魔法より、君に恋をする。

ノアルート 第36章 昨日までと同じ、じゃない

 翌朝、リリアは教室へ入ってすぐ、いつもの窓際にノアを見つけた。

 昨日と同じ青みを帯びた銀髪。今日は制服だから、白銀のネクタイもいつも通りだ。頬杖をつきながら隣の男子生徒と話している姿も、入学してから何度も見てきたものだった。

 何も変わっていない。

 そう思ったのに、リリアは自分の席へ向かう途中で、昨日繋いでいた右手を無意識に見てしまった。

「おはよう、リリア」

 ノアがこちらに気づく。

「おはよう」

「……」

「何?」

「いや」

 ノアは少しだけ笑った。

「ちゃんと普通に挨拶できるんだなと思って」

「毎日してる」

「そうなんだけどね」

「ノアこそ変」

「昨日の今日だから、多少は意識するでしょ」

「何を?」

「デートした相手を」

 昨日。

 デート。

 手を繋いだ。

 好きだと言われた。

 思い出した途端、急に顔が熱くなる。

「……」

「あ」

 ノアが嬉しそうな顔をした。

「今きた?」

「何が?」

「照れるの」

「暑いだけ」

「朝だよ」

「歩いてきたから」

「昨日もそれ言ってたね」

「うるさい」

 ノアが笑う。

 その笑顔を見た瞬間、昨日の帰り際に見た顔まで思い出してしまった。

 ――君が好き。

「……ノア」

「ん?」

「今日ちょっと喋らないで」

「ひどくない?」

「思い出すから」

「何を?」

「昨日」

 今度はノアが黙った。

 リリアは自分の席へ座り、教科書を出す。

 しばらくしても声がしないので顔を上げると、ノアが机へ突っ伏していた。

「どうしたの?」

「君が悪い」

「また?」

「朝から昨日のこと思い出すとか言わないでよ」

「ノアが聞いた」

「聞いた僕が悪かった」

 その時、隣の席へ鞄を置いたセシルが二人を交互に見た。

「……何かあった?」

「昨日デートした」

「リリア」

 ノアが勢いよく顔を上げる。

「何?」

「それ普通に言うの?」

「秘密だった?」

「秘密じゃないけど!」

 セシルは少しだけ目を見開いたあと、リリアを見る。

「楽しかった?」

「うん」

「そっか」

「苺のタルト食べた」

「よかったね」

「手も繋いだ」

「リリア!」

「何?」

「全部言わなくていいから!」

 ノアが真っ赤になっている。

「ノアから繋いだ」

「詳しくしないで!」

「でも途中から私が――」

「お願いだから!」

 セシルが吹き出した。

「ノアって、意外と照れるんだね」

「セシルまで……」

「いつも余裕そうだから」

「僕だって相手によるよ」

 その言葉に、リリアは少しだけ反応した。

「私だから?」

「そうだよ」

 さらりと返された。

 また胸が鳴る。

 リリアは眉を寄せた。

「……昨日からこれ多い」

「何が?」

「胸が変になる」

 ノアが固まる。

 セシルは一瞬黙ったあと、困ったように笑った。

「リリア、それ本人に全部報告するつもり?」

「駄目?」

「駄目じゃないけど……ノアが可哀想かな」

「なんで?」

「見れば分かるよ」

 見る。

 ノアは両手で顔を覆っていた。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「保健室行く?」

「行かない」

「じゃあ何?」

「恋愛初心者ってこんなに強いんだ……」

「初心者だから弱いんじゃないの?」

「無自覚な方が強いんだよ」

「変なの」

「そのうち分かる」

「またそれ」

 リリアは頬を膨らませた。

     *

 一限目は実践魔法だった。

 二人一組で魔力球を受け渡し、形を崩さず維持する基礎訓練。教師が組み合わせを読み上げる中、リリアは何となくノアを見た。

 目が合う。

 ノアもこちらを見ていた。

 けれど、呼ばれた名前は違った。

「アステル、アルヴェイン」

「はい」

 セシルと組む。

 ノアは別の生徒だった。

 別に普通だ。

 今までだって、毎回ノアと組んでいたわけではない。

「リリア?」

「何?」

「始めるよ」

「あ、ごめん」

 セシルが作った魔力球を受け取る。

 綺麗だった。安定している。セシルは魔力量ではリリアに及ばないが、制御が丁寧だ。

「上手」

「ありがとう。次、リリア」

「うん」

 今度はリリアが作る。

 渡す。

 セシルが受け取る。

「……また大きくない?」

「普通」

「指定の倍あるよ」

「入るからいいかなって」

「入ればいいってものじゃないでしょ」

「小さい方が難しい」

「天才の悩みだね」

 話しながら。

 ふと。

 向こうを見る。

 ノアが別の女子生徒と組んでいる。

 笑っていた。

 いつもの笑顔。

 相手の女子も笑っている。

「……」

 魔力球が膨らんだ。

「リリア」

「何?」

「大きくなってる」

「あ」

 慌てて縮める。

「どうしたの?」

「何でもない」

「何でもない禁止じゃなかった?」

「……」

 セシルがリリアの視線を追う。

 ノア。

 それから、もう一度リリアを見る。

「気になる?」

「何が?」

「ノア」

「うん」

「女の子と話してるから?」

 リリアはもう一度向こうを見る。

 ノアが相手から魔力球を受け取っている。

「……たぶん」

「嫌?」

「分からない」

「そっか」

「セシルなら分かる?」

「分かるよ」

「何?」

「教えない」

「なんで?」

「自分で気づいた方がいいから」

「みんな最近そればっかり」

 セシルは笑った。

「でも、一個だけ教えてあげる」

「何?」

「昨日までのリリアなら、たぶん気にしてなかったよ」

 リリアは黙った。

 確かに。

 ノアが誰と話していようと、以前なら何も思わなかった。

 今は。

 少しだけ嫌だ。

「……面倒」

「恋?」

「まだ決めてない」

「じゃあ、気持ち」

「それも面倒」

「でも嫌いじゃないでしょ?」

 答えようとして。

 やめた。

 嫌いではない。

 むしろ。

 胸が騒がしくなることを、少し楽しんでいる自分もいた。

     *

 授業が終わった。

「リリア」

 教室へ戻る途中、ノアが追いついてきた。

「何?」

「さっき見てた?」

「見てた」

「やっぱり」

「気づいてたの?」

「途中から」

「なんで?」

「魔力球、めちゃくちゃ大きくなってたから」

「見てたんじゃん」

「そりゃ見るよ」

「女の子と喋ってたのに?」

「同時にできる」

「器用」

「で」

 ノアが少し身を屈め、リリアの顔を覗く。

「なんで見てたの?」

「気になった」

「僕が?」

「うん」

「……それだけ?」

「女の子と楽しそうだったから」

 ノアの足が止まった。

 リリアも二歩進んでから振り返る。

「どうしたの?」

「今の、もう一回言って」

「女の子と楽しそうだった」

「その前」

「気になった」

「何が?」

「ノアが」

 ノアが口元を押さえた。

「……すごいな」

「何が?」

「昨日一日でこんな変わる?」

「変わった?」

「めちゃくちゃ」

「悪い方?」

「最高の方」

 ノアが嬉しそうなので。

 少しだけ。

 面白くない。

「なんで嬉しそうなの?」

「嫉妬してくれたから」

「嫉妬?」

「たぶんね」

「これが?」

「たぶん」

 リリアは考える。

「ノアが他の女の子と話すの嫌」

「……うん」

「でもセシルと話すのは平気」

「セシルも女の子だけど?」

「セシルはセシル」

「強いなあ」

「あと、私が他の男の人と話してもノア嫌そう」

「それは嫌」

「じゃあ同じ?」

「近いと思う」

「そっか」

 少し納得した。

 でも。

「ノア」

「ん?」

「他の女の子と話しちゃ駄目とは思わない」

「うん」

「友達いるし」

「うん」

「でも、ちょっと嫌」

 ノアが優しく笑った。

「それくらいなら、喜んでいい?」

「いいよ」

「ありがとう」

「変なの」

「リリア」

「何?」

「僕も一つ言っていい?」

「うん」

「僕が嫉妬してても、君は他の人と普通に話していいからね」

「……」

「セシルとも、アレン先輩とも、みんなとも」

「嫌じゃないの?」

「嫌な時はあるよ」

「じゃあなんで?」

 ノアは少し考えた。

「君の世界を僕だけにしたくないから」

 その言葉は。

 思っていたより深く胸へ入ってきた。

「昔は違った?」

「……違ったかもしれない」

 ノアは笑ったけれど、今度は少し寂しそうだった。

「君さえいればいいとか、僕だけ見てほしいとか、本気で思ってたこともある」

「今は?」

「思う時はあるよ」

「あるんだ」

「僕、そんなに出来た人間じゃないからね」

 それでも。

「思うことと、そうさせることは別だから」

 リリアはノアを見る。

 昨日。

 欲しいなら欲しいと言えばいい、と自分は言った。

 だから。

「ノア、頑張ってる?」

「……何を?」

「分からない。でも、頑張ってる気がする」

 青い瞳が僅かに揺れた。

「それ、君に言われると困るな」

「なんで?」

「もっと頑張りたくなるから」

「いいじゃん」

「ほどほどにするよ」

 ノアが笑う。

 リリアも笑った。

     *

 昼休み。

 いつもの七人。

 リリアが席についた瞬間、アレンがこちらを見る。

「お前、昨日どこ行ってた」

「街」

「誰と」

「ノア」

「……」

 アレンがノアを見る。

 ノアはにこやかにパンを食べている。

「何だよその顔」

「何のことです?」

「腹立つ」

「アレン先輩、機嫌悪いですね」

「お前のせいだよ!」

「僕何もしてないですよ」

「しただろ!」

「何を?」

「デート!」

「しましたね」

「認めんな!」

「事実なので」

「アレン先輩」

 リリアが呼ぶ。

「何だよ」

「何で怒ってるの?」

「……」

 アレンが黙る。

 横でレオンハルトが苦笑した。

「それは聞かないであげた方がいいんじゃないかな」

「なんで?」

「本人の尊厳のために」

「王子てめえ!」

「僕は味方したつもりなんだけど」

 カイルは無言で食事をしている。

 でも。

 いつもより少しだけ機嫌が悪そうに見える。

「クロフォード先輩」

「何だ」

「怒ってる?」

「怒ってない」

「本当?」

「ああ」

「じゃあいいけど」

「……デートは楽しかったのか」

 聞かれた。

「うん」

 答える。

「手繋いだ」

「お前は何で毎回それを報告するんだ!」

 アレンが叫んだ。

「聞かれたから」

「手までは聞いてねえ!」

「アレン、食堂で叫ばない」

 ルシアンが淡々と注意する。

「お前は平気なのかよ!」

「平気に見える?」

 眼鏡の奥。

 ルシアンは笑っている。

「見える」

「なら、僕もまだまだだね」

「怖えよ!」

 リリアは首を傾げる。

「ルシアン先輩も嫌?」

「少しね」

「ノアとデートしたのが?」

「うん」

「そっか」

「それだけ?」

「どうすればいい?」

「困らせたいわけじゃないよ」

「じゃあ次はルシアン先輩とも行く?」

「リリア」

 今度は。

 ノアが呼んだ。

「何?」

「それはちょっと嫌」

「あ」

 さっきの話。

「嫉妬?」

「そう」

「分かりやすい」

「頑張ってるからね」

「何を?」

「言う方」

 リリアは少し笑った。

「そっか」

「でも行くなとは言わないよ」

「うん」

「……できれば僕の次にして」

「順位?」

「今のは忘れて」

「何でもない禁止」

「厳しいなあ」

 七人で笑う。

 変わらない。

 いつもの昼食。

 なのに。

 リリアはふと気づいた。

 さっきから何度も。

 ノアの顔を見ている。

     *

 放課後。

「帰ろ」

 ノアが言った。

「うん」

 セシルは剣術部。

 今日は二人だった。

 校舎を出て、寮へ向かう。

 昨日とは違う。

 制服。

 学院。

 いつもの道。

 ノアの手がすぐ横にある。

 リリアはそれを見る。

「……」

 昨日は繋いだ。

 今日は。

「リリア?」

「何?」

「僕の手、何かついてる?」

「ついてない」

「じゃあなんで見てるの?」

「昨日繋いだから」

「うん」

「今日は繋がないのかなって」

 ノアが止まった。

 リリアも止まる。

「……繋ぎたい?」

「分からない」

「またそれ?」

「でも気になった」

「じゃあ」

 ノアが手を出す。

「試してみる?」

 リリアはその手を見る。

 昨日と同じ。

 でも。

 昨日はノアからだった。

 今日は。

 リリアが手を伸ばした。

 指が重なる。

 握る。

「……うん」

「どう?」

「これがいい」

 ノアが笑った。

「そっか」

 二人で歩き出す。

「昨日より慣れた?」

「ちょっと」

「僕は慣れないな」

「なんで?」

「好きな子と手繋いでるから」

「……」

「あ、また赤くなった」

「言わなくていい」

「可愛い」

「それも」

「無理」

「なんで?」

「好きだから」

「それ便利じゃない?」

「便利だよ。何でも言える」

「ずるい」

「リリアも使っていいよ」

「まだ分からない」

「知ってる」

 ノアは急かさなかった。

 それが。

 嬉しい。

     *

 女子寮の前。

「じゃあまた明日」

「うん」

 手を離す。

 今日も。

 少しだけ名残惜しい。

「ノア」

「ん?」

「明日も手繋ぐ?」

 ノアが笑う。

「繋ぎたい?」

「たぶん」

「じゃあ繋ごう」

「うん」

「でも」

「何?」

「毎日僕から聞かないよ」

「なんで?」

「君からも来てほしいから」

「……」

「嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあ待ってる」

「分かった」

 ノアは手を振る。

「おやすみ」

「おやすみ」

 離れていく背中を見る。

 昨日は。

 会いたいと思った。

 今日は。

 他の女の子と話しているのが少し嫌だった。

 手を繋ぎたいと思った。

 明日も。

 繋ぎたいと思っている。

 これが。

 恋なのかもしれない。

 まだ。

 好きとは言えない。

 でも。

 昨日より。

 ノアを好きに近い場所で見ている。

 それだけは。

 もう分かった。

     *

 その夜。

 ノアは夢を見た。

 赤い空。

 崩れた塔。

 腕の中にいる少女。

 冷たい。

 何度呼んでも。

 目を開けない。

『リリア』

 声が出ない。

『リリア』

 また。

 間に合わなかった。

 なら。

 次は。

 もっと早く。

 もっと強く。

 もっと――

「……っ!」

 目を覚ました。

 暗い部屋。

 呼吸が速い。

 心臓が痛いほど鳴っている。

 ノアは起き上がり、額を押さえた。

「……夢」

 分かっている。

 今のリリアは生きている。

 昨日も。

 今日も。

 笑っていた。

 明日も会う。

 手を繋ぐ。

 そう約束した。

 それなのに。

 身体だけが。

 過去を忘れてくれない。

 ノアは震える指を握った。

 今日。

 彼女に言った。

 君の世界を僕だけにしたくない。

 正しいと思う。

 本心でもある。

 でも。

 もしまた。

 彼女を失う瞬間が来たら。

 自分は。

 同じことを言えるだろうか。

 それとも。

 また。

 彼女より先に死ぬ道を選ぶのだろうか。

 ノアは目を閉じた。

 明日。

 リリアが自分から手を繋いでくれる。

 その小さな約束だけを思い出す。

 今度は。

 その手を守るためではなく。

 一緒に歩くために。

 握りたいと思った。