昼過ぎ。
ようやく医務室から解放されたリリアが向かったのは、生徒会室だった。
「安静って知ってる?」
机いっぱいに資料を広げたルシアンが、入ってきたリリアを見るなり言った。
「歩くのは禁止されてない」
「屁理屈を覚えたね」
「前から使える」
「そうだった」
「何か分かった?」
「挨拶くらいしない?」
「こんにちは」
「こんにちは」
「何か分かった?」
「早いなあ」
ルシアンは苦笑しながら眼鏡を押し上げた。
部屋には彼一人だった。
「みんなは?」
「今は休ませてる。アレンは不満そうだったけど」
「想像できる」
「カイルが連れていったよ」
「どうやって?」
「首根っこ」
「見たかった」
「僕も」
リリアは向かいの椅子へ座った。
机の上には、あの術式を写した紙がある。
中央の円。
そこから伸びる十二本の線。
そして。
薄く描き足された十三本目。
「十三本目」
「うん」
「何?」
「まだ分からない」
「ルシアン先輩でも?」
「僕を万能だと思わないでほしいな」
「何でも知ってそう」
「知ってることが多いだけだよ」
「秘密も多い」
「それは認める」
ルシアンは一枚の紙を手に取った。
「ただ、一つ仮説がある」
「聞く」
「その前に」
「何?」
「仮説だよ」
「分かってる」
「事実じゃない」
「うん」
「間違っている可能性も高い」
「分かったから早く」
「せっかちだなあ」
ルシアンは紙を机へ置く。
「十二本の線が、十二の何かを示しているとする」
「うん」
「十三本目は、単純に十三番目が追加されたわけではないかもしれない」
「どういうこと?」
「今まで僕たちは、線を数として見ていた」
「十二回とか?」
ルシアンの目がわずかに動く。
「……君、本当にそこだけ勘がいいね」
「そこだけ?」
「褒めてるよ」
「続き」
「十二本が中央へ向かっているのか、中央から外へ向かっているのか。セシルが聞いただろう?」
「うん」
「その視点で見直した」
ルシアンが十三本目を指す。
「この線だけ、向きが違う可能性がある」
「向き?」
「十二本が中央へ何かを集めるための線だとしたら」
指が中央の円へ動く。
「十三本目は」
外へ。
「出すための線かもしれない」
リリアは術式を見る。
「何を?」
「それが分からない」
「人?」
「可能性はある」
「魔力?」
「それも」
「魂?」
ルシアンの指が止まった。
「……どうしてそう思った?」
「分からない」
「また?」
「うん」
リリアは自分の胸へ手を当てた。
「なんとなく」
ルシアンは何も言わなかった。
「ルシアン先輩?」
「何でもない」
「嘘」
「……」
「それ、嘘つく時の顔」
「僕にもそんな顔がある?」
「ある」
「誰に教わったの?」
「見てたら分かった」
ルシアンは少し困ったように笑った。
「成長したね」
「誤魔化さないで」
「誤魔化してるよ」
「堂々と言わないで」
リリアは机へ身を乗り出した。
「私、偽物?」
笑みが消えた。
「誰にそう言われた?」
「あの声」
「声は『偽物』と言った?」
「言ってない」
「なら、その言葉を君が足す必要はない」
「でも」
「リリア」
いつもより低い声だった。
「分からないことを、自分を傷つける方向にだけ補完しない方がいい」
「……」
「『お前じゃない』には、いくらでも意味がある」
「例えば?」
「探している相手ではない。想定していた存在ではない。記憶している誰かとは違う」
「最後ほぼ同じじゃない?」
「でも『偽物』とは違う」
リリアは黙った。
「それに」
ルシアンは少しだけ目を細める。
「仮に君が、誰かとよく似た存在だったとしても」
「うん」
「君が今日まで生きてきた時間が偽物になるわけじゃない」
リリアは彼を見る。
「入学試験で歴代最高点を出したのは君だ」
「うん」
「学院初日に迷子になったのも君」
「なんでみんなそこ言うの?」
「印象的だから」
「忘れて」
「無理だね」
「ひどい」
「セシルと友達になったのも、ノアと苺を食べたのも、アレンを治療室へ連れていったのも、カイルと甘いものを食べたのも、レオンハルトを『レオン先輩』と呼ぶようになったのも」
ルシアンの指先が、机の上の紙から離れる。
「全部、今の君が選んだことだ」
リリアは瞬いた。
「ルシアン先輩とは?」
「僕?」
「私、何した?」
「……そこ気になる?」
「みんなあるのに」
「そうだな」
ルシアンは少し考えた。
「僕を『ルシアン先輩』と呼ぶようになった」
「それだけ?」
「結構嬉しかったんだけど」
「もっと欲しい」
言ってから。
ルシアンが黙った。
「何?」
「君は本当に」
「何?」
「いや」
口元へ手を当てる。
「そういうことを簡単に言わない方がいい」
「何で?」
「今説明すると僕が困る」
「みんな最近困ってる」
「原因はたぶん君だよ」
「失礼」
リリアが椅子へ座り直す。
「じゃあ今度何かする」
「何か?」
「ルシアン先輩とだけのこと」
「……」
「何がいい?」
「僕に聞くんだ」
「うん」
ルシアンは少し考えた。
「じゃあ、研究に付き合って」
「いつもやってる」
「魔法じゃない方」
「何研究するの?」
「僕」
リリアが瞬いた。
ルシアンは笑う。
「君、僕自身を知りたいって言っただろう?」
「言った」
「だったら、僕の好きな場所を一つ教える」
「どこ?」
「今言ったら意味がない」
「また秘密」
「これは楽しい方の秘密」
「いつ?」
「実戦祭が終わったら」
「約束?」
ルシアンは一瞬だけ黙った。
それから。
「ああ。約束」
「じゃあ行く」
「うん」
また一つ。
未来の予定が増えた。
ようやく医務室から解放されたリリアが向かったのは、生徒会室だった。
「安静って知ってる?」
机いっぱいに資料を広げたルシアンが、入ってきたリリアを見るなり言った。
「歩くのは禁止されてない」
「屁理屈を覚えたね」
「前から使える」
「そうだった」
「何か分かった?」
「挨拶くらいしない?」
「こんにちは」
「こんにちは」
「何か分かった?」
「早いなあ」
ルシアンは苦笑しながら眼鏡を押し上げた。
部屋には彼一人だった。
「みんなは?」
「今は休ませてる。アレンは不満そうだったけど」
「想像できる」
「カイルが連れていったよ」
「どうやって?」
「首根っこ」
「見たかった」
「僕も」
リリアは向かいの椅子へ座った。
机の上には、あの術式を写した紙がある。
中央の円。
そこから伸びる十二本の線。
そして。
薄く描き足された十三本目。
「十三本目」
「うん」
「何?」
「まだ分からない」
「ルシアン先輩でも?」
「僕を万能だと思わないでほしいな」
「何でも知ってそう」
「知ってることが多いだけだよ」
「秘密も多い」
「それは認める」
ルシアンは一枚の紙を手に取った。
「ただ、一つ仮説がある」
「聞く」
「その前に」
「何?」
「仮説だよ」
「分かってる」
「事実じゃない」
「うん」
「間違っている可能性も高い」
「分かったから早く」
「せっかちだなあ」
ルシアンは紙を机へ置く。
「十二本の線が、十二の何かを示しているとする」
「うん」
「十三本目は、単純に十三番目が追加されたわけではないかもしれない」
「どういうこと?」
「今まで僕たちは、線を数として見ていた」
「十二回とか?」
ルシアンの目がわずかに動く。
「……君、本当にそこだけ勘がいいね」
「そこだけ?」
「褒めてるよ」
「続き」
「十二本が中央へ向かっているのか、中央から外へ向かっているのか。セシルが聞いただろう?」
「うん」
「その視点で見直した」
ルシアンが十三本目を指す。
「この線だけ、向きが違う可能性がある」
「向き?」
「十二本が中央へ何かを集めるための線だとしたら」
指が中央の円へ動く。
「十三本目は」
外へ。
「出すための線かもしれない」
リリアは術式を見る。
「何を?」
「それが分からない」
「人?」
「可能性はある」
「魔力?」
「それも」
「魂?」
ルシアンの指が止まった。
「……どうしてそう思った?」
「分からない」
「また?」
「うん」
リリアは自分の胸へ手を当てた。
「なんとなく」
ルシアンは何も言わなかった。
「ルシアン先輩?」
「何でもない」
「嘘」
「……」
「それ、嘘つく時の顔」
「僕にもそんな顔がある?」
「ある」
「誰に教わったの?」
「見てたら分かった」
ルシアンは少し困ったように笑った。
「成長したね」
「誤魔化さないで」
「誤魔化してるよ」
「堂々と言わないで」
リリアは机へ身を乗り出した。
「私、偽物?」
笑みが消えた。
「誰にそう言われた?」
「あの声」
「声は『偽物』と言った?」
「言ってない」
「なら、その言葉を君が足す必要はない」
「でも」
「リリア」
いつもより低い声だった。
「分からないことを、自分を傷つける方向にだけ補完しない方がいい」
「……」
「『お前じゃない』には、いくらでも意味がある」
「例えば?」
「探している相手ではない。想定していた存在ではない。記憶している誰かとは違う」
「最後ほぼ同じじゃない?」
「でも『偽物』とは違う」
リリアは黙った。
「それに」
ルシアンは少しだけ目を細める。
「仮に君が、誰かとよく似た存在だったとしても」
「うん」
「君が今日まで生きてきた時間が偽物になるわけじゃない」
リリアは彼を見る。
「入学試験で歴代最高点を出したのは君だ」
「うん」
「学院初日に迷子になったのも君」
「なんでみんなそこ言うの?」
「印象的だから」
「忘れて」
「無理だね」
「ひどい」
「セシルと友達になったのも、ノアと苺を食べたのも、アレンを治療室へ連れていったのも、カイルと甘いものを食べたのも、レオンハルトを『レオン先輩』と呼ぶようになったのも」
ルシアンの指先が、机の上の紙から離れる。
「全部、今の君が選んだことだ」
リリアは瞬いた。
「ルシアン先輩とは?」
「僕?」
「私、何した?」
「……そこ気になる?」
「みんなあるのに」
「そうだな」
ルシアンは少し考えた。
「僕を『ルシアン先輩』と呼ぶようになった」
「それだけ?」
「結構嬉しかったんだけど」
「もっと欲しい」
言ってから。
ルシアンが黙った。
「何?」
「君は本当に」
「何?」
「いや」
口元へ手を当てる。
「そういうことを簡単に言わない方がいい」
「何で?」
「今説明すると僕が困る」
「みんな最近困ってる」
「原因はたぶん君だよ」
「失礼」
リリアが椅子へ座り直す。
「じゃあ今度何かする」
「何か?」
「ルシアン先輩とだけのこと」
「……」
「何がいい?」
「僕に聞くんだ」
「うん」
ルシアンは少し考えた。
「じゃあ、研究に付き合って」
「いつもやってる」
「魔法じゃない方」
「何研究するの?」
「僕」
リリアが瞬いた。
ルシアンは笑う。
「君、僕自身を知りたいって言っただろう?」
「言った」
「だったら、僕の好きな場所を一つ教える」
「どこ?」
「今言ったら意味がない」
「また秘密」
「これは楽しい方の秘密」
「いつ?」
「実戦祭が終わったら」
「約束?」
ルシアンは一瞬だけ黙った。
それから。
「ああ。約束」
「じゃあ行く」
「うん」
また一つ。
未来の予定が増えた。

