る。

『また失う』

 声が響く。

『自由にさせれば、また死ぬ』

 アレンの身体が強張った。

『またお前を置いていく』

 その言葉だけは、アレンの最も深い場所へ届いたのだと分かった。

 繋いだ手が強くなる。

 リリアは痛いとは言わなかった。

 代わりにアレンを見る。

「私、死ぬ予定ないですよ」

「分かってる」

「勝手にいなくなる予定もない」

「……ああ」

「でも、絶対は言えない」

 アレンの瞳が揺れる。

「この先何があるか分からないし、私もアレン先輩もずっと安全とは限らない。だから、絶対に離れないとか、絶対に死なないって約束はできない」

『なら閉じ込めればいい』

 少女の声が甘く響く。

『ここなら時間は止まる。二人だけでいられる。彼女は老いない。死なない。お前を置いていかない』

 アレンが黙る。

 それは彼にとって、あまりにも残酷で、あまりにも魅力的な提案だった。

 三百年一人だった人へ、もう二度と一人にならなくていい世界を差し出している。

 リリアはアレンの手を離さなかった。

「アレン先輩」

「……何だ」

「私は嫌です」

「分かってる」

「二人きりなのが嫌なんじゃないですよ」

「それも分かってる」

「ちゃんと明日になってほしい」

 アレンがこちらを見る。

「卒業したいし、また一緒にご飯食べたいし、パン作ってほしいし、喧嘩もすると思うし、そのうち今より大人にもなる。そういうの全部なくなるのは嫌」

 リリアは彼の手を握った。

「私が欲しいのは、アレン先輩と止まることじゃないです」

 赤い瞳をまっすぐ見る。

「一緒に生きたい」

 アレンの表情が変わった。

 少女が何かを叫んだが、今度はアレンはそちらを見なかった。

「……それ、ずっと欲しかった言葉だ」

「昔の私にも言われた?」

「違う」

 アレンが首を振る。

「昔の俺が、言いたかった」

 世界を救うために死ぬと言った少女へ、本当は言いたかった。

 死ぬな。

 俺を置いていくな。

 世界なんかより自分を選べ。

 でも今、目の前にいるリリアは自分から言った。

 一緒に生きたい、と。

「俺も」

 アレンはゆっくり息を吐いた。

「お前と生きたい」

 赤い世界に、一本の光が走った。

 墓から伸びた光ではない。

 二人が繋いでいる手の下、地面に新しい線が現れていた。

 十三本目の線だった。

 少女の姿が歪み、その背後から黒い影が溢れ出す。

『なら証明しろ』

 もうリリアの声ではなかった。

『今度も彼女が死を選んだ時、それでも自由を与えられるか』

 アレンの顔から笑みが消えた。

 リリアも杖を構える。

 目の前のものが何なのか、ようやく輪郭が見え始めていた。

「偽神」

 リリアが呟く。

 黒い影が笑った。

 アレンは剣を抜き、リリアの隣へ並ぶ。以前なら彼はきっと、自分だけが前へ出ようとしただろう。しかし今は違った。

「リリア」

「うん」

「俺の横、来い」

 リリアは一歩前へ出て、彼と肩を並べた。

「最初からそのつもり」

「知ってる」

 二人は同時に構えた。

 背後には、三百年前の墓がある。目の前には、未来を奪ってでもアレンの恐怖を叶えようとするものがいる。

 アレンはもう墓を振り返らなかった。

 リリアも過去の少女になろうとは思わなかった。

 欲しいのは、止まった永遠ではない。明日になればまた腹が減って、授業へ行って、くだらないことで笑って、時には喧嘩をして、それでも次の日にはまた会えるような未来だった。

 その未来へ二人で帰るために、アレンは剣を握り、リリアは杖へ魔力を集めた。

「帰ったらパンですよ」

「この状況でそれ言う?」

「約束したから」

「分かったよ。絶対作ってやる」

「甘いのも」

「それはお前担当だろ」

「じゃあ一緒に」

「ああ」

 アレンは笑った。

「一緒に作ろうぜ」

 その約束を聞いた瞬間、リリアも笑った。

 そして二人は、三百年間止まっていた世界に背を向けるためではなく、二人の時間をもう一度動かすために、同時に地面を蹴った。