父が亡くなり遺産を相続した。
父は会社を興し、一代で成功を収めた。
会社は優秀な人が引き継いでくれた。
私は会社経営に興味がないので、株だけ手元に残した。
顧問弁護士の先生が色々、動いてくれて速やかに手続きを終えた。
一人で住むには広過ぎる家は売りに出して、私はホテル住まいになった。
ホテルの生活は快適だ。
毎日清掃をしてくれて、ベッドメイキングしてくれた。
ホテル内のスパやプールに行ったり、美味しい料理を部屋で食べられた。
どれだけ贅沢な暮らしをしても、心が満たされる事はなかった。
父は仕事人で、私に構ってくれなかった。
父が私に教えたのは、金で買えない物はない、という事だけだった。
愛も、心さえも、手に入れられる、と。
私の母は父に買われた。
母は名家のお嬢様だったが、家の財政は厳しかった。
名家と繋がりを持ちたかった父は、母の家に援助する代わりに、母を嫁にもらったのだ……。
父も母も亡くなり、一人ぼっちになった。
一時間しっかり泳いで、帽子とゴーグルを外して、タオルで髪と体を拭いて、プールサイドチェアに寝転がり、休んでると男女が入って来た。
四十代くらいの女性と、二十代前半かもっと若い男のペアだった。
ホテル内には、フィットネスジムもあり、体を動かせた。
私みたいに、プールでガチ泳ぎしてる人は滅多にいないが……。
女性は軽くクロールで泳いでるが、男の方はプールサイドで見てるだけで、泳ぐ様子はなかった。
……若いツバメって、やつかな。
顔が似てないし、雰囲気がそんな感じ。
若い女の子がプールではしゃいでいて、年配の男性がそれを見てるって、パターン、たまに見掛けた。
男女問わず金に余裕のある人間は、若くて魅力的な人を侍らす傾向があった。
父にも愛人がいたから、別に驚く事ではない。
父は愛人に遺産を残さなかった。
私にだけ残してくれた。
シャワー浴びて部屋に戻るかと、タオルとか荷物を持ってプールサイドを歩いて行くと、男と一瞬視線が絡んだが、すぐに逸らされた。
私が明らかに、……見過ぎた。
悪い事をした。
私の肩書きは小説家。けど、処女作以降ヒットはない、親の脛齧りだった。
大学一年生の時に賞を取り、小説家デビューした。
私は二作目に出版した、小説を酷評された。
読者や評論家から。
全く面白くない、どこかで読んだ事のある内容、デビュー作の二番煎じ、とか散々な言われようで……。
ネットでは一代で財を築いた、ワンマン社長として有名な男の娘だと、特定されて、賞を金で買ったとか、若い女だからチヤホヤされてる。
才能ないから、やめちまえ、とも。
大学にいづらくなり、中退して家に引き籠った。
怖くなって、小説を書けなくなった。
なんのやる気も起きなくて、ただぼうっと日々を過ごした。
父が亡くなったのは突然だったが、危険因子を持っていた。
高血圧、ストレス、喫煙、飲酒など。
遺言書を顧問弁護士の先生に託していて、私は路頭に迷わずに済んだ。
父は一生、遊んで暮らせる遺産を私にくれた。
使い切って自分を追い込んだら、小説が書けるかと思ったが、どうやって使い切れば良いんだ。
……いっその事、寄付して社会貢献しようか。
小説を書くには、自分でどうにかしないと。
他力本願は良くないと、机に向かったが何も出てこず。
今日はやめよう、今日もやめようを、何度繰り返してるか、数えるのをやめた。
気が滅入るから……。
よし、バーに行くか。
気を取り直して。
ホテル内のバーの常連になった。
ホテルオリジナルカクテル、シャンパン、ウイスキー、ブランデー、をその日の気分に合わせて注文した。
キャビアを毎回頼んでたら、……流石に飽きた。
世界三大珍味、毎日食べちゃダメだね。
たまに食べられるからこそ、美味しかった。
おつまみは、ミックスナッツと、グリーンオリーブに落ち着いた。
「こんばんは。お隣、良いですか?」
グリーンオリーブのピクルスを食べる私に声を掛けて来たのは、プールで見た若い男だった。
「……どうぞ。」
連れの女性はいなかった。
「モスコミュールをお願いします。」
隣のスツールに座った男は、バーテンダーにそうオーダーした。
ウォッカとジンジャーエールのカクテル。
甘過ぎなくて爽やかで、男女問わず人気だ。
「お一人ですか?」
「えぇ……。」
「僕も一人なんです。仕事が入ったからと、置いてきぼりを喰らいました。」
「……。」
どう言う意図で、近付いて来たんだろう。
単におしゃべり相手になって欲しいって、わけではないと思うが……。
やっぱり、金に困ってるのかな。
私なら、あげられる。
ここで会ったのは、……何かの縁だろう。
「いくら欲しいの?」
単刀直入に切り出した。
「……話が早くて助かります。」
それが、千尋くんとの関係が始まった、きっかけだった。
千尋くんには病気の母親と、まだ学生の妹がいるらしい。
治療費と学費が必要、だと。
その話が本当か嘘か、どっちでも良かった。
私は一緒に豪遊してくれる、仲間が欲しかった。
友達が一人もいないから、付き合ってくれる人がいなかった。
クラブのVIPルームでシャンパンを浴びる程、飲んだり、豪華クルーザーでクルージングに出掛けたり……。
お座敷で芸者遊びもした。
昭和の大スターかと、ツッコみたくなる遊び方だが、めちゃくちゃ楽しかった。
千尋くんには、付き合ってくれる度に、お手当を渡した。
私がお世話になってるのは、高級なラグジュアリーホテルで、私が連泊して住んでるのは、キングサイズのベッドがある部屋で定員は一〜二名だ。
スイートルームは広過ぎるので、スイートルームに泊まったのは、初日だけだった。
スパ、プール、バー、レストランを主に利用していた。
ホテル内にはショップもあるので、簡単な日用品なら手に入った。
外に出なくとも生活が完結した。
私は二十代後半になったが、外で働いた経験がなく、苦労もせずに育った。
幼い頃からの夢だった、小説家としてデビューは果たしたが、誹謗中傷に遭い……。
……才能、ないのかな。
賞を取れたのはまぐれで、凡人がいくら努力したところで、天才には一生勝てない。
凡人なりにセンスを磨こうと、本は良く読んでいて、部屋にいる時は読書に時間を使った。
「……待って。」
千尋くんの肩を押した。
端正な顔が近付き、キスされそうになった。
ホテル内のレストランで食事をして、私は部屋に戻るところだった。
「千尋くんとキスとか、それ以上の関係になりたいって、思ってないから安心して。」
一緒に過ごして、楽しくて……。
それだけで、良かった。
体の関係を迫る気はなかった。
「僕がしたいんです。」
そう言うと、千尋くんは私にキスをした。
重ねて触れ合う、優しいキスだった。
「和花さんがお泊まりのお部屋、お邪魔して良いですか?」
「……シャワー、浴びるね。」
エレベーターから降りて、キーで部屋のオートロックを開けて、部屋の中に入りそう言った。
体の汚れを落としたかった。
千尋くんは慣れてるだろうけど、私はそんなに経験がなかった。
高校時代に文芸部の先輩と、お付き合いした事があるだけ。
先輩は淡白だったと言うか、そんなに体を求められなかった。
一緒に小説を書いたり、本を読んで過ごした。
「冷蔵庫の中の飲み物、好きに飲んで良いからね。」
先にシャワーを浴びさせてもらった。
冷蔵庫にはミネラルウォーターや、ノンアルコールの飲料が入っていた。
シャワーを浴び終えて、バスローブ姿で出て来た千尋くんに、どきりと心臓が音を立てた。
私はベッドに腰掛けて、千尋くんを待っていた。
緊張から酷く喉が渇いて、ベッドサイドに置いたペットボトルのミネラルウォーターをまた、一口飲んで口の中の渇きを潤わせた。
歯も綺麗に磨いたから、準備万端だった。
「そんなに身構えないで下さい。緊張が移りますから。」
隣に腰掛けた、千尋くんに言われた。
「ご、ごめん……。」
「緊張してる和花さん、可愛らしくて好きですよ。」
「……。」
……リップサービスが凄い。
千尋くんはプロなんだなと、思った。
女に金を使わせる。若いツバメ……。
私は寂しい独身だから、愛人ではなかった。
高校の文芸部の先輩だった、一条さんは今や人気のベストセラー作家の先生だ……。
一条さんは大学の先輩でもあって、私の二年前に賞を取り小説家デビューした。
私が誹謗中傷を受けた時は、励ましてくれたが、私は心を閉ざして耳を傾けなかった。
大学を中退する時は、引き留めてくれたがその声に応えなかった。
私の担当編集者だった、久我さんも心配してくれたが、家に引き籠もって、一歩も外に出なかった。
……父と家政婦の真田さんとしか、顔を合わせなかった。
真田さんには父が亡くなり、お暇を出した。
家を売りに出して、真田さんには今までお世話になりましたと、お給金に色を付けた。
家政婦紹介所から、家に来てもらっていた。
一条さんと言う、才能のある人と高校時代に出会い、刺激を受けたのが大きかった。
一条さんと付き合って、恋愛をして愛を育んだ。
新しい話の構想が浮かばない、小説が書けなくなり、小説家として死んだと思っていたが、それは違った。
千尋くんのおかげ……。
私はデビューしてから、三作目の小説を書き始めた。
小説家、葉月和花の復帰作になるだろう。
……六年ぶりの新作。
どんな反応が返って来るのか、怖くて仕方ないが前よりは、強くなった気がした。
久我さんに連絡すると、出版に向けて動いてもらえた。
私は『再生愛』を発表した。
発売日になり、書店に並べられた。
「重版が決定しました!」
久我さんからそんな、連絡が入ったが素直に喜べなかった。
葉月和花の名前は、悪い意味で知られてるから、話題性には欠かなかった。
悪名は無名に勝る、から良い事だと、ポジティブに捉えれば良いんだけど……。
……お気楽には考えられなかった。



