魔法より、君に恋をする。

二人が寄ったのは、学院近くの小さな丘だった。

 王都ほど人はいない。

 夕焼けの向こうに学院の塔が見える。

 並んで座る。

「綺麗」

「うん」

「ここ知ってたの?」

「剣術部で走り込みする時に通るから」

「大変そう」

「今度一緒に走る?」

「嫌」

「即答」

「魔法で移動する」

「訓練にならないよ」

 リリアは笑った。

 風が吹く。

 銀色の髪が頬にかかり、セシルが自然に手を伸ばした。

 指先で髪を払う。

「ありがとう」

「……うん」

 そのまま、手が少しだけ頬の近くに残った。

 リリアがセシルを見る。

 灰青色の瞳。

 いつもより近い。

「セシル?」

「ごめん」

 離れようとした手を、リリアが掴んだ。

「なんで?」

「え?」

「別に嫌じゃない」

「……そういう問題じゃないんだよ」

「じゃあ何?」

 セシルは答えなかった。

 言えば簡単だ。

 好きだから。

 触れたいから。

 今日ずっと、隣にいるだけで嬉しかったから。

 帰したくないと思ったから。

 けれど、それを言えば。

 今のリリアはきっと、答えを考え始めてしまう。

 まだ、そうしてほしくない。

「リリア」

「うん」

「今日、楽しかった?」

「すごく」

「私も」

 セシルはそれだけ言った。

 リリアはしばらく彼女を見ていたが、やがて掴んでいた手を離した。

「じゃあまた来よう」

「うん」

「二人で」

 セシルの目が少しだけ見開かれる。

「……うん。二人で」

 空が少しずつ夜へ変わっていく。

 リリアは前を向いた。

 今日一日、楽しかった。

 それだけのはずだった。

 でも。

 セシルに可愛いと言われた時。

 服を選んでもらった時。

 手を繋いだ時。

 さっき、頬に触れられた時。

 胸の奥が少しだけ変だった。

 今までにも、似たようなことはあった。

 ノアに好きだと言われた時。

 レオン先輩と二人で話した時。

 アレンに名前を呼ばれた時。

 クロフォード先輩に抱きしめられた時。

 ルシアン先輩に、まるでずっと自分を知っているような目で見られた時。

 全部、少しずつ違う。

 だからまだ、名前はつけられない。

「恋って難しいね」

 突然リリアが言った。

 セシルが隣で固まった。

「……急にどうしたの?」

「今日言ってたから」

「ああ」

「セシルの好きな人の話」

「うん」

「私も、そのうち分かるかな」

 セシルは夕焼けを見つめた。

「分かるよ」

「どうして?」

「リリアは、自分で決めたいんでしょ?」

「うん」

「だったら急がなくていい。誰かに好きだと言われたからでも、昔からそうだったからでもなくて、リリアがその人を好きだって思った時に分かればいいんだよ」

 リリアは黙って聞いていた。

「セシルは待てる?」

「……待てるよ」

「好きな人を?」

「うん」

 セシルは笑った。

「その人が、自分で気づくまで」

「優しいね」

「そうでもないよ」

「なんで?」

「本当は今すぐ気づいてほしいから」

「じゃあ教えればいいのに」

「それじゃ意味がないんだ」

「難しい」

「難しいね」

 リリアは少し考えたあと、セシルの肩へ頭を預けた。

「……リリア?」

「疲れた」

「そっち?」

「あと、ここ落ち着く」

 セシルは動けなくなった。

「嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあ少しだけ」

「うん」

 夕日が沈んでいく。

 セシルは隣にある銀色の髪を見つめた。

 好きだ。

 もう、自分では分かっている。

 友達としてだけではない。

 手を繋ぎたい。

 二人で出かけたい。

 可愛いと言った時に笑ってほしい。

 自分を選んでほしい。

 いつか、その唇に触れたいとさえ思う。

 それでも今は言わない。

 過去の約束も、運命も、自分にはない。

 リリアと自分の間にあるのは、この学院で出会ってから積み重ねた時間だけだ。

 だからこそ、それでいいと思う。

 誰かの記憶の中にいるリリアではなく。

 今、肩に頭を預けているこの子が好きなのだから。

「セシル」

「何?」

「眠い」

「寝ないで。帰れなくなるよ」

「運んで」

「無茶言わないで」

「セシルならできそう」

「できるけど、しないよ」

「できるんだ」

「一応、剣士だからね」

 リリアが小さく笑った。

「やっぱり王子様みたい」

「それ、今日はもう禁止」

「じゃあセシル」

「うん」

「また二人で出かけようね」

 セシルは少しだけ目を細めた。

「もちろん」

 今は、それで十分だった。

 友達と呼ばれる距離の中に、まだいられる。

 その境界を越える日は、自分が無理に作るものではない。

 いつかリリア自身がこちらへ一歩踏み出してくれたなら、その時はもう遠慮しない。

 セシルはそう思いながら、肩に寄りかかるリリアの髪を、今度はほんの少しだけ撫でた。

 リリアは何も言わなかった。

 ただ、逃げることもなかった。