魔法より、君に恋をする。

その日の合同訓練は、珍しく何事も起きなかった。

 不審な魔法獣も出ない。

 黒い羽もない。

 地面から知らない術式が現れることもない。

「平和」

 休憩中、リリアは芝生に座った。

「平和が不満そうだね」

 ノアが隣に座る。

「不満じゃない」

「退屈?」

「ちょっと」

「君、本当に危険な性格してるよね」

「戦いたいわけじゃないよ」

「じゃあ何したいの?」

 リリアは考える。

「何かしたい」

「一番困る答えだ」

 少し離れたところでは、アレンとカイルが模擬戦をしている。

 セシルはレオンハルトと剣の型について話していた。

 ルシアンは高台で記録を整理している。

「ノアは?」

「何が?」

「何したい?」

「今?」

「うん」

「こうしてたい」

 リリアが横を見る。

「座ってるだけ?」

「うん」

「楽しい?」

「楽しいよ」

「何もしてないのに?」

「何もしないのがいいんだよ」

「変なの」

「そうかな」

 ノアは芝生に両手をつき、空を見上げた。

「僕、昔は特別なことばっかり欲しかったんだ」

「例えば?」

「秘密」

「また」

「でも今は」

 青い空。

 白い雲。

 春の風。

 ノアはそれを眺めながら言った。

「君とご飯食べたり、授業で寝そうになってるの見たり、道に迷ってるの迎えに行ったり」

「最後いらない」

「大事だよ」

「迷いたくて迷ってない」

「知ってる」

「最近減ったし」

「僕のおかげ?」

「セシルのおかげ」

「ひどい」

 リリアが笑う。

 ノアも笑った。

「そういうのが好き」

「方向音痴が?」

「違うよ」

 ノアは身体を起こした。

「何でもない日」

 その言葉が、妙に耳に残った。

「今日も?」

「うん」

「訓練してるけど」

「それでも」

 ノアはリリアを見る。

「今日、君が生きてて、僕も生きてて、明日も会えるって普通に思える日」

 胸の奥が少しだけ揺れた。

 リリアはノアの横顔を見る。

 いつもの笑顔なのに。

 今日は、その奥にあるものが少しだけ見える気がした。

「ノア」

「うん?」

「明日も会えるよ」

 ノアが止まる。

「たぶん」

「……最後の一言いらなくない?」

「絶対は分からないから」

「君らしいなあ」

「でも」

 リリアは少し考えてから、手を差し出した。

「何?」

「明日も会えたら、何か食べよう」

「……」

「この前の約束。苺」

 ノアの目が少しだけ大きくなる。

「覚えてたんだ」

「忘れてない」

「嬉しい」

「じゃあ約束」

 ノアは差し出された手を見る。

 すぐには握らなかった。

「ノア?」

「約束って、ちょっと怖いんだよね」

「アレン先輩も言ってた」

「そうなんだ」

「守れなかった時に残るって」

 ノアは小さく笑った。

「……あの人らしい」

「ノアも?」

「少し似てるかも」

「じゃあ」

 リリアは手を引っ込めようとした。

 その手を、ノアが掴んだ。

「する」

「怖いんじゃないの?」

「怖いよ」

「じゃあなんで?」

 ノアの指が、リリアの手を包む。

「怖くても、約束したいから」

 いつもの軽い調子ではなかった。

「明日、一緒に苺食べよう」

「うん」

「絶対?」

「絶対」

「……そっか」

 ノアが笑った。

 その笑顔は、リリアが今まで見たどの笑顔よりも静かだった。

 手はまだ繋がったままだ。

 嫌ではない。

 むしろ温かい。

「ノア」

「何?」

「手」

「あ、ごめん」

「離してとは言ってない」

「……」

「なんで固まるの?」

「君ってたまにすごいよね」

「何が?」

「何でもない」

「またそれ」

「今だけ許して」

 ノアは手を離さなかった。

 リリアも離さなかった。

 少し離れたところで、アレンがこちらを見た。

 次いでカイル。

 レオンハルトも気づく。

 セシルは一瞬だけ二人の手を見て、それからリリアの顔を見た。

 誰も何も言わなかった。

 ルシアンだけが高台から全部見ていて、少し呆れたように眼鏡を押し上げた。