魔法より、君に恋をする。

春季実戦祭初日、第十三部隊と第二部隊の試合は無効試合となった。

 公式発表は、演習設備の一時的な魔力異常。

 再試合は翌日の午後。

 それまで第十三部隊には、訓練ではなく待機が命じられた。

「暇」

「事件の直後に出る言葉じゃないよ、それ」

 学院の医務室で、ノアが呆れたように言った。

 リリアは診察台の上に座り、足をぶらぶらさせている。

「怪我ない」

「だからってすぐ訓練しようとする?」

「明日試合」

「今日くらい休んでも弱くならないよ」

「なるかも」

「ならない」

 反対側では、セシルが腕を組んでいた。

「先生も今日は安静って言ってたでしょ」

「安静ってどこまで?」

「少なくとも演習場に行くのは駄目かな」

「魔法の本読むのは?」

「いいんじゃない?」

「術式書くのは?」

「普通のなら」

「実験は?」

「駄目」

「まだ言ってない」

「言うと思った」

 セシルに先回りされ、リリアは口を閉じた。

 診察の結果、身体には何の異常もなかった。

 魔力回路にも損傷なし。

 記憶障害もなし。

 意識を失った時間も、レオンハルトの証言では数秒程度。

 つまり。

「健康」

「そうだね」

「なら帰れる?」

「検査結果をルシアン先輩が確認したらね」

「遅い」

「生徒会長忙しいんだよ」

「監督生もやってる」

「そう」

「大変」

「分かってるなら待ってあげて」

 リリアは枕を抱き寄せた。

「……暇」

「僕がいるじゃん」

「ノアは暇つぶし?」

「傷つくなあ」

「違うの?」

「好きな女の子のお見舞いに来た健気な男の子」

「私、入院してない」

「雰囲気」

「元気」

「知ってる」

 ノアが笑う。

 その笑顔を見て、リリアも少しだけ笑った。

 でも。

 ふと静かになると。

 あの声が戻ってくる。

『お前じゃない』

 リリアは抱いていた枕へ視線を落とした。

「……ねえ」

「うん?」

「私がリリアじゃなかったらどうする?」

 ノアの笑顔が消えた。

 セシルもリリアを見る。

「名前が違ったってこと?」

「分からない」

「じゃあ、どういう意味?」

「私も分からない」

 リリアは眉を寄せた。

「でも、あの声は私を見て『お前じゃない』って言った。そのあとに『リリアを返せ』って」

「うん」

「なら」

 口にするのは、少し嫌だった。

「私じゃないリリアがいるみたい」

 医務室が静かになった。

「私がその人の代わりだったら?」

 ノアの指先がわずかに動く。

「顔が同じとか。魔力が同じとか。何かそういう理由で、みんなが私をリリアだと思ってるだけだったら」

「私は違うよ」

 セシルが即答した。

 リリアが顔を上げる。

「セシル?」

「私はリリア以外のリリアなんて知らないから」

「……変な言い方」

「自分でもそう思う」

 セシルは苦笑した。

「でも、私が知ってるのは、入学初日に地図を持ってるのに迷子になってた子だけ」

「迷子じゃない」

「迷子だったよ」

「ちょっと道を間違えただけ」

「それを迷子って言うんじゃない?」

「違う」

「じゃあ今度先生に聞こうか」

「それはいい」

「ほら」

 セシルが笑う。

「こういうリリアしか知らない」

 その声は優しかった。

「だから、もし明日『本当は名前が違います』って言われても」

「うん」

「びっくりはするけど、あなたが別人になるわけじゃないでしょ?」

 リリアは少し考える。

「ならないと思う」

「じゃあ私はそれでいい」

「……セシルは簡単に言うね」

「だって私には、昔のあなたと比べるものがないから」

 ノアがほんの少しだけ目を伏せた。

 リリアは気づいた。

「ノアは?」

「僕?」

「セシルとは違う?」

 ノアはすぐには答えなかった。

 それだけで答えの半分を聞いたような気がした。

「……違うよ」

 やがてノアが言う。

「僕には、比べるものがある」

「昔の私?」

「今は、それ以上言えない」

「そっか」

「ごめん」

「いい」

 待つと約束した。

 でも。

「一個だけ聞いていい?」

「うん」

「今の私と、その人は同じ?」

 ノアはリリアを見る。

 長い沈黙。

「似てる」

「やっぱり」

「でも、同じじゃない」

 今度は迷わなかった。

「少なくとも僕は、もうそう思ってる」

「もう?」

「最初は分からなかったから」

 ノアの声が少しだけ苦くなる。

「君を見た時、嬉しすぎたんだ」

 リリアは黙って聞いた。

「顔も、声も、魔力も。知ってるものが多すぎて。だから、見たいものしか見てなかったのかもしれない」

「……」

「でも今は違う」

 ノアが笑う。

「僕の知ってる君は、苺の一番大きいところを最後まで残す」

「好きだから」

「授業中に眠くなると、右手で頬杖つく」

「知らない」

「僕は知ってる」

「見てたの?」

「見てるよ」

 少しだけ胸が鳴る。

「それから、地図を上下逆に持つ」

「一回だけ」

「三回見た」

「嘘」

「本当」

「言ってよ」

「可愛かったから」

「意地悪」

「うん」

 ノアは笑った。

「そういう君を好きになってる」

 静かな声だった。

「昔の誰かじゃなくて?」

「昔を忘れたとは言わない」

「うん」

「でも今、明日の約束をしたいのは君だよ」

 リリアはしばらくノアを見る。

「……そっか」

「うん」

「じゃあ明日も苺?」

「試合後なら」

「勝ったら?」

「勝っても負けても」

「勝つよ」

「知ってる」