魔法より、君に恋をする。

 店を出た頃には、空が少し赤くなり始めていた。

「帰ろうか」

「うん」

 学院へ戻る道を歩く。

 途中で、金属のぶつかる音が聞こえた。

「何?」

「訓練場かな」

 学院西側には、上級生向けの小さな演習場がある。

 門の外からでも一部が見える。

 リリアがそちらを見ると、赤い髪が見えた。

「アレン先輩」

「本当だ」

 一人だった。

 剣を振っている。

 魔法は使わず、ひたすら型を繰り返していた。

「まだ訓練してる」

「あの人、よくやってるよ」

「毎日?」

「結構ね」

「見てくる」

「え」

 リリアは迷わず方向を変えた。

「リリア」

「何?」

「……いや」

 ノアが苦笑する。

「君ってそういうところあるよね」

「何が?」

「何でもない。僕は先に戻るよ」

「いいの?」

「うん」

「一緒に来ない?」

「今日はいい」

 ノアは一歩近づき、リリアの頭を軽く撫でた。

「苺、付き合ってくれてありがとう」

「私も食べたかったから」

「それでも」

「また行こう」

「うん」

 少しだけ名残惜しそうに手を離す。

「また明日」

「また明日」

 ノアは今度こそ学院の方へ歩いていった。

 リリアはその背中を少し見送ってから、演習場へ向かった。

     *

 アレンはまだリリアに気づいていなかった。

 剣を振る。

 踏み込む。

 止める。

 もう一度。

 普段の荒っぽさとは違う。

 無駄がない。

「綺麗」

 思わず呟いた。

 剣が止まる。

「……いつからいた」

「今」

「声かけろよ」

「かけた」

「その前だ」

「見てた」

「だから声かけろっつってんだよ」

 アレンは息を吐き、剣を下ろした。

 額に汗が浮いている。

「ノアと出かけてたんじゃねえのか」

「行ってきた」

「早かったな」

「苺食べた」

「そうかよ」

「美味しかった」

「よかったな」

 明らかに機嫌が悪くなった。

 リリアは首を傾げる。

「アレン先輩」

「あ?」

「苺嫌い?」

「嫌いじゃねえ」

「じゃあ今度一緒に行く?」

「……」

「嫌?」

「お前」

 アレンは剣を鞘へ戻した。

「そういうの、全員に言ってんのか」

「何を?」

「二人でどっか行くとか」

「全員ではない」

「誰に言ってる」

「セシルとはまた出かける。ノアとも約束した。レオン先輩とも王都行く」

「……」

「クロフォード先輩とは甘いもの食べる約束してる」

「……」

「ルシアン先輩ともご飯」

「もういい」

「まだ終わってない」

「終われ」

「アレン先輩だけない」

 アレンが黙った。

「だから誘ってる」

「……それで誘われて喜べって?」

「嫌ならいいけど」

「嫌とは言ってねえ」

「じゃあ行く?」

「行く」

「どっち?」

「行くっつってんだろ」

「苺?」

「別のにしろ」

「なんで?」

「ノアと同じは嫌だ」

「面倒」

「うるせえ」

 リリアは少し考えた。

「じゃあご飯」

「何食う」

「肉」

「雑だな」

「アレン先輩好きそう」

「好きだけどよ」

「じゃあ決まり」

「いつだ」

「実戦祭のあと?」

 アレンが止まった。

 また。

 未来の予定。

 リリアは何も考えずに増やしていく。

「……あとか」

「うん」

「実戦祭終わってから?」

「そう」

「分かった」

 声が少し低くなった。

「絶対行くぞ」

「うん」

「忘れんなよ」

「忘れない」

「約束だからな」

 リリアは目を丸くした。

「アレン先輩、約束嫌いじゃなかった?」

「……嫌いだよ」

「じゃあなんで?」

 アレンは答えなかった。

 代わりに、持っていた剣を壁へ立てかける。

「水取ってくる」

「逃げた」

「逃げてねえ!」

 少し離れた給水場へ向かう。

 リリアはその背中を見ながら笑った。

     *

「まだやるの?」

 水を飲み終えたアレンに聞く。

「ああ」

「もう結構やったでしょ」

「実戦祭まで時間ねえからな」

「あと何日?」

「七日」

「一週間」

「そう」

「休まないと弱くなるよ」

「分かってる」

「じゃあ帰ろう」

「お前が決めんな」

「疲れてる」

「疲れてねえ」

「腕」

「あ?」

「さっきから左腕庇ってる」

 アレンの顔から表情が消えた。

「怪我してる?」

「してねえ」

「見せて」

「平気だ」

「見せて」

「リリア」

「怪我してないなら見せられる」

「……」

 アレンが舌打ちした。

「本当に面倒くせえな、お前」

「よく言われる」

「誰にだよ」

「最近みんなに」

「だろうな」

 仕方なく袖を捲る。

 肘の少し下に、赤く腫れた跡があった。

「怪我してる」

「打っただけだ」

「治療室」

「いらねえ」

「行く」

「お前が行ってどうすんだ」

「連れていく」

「俺は犬か」

「犬ならもっと素直そう」

「喧嘩売ってんのか?」

「買う?」

「売ってんのお前だろ!」

 結局、アレンは折れた。

「分かった。行く」

「うん」

「その代わり」

「何?」

「お前も今日はもう訓練すんな」

「私、今してない」

「自主練するつもりだったろ」

「……」

「図星かよ」

「ちょっとだけ」

「駄目だ」

「アレン先輩に言われたくない」

「俺が行くんだからお前もやめろ」

「交換条件?」

「そう」

 リリアは少し考える。

「分かった」

「よし」

「じゃあ治療室」

「分かってる」

 二人で歩き出す。

     *

 治療室で簡単な処置をしてもらうと、やはり軽い打撲だった。

 大した怪我ではない。

 ただし今日はもう剣を振るなと言われた。

「ほら」

「嬉しそうにすんな」

「私が正しかった」

「はいはい」

 治療室を出る。

 夕暮れの廊下は人が少なかった。

「リリア」

「何?」

「お前、怪我見つけんの上手くなったな」

「みんな怪我するから」

「……」

「困る」

「何が」

「怪我されると」

 リリアは前を向いたまま言った。

「嫌だから」

 アレンの足が止まりかける。

「だから無理しないで」

「お前が言うな」

「最近無理してない」

「昨日規定出力二倍だっただろ」

「壊してない」

「そういうとこだっつってんだよ」

「じゃあお互い気をつける」

「……」

「それなら平等」

「お前さ」

「何?」

「何でそんな簡単に」

 言葉が止まる。

「簡単に何?」

「……先の話すんだよ」

「先?」

「実戦祭のあと飯行くとか。また明日とか。次とか」

 リリアは不思議そうにアレンを見る。

「予定だから」

「それが簡単じゃねえ奴もいる」

「アレン先輩?」

「……」

 否定しない。

「じゃあ嫌だった?」

「逆だよ」

 アレンは低く答えた。

「嬉しいから困ってんだ」

 リリアが瞬く。

 夕暮れの光の中で、赤い髪がいつもより暗く見える。

「俺はそういうの、信じねえ方が楽だった」

「なんで?」

「なくなった時に腹立つから」

「約束と同じ?」

「ああ」

「じゃあ」

 リリアは少し考える。

「いっぱい作ればいいんじゃない?」

「……は?」

「一個なくなっても、まだ残るくらい」

「お前」

「ご飯だけじゃなくて」

 指を一本立てる。

「実戦祭終わったらご飯」

 二本。

「夏になったら何か冷たいもの食べる」

 三本。

「秋は」

「待て待て待て」

「何?」

「増やしすぎだろ!」

「いっぱい作るって言った」

「お前が勝手に言ってんだよ!」

「嫌?」

 アレンが言葉に詰まる。

「……嫌じゃねえ」

「じゃあいい」

「よくねえ。心臓がもたねえ」

「運動しすぎ?」

「お前のせいだ!」

「私?」

「そうだよ!」

 リリアはよく分からなかった。

 でも、アレンの顔が少し赤い。

「熱ある?」

「触んな!」

 額へ伸ばした手を掴まれる。

「……」

「……」

 アレンも、そこで止まった。

 手首を掴んだまま。

 近い。

 リリアはアレンを見る。

 赤い瞳。

 いつも強くて、乱暴で。

 でも今は、少し困っているように見えた。

「アレン先輩?」

「……」

 掴む力が弱くなる。

 けれど、離れない。

「リリア」

「うん」

「俺以外にも、こんなことしてんのか」

「こんなこと?」

「……もういい」

「最近それ多い」

「お前相手だと説明すんのが馬鹿らしくなる」

「失礼」

「褒めてねえ」

 それでも手は離れなかった。

 リリアも、急いで離す理由を感じなかった。

 だからそのまま少し歩いた。

「……おい」

「何?」

「何で普通に歩いてんだ」

「帰るんでしょ?」

「手」

「アレン先輩が持ってる」

「そうだけど」

「離したい?」

「……」

「どっち?」

「離したくねえ」

「じゃあいい」

「お前、本当に」

 アレンは深く息を吐いた。

「危機感持て」

「アレン先輩に?」

「男にだよ」

「アレン先輩も男でしょ」

「だから言ってんだ!」

 廊下に声が響いた。

「うるさい」

「誰のせいだ!」

 リリアが笑う。

 アレンはしばらく不機嫌そうな顔をしていたが、やがて諦めたように笑った。

     *

 寮への分かれ道。

 ようやく手が離れた。

「じゃあまた明日」

 リリアが言う。

 アレンは一瞬だけ黙った。

「……ああ」

「訓練あるから絶対会う」

「分かってる」

「その次も」

「分かってる」

「実戦祭のあとも」

「分かったっつってんだろ」

「夏も」

「まだ言うのかよ!」

「秋も」

「気が早え!」

「冬は?」

「知らねえよ!」

「考えといて」

「何で俺が!」

 リリアは笑って手を振った。

「また明日、アレン先輩」

「……リリア」

「何?」

「明日だけじゃなくていい」

 リリアが瞬く。

 アレンは少し視線を逸らした。

「その先も」

 声は小さかった。

「……予定、入れとけ」

 リリアは少しだけ目を丸くして。

 それから笑った。

「うん」

 アレンも笑った。

「じゃあな」

「また明日」

 背を向ける。

 数歩歩いたところで。

「リリア」

 また呼ばれた。

「何?」

「実戦祭のあと」

「うん」

「肉だからな」

「覚えてる」

「絶対だぞ」

「約束嫌いなのに?」

「うるせえ!」

 リリアは笑いながら寮へ向かった。

     *

 アレンは、その姿が見えなくなるまで動かなかった。

 未来の予定。

 明日。

 実戦祭のあと。

 夏。

 秋。

 冬。

「……馬鹿じゃねえの」

 そんな先のこと。

 何が起きるかも分からない。

 世界がどうなるかも。

 彼女が誰を選ぶかも。

 何一つ分からないのに。

 それでも。

『いっぱい作ればいいんじゃない?』

 簡単に言う。

 何百年分の孤独さえ知らないくせに。

 待つことがどれほど長いのかも。

 一人だけ残されることが、どれほど恐ろしいのかも。

 何も知らずに。

 彼女は未来へ予定を書き込んでいく。

 アレンは左腕の包帯を見る。

「……夏、か」

 その季節を彼女と迎える自分を、想像してしまった。

 秋も。

 冬も。

 その先も。

 今までなら、考えないようにしていた未来。

 考えれば失う。

 望めば奪われる。

 だから約束なんて嫌いだった。

 けれど。

「飯くらい、行くだろ」

 誰に言うでもなく呟く。

「夏も来る」

 もう一つ。

「秋も」

 さらに。

「冬も」

 少しだけ笑った。

「……全部来いよ」

 待つ未来ではなく。

 一緒に進む未来なら。

 少しくらい、信じてみてもいいのかもしれない。