アレンと小指を繋いで歩いた翌日、リリアは自分の右手を見ながら授業を受けていた。
昨日触れていたのは本当に小指だけだった。手を握ったわけでも、抱きしめられたわけでもない。それなのに、思い出すたびに指先へ感触が戻ってくるような気がする。
「リリア」
隣から小声で呼ばれ、顔を上げるとセシルが呆れたようにこちらを見ていた。
「先生、見てるよ」
「え」
慌てて前を見る。
教師と目が合った。
「アスター。私の授業より自分の手の方が興味深いか?」
「今はちょっと」
教室に笑いが起きた。
「正直なのは結構だが、後にしろ」
「はい」
教科書へ視線を戻す。
隣でセシルが肩を震わせている。
「笑った?」
「少し」
「ひどい」
「だって、ずっと右手見てるから」
「考え事してた」
「アレン先輩?」
すぐに名前を出されて、リリアはセシルを見る。
「なんで分かるの?」
「最近のリリア、アレン先輩のこと考えてる時だけ分かりやすいよ」
「そう?」
「うん」
セシルはそれ以上からかわず、前を向いた。
リリアも授業へ戻ろうとしたが、数分後にはまた昨日のことを思い出していた。
好きなのか。
まだ分からない。
ただ、会いたいと思う。自分以外の女の子と話していると少し面白くない。触れられると意識するし、触れられないと物足りない。
それを恋と呼ぶには、あと何が必要なのだろう。
*
昼休み、食堂へ向かう途中でアレンを見つけた。
向こうもすぐに気づいた。
「リリア」
名前を呼ばれるだけで、少し嬉しい。
「お昼?」
「おう。お前も?」
「うん」
「じゃあ一緒に食うか」
「いいですよ」
自然に隣へ並ぶ。
昨日までなら、それだけだった。
今日は。
アレンの手が気になる。
大きい。
指が長い。
昨日はそこへ自分の小指を絡めた。
「何見てんだ?」
「手」
「俺の?」
「うん」
「何で?」
「昨日のこと思い出してた」
アレンが足を止めた。
「お前さ」
「何?」
「何でもそのまま言うのやめねえ?」
「なんで?」
「俺の心臓がもたねえ」
「鍛えてるのに?」
「そういう意味じゃねえ!」
また怒られた。
でも、やっぱり耳が赤い。
「アレン先輩」
「今度は何だよ」
「手、繋ぐ?」
今度こそ。
完全に止まった。
「……は?」
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃねえ!」
声が大きい。
廊下にいた何人かが振り返った。
「声」
「お前のせいだろ!」
「私普通に聞いただけ」
「普通に聞く内容じゃねえんだよ!」
「昨日小指繋いだ」
「それとこれは違うだろ!」
「何が?」
「全部だよ!」
よく分からない。
でも。
アレンが嫌ではないことだけは分かった。
「じゃあ」
リリアは。
手を差し出した。
「はい」
「……マジか」
「嫌?」
「だから嫌じゃねえって」
アレンが。
恐る恐る。
手を伸ばす。
触れる。
大きな手が。
リリアの手を包む。
昨日とは違う。
ちゃんと。
手を繋いでいる。
「……どう?」
聞く。
「何の感想だよ」
「繋いだ感想」
「言わせんな」
「私は好きかも」
アレンが。
こちらを見る。
「手繋ぐの」
「……そっちかよ」
「他に何が?」
「何でもねえ」
少し。
残念そうにも見える。
でも。
手は。
離さなかった。
*
食堂まで。
そのまま歩いた。
人が増えても。
アレンは離さない。
むしろ。
誰かが近くを通るたび。
少しだけ。
握る力が強くなる。
「迷子にならないですよ」
「そういう意味じゃねえ」
「じゃあ何?」
「……離したくねえだけ」
胸が。
また。
大きく鳴る。
「アレン先輩」
「何だよ」
「そういうの急に言う」
「お前にだけは言われたくねえ」
「私も?」
「お前の方がひでえよ」
「そうかな」
「会いたかったとか、手繋ぐとか、何の準備もなく言いやがって」
「思ったから」
「俺だって思ったから言ってんだよ」
「じゃあお互い様?」
「……そうだな」
少し。
嬉しかった。
*
食堂では向かいに座った。
当然。
手は離れた。
それが。
少しだけ。
寂しい。
自分でも。
驚いた。
たった数分。
繋いでいただけなのに。
「何だよ」
「何でもない」
「今日それ多くね?」
「アレン先輩も言うでしょ」
「俺はいいんだよ」
「ずるい」
昼食を食べる。
今日は。
アレンが肉。
リリアは魚。
「肉じゃない」
「毎日肉食ってると思ってんのか?」
「うん」
「俺を何だと思ってんだ」
「強い人」
「雑だな」
「好きな食べ物何ですか?」
「急だな」
「今のアレン先輩を知りたいって昨日言ったから」
アレンの表情が。
少し柔らかくなる。
「肉」
「やっぱり」
「でも何でも食う」
「甘いものは?」
「食える」
「好き?」
「普通」
「嫌いなもの?」
「特にねえな」
「好きな色」
「赤」
「髪も目も赤いのに?」
「関係ねえだろ」
「全部赤」
「お前は?」
「紫とか青系」
「目みてえな色?」
「そうかも」
「似合うな」
自然に。
言われた。
「ありがとうございます」
「そこは照れねえのかよ」
「褒められるの慣れてる」
「……そうだったな」
「何その反応」
「美人って自覚あんだなと思って」
「あります」
「言い切るのすげえな」
「事実なので」
「まあ事実だけど」
アレンが。
何でもないように。
同意する。
今度は。
少し。
照れた。
「……今のは恥ずかしい」
「何でだよ」
「アレン先輩に言われたから」
箸が止まる。
「お前」
「何?」
「俺に言われると違うの?」
聞かれて。
考える。
「たぶん」
「なんで?」
「分からない」
「……そっか」
アレンは。
少しだけ。
嬉しそうに笑った。
*
放課後。
実技訓練場へ行った。
今日は合同授業ではない。
リリアが。
アレンへ頼んだ。
「近接戦闘を教えてほしい?」
「はい」
「何で急に」
「この前、後ろ取られたから」
「俺が守っただろ」
「毎回アレン先輩がいるわけじゃない」
その瞬間。
表情が変わった。
「……いる」
「え?」
「いや」
アレンが。
目を逸らす。
「何でもねえ」
「今、いるって」
「忘れろ」
「無理です」
「じゃあ聞き流せ」
「毎回守るつもり?」
「できるなら」
迷いのない答え。
「でも無理でしょ」
「……分かってる」
アレンが。
苦しそうに笑う。
「だから教える」
木剣を。
一本渡される。
「まず構え」
「こう?」
「違う」
アレンが後ろへ回る。
「右足もう少し引け」
「これ?」
「もうちょい」
足で。
位置を示される。
次に。
手。
「握りすぎ」
「落としそう」
「落ちねえよ。力抜け」
大きな手が。
リリアの手へ重なる。
「……近い」
思わず。
言った。
アレンの身体が。
止まる。
「悪い」
すぐ。
離れようとする。
「嫌じゃない」
今度は。
リリアが止めた。
「ただ近いなと思っただけ」
「……お前、本当に」
「何?」
「無自覚なのか、わざとなのか分かんねえ」
「何が?」
「いい」
後ろに。
アレンがいる。
背中のすぐ近く。
腕の横に。
彼の腕。
手の上に。
手。
意識すると。
急に。
落ち着かなくなる。
「アレン先輩」
「ん?」
「心臓速い」
「俺に言うな」
「アレン先輩も?」
「……速えよ」
少しだけ。
安心する。
「同じ」
「それで安心すんな」
「なんで?」
「俺は安心できねえから」
声が。
近い。
耳の近く。
リリアは。
何となく。
振り返った。
失敗だった。
近すぎる。
顔が。
すぐそこ。
赤い瞳が。
こちらを見る。
アレンも。
動かない。
息が。
聞こえそう。
さっきまで。
手を繋ぐだけで。
あんなに。
恥ずかしかったのに。
今は。
もっと近い。
「……リリア」
低い声。
「はい」
「離れた方がいい」
「なんで?」
「俺が困る」
「何に?」
聞いた瞬間。
アレンの目が。
僅かに細くなる。
「それ聞くな」
いつもより。
ずっと。
低い。
胸が。
速い。
でも。
怖くない。
むしろ。
離れられる方が。
嫌だと思った。
「離れたくないって言ったら?」
自分で。
言ってから。
驚いた。
アレンは。
もっと驚いていた。
「……お前」
手が。
リリアの腰へ行きかける。
でも。
触れる前に。
止まった。
拳を握って。
戻す。
「今日はここまで」
「え?」
アレンが。
大きく。
一歩離れる。
「なんで?」
「無理」
「何が?」
「俺の理性」
「理性?」
「分かんなくていい!」
また。
怒られた。
でも。
顔が。
今までで一番。
赤かった。
「アレン先輩」
「何だよ!」
「可愛い」
「帰れ!」
*
訓練場を出る頃には。
二人とも。
少し落ち着いていた。
「怒ってる?」
リリアが聞く。
「怒ってねえ」
「帰れって言った」
「勢いだ」
「じゃあ一緒に帰る?」
「……帰る」
隣へ並ぶ。
でも。
今日は。
アレンから。
手を出さない。
「手」
「今日は駄目」
「なんで?」
「さっきの後で無理」
「繋ぐだけなのに」
「お前には分かんねえよ」
「じゃあ私から」
手を取った。
「おい!」
「嫌?」
「……嫌じゃねえ」
「じゃあいい」
指を。
絡める。
今度は。
小指だけではない。
ちゃんと。
手を繋ぐ。
アレンは。
しばらく。
何も言わなかった。
「アレン先輩」
「ん?」
「今日、楽しかった」
「俺は寿命縮んだ」
「昨日も言ってた」
「お前といると毎日縮む」
「じゃあ離れる?」
聞くと。
握る力が。
強くなった。
「それは嫌だ」
即答。
胸が。
温かくなる。
「じゃあ一緒にいる」
「……おう」
夕暮れの道を。
歩く。
手を繋いで。
昨日より。
近い。
でも。
まだ。
恋人ではない。
それが。
少しだけ。
もどかしくなっている。
「アレン先輩」
「何だ?」
「私、好きになる途中かもしれない」
足が。
止まった。
リリアも。
止まる。
アレンを見る。
「……誰を?」
「今それ聞く?」
「聞くだろ!」
「アレン先輩」
答える。
赤い瞳が。
大きくなる。
「たぶん」
「たぶんかよ」
「まだ途中だから」
「……そっか」
アレンは。
笑った。
嬉しそうに。
でも。
少しだけ。
泣きそうにも見える。
「十分だ」
「それでいい?」
「ああ」
繋いだ手を。
もう一度。
握る。
「ゆっくりでいい」
その声が。
優しかった。
「俺は待てる」
また。
その言葉。
待てる。
いくらでも。
どうして。
そんなに。
待つことへ慣れているのだろう。
リリアは。
聞きたかった。
でも。
今日は。
聞かなかった。
代わりに。
手を。
少し強く。
握り返した。
アレンが。
こちらを見る。
「何?」
「何でもない」
「それ俺の台詞だろ」
「使ってみた」
「返せ」
「嫌」
笑う。
アレンも。
笑った。
その横顔を見ながら。
リリアは。
思った。
もっと。
知りたい。
今の彼も。
昔の彼も。
自分が知らない。
三百年も。
まだ。
その長さを。
知らないまま。
昨日触れていたのは本当に小指だけだった。手を握ったわけでも、抱きしめられたわけでもない。それなのに、思い出すたびに指先へ感触が戻ってくるような気がする。
「リリア」
隣から小声で呼ばれ、顔を上げるとセシルが呆れたようにこちらを見ていた。
「先生、見てるよ」
「え」
慌てて前を見る。
教師と目が合った。
「アスター。私の授業より自分の手の方が興味深いか?」
「今はちょっと」
教室に笑いが起きた。
「正直なのは結構だが、後にしろ」
「はい」
教科書へ視線を戻す。
隣でセシルが肩を震わせている。
「笑った?」
「少し」
「ひどい」
「だって、ずっと右手見てるから」
「考え事してた」
「アレン先輩?」
すぐに名前を出されて、リリアはセシルを見る。
「なんで分かるの?」
「最近のリリア、アレン先輩のこと考えてる時だけ分かりやすいよ」
「そう?」
「うん」
セシルはそれ以上からかわず、前を向いた。
リリアも授業へ戻ろうとしたが、数分後にはまた昨日のことを思い出していた。
好きなのか。
まだ分からない。
ただ、会いたいと思う。自分以外の女の子と話していると少し面白くない。触れられると意識するし、触れられないと物足りない。
それを恋と呼ぶには、あと何が必要なのだろう。
*
昼休み、食堂へ向かう途中でアレンを見つけた。
向こうもすぐに気づいた。
「リリア」
名前を呼ばれるだけで、少し嬉しい。
「お昼?」
「おう。お前も?」
「うん」
「じゃあ一緒に食うか」
「いいですよ」
自然に隣へ並ぶ。
昨日までなら、それだけだった。
今日は。
アレンの手が気になる。
大きい。
指が長い。
昨日はそこへ自分の小指を絡めた。
「何見てんだ?」
「手」
「俺の?」
「うん」
「何で?」
「昨日のこと思い出してた」
アレンが足を止めた。
「お前さ」
「何?」
「何でもそのまま言うのやめねえ?」
「なんで?」
「俺の心臓がもたねえ」
「鍛えてるのに?」
「そういう意味じゃねえ!」
また怒られた。
でも、やっぱり耳が赤い。
「アレン先輩」
「今度は何だよ」
「手、繋ぐ?」
今度こそ。
完全に止まった。
「……は?」
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃねえ!」
声が大きい。
廊下にいた何人かが振り返った。
「声」
「お前のせいだろ!」
「私普通に聞いただけ」
「普通に聞く内容じゃねえんだよ!」
「昨日小指繋いだ」
「それとこれは違うだろ!」
「何が?」
「全部だよ!」
よく分からない。
でも。
アレンが嫌ではないことだけは分かった。
「じゃあ」
リリアは。
手を差し出した。
「はい」
「……マジか」
「嫌?」
「だから嫌じゃねえって」
アレンが。
恐る恐る。
手を伸ばす。
触れる。
大きな手が。
リリアの手を包む。
昨日とは違う。
ちゃんと。
手を繋いでいる。
「……どう?」
聞く。
「何の感想だよ」
「繋いだ感想」
「言わせんな」
「私は好きかも」
アレンが。
こちらを見る。
「手繋ぐの」
「……そっちかよ」
「他に何が?」
「何でもねえ」
少し。
残念そうにも見える。
でも。
手は。
離さなかった。
*
食堂まで。
そのまま歩いた。
人が増えても。
アレンは離さない。
むしろ。
誰かが近くを通るたび。
少しだけ。
握る力が強くなる。
「迷子にならないですよ」
「そういう意味じゃねえ」
「じゃあ何?」
「……離したくねえだけ」
胸が。
また。
大きく鳴る。
「アレン先輩」
「何だよ」
「そういうの急に言う」
「お前にだけは言われたくねえ」
「私も?」
「お前の方がひでえよ」
「そうかな」
「会いたかったとか、手繋ぐとか、何の準備もなく言いやがって」
「思ったから」
「俺だって思ったから言ってんだよ」
「じゃあお互い様?」
「……そうだな」
少し。
嬉しかった。
*
食堂では向かいに座った。
当然。
手は離れた。
それが。
少しだけ。
寂しい。
自分でも。
驚いた。
たった数分。
繋いでいただけなのに。
「何だよ」
「何でもない」
「今日それ多くね?」
「アレン先輩も言うでしょ」
「俺はいいんだよ」
「ずるい」
昼食を食べる。
今日は。
アレンが肉。
リリアは魚。
「肉じゃない」
「毎日肉食ってると思ってんのか?」
「うん」
「俺を何だと思ってんだ」
「強い人」
「雑だな」
「好きな食べ物何ですか?」
「急だな」
「今のアレン先輩を知りたいって昨日言ったから」
アレンの表情が。
少し柔らかくなる。
「肉」
「やっぱり」
「でも何でも食う」
「甘いものは?」
「食える」
「好き?」
「普通」
「嫌いなもの?」
「特にねえな」
「好きな色」
「赤」
「髪も目も赤いのに?」
「関係ねえだろ」
「全部赤」
「お前は?」
「紫とか青系」
「目みてえな色?」
「そうかも」
「似合うな」
自然に。
言われた。
「ありがとうございます」
「そこは照れねえのかよ」
「褒められるの慣れてる」
「……そうだったな」
「何その反応」
「美人って自覚あんだなと思って」
「あります」
「言い切るのすげえな」
「事実なので」
「まあ事実だけど」
アレンが。
何でもないように。
同意する。
今度は。
少し。
照れた。
「……今のは恥ずかしい」
「何でだよ」
「アレン先輩に言われたから」
箸が止まる。
「お前」
「何?」
「俺に言われると違うの?」
聞かれて。
考える。
「たぶん」
「なんで?」
「分からない」
「……そっか」
アレンは。
少しだけ。
嬉しそうに笑った。
*
放課後。
実技訓練場へ行った。
今日は合同授業ではない。
リリアが。
アレンへ頼んだ。
「近接戦闘を教えてほしい?」
「はい」
「何で急に」
「この前、後ろ取られたから」
「俺が守っただろ」
「毎回アレン先輩がいるわけじゃない」
その瞬間。
表情が変わった。
「……いる」
「え?」
「いや」
アレンが。
目を逸らす。
「何でもねえ」
「今、いるって」
「忘れろ」
「無理です」
「じゃあ聞き流せ」
「毎回守るつもり?」
「できるなら」
迷いのない答え。
「でも無理でしょ」
「……分かってる」
アレンが。
苦しそうに笑う。
「だから教える」
木剣を。
一本渡される。
「まず構え」
「こう?」
「違う」
アレンが後ろへ回る。
「右足もう少し引け」
「これ?」
「もうちょい」
足で。
位置を示される。
次に。
手。
「握りすぎ」
「落としそう」
「落ちねえよ。力抜け」
大きな手が。
リリアの手へ重なる。
「……近い」
思わず。
言った。
アレンの身体が。
止まる。
「悪い」
すぐ。
離れようとする。
「嫌じゃない」
今度は。
リリアが止めた。
「ただ近いなと思っただけ」
「……お前、本当に」
「何?」
「無自覚なのか、わざとなのか分かんねえ」
「何が?」
「いい」
後ろに。
アレンがいる。
背中のすぐ近く。
腕の横に。
彼の腕。
手の上に。
手。
意識すると。
急に。
落ち着かなくなる。
「アレン先輩」
「ん?」
「心臓速い」
「俺に言うな」
「アレン先輩も?」
「……速えよ」
少しだけ。
安心する。
「同じ」
「それで安心すんな」
「なんで?」
「俺は安心できねえから」
声が。
近い。
耳の近く。
リリアは。
何となく。
振り返った。
失敗だった。
近すぎる。
顔が。
すぐそこ。
赤い瞳が。
こちらを見る。
アレンも。
動かない。
息が。
聞こえそう。
さっきまで。
手を繋ぐだけで。
あんなに。
恥ずかしかったのに。
今は。
もっと近い。
「……リリア」
低い声。
「はい」
「離れた方がいい」
「なんで?」
「俺が困る」
「何に?」
聞いた瞬間。
アレンの目が。
僅かに細くなる。
「それ聞くな」
いつもより。
ずっと。
低い。
胸が。
速い。
でも。
怖くない。
むしろ。
離れられる方が。
嫌だと思った。
「離れたくないって言ったら?」
自分で。
言ってから。
驚いた。
アレンは。
もっと驚いていた。
「……お前」
手が。
リリアの腰へ行きかける。
でも。
触れる前に。
止まった。
拳を握って。
戻す。
「今日はここまで」
「え?」
アレンが。
大きく。
一歩離れる。
「なんで?」
「無理」
「何が?」
「俺の理性」
「理性?」
「分かんなくていい!」
また。
怒られた。
でも。
顔が。
今までで一番。
赤かった。
「アレン先輩」
「何だよ!」
「可愛い」
「帰れ!」
*
訓練場を出る頃には。
二人とも。
少し落ち着いていた。
「怒ってる?」
リリアが聞く。
「怒ってねえ」
「帰れって言った」
「勢いだ」
「じゃあ一緒に帰る?」
「……帰る」
隣へ並ぶ。
でも。
今日は。
アレンから。
手を出さない。
「手」
「今日は駄目」
「なんで?」
「さっきの後で無理」
「繋ぐだけなのに」
「お前には分かんねえよ」
「じゃあ私から」
手を取った。
「おい!」
「嫌?」
「……嫌じゃねえ」
「じゃあいい」
指を。
絡める。
今度は。
小指だけではない。
ちゃんと。
手を繋ぐ。
アレンは。
しばらく。
何も言わなかった。
「アレン先輩」
「ん?」
「今日、楽しかった」
「俺は寿命縮んだ」
「昨日も言ってた」
「お前といると毎日縮む」
「じゃあ離れる?」
聞くと。
握る力が。
強くなった。
「それは嫌だ」
即答。
胸が。
温かくなる。
「じゃあ一緒にいる」
「……おう」
夕暮れの道を。
歩く。
手を繋いで。
昨日より。
近い。
でも。
まだ。
恋人ではない。
それが。
少しだけ。
もどかしくなっている。
「アレン先輩」
「何だ?」
「私、好きになる途中かもしれない」
足が。
止まった。
リリアも。
止まる。
アレンを見る。
「……誰を?」
「今それ聞く?」
「聞くだろ!」
「アレン先輩」
答える。
赤い瞳が。
大きくなる。
「たぶん」
「たぶんかよ」
「まだ途中だから」
「……そっか」
アレンは。
笑った。
嬉しそうに。
でも。
少しだけ。
泣きそうにも見える。
「十分だ」
「それでいい?」
「ああ」
繋いだ手を。
もう一度。
握る。
「ゆっくりでいい」
その声が。
優しかった。
「俺は待てる」
また。
その言葉。
待てる。
いくらでも。
どうして。
そんなに。
待つことへ慣れているのだろう。
リリアは。
聞きたかった。
でも。
今日は。
聞かなかった。
代わりに。
手を。
少し強く。
握り返した。
アレンが。
こちらを見る。
「何?」
「何でもない」
「それ俺の台詞だろ」
「使ってみた」
「返せ」
「嫌」
笑う。
アレンも。
笑った。
その横顔を見ながら。
リリアは。
思った。
もっと。
知りたい。
今の彼も。
昔の彼も。
自分が知らない。
三百年も。
まだ。
その長さを。
知らないまま。

